11 女君の使者
情報量が多く、読みにくいので短めに切りました。
話が進まないので、夜にもう1話投稿します。
翌朝、目を覚ますと、背に、小袖がかかっていた。
「起きたかい?」
すぐそばで、菊鶴が、朝食の粥を椀に盛っていた。
「あんたにしては、珍しく寝坊だね。」
千鶴は、重い身体をゆっくりと起こす。昨夜の疲れが残り、頭が、ぼんやりとしている。
肩から滑り落ちた小袖を、掴んで、礼を言った。
「これ、ありがとうございます。」
「風邪ひかれたって、医者にみせてやる金はないよ。」
ぞんざいな言い方だったが、それが、菊鶴の優しさであることを知っている。
「あんたに、客さ。」
菊鶴に促されて、入り口を見ると、背の曲がった小男が一人、土間の暗がりに座っていた。
その背に、菊鶴が声をかける。
「待たせたね。千鶴が起きたよ。」
それから千鶴のほうに向けて、肩をすくめた。
「あのお客さん、あんたが、起きるまで待つって言い張るもんだからさ。」
「いえ。こちらが、勝手にお待ちしていたまでのこと。」
会話に割り込むように振り返った男の、ひどく特徴的な顔に、千鶴の目が、くぎ付けになった。
顔全体は、上下から、ぺちゃんと挟んだように横に長く、左右の目は離れている。口は弓なりのカーブを描いて、やはり横長だ。一方で、黒目がちの瞳は、くりくりとまん丸。
顔つきからすると、それほど年がいっているように思えないのに、声は何かに轢かれたみたいに潰れている。
「私は、さる女君にお仕えしている者でございます。名は蛙、と呼ばれております。」
本名ではないだろう。きっと見た目でそう呼ばれているのだ。
特徴的だと思ったその顔は、「蛙」と、名乗られると、もはやあぜ道を飛び回る蛙そのものにしか、みえない。
「我が主の女君が、千鶴どのの舞を所望しておりまして。千鶴どのには、これから私どもの屋敷にお越しいただきたいのです。」
「女君?」
「えぇ。名は、何卒、ご容赦ください。」
名を伏せて、というのは、珍しいことではない。
白拍子を、遊女の類と考えるものの中には、藤原中納言のように、自らの立場をひけらかして気を引こうというものもいれば、所詮、遊び事として、いざというときに自分の身におかしなことがふりかからぬように、名や身分を隠したがるものもいる。
しかし、女性の依頼というのは、めったにあることではない。鶯を除けば、初めてであった。
「謝礼は、こちらに。」
蛙は、懐から巾着をとりだして、広げた。
中に入っていたのは、宋銭であった。両手に乗るほどの巾着に、ぎっしりと銭が入っている。
その銭を見て、戸惑っている千鶴に気づいた蛙が、心配そうに様子をうかがってきた。
「こちらで足りますかな?」
「あの・・・これは・・・」
宋銭は、言うまでもなく「銭」である。つまりは、貨幣。
平清盛が覇権を握っていたころ、かの人は、隣国・宋との貿易に力を注いでいた。その中で、大量に輸入されたのが、この宋銭である。
銭は、古来より、我が国の経済の歴史において、幾度となく姿を現しては、消えていた。
時代を遡れば、国産の貨幣が作られた時期もある。市などでは多少使用されているが、結局のところ、未だ経済の主流は米や絹を基盤とした物々交換の域を抜け出せないでいる。
その中にあって、清盛公は、宋銭を国内に流通させ、「貨幣経済」の導入を画策せんとした。
しかし、事は、すんなりとはいかない。
何事も、新しい物事には、賛成派と反対派が生まれるものである。
この対立を巡って、一時、朝廷内には政争が巻き起こり、当時の法皇が幽閉されるほどの騒ぎとなった。千鶴が産まれるよりも10年以上前のことだ。
その後、平清盛は、亡くなり、そして、現在に至るまでの間、公には、宋銭の使用は「禁止」されていた。
