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21 斑の悲恋3

斑の姫の続きからです。

そもそもの政争の発端は、女御として入内している(まだら)の姫の姉が、男皇子を産んだことだった。

父は、その息子を、未来の帝である東宮につけようとした。


宮中は、政争が絶えない。そこで、生き抜くことは殿上人の逃れられない宿命。青嵐(せいらん)の中将は、そこで、生き残れなかったのだ。


「仕方がないことです。」


権謀術数渦巻く宮中は、あの人には(くら)すぎたのだ。


斑の姫は、目を閉じ、今はただ、旅立った中将の無事を祈った。


どうか、あの人が、宮中に戻れますように。

例え、私と繋ぐ縁が切れてしまっても、あの人が、息災に過ごせますように。


青嵐の中将からは、数日おきに文が届いた。


しかし、その内容は、斑の姫の願いとは裏腹に、日を追うごとに、暗く、陰鬱なものになっていく。


ある日、死をも匂わせるような文が届いた。


宮中に戻れる気がしない。戻っても、帝のために働くことはできないかもしれない。このままいっそ、儚くなりたい、と。


その文に、最後に見た青蘭のやせこけた顔が重なる。

このまま、二度と会えなくないのではないか。


文を、握りしめたまま、頭に浮かんだんだ歌を口ずさむ。


「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に

 今ひとたびの 逢うこともがな」


(私はもうすぐこの世からいなくなってしまうでしょう。あの世への思い出として、最後に一目、あなたに逢いたい。※和泉式部)



