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26 拐かし

鶯のところで下らぬ噂話に興じてから5日後、千鶴が家で身支度をしていると、奥から、師匠の菊鶴(きくつる)が出てきた。


「出掛けるのかい?」

「はい。藤原中納言邸に。」


菊鶴は、おや、と両眉を少しあげる。


「あそこは、随分、久しぶりじゃないかい?」

「えぇ。最近は、他のお屋敷にも呼んでいただいえているので、なかなか行く時間がとれなかったのです。」


安倍公賢から頼まれて方々の屋敷に出入りしていることは、話していない。

通常の白拍子への依頼とは違うので、あまり人に話さない方がいいのではないかと思ったからだ。菊鶴に無用な心配をさせるのも嫌だった。


「それは、いい。」


菊鶴が鼻歌でも歌いだしそうなほどに、上機嫌に言った。


「間違っても、中納言なんかの妾に、なるんじゃないよ。」


菊鶴は、孤児だった千鶴を拾ってくれた親代わりだ。白拍子として、教え導いてくれた。

白拍子としては、ややトウが立った年齢だが、未だ現役で舞を踏む。生来の華に艶やかさが加わり、不思議な魅力を醸し出していると、彼女の踊りを贔屓にするものも多い。


以前から、千鶴が、藤原中納言に、妾になるよう誘いを受けていることは、菊鶴も承知している。中納言は、「菊鶴ごと面倒を見る」と言っていたが、千鶴も、菊鶴もその言葉を信じてはいなかった。


ただ、自分の存在が菊鶴にとって、重荷になるのなら考えなくては、と思っていたので、反対してくれていることに安堵する。


「千鶴は、もっといい男に出会えるさ。望んでもいない男のところに、安売りする必要なんてないからね。」


言い方は、はすっぱだが、菊鶴なりの優しさがかいまみえる。


「ありがとうございます。」


千鶴は、まだ、恋のいろはを知らない。誰かを好いたことはないし、その気持ちも分からない。


恋と聞いて、必然的に思い出すのは、斑の姫のことだった。

危険を顧みず、会いに行き、決して揺るがない、死してなお待ち続けるほどの深い愛情。自分も、あんな気持ちになる日が来るのだろうか。


(やはり、いまいち、ぴんとこないな。それより、今は・・・)


千鶴は、懐に入っている櫛に指でふれた。

公賢に言われたことを思い出す。


この櫛には、持ち主の魂が宿っている。それは、千鶴と血の繋がる誰か。

公賢は、そのことについて、いつか、分かるときが来る、と言っていた。


つまり、私が、どこの誰なのかが、分かるのだ。


災害続きのこの世の中、素性の分からない孤児など珍しくない。だから、そんなことを期待したことは、一度もなかった。

けれど、知ることができると、示唆された途端、自分は何者なのか知りたいという純粋な欲求は、やはり心の底に流れているのだと思い知った。


しかし、そのことを、菊鶴に告げるのは、何となく躊躇っていた。


「お師匠も、お出掛けですか?」


背に負った荷物に、視線を向け、問う。荷の中身は白拍子の衣装。


「あぁ。しばらく留守にするよ。10日か、15日か・・・ひょっとしたら、もう少し長くなるかもしれない。」


菊鶴は、度々、どこかに遠出する。

どこに行くのかは、いちいち告げない。ただ、一度でかけると、しばらくは帰ってこない。

彼女に思いを寄せ、囲う男が何人かいることは、分かっているから、そのうちの誰かのところへ行くのだろう。以前は、千鶴も一緒について回っていたが、京に腰を落ち着けてからは、それもなくなった。


