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24 権大納言の姫君

「敵愾心に満ちた目」というものを、こうも真正面から向けられたのは、初めてだった。


千鶴は、目の前でシャンと背を伸ばした、気の強そうな顔の姫をまじまじと見た。


「それで、そなたは、安倍公賢(あべのきみかた)どのの、お妾ということで、よろしゅうございますな?」


姫は、「お妾」という一言を、敵意を隠そうともせず、強い口調で言い放つ。


千鶴は、初対面の姫に怒りながら確認された、とんでもない内容に、継ぐべく二の句が思い浮かばず、面食らっていた。

千鶴から返答がないので、聞こえていないと思ったのか、かの姫は、再度、同じことを繰り返す。


「それで、そなたは、安倍公賢どのの、お妾ということで・・・」

「ち・・・違います!!よろしくないです。」


我を取り戻した千鶴は、慌てて、姫の言葉を遮り、否定した。

目の前の姫が、怪訝そうな目で千鶴を見る。


ふっくらとした頬に、赤い小さな唇。目は少し吊り上がっていて、やや強気な印象を与えるが、澄まして座っていれば、まるで、ひな人形のように整った顔だち。


目の前の姫---権大納言(ごんだいなごん)家の一人娘、唐錦(からにしき)


千鶴は、かの人に、(かどわ)かされて、ここにいた。


それにしても、一体、どこで、どう情報がねじ曲がって、公賢の愛人などということになったんだろう。

しかも、初対面の姫に、これほど憎まれる道理が分からない。


千鶴が、この姫の存在を知ったのですら、つい5日前のことなのに。



◇  ◇  ◇



その日は、数日続いた長雨が中休みに入ったようで、雲間から、久方ぶりの太陽が覗いていた。


「雨の季節も、もうそろそろ終わりかなぁ?」


千鶴は、歩きながら、空を仰いだ。

鼠の妖怪、旧鼠(きゅうそ)のナンテンが、いつものように、白い水干(すいかん)の懐から顔を出す。

公賢邸はすぐそばだ。


公賢邸の主、安倍公賢は、当代きっての有能な陰陽師である。

かの有名な安倍晴明の血を引いているが、本人曰く、傍流なのだそうだ。


それをいいことに、宮中のさしたる役職にも就かず、引きこもっているらしいが、その実、安倍晴明の先祖返りとも言われており、能力は本流の子孫をもはるかに凌ぐ。


千鶴は、先日、その高名な陰陽師と、ひょんなことから、知り合いになり、以来、度々、家に招かれている。


呼ばれる理由は、白拍子である公賢の寵愛を得ているから―――などでは、ない。


この、並外れた才を持つ陰陽師のところには、貴賤を問わず、呪いや調伏の類いの依頼が多い。


そういう時、人の目を気にする身分の者たちは、公賢邸に出入りするのを嫌がる。かといって、人嫌いで、非社交的な公賢が、出向くことなど、もってのほか。

そこで、その仲介役として、千鶴に白羽の矢が立った、というわけだ。


千鶴の白拍子という身分は、実に都合が良い。


歌や踊りと言った芸事を見せるのだから、貴族の邸宅に出入りしていても不自然ではない。むしろ、呼び、囲うことが、その地位の高さを誇示することもあり得るのだ。


とどのつまり、公賢の使いっぱしりである。


貴族の屋敷に行けば、そのまま頼まれて舞を踊ったり、駄賃に、食べ物や着物をもらうこともあるので、千鶴が、一方的に損しているわけではなかった。


千鶴は、公賢邸の門が見えたところで、思わず足を止めた。


「あれ?」


門の入り口に、見たことのない豪華な牛車が停まっている。

それも、一見して、かなり財のある者だと分かるほどに、贅を尽くしたものだ。


また、公賢のところへ依頼だろうか。


ナンテンが、鼻をクンクンと鳴らす。


「すげぇ上等な香の匂がする。」

「うん。かなり高位の貴族みたいだね。」


それにしても、珍しい。


公賢のところに来る者は、身分が高ければ、高いほど、隠したがるのが普通だ。だから、できるだけ、地味に身をやつして、人目を避けて、夜に訪れる。


しかし、今、目の前に停まっている牛車は、来訪を隠す気など、毛頭ないどころか、むしろ、周囲に、公賢邸へと訪いを全力で、宣伝しているようにさえ見えた。


「出直したほうがいいかな?」