途端、側の女房が悲鳴を上げた。


「姫様!なんて不吉なことを。」


駆け寄ってきて、縋りつく。痛ましげな目で、こちらを見ている。


「いけません。もう、青蘭の中将との文はおやめくださいませ。」


そこに散っていた文を拾い集めた。


「どうか・・・どうか中将のことは、もうお忘れください。ご自身ではお気づきになっていないかもしれないのですが、姫様もひどくお窶れになっているのですよ!!」


なぜだろう。女房の目に涙が溜まっている。

それを、遠い国の出来事のように、覚めた目で見ている自分がいる。


斑の姫は、自らの頬に手を当てた。

確かに、以前より骨ばっているように感じる。


「これは、私にお預かりさせてください。」


女房は、文を丁寧に重ねると、文箱ごと、持って下がっていった。


斑の姫は、その背をぼんやりとみていた。


もう、ここには何もない。


青蘭の中将の痕跡がすべてなくなった。


つい数か月前までは、ここで愛し合った仲なのに。

もうあの人は、どこにもいないのだ。

この都のどこにもーー


「行こう。中将のところへ。」


その言葉は、驚くほど自然に、口から滑り落ちた。


何も出来ないかもしれない。

痣ものの姫と憐れまれ、愛も生きる喜びも知らなかった私に、生を教えてくれたのは、あの人だった。

愛されて、私の心は初めて生きた。


あの人の心を、助けたい。


数日前の父の言葉が甦る。

ーーー女にはわからないでしょうが・・・。


えぇ、分かりませんとも。

でも、父上もご存知ないでしょう?私が、あの人にどれだけ救われたのか。

私のすべてが、あの人の愛であったことが。


決意を決めた斑の姫は、壺装束に身を包むと、ごく少数の信頼できる供だけを連れ、青嵐の中将の住まう讃岐へと旅立った。



◇   ◇    ◇


「讃岐・・・ですか?」

「えぇ、偶然にも。」


千鶴は、姫に呼ばれた橘の屋敷で、所望された崇徳院(すとくいん)を思いだした。

かの人も、讃岐に配流されたのだ。いつか、都に戻りたいと渇望しながらも、その地で生涯を終えた。


「それで・・・そのあと、姫はどうなったんですか?」


いつの間にか、起きていた鶯が、聞いた。


「お二人は、無事に讃岐で会えたのですか?」

「いいえ。」


斑の姫は首を横に振った。


「讃岐まで行く途中、海を渡るときに、嵐に遭い、そして、私は船から海に投げ出されたのです。」

「嵐の海にっ!」


鶯が、悲痛な顔をして、手で口を押さえた。


「それじゃあ・・・?」

「えぇ、私は、青嵐の中将に、生きて会うことは出来なかった。」

「青嵐の中将は・・・どうなったのですか?」


千鶴がこわごわ尋ねた。


「私の後を追うようにして、亡くなりました。」


入水したのだという。斑の姫の沈んだ海に、身を投げたのだ。


「私の報復を恐れたのか、それとも私を哀れに思ったのか、父は、私の死後、その御霊を沈めるために、社を作りました。」


報復を恐れ、と口にした斑の姫は、ひどく寂しそうにみえた。


「私が目を覚ましたのは、その社でした。蛇でした。」


まるで、何でもない日常の一コマを切り取るとるかのような、自然な言い方だった。


「青嵐の中将は、どうなったのですか?生まれ変わって、会うことができたのでしょうか?」


それほど強い思いがあったのだ。青蘭の中将もまた、姫に会うために御霊がどこかにとどまっている、と考えるのは自然なことだった。


「いいえ。」


姫は静かに、首を横に降った。


「私はずっと一人でした。」


目覚めてから、只ひたすらに、一人きりで、青嵐の中将が現れるのを待っていたのだという。


「幾日、幾年・・・。でも、寂しくはありませんでした。必ず、また会えると信じていましたから。」


その心が通じ、同じく蛇となって生まれ変わった青嵐の中将とようやく出会えたのは、ごく最近のことだった。


「あの人を見つけた、その瞬間、私はすぐにわかった。あの人は記憶がなかったけれど。」


斑の姫は、「少し残念」と切なく笑った。


「それでは、あの蛇が、青蘭の中将だったのですね。」


鶯が危うく結婚させられそうになった、あの大蛇。斑の姫が「愛しい夫」と呼んだ、黒い蛇。


「青嵐の中将は、どうしてあのような場にいたのでしょうか?」


鶯の婿に仕立て上げられ、良からぬことを企む者たちに、取り込まれていた。


「私たちは、魔の物で、普通の蛇とは違いますから。呪いをかける道具としては、強い力を発揮できます。私は常に警戒していましたが、自分のことをわかっていない、あの人でしたから、騙されて捉えられてしまったのです。」


「あの・・・一つ、聞いてもいいですか?」


鶯が、小さく手を挙げた。


「もし、私があの人と結婚していたら、どうなったのでしょうか?」


斑の姫は、悲痛そうに顔をしかめた。嫉妬からの表情だと思ったが、それは違った。


「もし、あの人とあなたが添うていたら・・・」


躊躇いがちに、一呼吸おく。


「あなたは、食べられていたでしょうね。」


「ひっ」


鶯から、短い声が漏れた。


「食べられる・・・んですか?」


斑の姫が、うなずく。


「より、魔力を蓄えるために、生娘を食らわせるのです。しかし、そうあっては、青嵐の中将も、もう、穏やかな蛇ではいられません。単なる畜生となり、記憶や心が戻ることはなかったでしょう。」


鶯の勘は正しかった。間一髪で、手遅れにならずにすんだ。


「あの・・・私たち、あの蛇が人になっているときの顔を見たのですが、その姿が、なんというか・・・その・・・ねえ?」


助けを求めるように、千鶴を見る。

千鶴は、あの蛇が人であったときの姿を思い出した。身体つきこそがっしりとしてるが、顔は白く、三白眼は吊り上がって細い。


「斑の姫のおっしゃる、青嵐の中将とは、少し顔の特徴が違うようでした。」


斑の姫は、ふふと笑った。


「あの顔は、術者が作り上げた見せかけ。青嵐の中将の姿ではありません。術で無理やり人型にしたから、あのような蛇顔になってしまったのです。あの姿は似ておらずとも、間違いなく、あれは、青嵐の中将。私が間違えることは、ありません。」


