表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/102

13 安倍公賢1

家に着くと、旧鼠(きゅうそ)が、南天のような赤い瞳を、三角に吊り上げて待っていた。


「どこ行っていたんだよう!オイラが、眠っている間に。」


語気が荒い。どうやら、怒っているらしい。


「急な依頼があって、出掛けていたの。」

「さっきから、千鶴に置いてけぼりにされたって、おかんむりなのさ。」


菊鶴(きくつる)が、髪を繕いながら言った。


「何だって、その獣は、あんたにそんなに執着してるんだろうね。」


菊鶴の言葉には、千鶴も同感だった。


助けてやった恩義を返すと、律儀に奮起しているのは分かったが、勝手に住み着いて、妙になつかれてしまった感がある。


「だいたい、千鶴が昨晩、帰ってきてから、今の今まで、あんたが勝手に寝てたくせに。」


そうなのだ。

旧鼠は、夜行性といいつつ、昨晩から、ずっと眠りこけていたのだ。


「うるさい!うるさい!!あれは・・・何か変だったんだ!」

「変だった?」

「あぁ。千鶴と話をした少し後までは、確かに記憶にあるんだ。夜風の音もちゃんと覚えているし。だけど、そのあと、何だか甘い匂いがしたと思ったら、急に瞼が重くなって。」

「甘い匂い?」


千鶴は、はて昨晩そんな匂いがしただろうかと、首を傾げた。少なくとも、自分が感じとれるような甘い匂いは、しなかった。


「それで?結局、あの後、どうなったんだよ?」


旧鼠は、家で目を覚ますまでの間、何が起こったのか、事の顛末を全く知らぬらしい。

千鶴が話してやろうとすると、誰かが玄関で(とぶら)う声がした。


「今日は、なんだか客が多いねぇ。」


鏡に向かう菊鶴の代わって、千鶴が出ると、七条家の使いの翁が、なぜだか戸惑い顔で立っていた。


「七条の三の姫様には、結構なものをいただきまして。」


千鶴は、中に迎え入れると、真っ先に、鶯に頂戴した白拍子の衣装の礼を述べる。すると翁は首を横に振った。


「いえ。それは、いいのです。それより、実は、急ぎ、七条家にお越しいただきたく。」

「今からですか?」


もちろん、鶯には昨晩の首尾を報告しなければならない。


千鶴も、できれば今日中に伺うつもりであったが、思いのほか、謎の女君のお呼びが時間を食ってしまった。じきに日が暮れそうなうえ、先ほど、女君の屋敷を発つころから、夕霧が出始めていた。こういう視界の悪い日は、出歩かぬのが吉なのだ。


「明日の朝一番に、伺うつもりでおりましたが。」

「それでは遅いのです。」


翁は申し訳なさそうに、頭を掻いた。


「本来なら、千鶴どのが目覚めたら、すぐにお連れするつもりだったのです。それで、着物をお届けしてから、そのまま、あそこで休んで待っていたのですが・・・。」


翁は、家から見える位置にある。苔むした岩を指した。


「それが、お待ちしているうちに、眠り込んでしまったようで。」


千鶴は、ちらりと岩を見やる。

なるほど、そこには、人一人座るのにちょうどよい大きさの岩があった。

確かにあそこなら、通りから目に入りにくく、道行くものに、不審を抱かせることもないだろう。一方で、玄関からも死角になっていたので、女君の家に出かけていく千鶴も、翁がいたことに、ちっとも気がつかなかった。


