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19 斑の悲恋1

予定より更新が遅くなってしまいました。

千鶴が、目を覚ますと、辺りは真っ暗だった。


「ここ・・・は?」

「あの庵の近くですよ。」


ぼんやりとする頭を振りながら起き上がる千鶴に、女人姿に戻っていた(まだら)の姫様が、屋敷があったと思われる火災跡を指差した。


「この辺りは、他に建物もないので、あの一軒だけが燃えて終わりました。」


都の外れの外れ。警備の検非違使(けびいし)も、気づかなかっただろう、と斑の姫が言った。


近くには、鶯と、鶯の父 七条兼助が並んで寝ていた。

二人とも、気を失っているらしい。


懐から、ぐったりとしたナンテンを出した。

意識はないが、幸い、呼吸は正常だ。


「公賢さまは?」

「とっくに帰られましたよ。」


さすが、というべきか。やはり安倍公賢という人は、常人とは違うのだろう。


「姫様は、公賢さまとお知り合いだったのですか?」


姫は、正体が蛇であることなど感じさせないほど、優しい微笑みを浮かべた。


「詳しい身分は明かせませんが、私は、もともと、帝の覚え目出度い家柄の娘として産まれました。」


斑の姫は、自らの出自と、蛇になった経緯を語り始めた。

それは、百年以上も前の話。


「私の家は、父は時の左大臣として権勢を誇り、母は、当時の女御(にょご)(帝の妃)の妹と、この上ないほどに恵まれた家柄でした。私も本来なら、次の帝、すなわち東宮(とうぐう)の女御に、と望まれていたはずだったのです。」


斑の姫は、「けれど・・・」と、言葉を切って、俯いた。


「私には、それが出来ませんでした。なぜなら、とても大きな欠点があったから。」

「欠点?」


千鶴は、首をかしげた。


「私がなぜ、『(まだら)』などという、不名誉で忌まわしい名で呼ばれているかわかりますか?」


斑の姫は、左手を軽くあげ、腕にかかっていた袖をスッと、おろした。

手首から下へと続く、薄紅色が露になる。


「痣・・・ですね。」

「左様。」


斑の姫は、手首を下ろし、袖を元に戻した。


「この斑模様の薄紅は、身体中に広がっているのです。」


斑の姫は、顔を上げた。空には、少し斜めに傾いた半円の月が、嘲笑う口のように、闇夜に浮かんでいた。


「私は、呪われているのです。」



◇   ◇   ◇


琴が得意だった。詩歌を読むのも、堪能な方だと思う。

しかし、そんなことには何の意味もない。


どれだけ芸気に優れていても、どれだけ器量に恵まれようとも、この痣一つで、私の人生は、全ては台無しなのだから。

本来の家柄を考えれば、決して夢物語ではないはずの、女御入内(にょごじゅだい)(帝の妃となること)など、口が裂けても言えぬ。そこまでとは望まぬとも、せめて、まともな縁談を、と願っても、それすら叶うことはないだろう。


尼になるしかない。


周りのものたちは、一様に嘆き悲しみ、口にした。


「この痣さえなければ」


それくらいは、まだ良い方で、時には

「きっと前の世から、よほど悪い(えにし)をもってきたのだろう。これはその(のろ)いに違いない。」

などと陰口を叩かれたこともある。


当の斑の姫自身は、華の盛りであるはずの年頃に、すでに諦念という名の悟りを開いていた。

産まれたときから、毎日このアザを見てきたのだ。目にするたびに、自尊心は傷つけられ、失望し、自分には、人並みの結婚などできないのだと突きつけられてきた。


しかし、実際には、尼にならなかった。


一人の男と出会ったから。


夏の似合う男であった。

背が高く屈強で、太陽のように笑う。


颯爽と宮中を歩くその姿が、青々とした野山を力強く吹き抜ける風のようだと言われ、『青嵐(せいらん)の中将』と呼ばれていた。


青嵐の中将は、初め、斑の姫に、和歌を習いたいと尋ねてきた。


「姫様は、和歌の名手だと、お聞きしたものですから。」


重い御簾の向こうにいた男は、頑強な体躯に似合わず、恥ずかしそうに、はにかんだ。


「なんせ、自分は武骨ものゆえ。」


(なんて、太い上がり眉!てっきり怖い方かと思ったけれど、案外かわいい方だわ。)


何度かやり取りをしているうちに、中将が、自分に興味を持ち始めているらしいことがわかった。


さらには、気を利かせたつもりか、女房がそれとなく告げてくる。


「青嵐の中将様には、まだ北の方(正妻)がいらっしゃらないそうですよ。」


明らかに何かを期待している目。


(困ったわ。私にそんなつもりはないのに。)


斑の姫は、袖口をそっと捲り、自らに憑いた薄紅色の穢れを確かめた。


(私は誰に嫁ぐ気もない。この痣を見られるわけには、いかないもの・・・。)


