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20 斑の悲恋2

「姫さま!!姫さま、お聞き及びですか?」


側仕えの女房が、血相を変えて部屋に飛び込んできた。


「まぁ、何事ですか?そのように走って。」


(まだら)の姫は、書きかけの筆をおき、女房の粗暴なふるまいを窘める。


「すみません。いえ、あの・・・それどころでは、あ・・・」


女房の瞳が、きょろきょろと忙しなく、右往左往した。


「どうしたのです?はっきりとお言いなさいな。」

「はい。あの・・・せ・・・青嵐(せいらん)の中将が、右大臣家の姫君を北の方(正妻)として娶られるそうで・・・。」


瞬間、地面がぐらりと揺れた。あたりが真っ暗になり、深い穴の中に落ちていくような心地に襲われる。


「姫さま・・・ひ・・・姫さま?」


ハッとして、気丈に取り成す。


「なんでもありません。少し・・・驚いただけです。」

「あの・・・お顔色が・・・・真っ青にございます。」

「なんでもありません。」


背筋をシャンと伸ばす。腹の奥に力を込めて、声の震えを抑え込んだ。


「もともと、こちらには歌の習いにいらしていただけ。変に騒いでは、中将のご迷惑になります。」


しばらく尋ねてこないと思っていた青嵐の中将は、知らぬうちに、左大臣である父と対立した右大臣家の婿になっていた。


(もとから、期待などしていないのだ。私にそんな資格はない。だから、傷ついてはいけない。)


斑の姫は、自分の手にある朱色の痣を眺めた。血が滲んだかのような、醜い色。


もしこれがなければ、私は中将と・・・愛する人と、結ばれただろうか。


今まで、諦めという名の瘡蓋で覆っていた斑は、生まれて初めて、むき出しにした心で、底の底から、痣を憎んだ。


しかし事態は、それだけでは終わらなかった。


間を置かずして、その右大臣家ごと転覆狙った父の策略にはまり、青嵐の中将は、政治的に失脚させられたのだ。


中将自身が、帝の従兄弟であったのも災いした。

「謀反の兆しあり」と囁かれ、反乱の首謀者であるがごとく、扱われたのだ。


斑の姫は、初めて来たときの、あの、武骨に笑う顔を思い浮かべた。


(そのような、器用な男であるはずかない。)


自分は弓も剣も得意だが、風流なことは苦手で、といっていた男だ。


「それが、私の欠けたるところですな。」


からりと笑った中将は、だからと言って恥じている様子はなかった。


権謀術数うごめく宮中の駆け引きには向いていない。しかし、「いざというときは、この丈夫な体で、帝の盾となることはできますから」と、豪快に笑った男だ。


謀反など、企むはずがない。


しかし中将は、官位を帝にすべて返還し、都を出るより他、道がなかった。


中将は、出立する前の晩、灯りも持たず、一人、斑の姫のところにやって来た。

久しぶりの訪問だった。


「この度は、右大臣家の姫君さまとのご結婚、おめでとうございます。」


右大臣家の婿となってから、初めての訪問に、斑の姫は、御簾を厚く垂らして、迎えた。


「やめてください。そのようなことをおっしゃるのは!!」


青嵐の中将は、悲痛な声で言った。


「あなたからそのような言葉をいただくのは、耐えられない。」

「まぁ!もう、私のことなどお忘れかと思いましたのに・・・。」

「すまない。本当はもっと早く、あなたのところに来たかったです。」


久しぶりに見る青嵐の中将は、痩せていた。

髪は乱れ、頬はこけ、目の回りには疲労の色が濃い。謀反を、疑われたことが、心労となって現れている。


心配だ、と口にしようとして、その言葉を飲み込んだ。

今の自分は、そのようなことを口にする権利はない。妻でも何でもないのだから。


「やはり、結婚のこと、ご存知なんですね。」


青嵐の中将は、苦々しげに、顔を歪めた。


「仕方ありませんわ。」


怒ってなどいない。


(そう。私は、怒ってなどいないわ。)


