二人の準備
「おめでとう。次の遠征に参加することになったぞ」
にこやかな雰囲気で、ラットンさんは赤ん坊に語りかける。
そっちは俺たちじゃないんだけれどな。と、思いつつ来たるべき時が来たことを喜んだ。ついにちゃんとした遠征に参加できる。一年以上、夢見ていた舞台へいけるんだ。
「行き先は極寒の地、スノーバール。大型の魔物が多く徘徊する危険なエリアだ」
「極寒の地……」
一番に反応したのはトウカだった。
スノーバールは常に気温が氷点下だ。吹き抜ける風は身を裂く思いをするほど冷たく、対策もなく雪の中を歩けば凍傷で指先が腐り落ち、走ろうものなら肺が凍ってしまい、血を吐いて死にいたる。
魔法のデメリットで体温が上がる俺にとって、その環境は大した脅威じゃない。でも体温が下がってしまうトウカにとって、スノーバールはほかの隊員以上に危険で過酷な土地だった。
「初っぱなでトウカには辛い遠征になるだろう。不安なら見送ることもできるが、どうする?」
「もちろん、参加します」
トウカは即答した。
「遠征先が私にとってどれだけ不利な土地でも、与えられた任務をこなしてみせます」
「トウカ」
そう名前を呼ぶと、トウカの鋭い視線が返ってくる。
もしや自分の都合で遠征を先延ばしにはできないと、気を張っているのではないかと思ったけれど。その目からは確固たる強い意志が見て取れた。遠慮や配慮、責任感の表れからくる言葉ではないと、そう理解させられる。
「わかった――俺からもお願いします」
向き直って俺からも参加の意思を伝える。
すると、ラットンさんは気をよくしたように、にっと白い歯を見せた。
赤ん坊に指を甘噛みされたからかも知れないけれど。
「それでこそ俺が見込んだ遠征隊員だ。名簿にお前たちの名前を書き込んでおこう。出発の日時は追って知らせる。それまで各自必要な準備をしておけ、領収書を忘れるな」
こうして俺たち二人の初遠征先が決定した。
二歳三歳の子供が駆け回る託児所――ではなく、ラットンさんのオフィスをあとにした俺たちはその足で街へと繰り出し、必要な物資や装備を揃えるべくとある店に足を運んだ。
「ここか……」
そこは遠征隊員のために用意された遠征隊専門店。あらゆる土地に向かい、魔物と戦闘をこなす隊員のため、その品揃えは多岐に渡り、ここで揃わないものはないと言われるほど物資と装備が豊富に取り揃えられている。
一年以上も遠征隊員をしている俺も、今まで縁がなくて入ったことがない。
ここで装備を整えることが密かな憧れだったこともあり、トウカに気取られないよう心を躍らせながら入り口の扉を開いた。
「――こりゃ凄いな」
ずらりと並ぶ商品の数に圧倒されるのはもちろん、視線を持ち上げると吹き抜けになっていて、広い空間に商品の見本が無数に浮かんでいる。
それを目印にして店内を歩いていると、お目当ての防寒着の類いが宙に浮いているのが見えた。その真下を目指して歩くと、簡単に陳列棚へと辿り着くことができた。
「防寒着って言っても結構な種類があるんだな」
目の前には機能性を重視したものや、防寒の一点に力を注いだもの、雪に紛れる白を基調としたものや、逆に目立つ色彩のものもある。
どれも一長一短があってなかなか悩ませてくれる商品ばかりだ。
「俺は多機能な奴が……いや」
珍しくデメリットが有効に働くとはいえ、外気温でデメリットを相殺できる訳じゃない。
当然のように体温は上昇するし、連続で使えば簡単に危険域まで温度は上がる。トウカがいなければ、たとえ吹雪の最中であっても熱さで命を失うだろう。
俺の魔法によって生じるデメリットは、それほどまでに重いものだ。
甘く考えていると足元をすくわれる。
「トウカは決められたか?」
「えぇ。一応、候補は二つまで絞り込めたわ」
商品に手が伸ばされ、二着が手繰り寄せられる。
「防寒重視の奴と、雪迷彩の奴か」
