17 婿の正体3
本日2回目の投稿。
同時並行の鶯視点です。
千鶴と公賢とともに、父のいる場へと向かっていた鶯は、目的地の少し手前で、公賢に手渡された袿を羽織った。
袿には、白檀の香を焚き染めてあるらしく、鶯の身体を清廉な薫りが包み込む。裏地には、何やら経文のような文字がびっしり書かれている。
「これで、姿が見えないのですか?」
鶯が、二人に尋ねると、千鶴が、「うーん。」と、首をひねった。
「私には見えるけど・・・」
「これは、邪気を孕んだものへの目隠しですからね。千鶴には、邪気はないでしょう?」
公賢が、注意事項を再度、念押しする。
「屋敷に忍び込む間は、それで身を隠してください。くれぐれも声をあげぬこと。分かりましたね?」
「はい。」
この衣には、姿を隠す効果があるが、それは、あくまで目隠しするに過ぎない。
「目隠し」とは、そこにいるが、「目から隠し、気付かれないようにする。」ということだ。
だから、声を出してしまうと、相手は、目隠しされていても、そこにいることに気がつき、一度気がついて意識の中に入れば、もう隠すことはできないのだそうだ。
3人は、右京の外れにある、古びた屋敷の前で足を止めた。
公賢が、屋敷の門番に話しかけると、門番の顔がすぐに、とろりとした表情にかわり、二人を中に招き入れた。
鶯も、袿を頭からかぶったまま、二人について、入る。
確かに鶯は、門番からは見えていないらしく、男は鶯のいるほうには、一瞥もくれない。
案内された部屋に着くと、中からは、門番と誰かが話す声が聞こえてくる。
応じる声に聞き覚えがないかと、目で問う千鶴に、鶯は無言で首を横に振った。
どこかで聞いたことがあるような気もするが、誰であるとは、浮かばない。
門番が戻っくる直前に、公賢が、千鶴に耳打ちした。
「私は、ここでお待ちしたほうがいいかもしれません。」
たぶん、公賢には、声の主が分かったのだ。
公賢が、鶯にも、中に入るよう、顎で促したので、千鶴の後についで、入った。
頭を下げる千鶴の前には4人の男がいた。
一人はもちろん、父。
一人は全く見覚えのない、小柄な老人。
残り二人のうちわ、若いほうの男がたぶん鶯の婿だろう。体格が良いわりに、血の気が失せたかと思うほどに色が白く、きつい三白眼が印象的だ。
そして、残る一人は、明らかに上等な青竹色の着物を来た男。年若く、頑健な体躯。整った目鼻立ち。
その姿を一目見て、鶯は、それが誰であるか、分かった。
(この人は、まさか・・・頭中将殿?)
頭中将は、蔵人頭と近衛中将の二つの役職を兼任している。
若き武官である、近衛中将は、武芸に秀でた宮中の華として名高い。むろん、蔵人頭としての才覚にも申し分ない。
鶯も、何年か前、葵祭を見物した折に、かの人が、馬に乗って闊歩するのを見たことがある。
嫌でも目を惹く、その立ち姿に、皆が、源氏物語の頭中将が、絵から抜け出してきたと、口々に言い、あまたの娘たちが心を奪われた、と語り草になった。
鶯が注意深く頭中将を観察いるうちに、千鶴の舞が始まった。
始めはゆっくりとした厳かな拍子に、足運び。それが、次第に、早く、大きな動作へと変化していく。
(あの時、見たものとも、また違う。)
鶯は、千鶴の舞を一目見た時から好きになった。
まるで野を駆ける少年のように、自由に伸びやかに動き回る。その眩しさに、まるで見ているこちらまで、鹿か兎となって、並走しているかのような明るさがある。
今日の舞は、以前見たものよりも、幾分華やかだが、その根底には、やはり朗々とした彼女の本質を感じさせた。
舞の最中、千鶴が、つと、手に持っていた扇を広げた。
その扇を、華やかに振る。
動きに合わせて、白檀の良い香りが、部屋全体に広がった。と同時に、鶯の目の前に控えていた下男の身体が、しゅわしゅわと蒸発していく。
男は、あれよ、あれよという間に、どんどん小さくなり、気づいたときには、
(かえるっ?!)
