15 婿の正体1
今日は短めです。
公賢邸を訪れてから3日、待ち望んでいた日がやってきた。
部屋でまどろんでいた鶯の肩を阿漕が、優しく揺する。
「鶯の君、起きてくださいませ。」
鶯は、肘おきに預けていた身体を起こし、大きく一つ、伸びをした。
「なんじゃ?阿漕、騒がしいのぅ。」
「今晩、殿さまが、お出掛けになるそうです。」
「何?お父さまが?間違いないのか?」
この館における殿さまとは、鶯の父、七条兼助のことを指す。
「はい。確かに。殿さま付きの女房が話しておりました。牛車の用意もさせているようです。」
「牛車の用意を・・・」
それならば、間違いないだろう。
「私の筆を持て。」
「あちらに。」
鶯が頼むが早いか、阿漕は心得ているとばかりに、さっと文机の上を指した。
鶯は、公賢から預かった紙に、今しがた阿漕から聞いたことを書き付けた。
紙、といっても、ただの紙ではない。公賢が呪いをかけた、「式」と呼ばれる紙だ。公賢によると、その紙に必要なことを書けば、公賢のところまで、その内容を届けてくれるらしい。
公賢は、噂どおり、人間離れした得たいの知れない方であった。
鶯の相談事など、明かす前から分かっていた。
公賢は、式を使って、都にいくつも耳を張り巡らせている、といわれていた。もちろん、単なる噂にすぎないが、先日の会合の、あのすべてを見通しているかのような様を思い出すにつけ、真実そうなのではないかと思えてくる。
「さて、これをどうしようか。」
鶯は、書き終えた紙をつまみ上げた。
公賢には、「ただ、書きさえすれば良い。あとは、コレが勝手に動きますから。」と言われていた。
「しかし、ただの紙だしのう。」
鶯が一人ごちた、その時、上げた格子の向こうから強い風が吹きあがった。風巻きは、鶯の手のひらの中の紙を巻き上げ、そして―――
紙はひらひらと舞い、落ちながら、その姿を変貌させる。
「ねっ・・・ねこ?」
驚くことに、床に就く瞬間、紙は猫へと変化していた。白毛に左目の回りと背中が茶、右目から頭にかけてが黒色の三毛猫だった。
軽やかに地に足をつけた三毛猫は、「ニャー。」と一鳴きして、庭へと飛び出した。
格子の外に控えていた阿漕が、突然出てきた猫に驚いて、声をあがるのが聞こえた。
猫となった式は、鶯の知らせを公賢のところへと届けてくれるだろう。
◇ ◇ ◇
母屋で庭を眺めながら寛いでいた公賢は、飛び込んできた猫を見て、のそりと身体を起こした。
「来ましたね。」
左右の目の回りが黒と茶色。猫が、自らの使いであることを確認する。
三毛猫は、「ニャア。」と短く鳴いて、公賢の膝の上に乗り、すりすりと身体に擦り付けた。指を伸ばして、顎のしたをくすぐると、気持ち良さそうにゴロゴロと喉を鳴らす。
「そうですか。今晩ですか。」
公賢は、まるで、その音と会話をするかのように、相槌をうった。
「それでは、支度をしましょうか。」
肩から、するりとはだけた着物を直し、悠然と立ち上がった。
◇ ◇ ◇
千鶴は、約束の場所で鶯とともに、公賢を待った。手には紙燭、懐には旧鼠の南天を携えている。
ここに来るように、という連絡がきたのは、そろそろ夕食の準備をしようか、というころだった。
家の中に、一匹の猫が、音もなく、ふわりと舞い込んできた。
「猫・・・?」
意志を持ったその目に、千鶴はすぐに、それが単なる猫ではないことに気がついた。
左右の目のまわりが特徴的な三毛猫は、案の定、人語を話した。
猫は、公賢の声で場所と時間を告げると、すぐに芝垣の向こうへと消えていった。
指定された時間より早く家を出た千鶴は、七条邸に、鶯を迎えに行った。
鶯は、すでに阿漕の手筈で、外出用の支度を終えて、待っていた。
「鶯の君を、何卒よろしくお願いします。」
心配そうな目をした阿漕が、深く、頭を下げて、二人を送り出した。
公賢に指定された場所までは、徒歩で来た。
そこは、千鶴のよく知っている場所だったので、迷いはしなかった。
千鶴は、着いてすぐに、いつものように、その社の前で手を合わせた。ここは、藤原某中納言のところに行き帰りの道中、いつも通る神社だった。
参拝しながら、この裏に、立派な橘のお屋敷があったことを思い出す。
今は夜だからか、その姿は判然としない。
「公賢どのは、まだのようじゃな。」
「そのようですね。」
千鶴は、社から離れて、あたりを見回した。
「鶯の君は、くれぐれも私から離れませんように。」
阿漕からも重々よろしくと頼まれているとおり、護衛をかねている。今日は、腰元に自分の中の剣を、指していた。
さほど待つことなく、北のほうから、ぽうっと柔らかな明かりが近づいてくるのが見えた。
「お揃いのようで。」
涼やかな目元に、いつにも増して、妖しく匂いたつような色気をに滲ませて現れたのは、安倍公賢、その人であった。
公賢は、千鶴の服装を認めると、
「約束通り、その格好で来ましたな。」
白拍子の衣装を身につけてくるように、というのが、公賢からの指示であった。
理由は明かされていない。
「はい。いつも舞を行うときの、そのままの格好です。」
「それでは、これを、あなたにお貸ししましょう。」
千鶴は、公賢が、差し出したものを受けとった。
「これは、扇・・・ですか?」
千鶴が普段使用しているものよりは、やや大振り。鉄芯が入っているようで、重みを感じた。
「今宵は、それを使ってください。できますか?」
「できる・・・と思います。」
やや手首の力が要りそうだが、少々の時間、舞うくらいならば、可能だろう。
「やはりこの格好を、ということは、私は舞を披露するのですね。」
公賢が、頷く代わりに、スッと目を細めた。
それから、鶯に向きなおり、折りたたんだ布のようなものを差し出した。
受け取った鶯が、こわごわ広げる。
「ずいぶんと上等な袿(着物の一種)ですね。」
「鶯の君は、私の合図があったら、それを上から羽織ってください。特殊な呪いをかけておりますので、邪気をはらんだものたちから、一時的に姿が、見えなくなります。」
「姿が?」
鶯が、驚いて目を丸くした。
「そのようなことが可能なのですか?」
「あくまで一時的に、です。」
公賢は、「大事な注意点が1つあります」、と付け加えた。
「これを被っている間、くれぐれも、声を発しないでください。この袿は、あくまで一種の目くらまし。そこにいるものを、いると気づかせぬことができるのみです。声を出せば、相手は、そこにいると認識し、するとたちまち、その効果は消失します。ですので、くれぐれも息を殺し、気配を悟られぬよう、細心の注意を払ってください。」
鶯は、ぎゅっと衣を睨み付け、決意のこもった声で答えた。
「分かりました。」
明日から、解決編に入ります。ぜひ、お読みいただけると嬉しいです。