「三月経っても帰ってこなかったら、どっかでくたばっちまったと思いな。」


菊鶴はいつもの台詞を軽やかに言って、「じゃあ。」と、外へ出ていった。


横で眠っていたナンテンが、むにゃむにゃと寝言のように鳴いた。



◇ ◇ ◇



夕暮れの都を、千鶴は、藤原中納言邸を目指して北上していた。


日の長い季節だが、太陽が中天を過ぎると、人出は、ぐっと少なくなる。

日の出から、昼過ぎまでが、人々の主たる活動時間なのだ。


久しぶりの藤原(なにがし)中納言邸。


千鶴にとっては、昔からの馴染みだが、ここのところ、公賢のおかげで、いろいろな屋敷に出入りしており、足が遠退いていた。

その噂をどこかから聞きつけたらしい。


未だに妾にすることを諦めていない藤原中納言だから、さぞかし面白くなかっただろう。千鶴のもとへ、嫌味と来訪の催促の文が届いた。


千鶴としても、長く贔屓にしてくれている藤原中納言に、あえて不義理を働くのは本意ではない。それで、久しぶりに、参上する運びとなったのだ。


公賢の使いで、いくつかの貴族の屋敷には来訪したが、中納言邸は、かなり立派なお屋敷の部類に入る。

噂では、正妻を含め三人の妻がおり、その三人ともがここに暮らしているらしい。建物だけなら、公賢の家より大きい。

ただ、都の東端にある公賢邸は、庭が広大なので、敷地面積はあちらのほうが上であろう。


やがて、千鶴の視線の先に、見慣れた中納言邸が現れた。

そのとき、何かが千鶴の頭に覆い被さった。と、同時に、口内に布のようなものを押し込められる。


「っ!?」


視界が暗転し、腕と体が外側から押さえつけられた。


布地のようなもので、身体全体を包まれている。拘束を解こうと、力を入れ、身体を捻っても、びくともしない。


ゴツゴツとした腕に抱えられ、もがく千鶴は宙に浮いた。


「誰か!助けて!」と、叫ぼうとしたが、声は、覆いかぶされた布に遮られた。

ただでさえ人通りのない街では、騒ぎを聞きつけて助けに来てくれる人は望めないだろう。


あっという間に、縛り上げられ、何かの中にドサッと押し込められたのが分かった。

間髪いれず、ガタガタと動きだす。これは―――


((かどわ)かし!?)


千鶴は、身動きの取れぬまま、牛車の動きに意識を集中させ、必死で頭を働かせる。

カタカタと揺れている。


(どうして、私を?)


貴族の娘でもない、ただの庶民の白拍子。

誘拐したところで、身代金を払う身内もいなれけば、(まだら)の姫たちのように呪詛の道具になるような力もありはしない。


ふいに、千鶴の頭に、先日の公賢の言葉が甦った。


―――櫛は持っていますか?


あの櫛は、身を守るお守りになる。

以来、千鶴は、今までにも増して、気を付けている。今日も、間違いなく懐にいれてるいた。


公賢は、こうなることを知っていたのだろうか。


公賢が、関知しているなら、相手は人ではない、ということか。

いや。千鶴は、心のなかで首を振る。千鶴を縛り上げた手や身体は、確かに実態があった。


なれば、公賢の助けを期待しても、無駄だろう。


鶯ならば、このことを知れば、助けようとしてくれるに違いない。

たとえ、家から出歩けない身だとしても、彼女は絶対に、何とかする。

しかし、残念ながら、今、この状況を鶯に伝えるすべがない。


あとは、師匠の菊鶴。

しかし、菊鶴は、先程、出掛けていった。千鶴の行方不明を知るのは、いつのことか。


(結局、自分で何とかするしかない・・・か。)


そのとき、腹のあたりがごそごそと動いた。


「ち・・・千鶴、なんだ、今のは?大丈夫か??」


首元に絡んだ布紐のせいで、顔を出せないナンテンが、着物の中でガサゴソともがいている。


「ナンテン!!」


千鶴は、周囲の見張りを警戒して、小声で話しかける。


「怪我はない?」

「おう。なんか、頭がぐわんぐわん回ったけど、オイラは無事だ。っていうか、なんだ、この暗いところは。」


「拐された。なんか、縛られて袋みたいなのに入れられてる。そこから出られ・・・うっ」


牛車が曲がった拍子に、手首を縛った紐が食い込んだ。


「苦しいのか?ちょっと待ってろ!!」


ナンテンが、モゾモゾと動いたかと思うと、手首のあたりを何かにつつかれる感触がした。

着物の脇の方から抜け出したナンテンが、紐を食いちぎろうと噛んでいるらしい。

ナンテンは旧鼠(きゅうそ)。鼠の物の怪だ。


「オイラの歯なら、これくらいの紐、あっという間に食いちぎってやる。」


ナンテンは、千鶴に助けれて以来、その恩義に報いるために、千鶴の役に立とうというやる気だけは、常に高い。なかなかその本領を発揮する機会に恵まれなかったが、今こそ、その時であった。