思わず声をあげてしまいそうになり、両手で口を、グッとふさいだ。
他の男たちの方をみると、四人そろっていた男のうち、同じように、いなくなっている者が二人。
一人は老人で、姿のあった場所からは、一枚の紙片が舞い落ちている。
そして、もう一人は―――
蛇であった。
黒く、ぬらぬらと光る蛇が、とぐろを巻いて鎮座し、大義そうに首を持ち上げている。小さな口から真っ赤な舌が出入りするたびに、「シャー シャー」という掠れた音がした。
先ほどと同じ、きつい三白眼が、ギョロギョロと左右に動く。
(なんてこと!婿どのが蛇とは!!)
驚くと同時に、心の底では、「やはり」と思っていた。
ヒトではないと思ったのだ。呪いに関わる何かがあるだろうと。
(しかし、婿どの自体が魔のものであったか。)
今や、公賢の扇を喉ものに突きつけられ、顔面蒼白になっている父の方に目を向けた。
その横では、喉元に刃を突きつけられた頭中将が、平静な顔で座っている。こちらは微塵も動揺していないようにみえた。
公賢は、ここに来るまでの道中、千鶴にやるべきことの指示を与えていた。
まずは、邪気を払う白檀の香を焚き染めた扇を、部屋全体に行き渡るように仰ぐこと。
これにより、魔のものや呪いの類いは、姿を留めておくことができなくなる。そして、残っている人間のうち、より位が高いと黙される方に、剣を突きつけるように、と告げた。
今、人間の形をしているのは、頭中将と父の二人だけ。
たとえ頭中将の正体を知らずとも、その着物や態度、醸し出す品位から、誰がどう見ても頭中将のほうが位が高いのは、一目瞭然だ。
頭中将と公賢は、初めのうち、探りあうような応酬をしていたが、やがて、公賢が、千鶴に刀を下ろすように言った。
千鶴が、やや不服そうに、刀をおさめると、公賢は、頭中将に、この事態の顛末を尋ねた。
しかし、頭中将は、はぐらかすばかりで、まともに取り合わない。
(答える気がないのだな。)
鶯は、二人のやり取りを、息を殺して見守る。
(この場で、最も身分が高いのは頭中将。本気で逃れる気なら、これ以上は、こちらも追及できぬかもしれぬ。)
そこに割って入ったのは、千鶴だった。
「頭中将さま。鶯の君の婿が蛇になったのは、一体どういうことで、ございましょうか?」
本来、口をきけるような身分でないはずの彼女なのに、微塵も臆することなく、頭中将に食ってかかった。さすがの頭中将も、面食らったようで、まじまじと千鶴の顔を見る。
しかし千鶴は、気にも留めず、さらには、鶯の父にも詰め寄った。
「鶯の君とそこの大蛇を夫婦にさせたかったのですか?」
父は、血の気の失せた顔で、あわあわと狼狽し、まともに答えられない。たぶん、この場で最も動揺しているのは父だ。
そう思うと、鶯は、なんだか、情けないないような、恥ずかしいような気持ちになる。
(たぶん、知らなかったのだな。婿どのの正体も、他の男たちのことも。対して、頭中将殿は・・・)
鶯は、再び、青竹色の着物に目を向ける。やはり僅かな動揺すら感じさせず、悠然と座している。
(たぶん、知っていたのだな。この男の正体を。)
しかし、なぜ、何のために、自分と蛇を結婚させようとしたのか。少しでも、手掛かりがないかと、部屋全体を眺め渡した、その瞬間、鶯の目が屋敷の庭から、まっすぐ飛び込んで来るものを捉えた。
(弓矢じゃっ?!)
しかも、狙っているのは―――
「千鶴っ!」
叫ぶと同時に、袿を投げ捨て、飛び出した。
矢は、目の前に飛び出してきた鶯目がけ、まっすぐに。
「うぐいすっ!!」
耳に、父の悲痛な叫び声が聞こえた。
明日は、お話の続き。