青嵐の中将は、時折、それとない口説き文句を口にしたが、斑の姫は、それらをすべて躱した。

そうしていれば、いつかは足も遠のくだろうと高を括っていたのだが、相変わらず、3日に一度程の頻度で、現れる。

ただ、中将は、斑の姫の意向を無視して、狼藉を働くような男ではなかった。


(仕方ないわね。)


「今日は、こちらを。私の作った歌です。」


斑の姫は、歌を紙に書き付けて渡すときに、あえて、少しだけ、その腕の袖を捲った。

この忌まわしい痣が、青嵐の中将の目に入るように。


本当は、そんなことはしたくない。この痣を、自ら進んで見せるのは、身を切られるような辛さがある。それでもーーー


(これで、諦めてくれるでしょう。)


斑の姫は、中将の目が、自分の腕に向いたのを確認してから、御簾の中に手を戻した。


(きっと、もう、ここへは来ないわね。)


少々の寂しさはあるが、もし深い仲になって、この痣を見られるよりはましだ。


1日経ち、2日経った。

そして、3日目の晩、中将は、なに食わぬ顔してやって来た。


斑の姫は、激しく戸惑った。


(なぜ?!)


中将は、あのアザを確かに見たはず。

にも拘らず、中将の態度は、以前と少しも変わらない。


「今宵は、月明かりがきれいですよ。紙燭(しそく)がなくても、夜道を歩けそうだ。」


気のせいでなければ、むしろ、以前より熱のこもった瞳を向けてくる。


望月(もちづき)(満月)には、やや欠けているようですがね。うーん、明日か、明後日かな・・・。」


庭の方に顔を伸ばして、月を仰ぎ見、言う。


(困ったわ。私の意図が伝わらないだなんて。こうなったら、少し、はしたないけれど、仕方がない。)


斑の姫は、今までよりも御簾を幾分高く開けた。肘の下あたりまで見えるように。


「中将殿には、きっと他所(よそ)に、望月をご覧になる場所があるのでしょう?」


欠けることない美しい満月は、痣持ちの自分には似合わない。

他の完璧な女人のところに、行けばいい。


斑の姫は、返歌を渡すときに、わざとらしいほどに袖をたくしあげ、左腕全体が見えるようにした。


(これなら、さすがに気がつくでしょう。)


近寄って、返歌を受け取ろうとする青嵐の中将へ向けて、ぐっと、手を伸ばした。

すると、次の瞬間、中将が予期せぬ行動に出た。


端近に寄ると、痣が見えている斑の姫の手を、はしっと取ったのだ。


「ち・・・中将どの?」

「いつ、私が、望月のほうが好きだ、と申し上げました?」


丁寧な口調だが、憤然としているように聞こえる。

手を引っ込めようとしたが、強い力で握られ、びくともしない。


「今日は、いつもより、御簾が高うございますね。」


中将は、いつもと変わらぬ爽やかな口調。いや、よく聞くと、いつもより、やや上ずった声。緊張が見え隠れしている。


御簾一枚を隔てた向こうに、中将がいる。その息遣いを熱く感じた。


「少しは私に心を開いてくださった、と捉えていいのかな?」

「そんな・・・そういうわけでは・・・」


斑の姫は、突然の展開に狼狽し、口ごもる。


「あの・・・困ります。手を離してください。」

「なぜ?」


痣が人目に晒されつづけるのは辛い。

斑の姫は、捕まれていない右手を伸ばし、左腕のアザが隠すように添えた。


「ご理解いただけたでしょう?わたくしが斑の姫と呼ばれる所以を。」


しかし、中将は、痣を隠したの右手をつかみ、そっと、どかせた。


「美しい手です。」

「ご冗談を。醜いでしょう?呪われているのです。」

「私には、そうは見えません。」


なおも食い下がる中将に、斑の姫は、深くかぶりを振って、抵抗した。


「この痣は、左腕だけではありません。全身に広がっているのですよ。」


こんな女、気持ち悪くて抱くことはできないだろう。


「誰か、それを、見た男がいるのですか?」

「いいえ。お父様以外には誰も。」


父でさえ、長じてからは見ていない。


「そうですか。」


中将は、心なしか弾んだ口調で言い、次の瞬間。


「それは、よかった。」


あの、少しはにかんだ笑顔で、御簾を押し開けた。


「あなたの秘密を、わたくしに見せてくださいませんか?」

「な・・・なんてこと!!」

「逃げないで。」


奥に隠れようとする斑の姫の背を、中将は、その屈強な腕の中に抱き留めた。


「私・・・私は、欠けたる月なのです。」

「この世に、欠けのない人間などいません。」


中将の太い腕が、震えていた。


「私にって、あなたはどんな月よりも美しい。どうか、あなたを愛することを許してください。」

「中将殿・・・」


おそるおそる振り返る。

言葉を継ごうとした、その唇を、中将のたくましい唇が覆った。


斑の姫と青嵐の中将は、恋仲となった。


しかし、その幸せは、長くは続かなかった。


続きは明日。

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