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93 出雲3

少し戻った千鶴視点からです。(前回の最後のほう)


虎が来る。


しかし、千鶴は、動じなかった。


公賢(きみかた)を信じていたから。

惟任(これとき)を信じているから。


千鶴は僅かさえも心を乱す事なく、舞に没頭した。


その舞は、白拍子の舞とは違う。

千鶴が生まれるより、もっと、ずっと前から、身体の中に刻みつけられた舞だった。


それを、自然にーーー誰にも教えられていないのに、自然に踊ることができる。


すっと背筋を伸ばし、抜いた剣を真っ直ぐに振るう。


空には、相変わらず雷鳴が轟き、今にも雨が降りそうな程、厚い雲が垂れ込めている。


千鶴は、タンッと拍子を取りながら、舞台を歩む。

剣を持って、くるりと舞う。



狐を飛び越えた虎が、千鶴めがけて、鋭い牙を蓄えた口をガバと開けた。


千鶴を暗い谷底に落とそうとしている。

そして、オロチに喰わせる。


だけど、大丈夫。

公賢を信じている。


一際強く刀を振り上げた。瞬間、空に大きな雷光が走った。

そして、虎が、しゅんっと音を立てて消えた。


虎はいなくなり、狐が天に登るかのように大きく背を伸ばした。



千鶴の視界の端に、大地の割れ目に墜ちていく道満庵(どうまんあん)が映る。



地が揺れた。


道満庵が喰われたのだ。


大地は、力を得たと喜んでいるようにも、こんなものは要らないと怒っているようにも、思える。


術者は消えた。

もう制御はできない。


オロチは千鶴が封印する。



真っ直ぐに伸ばした手の甲に、ポツリと雨が当たった。


次から次へと落ちてくる雫が、千鶴の顔を、髪を、肩を、腕を濡らしていく。


頭中将と惟任が舞台の袖で、干戈を交える甲高い音が、絶えず聞こえる。



◇  ◇  ◇



道満庵がやられた。

オロチに喰われた。


だが、変わりに、道満庵の力を喰ったオロチはその力を取り込み、より強大になるだろう。


あとは、あの小娘。


あれこそが、オロチが喜ぶ極上の贄。


道満庵を失ったのは手痛いが、あの娘を捧げ、オロチを手中に収めれば、私の勝ちだ。


今の帝を廃位し、都で捕まった芦高王子を奪還して、国を立て直す。



頭中将は、曽我惟任の剣を躱しながら、千鶴をオロチの元へと突き落とす機会を窺っていた。


さすがに、京都守護気に入りの犬は、手強い。


この男に勝つ必要はないから、躱し続ければいいだけだが、少しでも気を抜いたら、殺られる。


頭中将も剣の腕には自信があった。


頭中将が武力を嫌うのは、弱いからではない。あの武士連中に遅れを取らぬよう、あいつらを理解するために、自身も人知れず剣技を磨いた。


その結果、愕然とした。


こんなものが権力を手にするのか、と。こんなにも野蛮で血生臭い者たちが覇権を争う世の中になるのか、と。


武力は誰でも手に入れられる。

高貴な血も、特別な力も必要ない。

その分、裾野は広く、庶民も農民もその気になれば、刀を手に持ち戦える。

運さえ良ければ、出自の定かではない水呑百姓でさえ、覇権を持つことができるかもしれない。


ゾッとした。


そんな人間が、この国を動かすのか。何の教養も正統な血筋も持たぬ者たちが・・・ーーー!


そんな世の中にしては、ならない。


この国は、私が一から作り変えなくてはならない。時を巻き戻して、やり直さなくては。


それが私の使命なのだ、と思った。


「私は・・・」


攻めたてるように剣を奮う惟任を睨んだ。


「私は、お前のような人間が、一番嫌いだ。」


力を買われて、権力に飼われる犬。


「私も、あなたに好かれたいとは思っていません。」


惟任は息一つ乱さずに口答えした。それが、余計に憎らしい。


「お前などに、私の思想が理解できるわけがあるまい。」


先程から降りはじめた雨のせいで、足元が滑る。


すると惟任は、顔を少し曇らせた。


「あなたが、あなたの思想に基づき、この国を憂いている、というのは知っています。」

「お前に理解できるわけ、あるまいっ!」


軽々しく口にされたことに、カッとなった。しかし惟任は変わらず冷静に応じてくる。


「そのために、これまで築いた国を無に帰す、という思想の良し悪しも、正直、私には判断できない。」

「当たり前だ。お前などが判じるなど、おこがましい。これは、神の領域だ。」


特別なものにだけ許される、神の領域。


「しかし・・・」


惟任の剣が、速度を増す。


「しかし、千鶴どのを攫い、傷つけたこと。それだけは、私は、絶対に許さない。」


「知ったことか。大義のためだ。」


雷鳴が唸るように鳴り響き、眩い光が大地の中に墜ちる。


「オロチよっ!」


頭中将は天に向って慟哭した。


「ヤマタノオロチよ。ここに、娘がいる。お前が数多喰った、国つ神の娘だ。そしてお前を倒したスサノオノミコトと同じ天の神の子孫、帝の血縁でもある。お前がこの娘を喰えば、今すぐにでも復活できよう!!」


