二人の偶然
初の本格的な遠征を終えて、俺たちには休暇が与えられていた。
何日も掛けて遠い僻地へと向かい、命懸けの戦闘をこなして魔石を持って帰ってきたんだ。蓄積した疲労は軽いものでは決してない。きちんと体を休めて次の遠征に備えるのも遠征隊員としての仕事のうちだ。
「ありゃ、なーんにもない」
冷蔵庫を空けてみるとすっからかんになっていた。
遠征明けの疲れで買い物にも行ってなかったしな。
「レトルト……カップ麺……」
冷蔵庫を閉めて棚に目をやるも在庫なし。
いまこの部屋に食べられるものはなにもなかった。
「面倒だけど、買いに行くか」
遠征明けは出不精になると言われているけれど、本当のことだった。
これだけ外出を億劫に感じたことはない。でも、流石に空腹には勝てないので、諦めて買い物に出かけよう。重い足取りながら準備をし、財布を手に取ると社宅をあとにした。
いつものように屋根伝いに移動し、適当なところで道路に下りる。
動くと余計に腹の虫が鳴って敵わないな。
「よう、カガリ」
腹に手を当てつつ歩いていると、前方から胴着を着た男性に声を掛けられる。
「ん? あぁ、師範」
その人は俺がたまに顔を出している剣術道場の師範だった。
胴着の袖から伸びる手だけを見ても、鍛え抜かれた肉体の片鱗が窺える。
「聞いたぞ。やっと遠征に参加できたんだってな」
「えぇ、お陰様で。ようやくです」
「よかった、よかった。これから忙しくなると思うが、たまには同情に顔を出すんだぞ。あと――」
「鍛錬は欠かすな、でしょ? もう耳にタコができるくらい聞いてますよ」
「はっはっはっ、わかっているならよし! じゃあ、頑張れよ! カガリ」
「いてっ」
すれ違い様に俺の背中に張り手を食らわせて師範は去って行った。
悪い人じゃあないんだけれど、豪快すぎる人だなと改めて思う。
気合いを入れらて、背中がすこしひりひりした。
「次の遠征が決まったら顔を出してみるか」
すでに小さくなった背中を眺め、視線を正面に戻して止まっていた足を動かした。
デパートはもうすぐそこだ。
§
「んー」
買い物かごを片手に思考を巡らせながら店内を歩く。
悩みの種は今晩の献立だ。
なににしよう、どうしようと、陳列された商品を眺めていく。
「まぁ、とりあえずカップ麺か」
在庫が切れていたカップ麺をいくつか買い物かごに入れてその場を離れる。
「あ、スナックもなかったっけ」
吸い寄せられるようにスナック菓子の並ぶコーナーへ。
定番なものから変わり種まで多種多様なスナック菓子が目に映る。
やはりここは無難に甘いものにしておこうか? あぁ、でもさっぱりした味のものもいい。ああだこうだと考えつつ気になった商品に手を伸ばし、ふと気がつく。
「なにしてんだ? 俺」
カップ麺にスナック菓子。
思考回路がまるっきり子供だ。
ダメだなぁ。こういう所は直していかないと。
「まぁ、でも、とりあえず買っとこう」
止まっていた手を伸ばしでスナック菓子を買い物かごに入れ、今度こそ食材のコーナーへと爪先を向けたのだった。
「さて、帰るか」
会計を済ませてデパートの出口に向かって足を進める。
「今日は鍋だな」
鍋の季節ではないけれど、遠征先が極寒の地だったからか、食材を眺めていると無性に鍋が食べたくなってきた。具材を煮込んであらかた食べたら雑炊で締め、そう考えると腹の虫も期待し始めたのか、主張が激しくなる。
誰かに聞かれないうちに帰りたいものだ。
「買い忘れはないよな……」
まだ引き返せるうちに改めて確認しておこうと立ち止まって買い物袋の中身を確認する。
「――うわっ」
不意にそんな声が聞こえて、足に小さな衝撃が走る。
何事かと振り返ると小さな男の子が尻餅をついていた。
どうやらぶつかってしまったみたいだ。
「悪い、大丈夫か?」
膝を折り曲げてそう尋ねる。
子供は俯いて目を自身の手元に落とした。両手で握られていたのは缶ジュース。ぶつかった時にこぼれてしまったのか、オレンジ色に濡れていた。