その言葉は、一切の迷いなく、とても強いものだった。


「・・・素敵。」


鶯は、うっとりとした様子で斑の姫を見つめていた。


「本当に、想いあっていたのですね。青嵐の中将と。」


今にも、泣き出しそうなほど、熱くうるんだ目で、姫を見つめる。

しかし、千鶴には、それよりも気になることがあった。


『蛇顔の男』


その言葉は、千鶴に、一つの事実を思い出させる。


「ねぇ、ナンテン!!」


ようやく気が付いて、薄目を開けていたナンテンをゆすって起こした。


「もしかして、あの晩、あなたを追っていた蛇顔の男って・・・?」

「あ?あぁ、あの庵にいた大蛇だよ。オイラ、あやうく食べられるところだったんだ。」


やはり、あのときナンテンが逃げていたのは、公賢ではなかったのだ。


斑の姫が、ナンテンのそばに顔を寄せた。


「あぁ。旧鼠(きゅうそ)ですね。普通のネズミを食べるよりも、ずっと精がつくのです。」

「ひぃっ!!」


斑の姫の細くて紅い舌が、一瞬、ちらりと覗き、ナンテンが悲鳴を上げて、千鶴の着物の中に、もぐりこんだ。


「心配しなくても、私は食べません。別に、強くなりたいわけでも、長生きしたいわけでも、ありませんから。」


「ふふふ」と笑う。ナンテンはそろそろと千鶴の襟元から首だけ出した。


斑の姫は、鶯の方を向きなおって言った。


「そなたにも、悪いことをしましたね。」

「え?」


何のことか、と戸惑う鶯に、左手を差し出した。


「私の組紐をお返しいただきましょう。」

「あっ!では、夜毎の夢は!」


斑の姫が優しく告げる。


「私にできる手段は、あれしかなかったのです。辛く、苦しい思いをさせました。けれど、もう、悪夢を見ることはないでしょう。」


鶯が、懐から、白と銀と黄色の紐を渡した。受けとる斑の姫の袖口に、薄紅色のアザがのぞく。

鶯が受け渡す瞬間、また、あの配色の紐をどこかで見た、と思ったが、結局、最後まで思い出せなかった。


「さて、そろそろ行かねばなりません。」


まだ横たわっている鶯の父のほうを見た。


「そなたの父も、直に目を覚ますでしょう。」


それから、千鶴の前にきて、深々と頭を下げた。


「千鶴、あなたには、お世話になりました。」


頭を上げると、両手で、千鶴の手を包み込んだ。


「また、私のところに顔を出して下さいね。」


斑の姫の手には、不思議と、人の手と同じ温もりがあった。


「顔を出してと言われましても、あの橘のお屋敷は・・・」


あれは、実態がない、幻で見せたものだった。

今になってみればわかる。あの屋敷に感じた違和感が。


あの屋敷には、『匂い』がなかった。

真新しい木を使っているにも関わらず、切り出した木の香りがない。

庭にあれだけの花が咲いていたにも関わらず、花の香がしない。

鼻の効く旧鼠がいれば、気が付いたかもしれないが、あの時、ナンテンは家で眠りこけていた。

というより、鶯のところの翁同様、眠らされていたのかもしれない。


「私のいる場所が、分かりませんか?あなたのこと、ずっと、見ていましたよ。」

「え?」


考えているうちに、斑の姫の身体が透けてきた。

姫は、ニッコリと笑った。


「あっ!!」


千鶴がその事実に気づくのと同時に、姫の身体が見えなくなった。


「斑の姫、消えちゃったね・・・。」


鶯がポツリと言った、そのとき、、足元の草地から、ざざざざっと、何かが通るような音がした。


「今・・・姫様・・・?」


鶯が言った。千鶴もうなずく。

たぶん、通ったんだ。蛇に戻った姫が。


そして、分かった。

斑の姫のいるところ。


あと、締めのエピローグを夕方頃に投稿の予定です。

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