「鶯の君から、必ず本日中に、お連れしてほしいとの申し出でしたので・・・。」


翁は、自らの失態を恥じ、身を震わせながら、深く頭を下げた。

その様子が、気の毒で、千鶴は、「わかりました。」とうなずく。


「それなら、早くした方が良さそうです。」


霧が濃くなっており、夜には雨になりそうだ。

翁を外に待たせ、千鶴は、小袖に着替えた。その懐に、旧鼠が、ぴょんともぐりこんできた。


「今度こそ、オイラも連れて行ってもらうからな!」


千鶴は、念のため、女君からもらった櫛も懐に入れ、翁とともに七条邸に向かった。


鶯は、前回同様、御簾も記帳もたてずに千鶴を待っていた。


「到着が遅くなりまして、申し訳ありません。」


翁の話によると、鶯は、今朝からずっと千鶴を待っていた。着物を届けたにもかかわらず、音沙汰なく待たせたとあれば、義理を欠いた振る舞いと思われただろう。

そう考え、開口一番、千鶴は頭を下げた。


「先刻は結構な着物を頂戴したにも拘わらず、このように参上が遅くなり・・・」

「なぜ、千鶴が頭を下げる?」


クリクリ目できょとんと見ていた鶯は、千鶴の言葉を遮ると、心底「わからぬ」と、首をかしげた。


「じぃが寝てしまったのであろう?本人がそう申していた。」

「いえ・・・あの・・・。」

「なれば、千鶴が謝るのは筋違い。」


どうやら鶯は、千鶴が遅れた事情をまるっとを承知しているらしい。


「元より人に頼んだこと。自分の思い通りにいかないからと言って、叱ったりはせぬ。」


そう言うと、鶯は、少し寂しそうに、格子戸の向こうの暮れかけた空を見あげた。

どこか物悲しさの滲むどんぐり眼に、西の空が反射した。霧は晴れてきていたが、湿度は高く、黄昏時の空は、水彩色の橙であった。


「貴族の娘というのは不便なものだ。自分が会いたい人にも、気軽に会いに行けぬ。」


それから、千鶴に向きなおり、ぺこりと頭を下げた。


「ありがとう。」

「あ・・・あの?」

「じぃを庇ってくれたのであろう?」


面を上げた鶯は、先ほどの哀しげな顔ではなく、愛嬌たっぷりに笑っていた。こちらの意図はお通しだったか。


なるほど、この姫になら、正直に謝った方が得策だと、翁も分かっているはず。ちょっと変わっているけど、やはり、いい姫さまだ。


仕切り直した鶯は、改めて、わざわざ千鶴を呼んだわけを話した。

それは、昨晩の夢の話であった。


「いつもならば、全身を絞められ、苦しみの中で前覚ますのだが、昨夜の夢は、いつもと様子が違たのじゃ。」


鶯は、夢の中で、必死でもがいていた時に、目の端に映ったヒラヒラと、はためく紐を掴んだ。そして、その紐は、目を覚ました鶯の手の中に、しっかりと握られていた。


「これが、その紐じゃ。」


鶯は、傍らから、細長い紐を手に取って、すいっと千鶴のほうにさし出した。


「手に取って、拝見しても?」


鶯がうなずいたので、千鶴は、それに手を伸ばした。


「これは・・・」


細長い紐は、白色を基調とし、その中に混じる、あわい黄と紫。少し持ち上げて、光に当てると、白糸には、幾筋かの銀糸が編み込まれていることが分かる。


「組紐、ですね?」


鶯が頷いた。


「私に呪をかけていたものの痕跡だ。」

「女性の扇の端につける飾り・・・でしょうか?」


長さや色合いから、そう推理した。


その紐を手の中で弄んでいるうちに、ふいに、千鶴は強烈な既視感に襲われた。


(この紐を、どこかで見たことがある?)


いや、違う。紐そのもの、ではない。この配色をどこかで、それも、幾度となく目にしている気がする。


千鶴は、しばらく記憶をまさぐったが、どうにも思い出せそうにない。

諦めて、紐を鶯に返した。


「それで、私にどのようにせよ、と?」


まさか持ち主を探せというわけでも、あるまい。組紐ひとつでは、あまりにも手懸かりが少ない。


「私は、これから、この紐をある方のところに持っていこうと思っておる。その方ならば、この紐をどうするべきか、ご示唆いただけよう。」

「ある方、とは?」


鶯は、噛みしめるように一呼吸おいてから、その名を口にした。


安倍公賢(あべのきみかた)さまじゃ。」

「安倍・・・公賢さま?陰陽師(おんみょうじ)の?」

「うむ。」


確か、安倍晴明(あべのせいめい)の血をひくといわれている陰陽師だ。千鶴も名だけは聞いたことがあった。

近頃、力をもつ陰陽師が減ってきたと言われているが、その中にあって、公賢の霊力というのは桁外れに強いらしい。晴明の先祖返りと専らの噂であった。

しかし同時に、人嫌いで表舞台には出てこない、とも言われている。


「これから、この紐を持って、安部公賢どののところまで参ろうと思う。しかれば、千鶴には・・・」

「待ってください。」


千鶴は、鶯の言葉を遮った。


「私を呼んだわけが、読めました。まさか、ついてこい、ということでは・・・?」、

「あたりだ。」


鶯のにっこりとした笑顔に、千鶴は、頭を抱えた。


「直に日が暮れますよ。明日ではいけないのですか?」

「ダメだ。」


鶯は、きっぱりと首を横にふった。


「これは、昨晩の夢の中で捉えたもの。次の夢を見るまで、すなわち今日中に、公賢さまに、相談申し上げたい。」


鶯は、朝から千鶴を待っていた。到着が遅れたのは千鶴のせいではないが、責任を感じないわけではない。


「わかりました。」


千鶴は、仕方無しに、頷いた。もはや、全ては乗りかかった船なのだ。


「それで、牛車のご用意はいつできますか?」

「牛車ではない。」

「は?」

「牛車は、じぃがいないと動かせぬのだ。」


じぃ、すなわち下男の翁は、千鶴と鶯が出会ったあの晩、鶯のわがままに押されて、牛車で連れ出し、野盗に襲われるという凶事があってから、自らの責任を感じ、夜どころか、昼も一歩も外に出さぬ構えなのだそうだ。


