1 白拍子・千鶴
初めての連載。よろしくお願いします。
白い水干(男性用の着物)、緋の袴。
腰には刀、頭の上には立烏帽子。
男装の踊り子、白拍子。
名は千鶴。
女子にしては、凛々しい顔つきに、引き締まった長い手足。
千鶴の踊りは、初めは大胆に大きく。中盤以降、進むにつれて、徐々に細やかで、時に攻め立てるように、時に鋭く追い込んでいく。
その舞は、まるで野の草木を踏んで駆け回る闊達な少年のように、見るものを愉しませる。
◇ ◇ ◇
「おぼこいのぅ。」
扇をパチンと閉じる音ともに、御簾の向こうの声が、ため息混じりに言った。
「なんとも、おぼこい舞じゃ。」
舞を終え、御簾の前で正座をしていた千鶴の固く握られた手に、じわり、と汗が滲む。
おぼこい。
処女い。
つまりは、「幼い」。
さらに直接的な言い方をするならば、「男を知らぬ」。
その言葉の持つ意味と、発した男の、底に潜む意図に、千鶴の頬がカッと熱を持った。
中納言 藤原某。
千鶴の舞を気に入り、よく呼んでくれる贔屓の客。
いつも御簾越しに謁見するその男の顔も本名も、千鶴は知らない。
ただ、霞の向こうから谺するような、抑揚のない高い声だけを知っている。
御簾の向こうから、シャッと空気を切る短い音がした。中納言が、扇を開いたらしい。
その扇で口元を隠して、感情の見えぬ、くぐもった声で言う。
「お主の舞いには、色香がない。朗らかだが、子どもの舞いじゃ。」
的を得た指摘だが、わざわざ口にされるのは、決していい気がしないな、と思う。
中納言が次に言おうとしている話が分かっているからこそ、余計に。
「それで? 先日問うたこと、いかがかな?」
「先日のこと・・・でございますか?」
千鶴の空とぼけたような返しに、中納言から、珍しく感情を孕んだ、「くっ」という下卑た声が漏れた。
「そなたの舞を、この先は、唯、私一人のために披露してほしい、と申してあったであろう。」
あぁ、やっぱり、その話になるのか。
千鶴は拝頭したまま、目を瞑った。その頭に、中納言の声が容赦なく降りそそぐ。
「考えてもみよ。お主にとって悪い話ではなかろう?中納言家の庇護に入ると知れば、師匠の菊鶴も、喜ぶ。」
中納言家の庇護に入る。それはつまりは、己の妾になれ、という誘い。しかも、師匠の菊鶴の面倒も見てやるぞ、というおまけつきで。
千鶴は、もともと孤児だった。
飢饉の年に、飢えて死にかけていた千鶴を拾い育ててくれたのが、師匠の菊鶴だ。
菊鶴は、千鶴に、白拍子としての技術を叩き込んだ。
以降、千鶴は雨の日も、雪の日も、時には菊鶴と、彼女がどこぞの屋敷に呼ばれて不在の時には一人で、ただひたすらに己が舞を研鑽することだけで日々を過ごしてきた。
そうやって、磨いて、磨いて、磨き続けて作った芸事。その評価が、これーーーか。
「私とともに床入れば、色気も増し、その舞、ぐっと艶やかな、映えるものになろう。」
中納言の、あまりに直接的な物言いに、自然と指先に力が入った。
ーーーこの男の妾になる。
師匠の菊鶴の、やや面長で垂れた瞳に、泣き黒子をたたえた艶っぽい顔が脳裏に浮かぶ。白拍子としては、トウの立った年齢だが、未だ現役で、舞を踏んでいる。
親代わりの菊鶴は、唯一の家族。菊鶴への恩は計り知れない。その恩を返したい、という気持ちはもちろんある。
ーーーけれど、
菊鶴が、いつまで、そんなふうに踊れるだろか、と心配な気持ちになる気持ちもある。
けれど、やっぱり・・・
千鶴は深呼吸を一つしてから、先程より深く、頭が床に擦りそうなほどに、頭を下げた。
「中納言さまのお申し出、身に余る光栄と存じます。」
「うむ。」
中納言は、珍しく機嫌良さげに応じる。
それを制するように千鶴は、「ですが、」と言葉を継いだ。
軽く頭をあげて、御簾の向こうをじっと見つめる。目はそらさずに。
「ですが、まだ、お受けするべきかどうか、気持ちを決めかねております。師匠の菊鶴とも、よく相談してと考えておりますが、何分、近頃は、菊鶴も出ていることが多く・・・。」
はっきりと断るには、身分の差から、角が立ちすぎる。しかし到底、受け入れる気にはなれない。この男に抱かれることを想像しただけで、全身の毛が、ゾワリとよだつ。
玉虫色の返事で躱すと、中納言は、黙り込んだ。
機嫌を損ねただろうか。もう、ここには呼ばれないかもしれない。
覚悟の上ではあったのだが、やがて、先ほどまでと同じ、抑揚のない声が、「そうか。」と返ってきた。
感情が読めないが、特別、落胆しているようにも聞こえない。
「今しばらくは待つ。よき返事を期待している。」
「・・・・・申し訳ありません。」
中納言は、扇を再び、ぱちんと閉めた。
「下がってよい。」
御簾の向こうで、中納言が腰を上げる気配がした。
千鶴は、中納言が去るのを、そのまま、頭を床に擦るようにして待った。
その中納言の姿が、屋敷の奥に消える瞬間、御簾ごしに、吐いて捨てるように言った言葉が、耳に飛び込んできた。
「所詮、白拍子など遊女が類。待っている間に華の盛りが過ぎてしまわぬようにな。」
最後に、ぞんざいに投げ捨てるように放たれた嫌味に、千鶴は、ギュッと目を瞑った。
若い今だからこそ、誘いをかけるのだ。年をとらぬうちに、返事をせよ、と言いたいのだろう。
千鶴は、頭を下げたまま、その蔑みが通り過ぎていくのを、じっと待った。
今日中に、もう1話、投稿します。
改稿しました。(構成を変えただけで内容は一緒です。)R3.12.15