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22 結び・釣殿にて

本日2回目の投稿。第1章最後の話です。


「そうですか。斑の姫が、話をしましたか。」


安倍公賢は、先日と同じ、庭の池に突き出した釣殿(つりどの)に、脇息(きょうそく)を置いて、そこに寄りかかるようにして、座っていた。


「はい。」


今日は、千鶴だけ。

先日、先に帰ってしまった公賢に、改めての礼と、その後の顛末を話に来た。


「彼女について、だいたいのことは分かりましたか?」

「はい。青嵐(せいらん)の中将のことも。」

「そうですか。」


公賢は、目の前の盆にのっている丸い干菓子を一つ摘まんで口にいれた。

しゃり、と噛む音を聞き付けたナンテンが、千鶴の小袖の着物の襟元から、顔を覗かせる。


「あなたも、どうぞ。」


それを見た公賢が、菓子の乗った盆を千鶴たちのほうに押しやった。

ナンテンは、チュッチュと鼻を鳴らして、盆の上に降りて、菓子の周囲をちょろちょろと、見て回る。


「ナンテンも食べていいですよ。なんてったって、七条兼助(しちじょうかねすけ)どの救出の功労者ですからね。」


公賢が、楽しそうに笑う。

燃え盛る屋敷の中で、慌てふためく兼助の尻にかじりついて、正気にもどしたときのことを言っているのだ。


「まぁ、確かにあれはオイラのお陰だからな。」


ナンテンは、まんざらでもない顔して、ふんっと胸を張ってみせる。それから、菓子を一つとって、クンクンと匂いを嗅いだ。


「すんげぇ甘いにおいがする。」


はむっと一口齧った。


「甘んめぇ!!なんだこれ。千鶴も食べてみろよ!」


千鶴も盆から菓子を一つとって、ぽいっと口に入れた。


「いただきます」


菓子は、しゃりりと噛んだとおもうと、すぐに口のなかでホロホロと甘く溶けだした。さすがに、公賢の出す菓子は、他では口にしたことのないような、上等で珍しいものだ。


その様をのんびり眺めていた公賢が、頃合いを見て、口を開く。


「斑の姫は、死ぬ前からずっと、深い恨みを抱えていました。」

「恨み・・・ですか?しかし・・・」


確かに、父のことも、周りのことも、恨んでも仕方がないような話であった。

だが、昔語りをする斑の姫は、恨みというよりは、過ぎ去った過去を淡々と受け入れているようにみえた。


「恨んでいたのですよ。本人が意図しようと、なかろうと。」


公賢が、ゆっくりと言葉を継いだ。


「愛する人を追いやった父親を、政争に明け暮れる宮中を、幼い頃から、痣者よ、と蔑んできた者たちを。さらには、うまく立ち回れなかった青嵐の中将、そして、何より、何もできなかった自分自身をも。」