応えるように、裂け目から幾筋もの黒い何かが湧き上がった。腕のようにも、長い首のようにも見える。


「さぁ、食えっ!」


頭中将は腹の底から叫び声をあげた。


「喰えっ!喰えっ!喰えぇぇぇっ!!!」



◇  ◇  ◇


千鶴は、深く、深く、しんと暗い海の底に潜るかのような、深遠たる呼吸をしていた。

 


乱されるな。

惑わされるな。


何が、あっても大丈夫。


信じている。


惟任を。公賢を。

そして、自分自身を。



裂け目から、起き上がらんと立ち上るヤマタノオロチの8又に割れた首のような黒い影が、千鶴を探して蠢いている。


剣を握る指先が痛い。


それでも、千鶴の全身は、全ての感覚において、かつてない程に、研ぎ澄まされていた。


舞を踏む一足ごとに、剣の一振りごとに、世界と一つになる。


空を飛んでいるかのような、大地に深く潜るような、不思議な感覚。



大きく、剣を二度振った。


オロチの黒い首が2つ消えた。もう一度振ると、今度は、雨がやみ、空を覆う黒い雲が払われた。


隙間から、明るい陽光が差す。



「オロチィっ!」


頭中将が叫ぶ声が、聞こえた。


「何をしているっ?まだ、その身体さえ出ていないお前はっ!再び封印されてもいいのか?また暗い底に、戻ってもいいのか?」


頭中将が力任せに放った一刀が、惟任の隙きをついたらしい。惟任が、足を滑らせ、態勢を崩した。


一瞬、乱れそうになった千鶴の心は、しかし、すぐに思い直して、舞に没頭する。


「すぐ目の前に、力の源があるのにっ!お前を葬った憎い者たちの血をひく者がいるのにっ!!みすみす見逃し、またその地に沈んでもいいのかぁっ!!」


頭中将の呼びかけに呼応するように、再び、黒い影が活力を得て、縦横無尽に動き回る。雲の切れ間が閉じ、再び、雨が降る。


でも、大丈夫。

もう一度、刀を振ればいい。



この大地も天も、そこに生きる者たちも。


山、川、海。

空、雲、太陽、月、星。

野山を駆ける鹿、兎、数多の動物たち。

ここに生きる全てのもの。


千鶴の意識は、そういう者たちと一体になって、このまま、世界に溶けて、どこか遠くに散り散りになっていきそうな・・・


神を降ろすということが、こんなにも快感を伴うものだとは知らなかった。


恍惚としていた。


千鶴が千鶴で、なくなるほどにーーー



ふいに、千鶴の目の端に、身体を起こす惟任が映った。

小さく唇が動いて、「千鶴どの。」と呼びかけた。声は聞こえなかったけれど、唇の動きだけで呼ばれていると、わかった。


ハッとした。


千鶴は剣を握る手に力をこめた。



違う。

世界と一つになったら駄目だ。

世界と溶けてしまったら、たぶん、もう戻れない。


本当に、千鶴は千鶴で、なくなってしまう。

でも、それはーーー


千鶴は、もう一度、惟任を見た。

それから、公賢と比丘尼がいるであろう方向を見た。


それは、嫌だ。

心底、そう思った。


千鶴は、千鶴のまま、ここに戻りたい。



もう一度。

千鶴は、深く息を吸って、吐いた。

指先まで意識を張り巡らせ、剣を振るう。


世界を感じる。


この地に生きる全ての者たちを。そして、()()