「牛車じゃなければ、どうやって?」

「無論、徒歩(かち)で行く。」


鶯が、ふふんと、鼻息荒く答える。ピッと指を二本立て、


「私と千鶴の二人だけで参る。」


「危険では」、と言いかけたが、どちらにしろ二人だけで行くつもりなら、徒歩の方がいざというときに逃げやすい。


「ちなみに、私が断ったら、どうされますか?」


すると、鶯は、想定通りの答えを即答した。


「一人でいく。」


千鶴は、大きくため息をついて、項垂れた。やはり、答えはこれしかないのだ。


「・・・分かりました。お供しますよ。」



◇   ◇    ◇


二人はすぐに支度を整えると、乳母子(めのとご)阿漕(あこぎ)の手はずで、翁に見つからないように家を出た。


ちなみに、この阿漕、鶯付きで、信頼のおける女房なのだそうだ。


じぃこと翁がお目付け役兼お守りであるなら、阿漕は、姉のような存在で、どんなに苦言を呈しても、最後は絶対に味方になってくれる。鶯が悪夢をみるようになってからは、毎晩、側に控えてくれているらしく、今回のことを誰よりも親身になって心配している。


「すでに辺りは大分、暗いです。鶯の君さま、何卒、ご無事で。」


阿漕が、質素な壺装束(つぼしょうぞく)に身を包んだ鶯に、市女笠を被せてやる。


「千鶴どのには、こちらを。」


阿漕が千鶴に差し出したのは、なんと、短めの刀であった。確かに、今日の千鶴は、刀を携行してこなかった。阿漕が、悪戯っぽく、片目をパチリとつぶる。


「じぃの予備ですわ。ちょっと拝借しましたの。」


さすが、鶯の女房だけあって、なかなか大胆な女だ。


「小型ですので、千鶴どのにも扱いやすいかと思います。どうぞ、護身用にお持ちください。」

「お借りします。」


千鶴は、礼を述べて、その刀を手に取った。なるほど、年老いた翁に合うように、小型に作られた刀は、軽く、確かに女の千鶴にも扱いやすそうだ。


「さ、急ごう。」


鶯に促されて、二人は、夕刻の都を、公賢の屋敷に向けて歩きだした。


公賢邸への道を、鶯は熟知しているらしい。少しの迷いもなく、歩いていく。


「普段、牛車に乗っているわりに、道にお詳しいのですね?」


嫌味ではなく、純粋な驚きから口にした。


「貴族の娘のくせに、と思うたか?」

「いえ、そのようなつもりでは・・・」

「昔、じぃに地図を、書いてもらった。その地図を眺めては、阿漕や翁にあれこれ尋ねるのだ。そう出歩くことが多いわけではないが、それでも、どこかに行くときには、牛車の物見(ものみ)から、実際の街を見て、地図を見比べるのだ。」


鶯は、行く手にまっすぐ視線を向けたまま、言った。


「本物を見ると、発見がいろいろとあって面白い。線の上では、大きく立派なお屋敷であったものが、実物は、朽ちて寂れていたり、逆に小さな邸宅かと思った家の庭や入り口が、思いの外、綺麗に整えられており、その家の主人の細やかな心遣いを感じることがある。」


「そうでしたか。」


千鶴は、そんなふうに街を見たことはなかった。最初から、ただ、見たとおりに、そこにあり、道に沿って歩くだけのものだった。


「本当は、自分の足で歩きたいのだが、父が赦してくれぬ。腐っても殿上人の誇りを失わぬ父上にとっては、貴族の娘らしからぬ振る舞いだからな。」


それは、この好奇心旺盛な姫にとってはひどくつまらないだろうな、と思った。


「さ、ここじゃ。」


鶯が、突然、足を止めた。


「え?ここ・・・でございますか?」


安倍晴明の血をひく陰陽師という触れ込みであったので、てっきり都の一番北端、一条まで行くのだと思っていたが、意外にも、ここは三条の東の外れであった。


ただし、場所こそ都の中心から、やや外れているが、その屋敷は、外から見ても相当に広い。


「して、どのように中に入れてもらうのでしょう?」


事前に(とぶら)いの先触れはしていない。人嫌いで有名な陰陽師は、先触れそのものを受け付けぬという噂であった。

二人の目前の門は、来客などお断りとばかりに、固くしっかりと閉じられている。


「声をかけて、中の者に聞こえるでしょうか?」


これだけのお屋敷だ。本来、門番をする下男がいるはずだが、全く人の気配を感じない。

鶯が、至極単純すぎる方法を口にした。


「よし、とりあえず、大声を出してみよう。」

「大声ですか?声が届くとは思えないのですが・・・。下手をしたら、人が集まって、不審なものと思われかねませんよ。」

「しかし、ここまで来たのじゃ。あきらめる訳にはいかぬ。」


鶯の決意はゆるぎない。千鶴は、諦めて肩をすくめた。


「仕方がありません。それならば、私が・・・」


仮にも貴族の娘に、そんなことをさせる訳にはいかない。変な噂にでもなれば、翁と阿漕も悲しむだろう。

千鶴が、大きく息をすいこみ、声を張り上げようとした、そのとき。


内側から、カタンと、鍵の外れる音がした。

千鶴は、大口を開けたまま、中から出てきた女房と目があった。


「どうぞ。中へ。」


女房が、流れるように美しい所作で、二人を中に誘う。千鶴は慌てて口を閉じて、鶯と視線を交わした。鶯が、力強く頷いたので、二人は中に入った。



続きは明日。

ようやく、あの人が出てきてくれます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