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二人の初陣


 使い古した隊服に袖を通し、腰から手拭いをぶら下げる。

 外出の準備を整えた俺は誰もいない部屋を見渡して戸締まりを確認して社宅を後にした。玄関の鍵を閉めて通路の手すりに足を掛け、地上五階から跳躍して向かいの屋根へと着地する。

 そのまま屋根から屋根へと渡り歩いて近道をしつつ、早朝のまだ人気のない街を横断する。なにも変わらない日常。ただ一つだけ違うのは同行する相手がいるということだけ。


「よう。待たせちまったか?」


 待ち合わせ場所である大門前の噴水広場へと辿り着くと、先に来ていたトウカの姿が見つけた。

 コートにマフラー。これから暑くなる季節だというのに、相変わらず真冬のような服装をしている。目立っていて見つけやすいが、こちらとしては見ているだけでも体温が上昇しそうだ。


「べつに、それほど待ってないわ」


 トウカはそっけない返事をして噴水の縁から立ち上がり、眺めていた携帯式の端末をしまう。


「なら、よかった。じゃあ行くか」


 手を組んで早々の初陣、不安もあるが今は期待のほうが大きい。

 本当にデメリットを相殺できるのか、長く戦っていられるのか。その証明がついにできるかと思うと、うずうずしてしまう。そんな希望を胸に、トウカを連れて大門へと向かった。


「なんだ、彼女連れか?」


 当然のようにからかってくる顔見知りの番兵に、今だけは腹が立たなかった。


「見てろ、すぐに戻ってくるからな」

「お? おう」


 予想外の返答だったのか、番兵は首を傾げる。

 俺はその目の前を通り過ぎ、大門を潜って外の世界へと足を踏み出した。



「遠征隊に入ってどれくらい経つ?」


 燦々と輝く太陽の下、風に靡いて波のように揺れる草原を渡りながらトウカに問う。


「正式に入隊したのは一週間前よ」

「一週間前?」


 正直、以外な解答だった。

 トウカも俺と同じくらい不遇な時を過ごしているものと思ったけど。


「師匠がなかなか許可を出してくれなくて」

「なるほど。でも、そいつは幸運だ。俺は隊員になって一年以上、燻ってたからな」

「幸運、ね」

「うん?」

「いいえ、なんでもないわ」


 話を断つように言葉を句切り、トウカは視線を逸らす。

 不自然な切り上げ方だったけれど、俺も特に深く聞こうとは思わなかった。


「じゃあ、こうやって城壁の外に出るのも初めてか」

「そうね、単身――いえ、この少人数で街を出るのは初めて」

「なら、まだ勝手がわからないだろ? わからないことがあったら聞いてくれ」

「えぇ、その時が来たらそうさせてもらうわ」


 微妙に会話が続かない。まぁ、会ったばかりならこんなものか。

 親睦はこれから深めていけばいい。互いにこれ以上ないほどに相性のいい相手だ。きっと打ち解けられる。そんなことを頭の片隅で考えつつも周囲への警戒は怠らない。

 視覚情報はもちろんのこと、音や匂いにまで集中して歩き続ける。


「ん」


 そうしていると不意に嫌な匂いがした。

 血の臭いだ。

 そうとわかるとすぐに身構えた。側でトウカも臨戦態勢を取る。


「気づいたか?」

「えぇ、どこかで狩りが成功したみたい」


 次に風の音に紛れて、低くぐもった悲鳴が聞こえてくる。


「聞き慣れた声だ。魔牛まぎゅうだな」

「……魔石にならないように、生きたまま食べているのよね」

「あぁ、たぶん魔狼まろうだろうな。あいつら殺さずに食うのが上手いから」


 この一年間、何度も目にしてきた光景だ。

 動きが鈍くて大人しい獲物を集団で襲い、生きたまま食らう。奴らはまず四肢を噛み砕いて動きを封じ、急所を避けて牙を突き立てる。なまじ体格が大きい分、魔牛はなかなか死ねない。