千鶴が出会った人たちに、想いを巡らす。


愛情、友情、嫉妬、羨望。

喜びや哀しみも、全部、全部、大事な感情。


愛する人を待ち続けた斑の姫。

唐錦の親への愛、そして権大納言たちの愛。

優しかった藤袴は、内に、人を呪うほどの嫉妬を抱え、反対に、千鶴を下賤な者と見下していると思っていた藤原中納言にも、違う顔があった。


そういうものを千鶴は知った。


たくさん、知った。


そして、そういう愛情を、千鶴も抱いた。


世界と一つになるんじゃない。

千鶴も、世界の一つになるんだ。



不思議だ。

さっきよりも、強い力が湧いてくる。


刀の一振りごとに、影は消え、雲は晴れ、橙色の空が広がる。

いつの間にか、日が暮れ始めている。

雲間に見えるは、黄昏の空。


「なっ・・・何をしているっ!どうした、オロチ?」


頭中将の狼狽した声が、遥か遠くから聞こえる。


「もう諦めろ、頭中将!」


それに答える惟任の声。


「あなたがやろうとしていることは、認められない。誰からも。」

「そんなわけは、ないっ!」


千鶴は二人の声に惑わされることなく、ただひたすらに舞を踏んだ。


白拍子は、音楽を使わない。

曲はなく、自分で拍子をとる。「素拍子」が、語源だといわれている。


だから、白拍子は「踊る」のではなく、「踏む」のだ。


拍子を踏む。

舞を踏む。


黄昏の空の下。


黄昏は逢魔が時。

昼と夜の境目には魔が生まれ、交錯する。


魔は、ヤマタノオロチ。そして、それを倒すのはーーー



千鶴は、渾身の力をこめ、一際強く、剣を払った。


最後に残ったオロチの残骸のような黒い影がゆらりと揺れる。


千鶴は、ゆっくりと刀を鞘に収めた。カチンと高い音が響く。と、同時に、影が霧散した。


「馬鹿なっ!」


夕暮れの日が浜を照らす中に、頭中将の悲痛な叫び声がこだました。


「馬鹿なっ!馬鹿なっ!馬鹿なぁぁぁっっっ!」

「諦めろっ!貴方の野望は潰えた!」


惟任が言った。


その惟任ごしに、頭中将が、こちらを見ている。わなわなと震え、顔は驚愕で歪んでいる。


しかし、千鶴は目を逸らさなかった。


「お前さえっ・・・・!!」


頭中将が、惟任の横をすり抜け、千鶴に掴みかかろうと身を乗り出した。


「まだ遅くないっ!お前さえ、あの穴に放りこめば、すぐにオロチは息を吹き返すっ!!」

「やめろっ!!!」


それは、一瞬の出来事なのに、とてもゆっくりに感じた。


躍り出た頭中将を、惟任が止めた。

羽交い締めにし、後ろへ引き剥がす。抵抗する頭中将と揉み合いになった二人は、舞台の手すりを超えーーー


舞台のむこうに消えていった。


「ーーーーっ惟任さまっ!!!」


千鶴は、舞台の縁に駆け寄り、覗き込んで下を見た。


真下には、まだ、オロチが顔を出していた、あの穴がある。黒い影は消えているが、穴はまだ、塞がってはいない。


その暗い穴に、二人は飲み込まれた。


穴から、「グォォォゥ」という咆哮が響き渡る。



惟任さまっ!

惟任さま!!

惟任さまっっっ!!!!



次の瞬間、千鶴は剣の鞘を打ち払っていた。


どうして、そうしたのかは分からない。

咄嗟の出来事だった。


千鶴は、その剥き身の剣を、穴に向って投げつけた。


強く。鋭く。

中に眠るオロチが二度と目覚めないように、その剣を突き立てた。



ドォゥンッッッ!!



大きな音とともに、今までで一番の衝撃が 足元を揺らす。


それは、太古より眠り続けた妖かしの断末魔のように。


次の瞬間、穴から何かが舞い上がった。

そのうち一つが砂浜に落下し、もう一つがどこか遠くに飛んでいった。


ゴゴゴという轟音を立てて、穴が閉じていく。

穴を睨みつけていると、名を呼ばれた。


「千鶴っ!!」


振り返ると、比丘尼と公賢が舞台上に登って来るところだった。


「おばあさま・・・」


そう呼ぶと、比丘尼が涙ぐんだ。


「・・・千鶴っ!!」


駆け寄った比丘尼に、抱きしめられた。

それは、とても温かく、安心するものだった。

自然と涙が溢れて、気づいたときには声を出して泣いていた。


比丘尼が、何度も何度も背中を擦る。


「千鶴。よくやりましたね。」

「・・・公賢さま。」

「オロチは、再び眠りにつきます。」


公賢が、いつもの涼しい顔より、少しだけ優しい顔で笑った。今まで見てきた中で、一番人間味のある表情にも思えた。


「公賢さま!惟任さまが・・・!」


いなくなってしまった。穴に落ちてしまった。

あの優しい笑顔には、もう会えない。


言葉にできず、泣きじゃくる千鶴の前に、公賢は、すっと人差し指を立てた。さっき穴から吹き上げられた何かのうち、砂浜に落ちたほうを指す。


「まずは、あれを、回収に行きましょう。」

「あれ・・・は?」

「頭中将です。」


見覚えのある青竹色の着物が、浜辺で突っ伏している。


「まだ吸収する前だったオロチが、吐き出したのでしょう。」

「・・・では、惟任さまも?」


他にも飛ばされものがあったはずだ。

随分と遠くに投げ出されたように見えたけど・・・少なくとも、オロチからは逃れられたということだろうか。


「きっと、どこかにいるわよ!」


比丘尼が千鶴の背を擦りながら「ねぇ?」と、公賢を振り返る。公賢は希望的観測を口にしない。代わりに、口許が僅かに緩ませた。千鶴を励まそうとするかのように。


「さぁ、後始末をして、皆で都に帰りましょう。」


公賢が歩きだした。


千鶴は、袖口で涙を拭った。

公賢の後について歩きそうとすると、


「千鶴。」


呼び止めた比丘尼が、懐から、いびきを立てて眠る三色の獣を取り出した。


「あなたに、返します。」

「ナンテン!」


千鶴は、ナンテンを両手のひらに乗せた。

そっと顔を近づけると、柔らかな感触が頬をなでた。その体温が、千鶴の張り詰めた心を解きほぐしてくれるようだった。



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