足を止めて、俊巡していると、中から門扉がキィィと開いた。


門の内側から、釣目の女房がすすす、と出てきて、千鶴の前までやってきた。


「お待ちしておりました。どうぞ、お入りください。」


まだ来訪を告げていないにも関わらず、はかったように現れた女房が、千鶴を屋敷の方へと誘う。


「しかし、本日は、お客人・・・では?」


牛車を気にするように尋ねたが、女房は、「どうぞ、お気になさらずに。我が主は、千鶴殿をお待ちです。」と抑揚のない声で答えると、そのまま、すたすたと歩きだした。


仕方なく、先導する女房の後に続いていく。

千鶴が、牛車の横を通ったとき、カタンと音がした。


音につられ、何気なく仰ぎ見ると、牛車の物見が開いており、その奥から、大きな目が二つ、こちらを覗いていた。



◇ ◇ ◇



「あの・・・あれは、公賢さまのお客様ですか?」


いつも通りの釣殿(つりどの)で、脇息(きょうそく)に手をかけ、寝そべって迎えた公賢に尋ねた。


「あれ、とは・・・?」

「家の前の牛車です。かなり、身分の高い方かと。」


優雅に扇で顔を仰いでいた公賢が、「ははあ。」とため息をついた。


「彼女は、権大納言の一人娘、唐錦ですよ。」

「権大納言!!それは、すごいですね!」


なかなかの家柄だ。それなら、あの豪勢な牛車にも納得がいく。


「なぜ、権大納言の姫が、こちらに、それも、あんなに目立つ有り様でいらっしゃるのです?」


一人娘ということなら、さぞ大事に育てられたに違いない。それが、あのように人目を引く馬車で来訪とは、よほど深い理由でもあるのだろうか。つい、好奇心を押さえられずに尋ねた。


「このようなところに顔を出せば、おかしな噂をたてられかねないでしょうに。」

「私に用向きがあったのですが、先ほど、女房からお断りを伝えて、お帰りいただきました。」

「用向き?」


公賢は、ゆるゆると顔を仰ぎながら、しかし、千鶴の質問には、答えない。


「それにしても、まだ、あんなところで待ち伏せのような真似をしているとは、困ったものですな。」


全く困ってなさそうな声で、一人涼しげに風を浴びながら、


「まぁ、放っておけば、そのうち帰るでしょう。」


突き放したような、冷淡なその言い方から、公賢が、件の姫君を相手にする気がないのだというのが、分かった。


「それより、ご足労いただき、どうもありがとうございます。急ぎ、頼みたいいことがあったので、助かりました。」

「いえ。特に用事もありませんでしたので。」


朝食の最中、いつも公賢の使いでやって来る、式の三毛猫が来て、呼び出されたのだ。それで、千鶴は、食事を終えるとすぐに、白拍子の衣装に着替え、やってきた。


「また、いつものお使いか?」


水干の襟口から顔を覗かせた、ナンテンが、口を挟んだ。


「テンも健やかそうですね。」


ナンテンは、「ふんっ」と鼻を鳴らすと、


「今日は菓子はないのか?」

「こらっ!テン!!公賢さまになんてこと・・・!」


ここに来ると、珍しい菓子がたらふく食えると、味をしめたらしい。


「いいですよ。持ってこさせましょう。」


公賢が言うが早いか、つり目の女房が盆にのせた果物を運んできた。


「ちょうど、枇杷をいただきましたので。」


黒い盆の上には、濃い山吹色の枇杷が、山と積まれていた。


「千鶴は、お使いばっかさせられてるんだ。これくらいの駄賃は当然だもんな。」


ナンテンは、自分の功労でもないくせに、偉そうに、「ふふん」と鼻息を出すと、ちょろちょろと、千鶴の肩から降りて、盆のところに行った。


「どうぞ、千鶴も食べなさい。」


公賢が、盆を千鶴の前に押し出す。

千鶴は、柔らかな果実を手に取り、カリっと齧る。ふわりとした産毛の生えた皮の下から、みずみずしい果肉の、自然な甘みが滲んで、口の中に広がった。


食べながら、今日の依頼の説明を受ける。


依頼と言っても、なんてことはない。

いつものどおり、荷物を、指定された屋敷に運んでほしい、というだけだ。


運ぶものは、日によって、まちまちで、札のような小さなものから、小脇に抱えるようなものまで、大小様々。いずれも、寸部の隙間もないほどにきっちりと布や袱紗に包まれており、中身を検めたことは、一度もない。