「自分自身を・・・・」


千鶴は、語っていたときの斑の姫の哀しそうな目を思い出した。


ずっと、周囲から憐れみの目で見られ、腫れ物のように扱われていた斑の姫。諦めていた人生に現れた愛する人は、政争のあおりをくって、目の前からいなくなってしまった。

一念発起して、会いに行っても、その夢すら叶えられなかった。


「だからそ、姫は蛇となったのです。人が死後、物の怪となって、この世に現れるとき、その理由のほとんどは、怨恨です。」


確かに、古今東西、はるか昔から、死後、怪異となって現れるのは、恨みや復讐だ。政敵への恨み、恋敵への恨み、自分を捨てた者への恨み。

怨嗟に絡み取られ、人はヒトでなくなってしまう。


「蛇となって、宮中をさ迷っていた斑の姫を見つけたのは、我が祖、安倍泰親(あべのやすちか)でした。」

「安倍・・・泰親さま?」

「晴明から数えて、5代目の子孫ですよ。」


安倍晴明は、誰もが知る陰陽師。二百年近くも前の、もはや伝説といってもいいほどの人だが、その子孫、泰親もまた、有能な陰陽師として名を馳せていた。


「恨みの塊となり、夜毎、這いまわっていた斑の姫を鎮めるために、泰親は、彼女の父に、社をたてさせ、そこに彼女を奉りました。」


その辺りの話は、斑の姫から聞いていたいきさつとやや食い違っている。

おそらく、姫自身の記憶にないのだろう。


「その社に、私は何度も行ったことがあります。」

「気がつきましたか。」


公賢が、正解と、糸目をいっそう細くした。


「はい。ようやく。」


自分は、なんて鈍かったのだろう。


斑の姫が奉ってあるのは、藤原中納言邸から、帰る道すがら通る、あの小さな社。


「鶯が手にしていた、組紐。銀の混じった白地に黄色と紫。あれと全く同じ配色の組紐が、社に掛かっていますね。」


あそこに参拝するときは、日暮れのことが多いから、すぐには思い出せなかった。

だが、幾度となく目の前を通っているので、頭の片隅には残っていたのだ。


「斑の姫は、以前から、私のことを知っていたのですね?」

「あなたが鶯の君と縁を繋いだとき、斑の姫は、あなたにかけることに決めたのです。」


だから、最初に七条兼助を追っていた夜、千鶴を手助けをするために現れた。


「最初の晩、あなたの偵察が失敗した後、斑の姫は、より直接的にあなたに助けを請うために、屋敷に招いたのです。」

「あの、立派な橘のお屋敷ですね。」


妙な違和感を覚える、あの家。見た目は真新しいのに、新しい木の匂いが一切しなかった。


「あれは、かつて住んでいたお屋敷を幻で見せたものでしょう。」


昨今、滅多に見ないほどに、立派な屋敷だと思ったが、百年近く前の流行だと言われれば、納得できた。


千鶴は、次いで、疑問に思っていた、頭中将たちと対峙した先日の晩のことを尋ねた。


「どうして、あのとき、矢が射かけられた瞬間、突然に姫が現れたのですか?」


舞を踊り、白檀の扇をふって、モノノケたちの正体を暴いたあの夜、もし斑の姫が現れ、矢から守ってくれなかったら、鶯は無事ではいられなかった。


「あの矢は、呪術の類ではなく、本物の矢、でしたよね?」


公賢が「そのとおり」と頷く。


「あの場にいた、小柄な壮年の男を覚えていますか?」

「途中で消えて、札となった男、ですか?」

「あれは、私の使う『式札』と同種のもの。あの男が呪術使いであり、消えた後も、その札を『目』として、我々の状況をうかがっていました。」


確かに、公賢は、あのときも同じように言って、札を燃やしていた。


「あの『目』の男が、どこか遠くで見ていて、指示を出したのです。千鶴を狙った矢を射り、その後、屋敷に火を放った。」

「斑の姫が現れなければ、あの矢は鶯の君に当たっていました。」


思い出すと、背筋が凍る。


すると、公賢が、何を思ったのか、唐突に、話題を変えた。


「クシナダヒメをご存知ですか?」

「クシナダヒメ?ヤマタノオロチ退治のですか?古事記の?」

「さすが、白拍子は教養がありますね。」


クシナダヒメとは、ヤマタノオロチを退治したスサノオノミコトに見初められた姫である。


クシナダヒメと思いが通じ合ったスサノオノミコトは、彼女を櫛に変え、ヤマタノオロチ退治に行く自身の鬘に挿した。


「古来より、櫛には、持ち主である女性の御霊が宿る、といわれています。」

「御霊が・・・?」

「左様。斑の姫は、自分の魂を櫛にこめ、あなたに渡したのです。あなたが、あの男たちのところまで運んでくれるのを期待して。」


そのためには、自然に、千鶴に櫛を渡し、そして持ち歩いてもらわなくてはならない。

なるほど、だからわざわざ幻で屋敷を見せ、舞を披露させて、褒美として下賜したのか。


「あの屋敷には、結界がはってありましたからね。そのままの姿で、斑の姫が侵入するのは、不可能でした。」


守ってくれたのは、成り行きの結果だろうが、もし彼女が現れなければ、と思うとゾッとする。


「それにしても、あの方たちは、そうまでして、一体何をしたかったのでしょう。」


考えてみれば、それなりに大がかりだ。

