病院の寝間着女
この夏は猛暑で、足の遅い台風で予定は狂ってうんざりしてます。
同じ気分の貴方に、ささっと読める、ホラーを捧げます。
短い時間つぶしになれば、幸いです。
「成瀬リカですけど、……まだですか」
リカは、受付に声を掛けた。
CT検査室の受付は、小さな窓が1つだった。
白いカーテンが垂れ下がっていて、中は見えない。
「お待ち下さい」
抑揚の無い女の声。
姿は見えない。
「20分待っているんですよ、私ひとりなのに、遅すぎません?」
地下の狭い廊下に、リカの声は響いた。
「……お待ち下さい」
同じ声が答える。
リカは不快で、「ちっ」と舌打ちを聞かせる。
(受付で20分。検査待ちで20分、検査終わって40分経過。クソ病院なう)
ツィートで憂さ晴らしするしかない。
自撮り写真もアップする。
ブラウスは水色でピンクの水玉。
黒のミニスカートは二段フリル。
茶髪でツインテール。
メイクも完璧
ネイルは水色に小さい金魚。
小柄で痩せている。
だから、十代に見えると思っている。
実際はアラサーだけど。
先週、咳が止まらなくて近所の内科へ行った。
レントゲンを撮ると、肺に白い影があった。
CT検査が必要だと、言われた。
リカは
昼間タレントスクールに通い、
夜は週四日、キャパクラでバイトしている。
どちらも休みたくない。
この病院なら午後8時の予約でもOKだと
紹介してくれた。
大病院だが、建物は相当古い。
駅から送迎バスで30分。辺鄙な場所に建っていた。
SNSをチェックしていたが、
眼が疲れ、眠くなる。
欠伸ばかり出る。
「あーあ、サイテー。咳止まったし、ただの風邪に決まってる」
大きな声の独り言に
「フッ」と、笑い声
「えっ?」
気のせいだと顔を上げる。
すると、
隣の長いすに
人が。
目に入った瞬間、
「うっ」
と声が出てしまった。
薄気味悪い。
何、着てる?
浴衣、じゃない。
今時、ガーゼの寝間着?
病院のスリッパ。
大きな茶色のキャリーバッグ。
今から入院する人かと思う。
近くに座っているのに顔がハッキリ見えない。
廊下が暗い。
妙に暗く感じる。
気のせいでは無い。
照明が落ちている。
「あの、ちょっと、急に暗くなったんですけど」
窓口へ、言う。
返事が無い。
「誰かいませんか」
大声で言う。
すると、
窓の、向こう側の明かりが消えた。
「なんで? 私、まだ待っているんですけど、」
叫んでも、返事は無い。
何かの手違い、と思った。
此処にいても仕方ない。
とにかく、総合受付に行こう。
文句を言おう。
ところが、
エレベーターのドアが開かない。
ボタンを押しても反応しない。
「最悪」
階段を捜す。
見当たらない。
廊下の先はエレベーターで、
もう一方は検査室のドアだ。
あの、気味悪い女は、なんで平気?
薄暗いのに
寝間着の、赤い彼岸花のガラだけが、
くっきり見える
検査室のドアを開ける。
中は真っ暗。
人の気配が無い。
「なんか、変。ここに居た人、どこへ行ったの?」
暗い部屋に足を踏み入れた。
背後でドアが勝手に閉まった。
真の闇。
叫ぶ。
声が出ない
息を吸うのを忘れている
ひいひい苦しい。
意識が遠ざかる
「成瀬さん、起きて下さい。終わりましたよ」
誰かの声。
自分は眼を閉じて、横になっているらしい。
瞼を通して明るいところにいるのだと分かる。
鼻からしっかりと息を吸い込む。
苦しくない。
安心して目を開ける。
すると、検査室の中だった。
「あ、なんだ」
夢、だった。
検査中に眠ってしまったらしい。
検査用の服を着て、仰向けで検査台に乗ったまま、
凄いリアルで怖い夢、見たのか。
着替えを済ませ、明るい廊下に出る。
1分も経たないうちに、名前が呼ばれ、カルテが渡される。
「総合窓口で清算して下さい。今日はそれで終わりです。結果は2週間後に……」
と説明してくれる。
「はい」
エレベーターに向かう
その時、
長いすの前に
キャリーバッグがあるのを見た。
それは、短い夢でみた茶色いバッグだった。
(記憶は無いけど無意識に目に入っていて……夢に出てきたのかな)
エレベーターで1階へ行く。
広い待合室は空いていた。
精算するのに時間は掛からなかった。
支払いを済ませ、
帰ろうとしたら、
声を掛けられた。
「あの、お忘れですよ」
清掃係の女が側に立っている。
三十代のふくよかな体格の女だ。
「バッグを、お忘れですよ」
と。
みれば、
さっきの茶色いキャリーバッグが、
有るではないか。
……どうして?
