19
それから数日。
今日も夕日が見える。
「洗濯取り込みました。」
「ありがとう。持って来た物が少ないから毎日洗濯ばっかり。使用人のいない生活って大変ね。一日がすぐに終わってしまう。さらに働きに行っているのだから頭が上がらないわ。」
今日も豆を潰したスープを用意してくれているニホン。
彼女の作れる料理はこれしかないようだ。
それでは栄養が偏る。
避難先で食料もままならず、外にもなかなか出られない。
妊婦にはとても悪い環境だ。
「いつも同じものでごめんなさいね。」
「いえ、先生と住んでいた頃もこんな感じでしたし」
先生の奥さんも料理は苦手だった。
さらに忙しい身、出先で貰ったお裾分けと簡単なスープ、固くなったパンが朝晩の食卓に並んでいた。
「フロントも同じことを言っていたわ。」
「……戻ってきませんね。お城は大丈夫でしょうか?」
「心配ね。兄妹たちも残っているし、みんな大丈夫かしら?」
食卓に夕飯を並べ三人の食事が始まった。
そこに、
「ただいま。夕飯には間に合ったか?」
と、フロントが戻ってきた。
「お帰りなさい!」
ニホンが駆け寄り、その後ろにエゾがついて行った。
私も立ち上がり、フロントの元まで行く。
「遅くなってすまない。後をつられていて、なかなか巻くことができなかったんだ。」
そう話す姿はところどころ土埃をつけ、頭には葉っぱが付いている。
膝には泥の染みも出来ている。
フロントでも隠れなければならないほどの相手に追われていたのかと心配になるが、本人はそのことを妻と息子には黙っておくようで、口にする気配がない。
よく見れば、手の甲に血がにじんだ痕もある。
城まで徒歩で片道三時間と聞いている。
そんな距離を三日もかけて戻ってきた。
相当の手練れだったのだろう。
ここが見つからない様に、家族を守る為に、私の知っている家出をしたフロントとはずいぶんと変った。
「城の皆も問題なかった。連絡では明日の昼にはケティーナが一番大きな船で民を迎えに来てくれるそうだ。」
「よかった。」
「ヘラ王女の夫のエルクとホエ王子が直々に来てくれる。」
内戦の最中の現状で王子が来ても大丈夫なのか心配になるがエルクとホエ王子の二人だ。
腕っぷしの良さは知っている。
「カルミナの船は少し遅れるが明後日の早朝には入港できるだろうと言う話だ。ウィーンドミレともめて船の出が遅れているらしい。」
私が原因だ。
被害が出ていないといいのだが、
「カルミナからは第一王子のゲラダが来るらしい。白魔術師として怪我人を中心に乗せる話になった。お前たちはそっちに乗ってカルミナへ行くようにツンドラ様が」
「そんな、先に国外へ出るなんて……」
ニホンが不安な顔をする。
「大丈夫、末の弟妹たちも一緒に乗る事になる。内戦は兄さんたちに任せよう。俺は白魔術師として城に残る。」
フロントがエゾとニホンを抱きしめた。
「サンス、お前には悪いがこの状況だ。一緒に船でカルミナに戻ってくれ、一つ早いケティーナでもいいが」
「いえ、兄さんに従います。ここで駄々をこねて迷惑をかけるわけにもいきませんから」
「ここまで来てくれたのに悪いな。」
大きな手が頭に乗る。
夕食を急いで済ませ、荷物をまとめる。
私の荷物なんてなく、今はニホン様がくれた余ったシーツを簡単に体に結び付けている。
針や糸もない状況。髪が隠れているだけましだ。
フロントが荷物を持ち、私はエゾを抱き上げる。
夜闇に浮かぶ三日月の元、小屋を出た。
「サンス、何かあったら大変だ。これを持っていろ。」
渡されたのは重さのある鋭い鉄の塊。
明かりを持たず、暗い森を進む。
城ではなく、港へ向かう。
ここ、緑の国リポネームは狼王の国。
国土の多くを鬱蒼と生い茂る森が閉め、ティアリサム山からの流れる二つの川が国境となっている。
カルミナも川を境に隣国がある。
違いは王都近くにある湖ぐらいだろう。
カルミナはそれが溶岩の下にあるがリポネームでは今も健在。
大きさはウィーンドミレと変わらないらしい。
だが、ウィーンドミレに比べ雨の回数は多く、月に二回以上は雨が降る。
それが鬱蒼とした森を育てる。
天候は曇りがちでたまの晴れ間はとても貴重なウィーンドミレとは隣国でも全く違う気候の国である。
「疲れたら言うんだぞ。」
「私は慣れているのでニホン様を気にかけて下さい。」
「私もそんな軟じゃないわ。」
「うちの女どもは何でこうなんだ?」
たくましい。
と、つぶやきながら足を進める。
ウィーンドミレとの国境である川辺に出ると川下へ進む。
そこで
「走って!」
エゾが叫んだ。
私の肩口から背後を見ていたのだろう。
その焦った声に振り返る。
そこにはならず者、そんな装いの者たちが数名、こっちに向かって走って来ていた。
「急げ!」
フロントがニホンの腕を引く。
私もエゾを強く抱きしめ、素足で走り抜ける。
目を凝らし、貴重な月明かりも少ない木々の下で
「そこ、大きな岩」
「木の根!」
なんて声に出し、フロントとニホンが転ばないよう、いつしか先導していた。
「さすがじゃじゃ馬」
「これが、グリゼオの力……」
「追いつかれる!」
エゾの声に私は振り返り立ち止まった。
フロントとニホン様とすれ違い、驚いた様子で振り返り、足を止めた。
「サンス⁉」
「耳閉じて!」
「マジかよ⁉」
フロントが焦った声を出し、ニホンをしゃがませ、耳を塞ぐ。
エゾが両手で自身の耳を塞いだ頭をさらに抱きしめ私は
「ゥアアァーーー‼」
耳がキーンとなる叫びを口から吐き出す。
向かって来た者は足を止めよろめき、頭上からは眠っていた鳥たちが落下してきた。
森が静かになり、誰も動かなくなった。
「相変わらずの意力だな……」
耳に当てていた手を離し、フロントが言った。
口を向けた方向からは背後に居た二人。
耳を塞いでいたものの頭を振って、耳鳴りを止めようとしている。
「これで足止めできるのは数分、急ごう。エゾは大丈夫?」
「うん、平気。」
そう言うも顔は上げない。
悪い事をしてしまった。