「今日は、こちらです。」


公賢は、片手に乗るくらいの大きさの、小さな四角い物を、差し出した。千鶴は、それを、両手で丁重に受け取る。

紫の布にくるまれており、持ち上げると、軽い。


行き先は、何度か頼まれて行ったことのあるお屋敷だった。


「場所はわかりますね?」

「一条のお屋敷ですね?」

「ヒッ!」


突如、ナンテンが、喉に何かを詰まらせたように小さく悲鳴を上げて、枇杷を取り落とした。

もじもじと手をこすりながら、


「オイラ、あのお屋敷、好きじゃないんだよなぁ。」


左京一条は、都の中でも、別格に高位の者たちの屋敷が軒を連ねている。

その中にあって、公賢から頼まれた屋敷は、とりわけ印象的だった。


敷地は広く、屋敷も立派だが、それに比して、人の気配は少ない。

装飾は簡素ながら、明らかに良い品ばかりで、手入れが行き届いていた。

物はなくとも、整え方が丁寧で、品がある。


そして、何より、華やかな香り。

屋敷には、常に、焚き染めた香の薫りが満ちている。


そこの主人とは、いつも御簾ごしの謁見で、名も身分も知らわからない。しかし、羽振りがよく、いつも千鶴に、土産の菓子や食べ物をくれる。


おそらく、所有しているのは、帝の親族や有力貴族の関係者だが、普段居住している本邸ではなく、別邸のようなものだと思われた。


しかし、居住地環境以上に関心を惹くのは、その特徴的な声だった。


御簾ごしに見える姿は、体格の良い成人男性なのに、声は、女性か子どもかと聞き間違えるほどに高い。

ところが、一たび口を開くと、ピンと張った一本の糸のように凛として、まっすぐに心の中に入ってくる。揺らぐことのない意志の強さを孕み、聞くものを圧倒させるような何かを持っている、不思議な声だった。


「今から、すぐに発てますか?」


その言葉を聞いたナンテンが、窺うように千鶴を見上げた。


「オイラ、あそこに行くと尻がモゾモゾして、落ち着かないんだけど・・・。」


暗に渋るナンテンに、千鶴は、思わず苦笑した。


「いいよ。テンは行かなくて。」


抱き上げて、腕に乗せ、鼻をくすぐる。


「代わりに、(うぐいす)のところに行って、顔を出すのが遅れるって、伝えに行ってくれる?」


ナンテンの顔が、分かりやすく、ぱぁっと明るくなった。鶯はナンテンを甘やかしてくれるから、好きなのだ。


「任せておけ。」


やり取りを聞いていた、公賢が尋ねた。


「鶯の君は、息災ですか?」

「えぇ。退屈しているようで、時々、話し相手に顔を出しています。」


鶯は、予定していた縁談が流れ、晴れて自由の身となったが、そこは貴族の娘。

だからと言って、千鶴のように気ままに遊び歩けるわけではないのだ。


「鶯のお父様からは、白拍子の格好なら、自由に鶯に会い来てもよい、といわれまして。」

「さもありなん。」


公賢がフッと鼻を鳴らして、一笑した。


鶯の父、七条兼助は、「貴族である」ということに誇りを持っている種類の貴族であった。


その彼の理論によるところでは、素性のよく分からない庶民が頻繁に邸宅に出入りするのは許せないが、白拍子ならば話は別なのだそうだ。

白拍子を呼んだり、囲ったりすることができるのは、一流の貴族だけだから。

つまり、千鶴が出入りすることは、貴族である証として、顕示できるのだ。


鶯は、殿上人の底辺である我が家に白拍子は、分不相応だと呆れていたが、千鶴は、別に気にしなかった。

それで、鶯のところに遊びに行けるなら、構わない。今まで友などいなかった千鶴にとって、この風変りな姫との他愛のない会話は面白い。身分からするとおこがましいので、そうと口には出せないが、心の中では、「大切な友人」だと思っていた。


屋敷を出立しようとしたところで、公賢に声をかけられた。


「そうそう、今日もちゃんと櫛は持っていまね?」

「櫛、ですか?」


公賢の言う『櫛』とは、千鶴が、小さいときからお守りがわりに身に付けている、菊の意匠をあしらった柘植の櫛だ。


孤児だった千鶴を、師匠の菊鶴が拾ったその時から、身に付けていたもので、公賢によると、そこには千鶴を加護する者の御霊が込められているらしい。


懐を確かめると、今日も、いつもの場所に、ちゃんと櫛の硬い感触がある。


「はい。確かに、あります。」

「結構。」


公賢は、上流貴族らしい流麗な所作で扇子を振って、鷹揚に頷く。


「その櫛は、貴方を大事に思う人の魂が込められています。いざというときに、あなたの身を守ってくれますからね。」



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