私たちは、所詮、一時、一瞬、当人同士の気持ちが触れ合っただけ。こんな醜い女、正妻にはなれない、と身の程をわきまえている。

分かっているのに、ただ、心がたまらなく痛いだけ。


青嵐の中将は、ふぅ、と重苦しいため息を吐いた。そして、御簾に近よると、空いた隙間から手を伸ばして、斑の姫の手を握った。


「今さら、言い訳にしかなりませんが、それでも、言わせてください。」


斑の姫は、驚いて、捕まれた手を引っ込めようとした。しかし、中将の強い力が、引き留めて、それを許さない。


「右大臣家の姫のことは、私が望んだわけでは、ありません。周囲に勝手に決められ、断ることが出来ませんでした。」

「いいのです。私は、自分の身の程を弁えております。私のような、醜い痣の女など・・・」

「違う!!」


中将は、大きな声を出したことに、ハッとして、「すまない。」と謝った。


「違うんだ。本当は、私は君のことを妻にするつもりだった。そのつもりで、あなたの父、左大臣にも話をした。だが、そのときにはすでに、私の知らぬところで、右大臣家との婚約の話が進んでいた。親同士が勝手に決め、帝にまで話をされていた。堀を埋められたのだ。」


「なんてこと!」


初めて聞く事実に、驚嘆した。


「それで、お父様は、なんと?」

「右大臣家の姫を正妻にもらう男に、左大臣が娘を嫁がせるわけにはいかない、と断られたよ。」


それはそうだろう。右大臣の娘との婚儀が、帝の耳に届いており、しかも了承しているのであれば、破談にするのは難しい。

左大臣と右大臣は、出世競争をしている間柄。いくら痣持ちの娘とはいえ、家柄や格というものがある。父の立場を考えれば、まさか愛人になど差し出せるわけがない。


「それで、右大臣の姫様とご結婚されたのですね?」

「あぁ、仕方なく。」


青嵐の中将からは、心底からの無念がにじんでいた。


「しかしそれも、謀反の首謀者に祭り上げられた瞬間、右大臣家には、切られたけれどね。」

「切られた?」

「離縁さ。」


父は右大臣家ごと、この権力争いから追い落とそうとしていた。その右大臣家は、この娘婿に責任を被せて、身を守ったのだ。

誰よりも帝のへの忠義の厚いこの若者を、トカゲの尾のように切り捨てて。


「けれど、その話はもういいんだ。」


青嵐の中将は、激しくかぶりをふった。


「今、私の中にある後悔も、心残りも、すべてはあなただけ。愛するあなたと、離れることだけです。」


握られた手に力が入る。


「どうか・・・どうか、御簾を上げていただけませんか?」

「・・・・・。」

「・・・どうか・・・・・・。」


縋るような姿が、あまりに哀れで、斑の姫は、黙って御簾を上げた。


(あぁ、やはり痩せている。)


間近で見ると、その変貌が殊更に、目に付く。落ちくぼんだ目には、涙がたまっていた。


「姫・・・。」


中将は、おそるおそる斑の姫に近寄り、強く抱き締めた。痩せた身体だが、その力強さは、以前と少しも変わらない。

抱き締められたその腕のなかに、中将のすすり泣く声が落ちてきた。


「あなたを愛しています。私にとって、あなたは唯一の人。」


生来、根が明るいのだ。

悪意など知らずに育ったこの人の心は、思いの外、打たれ弱いのかもしれない。


「私は、今晩、都を出ます。もう、戻れないかもしれない。」

「そんな!きっと、また、お戻りになれます。帝の気が収まれば。あるいは、政情が変われば。」


しかし、その言葉は、青嵐の中将には届かない。


「あたなに、もう二度と会えないかもしれない。だから、今夜、左大臣に追い返されるかもしれぬ危険をおかしてでも会いに来たのです。」

「どうか、お気を確かに。」


斑の姫は、自分をきつく閉じ込める腕をほどき、そっと、青嵐の中将の頬に触れた。


「文をくださいませ。」


あぁ、この人の頬は、なんて痩せているのでしょう。整える気力すらない無精ひげが痛々しい。


「どうか、私のことを想って、文を。」


顔全体を包み込むように撫でた。

どうか、この人が、生きる気力を失いませんように。

生きて再び、会えますように。


「私もあなたを愛しています。」


互いに強く抱き合った。


そして、その晩、青嵐の中将は、都を出た。


父が尋ねてきたのは、そこから幾日か経ったころだった。


「あなたには、すまないことをした。」


痣を嫌って、めったに顔を見せない父は、久方ぶりにやってきたかと思うと、気まずそうに、頭を下げた。


人並みの縁談など望めないと思っていた娘が、ようやく掴んだ幸せだった。愛し、愛されていることを知っていてなお、この仕打ち。


父は言った。

仕方がなかったのだ、と。


「女のあなたには、わからないでしょうけど」

「えぇ、そうですね。」


斑の姫は、格子の隙間から、厚い雲に覆われた天を見上げた。


「致し方のないことです。」


果てしなく広がるこの空は、中将のところまで続いている。

明日、この続きとエピローグ的なものを投稿して、第1章完結です。

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