……誰かが持ってきたの?
……誰が?
「わ、私のじゃ、ありません」
どうしてだか
夢で見た
寝間着の女が、頭に浮かんだ。
彼岸花の柄まで鮮明に。
そして、
あの柄を、
どこかで見た、と思う。
どこで見たのか?
気になる。
待合室の椅子に座り、
スマホで検索する。
<彼岸花の寝間着>、と
すると
「昭和の未解決事件」
がヒットした。
昭和33年8月18日
入院中の山田美和さん(28才)が失踪。
キャリーバッグも消えていた。
午後8時
夕食後の検温時にはベッドに居たと看護師が証言。
9時の消灯時に、ベッドは空だった。
病室は6人部屋だった。
他の入院患者5人は美和さんが部屋から出るのを見ていない。
ナース室には常時スタッフが居た。
誰も美和さんの姿は見ていない。
午後8時から9時まで僅か1時間の間に忽然と消えたのだ。
情報提供のポスターに、失踪当時の絵が描かれている
寝間着は彼岸花の柄だった。
キャリーバッグは……革製の茶色。
山田美和は身長155センチ、体重は42キロ。
全身癌の末期で、モルヒネで痛みを抑えていた。
リカは、このサイトは前にも見たと、思い出す。
「そうだよ、この事件、知ってるよ。N市、って此処だけど……病院の名前が違う。あ、……でも、窓から池に飛び降りた可能性があるので……池を捜索したが見つからない、って書いてあるよ」
送迎バスの中から、<池>を見た。
この病院名で検索する
オカルトのサイトが出た。
「神隠し病院」
謎の行方不明事件が平成に4件
病院へ行ったのを最後に消息を絶っている。
いずれも二十代の女性。
実は、この病院は昭和33年に入院患者失踪事件が起こっている。
怪奇事件として有名になったので病院名を変えたらしい。
だが、「神隠し」は続いているのだ
「え………ヤバイ、かも」
彼岸花の模様の寝間着。
アレは、<夢>なんだ。
記憶にある、この事件が、<夢>に出てきたのか?
わからない。
茶色のキャリーバッグは、何?
実際に検査室の廊下に有った。
今も、総合受付に……どうして、あるの?
リカの視線の先……総合受付のカウンターの下に、
茶色いキャリーバッグが、
あるのだ。
レザー張りのトランク。
今時、めずらしい。
とても、古めかしい。
分けが分からない。
モシカシテ、コワイコトカモ。
(神隠し病院なう)
と、ツイートする。
誰かに言いたい。
自分一人で、受け止めるのが怖いから。
メイク直しして、
自撮りして、
……なんか変だと思う。
前のが、
(受付で20分。検査待ちで20分、検査終わって40分経過。クソ病院なう)
「夢、でしょ。だって、アレは……」
検査の後、
確か、着替えてすぐ名前を呼ばれた。
検査の後眠ってしまって、長いリアルな夢を見た。
このツィートは、夢の中の……
自分の記憶違いか?
分けが分からない。
もう……考えるのも怖い。
もう……何が事実か夢か、考えるのが怖い。
とても……この病院が、恐ろしい。
病院の外は、真っ暗だった。
ガラスのドア越しに、赤い満月が見えていた。
リカは現実に引き戻された。
ここで座ってスマホ見ている場合じゃ無い。
色々考えるのは、アパートに帰ってからにしよう。
送迎バスが停まっているのが見える。
早く、あれに乗って、帰ろう。
小走りで正面玄関を出た。
バスを待つ人の列に並ぼうと。
ところが、
「ちょっと、ちょと、あんた、困るんだよ」
誰かが、腕を引っ張る。
「アレ、置いて行かれたら、困るんだよ」
警備員、だった。
高齢の男だ。
警備員は玄関の内側を指差す。
そこには、あのキャリーバッグがあった。
茶色い大きなバッグが。
どうして?