俺も商品に手を伸ばして色々と確認をしてみる。材質や機能性、丈夫さ、ポケットの数、厚み、軽さ、ほかにも諸々と調べて自分の中で意見を整理していく。
「うーん。どうだろうな」
顎に手を当てて思案する。
「トウカのデメリットを考えると防寒重視がいいように思うけど、これ動きづらいよな」
防寒に重点を置かれた商品は、その性質上、生地の厚みが増してしまう。
どうしても魔物との戦闘が前提にあるため、動きを阻害してしまう要素はなるべく排除するのが無難だ。その点で言えばこの厚手の防寒着はトウカに向いていないように見える。
とはいえ、確かめることも大事だ。
「ちょっと着てみてくれるか?」
「えぇ」
元から着ていたコートともう片方の商品を預かり、トウカは厚手の防寒着に袖を通す。
その様子ですら着づらそうに見えた。
「あぁ、これはダメみたい」
見ていてわかるほど、もこもこしている。
筋骨隆々な体格ならなんてことはないかも知れないが、華奢な体つきのトウカでは十分に動けない。腕の可動域も狭まっているようだし、これではすぐに魔物の餌食になってしまう。
「やっぱり、こっちかな」
厚手の防寒着を棚に戻し、改めてコートを羽織るトウカ。
その間に雪迷彩の防寒着についてもう一度、考えてみる。
「材質もしっかりしてるし、保温性も問題なさそうだな。ただ……」
商品棚に目をやり、目立つ色彩の防寒着を手に取る。
「雪迷彩だと戦闘中にトウカを見失うかも」
「……そう、ね。雪に紛れることが前提だもの。でも、目立つ色だと」
「そう、逆に魔物に狙われやすい」
定期的に触れ合わなければならない以上、見失いかねないという問題は非常に大きい。
トウカを見失いデメリットの相殺が上手く行かなかった場合、それは俺たちの死を意味するに等しい。いざと言う時に見失ってました、では話にならないのだ。
かと言って目立ってしまうと集中的に魔物に狙われてしまう。スノーバールという極寒の土地では、通常通りの動きは叶わないだろう。そうなるとトウカに掛かる負担が大きすぎる。
なかなかどうして難しい問題だ。
「――いや? でも、俺も同じのを着ればいいのか」
「え?」
商品棚からもう一着、目立つ色の防寒着を手に取る。
「二人で目立てば寄ってくる魔物を二等分できるだろ? 互いの位置も把握しやすくて都合がいい」
「でも、それだとカガリにも負担が」
「べつにいいさ、それくらい」
雪迷彩の防寒具を棚に戻しながら言葉を続ける。
「今回はトウカにとって不利な遠征先だ。だから俺がトウカに合わせるよ。逆に俺に不利な土地が遠征先になったら、今度はトウカが俺に合わせてくれ。それでいいだろ?」
「本当に……それでいいの?」
「あぁ。ただでさえデメリットを押しつけ合ってるんだ。今更、多少の負担が掛かるくらい、どうってことないよ」
なんてことを戯けていうと、トウカはすこしの間だけ沈黙する。
「……そう、わかった」
改めてトウカと目と目が合う。
「あなたを頼るわ、カガリ」
「おう、任せときな」
こうして俺たちは揃って同じ防寒着を買い、その他もろもろの物資や装備を購入した。
会計の際、しっかりと領収書をもらうことも忘れない。何度か確認して買い忘れもなく、これで完璧と店を出ようとしたところ、ちょうど入り口の扉を開けて入ってくる遠征隊員が見えた。
まず隊服が目に入り、その次にその誰かの顔を見る。
「あっ」
見知った顔で思わず声が出た。
「ん? あぁッ!?」
それに反応して奴がこちらを見る。
その瞬間、早足になってずんずんとこちらに迫ってきた。
一瞬、逃げようかとも思ったけれど、そうするのも変だと思い、大人しく奴を待つ。
その早足は俺の至近距離で立ち止まった。
「カガリ! どうしたんだ、こんなとこで!」
このやかましい男の名前はウェイン、俺と同期で出世街道をひた走る優秀な遠征隊員だ。
まさかここで鉢合わせになるとはな。