「ぼくのジュース……」
「ごめんな。こぼしちまったか」
さて、どうしたものか。
今にも泣き出してしまいそうだ。
「ナオトっ」
迷っていると誰かの名前を呼ぶ声がした。
「おねぇちゃん」
それに反応した子供が振り向くと、その視線の先に姉が現れる。
艶のある黒髪に紅い瞳の少女。その容姿にはひどく見覚えがあった。
「トウカ?」
「カ、カガリ……?」
ジュースをこぼしてしまった子供の姉はトウカだった。
いつもの隊服に厚手のコート姿ではなく、マフラーも巻いていないラフな格好をしていた。いつも見ている格好と違って私服だったから、一瞬誰だかわからなかった。
「ど、どうしてカガリがここに?」
「いや、夕飯の食材を買いに来たんだけど」
「そ、そう」
動揺を隠しきれないのか、当たり前のことに当たり前の返答をしてしまう。
「あぁ、それより。悪い、この子のジュース、こぼさせちまった」
「ジュースを? ナオトっ、だから走っちゃダメって言ったのに」
「ご、ごめんなさい……」
「ま、まぁまぁ」
更に泣き出してしまいそうになるナオトの両脇を掴んで持ち上げて肩車をする。
ここで泣かれてしまうと色々と面倒で厄介だ。
「俺が急に立ち止まったのが悪いんだ。許してやってくれ」
「ダメ。いつも言っているのに走るんだから、きちんと言い聞かせないと」
意外と弟に対して厳しい。
吹雪の中の洞窟で聞いた限りだと、弟たちを溺愛していそうだったのに。まぁ、厳しくするのも愛の一種か。
「もう走らないよな?」
そう聞いてみると、ナオトは全力で首を縦に振る。
「ほら、こうしてることだし、な?」
「……はぁ、わかったわ。そこまで言うなら今日だけよ」
「だってさ、よかったな」
「わーい!」
喜ぶナオトを下ろして、とりあえずは一段落がつく。
涙も引っ込んだようで何よりだ。
「あぁ、そうだ。新しいジュースを買わないとな」
「えっ、いいの!」
「あぁ、好きなの選んでいいぞ」
そう言ってあげると、ナオトは目を輝かせた。
「やったー! はやく、はやく行こー!」
「おっとっと」
手を引かれて自販機へと引っ張られる。
「あっ、二人とも!」
その後をトウカが追い掛けた。
「――どれにしようかなー」
自販機の前でうろうろとするナオトを、俺たちは並んで見守っていた。
「ここまでしなくてもいいのに」
「ここまでしたほうが俺はスッキリするんだ。このままだと子供からジュースを取り上げたみたいになっちまうだろ? 良心が痛む」
「難儀な性格をしているわね」
「そうか?」
自分ではそうは思わないけど。
「このあと、私の家に来てくれる?」
「ん?」
意図が汲めずに小首を傾げる。
「ジーンズ。ジュースで汚れてる」
「あ、ホントだ」
こぼれたジュースが掛かっていたようで、局所的にしめっている。
「洗うから、来て」
「いいよ、別にこれくらい」
「ダメ。私の気が済まない」
「ほら、買った食材とかもあるし」
「なら一度、家に帰ってから来て」
「そこまでして?」
一度、家に帰ったら洗濯機に突っ込むだけなんだけれど。
なかなかどうしてトウカは頑固者だった。思えば出会った当初から、その片鱗が見え隠れしていたような気がする。俺だけに負担を掛けるのは嫌だって言っていたし、譲らなかったからな。
「んー」
どうしたものかと思考を巡らせていると、ふとトウカのもつ買い物袋が目に止まった。
透けて見える食材は偶然にも俺が買ったものと似たようなものばかり。
「ちなみに夕食はなににするんだ?」
「なに? 急に……鍋だけど」
「ははっ、そいつはいい」
考えていることはトウカも同じだったか。
「なら、台所を貸してくれないか? それならこのままトウカの家までいくよ」
「台所を?」
「俺も今日は鍋にしようと思ってたんだ。ついでに晩飯も食っていく」
まぁ、ここまで言えば流石のトウカも引くだろう。
そう思っていたけれど。
「わかった、それでいいわ」
「いいのかよ」
トウカは俺の想像を超えた頑固者だった。