「し、知らない。私の、わたしのじゃあ」
リカは、
顎が震えて、巧くしゃべれない。
「何、言ってんの? あんたが、持ってたよ」
老いた警備員は、リカの腕を掴んだ。
「えっ?……そんな、はず、無いって。離して」
「はあ? ホント、何言ってんの?」
リカは中へ引き戻された。
「九時半だ。ここは閉める。夜間通用門から出て」
不機嫌そうに言って、ドアに鍵をかけた。
「ほら、ねえちゃん、さっさと、行けよ」
怖い顔でにらみ付けられる。
仕方なく、キャリーバッグを掴んで、指示に従った。
今は、何より、
警備員のお爺さんが、威圧的で、とても怖い。
これ以上関わりたくない。
側を離れたい。
どこかに、バッグを置いて(捨てて)、
夜間通用門から出るしか無い。
壁に貼ってある院内案内図で
<夜間通用門>の場所を確かめる。
長い廊下の突き当たりを曲がれば、すぐだ。
キャリーバッグを廊下の途中の自動販売機の横に、置いた。
そして、
走った。
長い廊下を突き当たって左に……。
有るはずだ。
……でも、ない。
……あったのは階段、だった。
<病棟>の表示がある。
間違えたなら、戻るしか無い。
廊下を白衣の人が、……若い男のドクターが歩いてくる。
「夜間通用門、どっちですか?」
聞いてみる。
……答えてくれない。
……見ても、くれなかった。
それにしても、なんて長い廊下。
こんなに長かっただろうか?
息が切れる。
ゆっくりしか歩けない。
ガラガラ
ぴたぴた
ゆっくり……ゆっくり
リカは
バッグが、だんだん重くなってる、と思う。
あれ?
私、いつからバッグ持って歩いてるの?
自動販売機の横に置いてきた、
よ、
ね。
……これも、夢、なんだ。
……すごいリアルな夢に違いない。
……だって、コレは私の手じゃない。
……こんな青白い、ネイルしてない手、
……違うもの。
……悪夢だよ
……うわー、いつのまにか、寝間着着てる。
……彼岸花の模様。
……ネットで見た絵と一緒じゃん。
嫌な夢。
怖い夢。
誰か早く起こして。
「あれ?」
「どうしたの?」
「そこに、キャリーバッグがありますよね。確か、」
「キャリーバッグ? どんな」
「それ、です。チャラい女のですよ。さっき、置いて行こうとしたんで、声かけたんです。随分古くさい鞄でしょ。なんで此処に置いてったのかな」
「うわ。……これはマズいわ。駄目、触っちゃ駄目……走ろう。更衣室までダッシュ、」
リカの横を
清掃員二人が、走り抜けていった。
「あんた、この病院が、いわくありって、知ってる、よね?」
六十才の清掃員は、新人に聞く。
「知ってますよ。神隠し事件、あれ、この病院でしょ。ママ友が教えてくれて、ネットで調べました」
「……出るんだよ。」
「出る? マジで? 幽霊、ですか?」
「アンタが見た……茶色い鞄だよ」
「へっ……あれが?」
「患者と一緒に消えた鞄、らしい。……時々病院の中に出るんだ」。
「い、今の鞄、ですか。……先輩には、見えなかったんですか」
「見える人には見えるらしい……アタシは霊感が無いから見た事無いけどね」
「うわ、信じられない。あんなに、ハッキリ見えているのに、幻、ですか? 触れないんですね」
「絶対触っちゃ駄目だよ。それをアンタに言っとかないと」
「……?」
「新人には必ず言うんだよ。先生も、看護師さんも、事務の人も、皆にね。……まさか、初日に見ちゃうとは思わなかった」
「……なんか、すっごい、怖いんですけど……触ると、どうなるんですか」
「それはね……知らない方がいい。この病院のタブーなんだ」
「タブー、なんですか」
「絶対、他で、面白おかしく喋るんじゃ無いよ。私は20年、ここで働いているけど、家族にも喋ってない。20年前に、前の院長先生に、言われたとおりに、新人に伝えているだけ。アンタも後から入って来る人には、教えてあげたらいいよ」
新人は、鞄を持っていた、触っていた<チャラい女>はどうなるのかと、
聞きたかったが、先輩は(おお。怖)と呟きながら着替えを始めたので、
聞けなかった。
寝間着女が、
スリッパ履いて
鞄引きずって
ひたひたと、病院の長い廊下を歩く。
足が疲れてきた。
腕がしびれてきた。
夢のくせに、
疲れてきた。
もう、歩けない。
しゃがみ込む。
「メッチャ重い。何入ってるワケ?」
バッグを開けてみた。
黒いフリルのミニスカート。
ブルーにピンクの水玉のブラウス。
「ひッ……ワタシ、……」
茶色いバッグは大きいが、
オトナの一人詰め込む程大きくは無い。
リカは、
バッグの中の<自分の身体>から目が離せない。
赤い爪の、素足が、あっちと、こっち、
サンダル履いてない。
黒のミニスカートがめくれ上がって、左の膝が、頭の上にある。
ぐにゃぐにゃの
ぐしゅぐしゅ。
大きな手が、リカの身体をギュッと、固めたら、
ぐにゃぐにゃの
ぐしゅぐしゅ
あちこち裂けて
血まみれ
コンパクトになって、
この鞄に入るのか。
この物語はフィクションで実在する病院、実際に有った事件とは一切関係ありません。
最後まで読んで下さりありがとうございました。