 長い時には十数分、悲鳴を上げ続ける。


「――見つけた」


 姿勢を低くして血の臭いを追うと、まさに魔狼が獲物を食っていた。

 数にして六体。獲物である魔牛はまだ生きていて悲鳴を上げている。それは先ほどよりも弱々しい。もうすぐ食事の時間も終わりになるだろう。そうなる前に仕掛けたいな。


「魔物を殺したことは?」


 魔狼たちから視線を話すことなく、トウカに問う。


「経験済み」


 隣に来たトウカは答える。


「泣いた?」

「……えぇ」

「なら、大丈夫だな」


 魔物の命を奪うことに抵抗はない。

 それは流した涙と一緒に拭い去っているからだ。


「俺が突っ込んで何体か仕留める。討ち漏らしを頼めるか?」

「いいわ、任せて」

「よし、行くぞ」


 草むらから飛び出し、一息に魔狼たちへと接近を試みる。

 肉薄寸前のところで、野生の勘なのか、優れた嗅覚のお陰なのか、こちらの存在に気がつかれてしまったけれど。ここまで近づけたのなら関係ない。


心火を燃やして(ブレイズアップ)


 両手に炎を宿し、もっとも近くにいた魔狼の顔面に拳を振り抜いた。


「ギャンッ」


 短い悲鳴を上げて吹き飛ぶ魔狼。しかし、それで油断はしていられない。すぐさま背後に回り込んでいた二体目の魔狼へ、振り向きざまの裏拳を叩き込む。

 肉が焼け、骨が砕け、牙が折れる。顎が外れた魔狼はそのまま地面に転がった。

 三体目、それはすでに俺の頭上にいた。強靱な四肢による跳躍は、人間の身長などたやすく越えていた。けれど、相手が空中にいるならそれは俺にとって恰好の的だ。

 魔狼の影で位置を把握し、天に向けて手の平を掲げる。火花が散り、炎が猛る。それは火炎放射となって空へと上り、三体目の魔狼を焼き尽くした。


「あとは……」


 四体目が襲ってこない。状況を見て、すぐに視線をトウカへと移した。

 見えたのは草原を駆ける三体の魔狼。奴らが目指しているのは当然トウカだ。


「ウォオオオオオオオッ」


 雄叫びを上げ、トウカへと襲い掛かる魔狼たち。

 すぐ近くまで迫った死の危険に対し、彼女の対応は完璧に近いものだった。


解けない想い(フローズン・ワード)