「うん。お願い。」


(そうか。一人ではないのか。)


ナンテンに勇気づけられた千鶴は、息を殺し、牛車の動きに集中した。どれくらいの距離を、どこまで走るのか。


幸い、腰の刀は取り上げられなかった。ナンテンが腕の拘束を解いてくれれば、逃げ出すことはできるかもしれない。


牛の歩みはのろい。千鶴は、牛車の横で歩いている自分を思い浮かべ、藤原中納言邸を軸に、おおよその方角や距離を測ろうと試みた。


すると、牛は、先ほど、一度角を曲がったっきり、あとはまっすぐ歩いて、すぐに、止まった。


(藤原中納言邸から、さほど離れていない?)


これなら、逃げ出すことさえできれば、帰れそうだ。

停車したあと、がさごそと音がしたと思ったら、がくんと身体が浮きあがった。

先程と同じ腕に、抱えあげられたらしい。


ナンテンが、「ぎゃっ」と潰れたような声で鳴いた。


牛車から下ろされ、どこかに運ばれている。

右に、左にと曲がるのは、どこかの屋敷の中だろうか。


止まった。

そして、ドサリと床におかれた。


目的地に着いたのだろうか。

このまま覆いの布が外されると、ナンテンが見つかってしまう。


「ナンテン」


小声で呼びかけたが返事がない。

気を失っているのかもしれない。


「テン、起きて。」


返事がないので、仕方なく、千鶴は、身体をひねる。すると、なんとか、ナンテンのふわふわの首根っこを掴んだ。


その時、バリンと、何かが砕ける音がした。次いで、甲高い女の喚声。


「鏡はやめてって、言ったでしょう!」


千鶴の布を解こうとしていた者の指先が止まった。

そのすきに、ナンテンの身体を、水干の袖口にポイっと放り込む。


「申し訳ありません。」

「まだ新参者の女房ゆえ・・・」


取り繕う女たちの声が矢継ぎ早に聞こえる。


何かを片付けたり、人があちらこちらへ歩いたりと、しばらく雑然とした音が響いていた。


どれくらい経っただろうか。

部屋が落ち着きを取り戻したころ、誰かが奥に座る気配がした。


「待たせて、すまぬ。もう来ているのであろう?」


さっき叫んだのと同じ声の主だが、今はもう、落ち着いている。

どうやら、この女が、千鶴を連れてきた張本人らしい。


(女?それも、若い。)


再び、女房らしき女が身体を覆う布をはがし始めた。


「あら?」


女が、千鶴の手首を見て、


「おかしいわねぇ。紐に鼠の齧り後みたいなのがついているわ。」


千鶴はドキリとしたが、それ以上追及されなかった。

腕の紐が解かれ、顔の覆いが外されると、そこは女性の部屋だった。


それも、鶯の部屋とは比べ物にならないほどに、豪勢で華やかな調度品にあふれかえっている。


目も前の御簾がそろそろと、あげられる。


鬼が出るか、蛇が出るか。

千鶴の心臓が高鳴った。


しかし、上げられた御簾の向こうにちょこんと鎮座していたのは、鬼でも蛇でもなかった。


千鶴の目の前に座っていたのは、綺麗な、綺麗なーーー


「お姫様・・・?」


きらびやかな着物を着て、つややかな黒髪を垂らした、まるで雛人形のように愛らしい姫君が、そこにいた。

色白の肌に、くりっとした猫のような目と、小さな赤い唇がついている。

その小さな唇が、ゆっくりと動いた。


「お越しいただき、誠に大儀。私は権大納言の娘。人は私を唐錦(からにしき)、と呼ぶ。」


「か・・・唐錦の姫君・・・!?」



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