「どうぞ、お受け取りください。釣りは結構。わが女君からは、全てお渡しするように、との仰せです。」
蛙は、ずいっと巾着を千鶴のほうに押し出した。
「いえ、あのそういうことではなくて、これでは・・・」
「随分古いものもあるねぇ。こりゃあ乾元大宝かい?」
いつの間にか後に来ていた菊鶴が、巾着から、硬貨を一枚つまみ上げた。
「けん・・げん大宝・・・?」
「ざっと200年以上前の貨幣さ。言っとくが、宋銭じゃないよ。歴とした我が国鋳造の貨幣さ。」
二本の指でつまんで、くるくると検分する。
「あたしも見たのは初めてだがね。今じゃ、骨董品ってやつだ。」
菊鶴は、改めて巾着の中を見た。
「錆びているが、もっと古いものもありそうだねぇ。」
「えぇ。長年、女君と我らで集めたものです。」
「こんな市場価値のないもんを集めているだなんて、あんたの女君は、ずいぶんと変わった収集癖をお持ちだねぇ。」
菊鶴が、硬貨を、指でピンっと弾くと、その手でパシッと取った。
あけすけな物言いに、蛙が気分を害するのではないかと思ったが、変わらず冷静であった。
「貰っときな。」
菊鶴が言った。
「よいのですか?」
今しがた、市場価値のない、と切り捨てたのに。
「こういうのは、案外、欲しがる連中がいるのさ。」
「欲しがる連中?」
「あぁ。そこの女君のような収集家だったり、溶かしゃあ銅になるから、それで仏具や道具類を作りたい奴だったり・・・あとは、銭をもう一度、表舞台に引っ張り上げたがっている奴らだったり、ね。」
菊鶴は、特定の一人に囲われてはいないが、昔からの馴染みの客も多い。
その分だけ顔も広く、中には、政権の中枢とのつながりを感じさせるものもあった。
師匠がそういうのならと、千鶴は改めて蛙に確認する。
「本当に、いただいてよいのですか?長年をかけて集めたものを。」
「えぇ。そこの方のおっしゃるように、市場では価値のないもの。それは、我らが持っていても無用の長物ですから。」
「それでは、こちらを頂戴して、お引き受けをさせていただき・・・」
頭を下げかけた、千鶴は、大事なことを思い出し、慌てて、頭をあげた。
「いえ、やはりお受けできません。」
蛙が、不審げに首を傾げた。
「今は、着物がないのです。着物がなければ、舞うことはできません。」
先日は菊鶴に借りたが、また、というのは虫が良すぎる。
「着物のことなら、心配しなさんな。」
「そう何度もお借りするわけには・・・」
「そうじゃないさ。あっちを見てみな。」
菊鶴に言われ振り向くと、先程千鶴が寝ていた横に、きれいに折り畳まれた白と赤の着物があった。
「あんたが寝ている間に、七条の爺さんが持ってきたのさ。この前のお礼だそうな。」
「七条の・・・鶯の君の使いですね?!」
手に取って、広げてみる。確かに、あの晩、千鶴が着ていたのとそっくり同じ着物であった。
しかも、生地は新しい。
真っ白い水干に、緋の袴。袴も、一般的に白拍子に着用されている長袴ではなく、千鶴愛用の、足首で絞った形になっている。
必ず千鶴の期待に沿う礼をする、と言っていたが、期待以上の代物だった。
「なんでも三の姫さま、直々のお手製だそうだよ。」
改めて細かいところまで検分すると、縫い目は、綺麗に揃っていて、しかも寸部狂わず、真っ直ぐだ。これを作ったというなら、鶯の縫製の腕は、たいしたものだ。
「これなら、すぐにでも着られそうですを」
二人のやり取りを眺めていた蛙が、キョロりとした目を向けて聞いた。
「問題は、解決しましたかな?」
諸説ありです。
貨幣の説明部分、書き直すかもしれませんが、本筋のストーリーには、関係ないので、さらっと流してもらって構いません。