魔物を捕まえ、人間に化けさせ、生娘を食べさせる。


呪術には詳しくないが、ちょっとしたおまじない程度のこととは思えない。それなりに力のあるものを標的にしたのではないか。


公賢の答えを期待し、様子を窺ったが、顎に手を当て、崩した姿勢のまま黙って座している。

「千鶴」と呼んだ、その流し目が、ゾッとするほど妖しい色気を孕んでいて、背筋が震えた。


「万事、器量を超えて関わっては、ならぬ物事、というのがあるのですよ。」


公賢の迫力に、それ以上、踏み込むことを許されていないのだと悟った。


公賢は、また、盆の菓子を一つ摘むと、ふいに、話題を変えた。


「ところで、鶯の君は、どうしていますか?」

「元気そうです。縁談がなくなり、たいそう喜んでいました。」


ちょうど、ここに来る前に寄り、千鶴が貸していた櫛を返してもらった。


「自分も来たいと、しぶとく駄々をこねていましたが、周りの従者や女房に止められ、泣く泣く諦めました。公賢さまに、よろしくお伝えください、とのことです。」


千鶴の言いぐさを聞いて、公賢が笑った。


「目に浮かぶようです。」


鶯の父は、縁談の相手が蛇などとは知らなかった。ましてや、鶯が食べられるなどとは、夢にも思ってもいなかった。


彼を突き動かしたのは、ただただ、自分の貴族社会の中での出世と、帝や、ひいては、武士が台頭する中で、影響力が翳りつつある、旧来の貴族たちのためになるだ、という信念のみであった。


娘が食われるなどと知っていたら、さすがに嫁がせてはいないだろう。


鶯は言った。

「仕方ない。父は、公家、という時代遅れで狭い社会の安寧と、その中での保身に必死なのだ。」と。

自嘲気味に笑いながら。


斑の姫と同じような台詞でありながら、どこか違う。鶯のそれには、諦めも、恨みもない。むしろ、不思議と未来への希望と強い意志が感じられた。


やはり彼女は、千鶴の知る貴族とは少し、異なる。そして、それは、この公賢も―――。


千鶴は、目の前で、ゆるりと菓子を口に放り込む公賢を見る。


公賢が、言った。


「さぁ、これですべては片が付きました。約束を果たしていただきましょう。」


促され、千鶴は、鶯から返してもらった母の櫛を懐から取り出し、渡した。

公賢は、その櫛を、丁寧に、手のひらのうえで、検めた。


「ふむ。」


表面に彫られた菊の絵をゆっくりと撫でる。公賢の口元が、何事か、呟くように動いた気がしたが、声は聞き取れなかった。気のせいかもしれない。


「これにも、良いものが宿っていますね。」


さきほどのゾッとするような目ではなく、優美な瞳で笑った。不思議と、どこか、懐かしむような、愛おしむような顔に見えた。


「いつもあなたを守ってくれていますよ。」


鶯の君が言っていたことを思い出す。

鶯は、この櫛を抱いて寝るようになってから、悪夢に苦しめられなくなった。

あのとき、鶯から、この櫛には、加護のようなものが施してあるのか、と尋ねられた。千鶴は、知らなかったが、やはり、何かが、あったのだ。


公賢は、櫛を返しがてら、言った。


「あなたを守る力。その力が何なのか、それは、時がくれば分かるでしょう。」

「え?」


その言葉は、完全に千鶴にとって、想定外だった。


時が・・・くれば分かる?この力の正体が・・・?

ということは、本当の母や家族のことが、分かる時が来る、ということだろうか。


千鶴の困惑に気づいた公賢が、優しく言い添えた。


「えぇ。きっと、判りますよ。」


その力強さに、千鶴は戸惑った。


孤児だったのを拾われたのだ。身元が分からないなんて、当たり前のことだと思っていた。だから、今更、家族や自分のことなど、絶対に知り得ないものだと、信じていた。

私の家族は、菊鶴一人。そう思って生きてきたのだ。


今まで考えもしなかったことが、突然、目の前にぶら下がって、千鶴は自分の感情をうまく受け止められなかった。


(私は一体、うれしいのか、怖いのか、どっちだろう。)


千鶴は、困惑した頭を抱えながら、釣殿の屋根の向こうの空を仰いだ。千鶴の心とは反対に、山の端まで、雲ひとつない快晴が広がっている。


初夏の爽やかな風が、公賢邸の庭にびゅんっと吹きわたっていった。

何かが変わりそうな予感を乗せながら。



第1章完結です。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

まだまだ謎部分もありますが、第2章に続きます。

あと、途中で不手際のあった「第1章 登場人物一覧」を数日以内に投稿します。


初連載は、いろいろ反省点も多く、それを踏まえて、第2章を改稿する時間を1か月ほどいただきます。8月頭から連載再開の予定です。

そのあたりのことと、2章の簡単なあらすじを活動報告に書かせていただきました。


最後になりましたが、評価、ブクマをいただき、ありがとうございました。

作者の励みになります。2章も引き続き、よろしくお願いいたします。

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