 冷気を地面に這わせて二体の魔狼の四肢を凍てつかせる。同時に凍てついた地面から氷柱つららが飛び出し、腹部から背中へと突き抜けた。

 命を散らした二体と違い、寸前のところで地面を蹴っていた最後の一体。それはトウカを中心に旋回すると、側面から飛び出して牙を剥く。

 だが、それも呆気なく迫り上がった氷壁に阻まれ、牙を折ることになる。

 とどめは確実に、放たれた冷気が魔狼を包み込み、肉体のすべてを凍てつかせた。


「あっつ……」


 トウカの活躍を見届けると魔法のデメリットがやってくる。

 急激な体温上昇によって汗が噴き出し、息が苦しくなる。体を動かすのも若干気怠い。

 腰から提げていた手拭いで汗を拭いつつ、トウカのもとへと歩み寄った。


「初めてとは思えないくらい冷静だったな」

「このくらいのこと、どうってことないわ」


 とはいえ、トウカにも魔法のデメリットがしっかりと生じていた。

 寒さからくる震えに始まり、赤く染まる指先、血色の引いた肌、白く色付いた吐息、強がる声音にさえその影響が見て取れた。


「じゃあ、試してみるか」

「えぇ」


 互いに手を差し出して握り合う。

 トウカの手は思ったよりも冷たく、氷嚢を握っているようだった。

 そこから互いに、自らに生じたデメリットを押しつけ合う。


「うおっ」


 手の平を介して、冷たい感覚が這い上がってくる。骨の髄から冷えていくような、冷たい血が流れてくるような、そんな形容しがたい感覚に包まれた。

 それはやがて全身に行き渡り、上昇していた体温が急激に下降する。一分もすれば完全に俺たちは平熱へと戻れていた。


「すごい……」

「だな。ここまでとは……」


 汗も引き、息苦しさもなくなり、倦怠感もなくなった。

 トウカも体の震えがなくなり、肌の血色も戻っているようにみえる。息も透明だ。


「一戦闘につき休憩を十分から二十分、それが当然だったんだけどな……ははっ」


 あまりの効果に笑いが出てきてしまう。

 本当に凄い。


「でも、平熱まで上げるのに一分ほど掛かるのなら、戦闘の最中にというのはすこし無謀ね」

「そう言われてみれば……そうだな。これまでを考えると贅沢な悩みだけど」


 やはり握手程度の接触では瞬間的に、というのは無理そうだ。


「やっぱり……」

「やっぱり……」


 不意に言葉が揃い、反射的に口を噤んだ。

 なんとなく気まずくなって、互いに視線を逸らし合う。

 考えていることは同じだった。握手で一分なら、抱き締め合えば恐らく一瞬だ。

 ただまだそれを試すのは今じゃないと思う。そう思ってしまう。

 そんな急に、ハグまではいけない。


「おっと、そうだ。魔石を回収しないと」

「えぇ、そうね」


 話題を変えて魔石の回収を始めた。

 それぞれが討伐した魔狼はすでに魔石に変わっている。草原に転がる魔石を拾い集め、三つの魔石を雑嚢鞄にしまった。


「あぁ、そうだ」


 回収作業が終わると視界の端に横たわる魔牛の姿が映る。

 まだ魔石になっておらず、衰弱しているが生きているようだった。


「この傷じゃ、もう助からないな」


 魔牛は基本的に無害であり、取れる魔石も少量だ。魔石目的で魔牛を狙うことはない。

 けど、この魔牛は俺が終わらせてやろう。なにも死ぬまで苦しみ続けることもない。

 右手に炎を灯し、魔牛にとどめを刺した。


「あっつ」


 地面に転がった小さな魔石を拾い上げて、次の魔物を狩りに向かった。



 それから魔物狩りは続き、そのたびに俺たちはデメリットを押しつけあった。


「両手を繋いでみるか」


 たしかにデメリットの相殺に必要な時間は減った。

 けれど、やはり戦闘中となると話はべつだ。両手が塞がった状況を数十秒も維持するとなると現実的じゃない。


「腕を組むのはどうかしら」


 これも悪くなく、時間短縮にはなった。

 ただその性質上、動きを大きく制限されてしまうことになる。

 これもまた現実的ではなさそうだった。


「俺がトウカを抱き抱える、とか?」


 問題点だった接触面積もこれなら解消できる。

 しかし、一方が負担を強いる形になることに納得がいかないと、トウカの同意は得られなかった。

 そうしてああでもない、こうでもないと試行錯誤を繰り返した結果、俺たちは最終的に一つの答えに辿り着く。


「これなら現実的かも知れないわね」


 すぐ後ろからトウカの声が聞こえてくる。


「あぁ、これなら戦闘中でもどうにかできそうだ」


 俺たちが導き出した解答は、背中合わせ。

 これなら戦闘中の再現も容易で接触面積も確保できる。なにより自然で、数秒で体温を平熱に戻すことができる。

 昨日会ったばかりの俺たちからすれば距離感的にも最適解だった。


「よし、魔石もこれでノルマ達成だな」


 試行錯誤するうちに魔石の数も目標に届き、普段より随分と速くノルマを達成できた。


「今何時くらいだ?」

「九時半よ」

「まだ三時間半しか経ってないのか……凄いな」


 朝六時に出て、ノルマを達成し終わるのが午後一時頃くらい。

 約半分ほどに時間短縮できている。試行錯誤に費やした時間を除けば、もっと短縮できているはず。そう考えるとやっぱりトウカの存在はとても大きい。彼女が現れなかったら、恐らく俺は一生、遠征なんて出来なかっただろうな。


「ありがとな、トウカ」


 そう言うと、急だったからか驚いた顔をした。


「急になに? ……あぁでも、そうね。私からもありがとう、カガリ」


 そのやり取りがどこか可笑しくて、二人同時に小さく笑ってしまった。


「よっし、帰るか」

「えぇ、ラットンさんに報告しましょう」


 魔石でいっぱいになった雑嚢鞄を引っさげて、俺たちは帰路につく。


「お? やけに速いな。今日はもうオーバーヒートか?」


 からかってくる番兵に対して、腰の雑嚢鞄を軽く叩いて答える。


「終わったんだよ、今日のノルマは」

「は? いや、だっていつもは……」


 不可解そうな顔をしつつも、視線は雑嚢鞄に一直線だ。


「あんたとこうやって話すのも最後かもな」


 そう言いつつ、番兵の前を横切った。


「なんなんだ? いったい?」


 そこの言葉を背中に受けながら、俺たちはレイクイーンに戻ったのだった。

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