18
気が付けば水の中。
息ができない。
上か下か、
右か左かも解らす、
水流にもまれる。
身体が痛い。
手足がいろんな方向へ無理やり動かされ痛みが走る。
首の後ろに受けた強い衝撃を最後に私は意識を手放した。
どこか身体がふんわりとお酒に酔ったような感覚がした。
遠くから雨がやってくる匂いがする。
砂漠の中心ではしなかった腐葉土の香りが鼻に付く。
私の視界はゆっくりと光に満ちていく。
その先に見えたのは見慣れない、木造の天井。
「目が覚めたようだな、サンス。」
ぼやけた視界が徐々にクリアになって行く。
口を開き、声を出そうとするが
「ああ、水を持ってくる。五日も眠っていたんだ。のどが渇いているのだろう。」
声の主が部屋を出ていくのを目で追う。
なぜ、あの人がいるのだろう。
私はいったいどうなったのだろうか。
身体に力が入らない。
感覚がない。
四肢がないわけではなく、
単なる疲労だろう。
と、
結論をつけ、
首だけを動かす。
木造の天井、煉瓦の壁、薄暗い室内。彼がなぜこんなところにいるのだろう。
だって彼は
「あら、フロントは?」
部屋へ入ってきた女性。
身なりの良い服はこんな小屋のような家には不釣り合いだ。
彼女は私が目を覚ましていることに気が付き、近くのイスに座った。
「よかった。目を覚ましたのね。」
そう言いながら私の頭を撫でてくる。
優しい手つき。
「ニホン、ここにいたのか。サンスはまだ起きているか?」
「ええ、でも海で見つけた時はもう助からないかと思ったけど、こうして目を覚ましてくれてよかったわ。さすが白魔術師様ね。」
「灰魔術師には向いてなかったからな。」
笑いながら男は私に急須を見せてくる。
首を横に倒し、近づけられた吞口に口を添えた。
乾いていたのどが潤っていく。
はっきりとした意識のもと、私がここに来た経緯を詳しく聞いた。
「食料調達に海辺を歩いていた時だよ。偶然俺が見つけたんだ。灰色の髪の人間がそんな滅多に、しかも海になんて来ないだろうから驚いたよ。」
私はどうやら川から海まで流され、偶然リポネームに流れ着いたようだ。
海流は逆方向。
ウィーンドミレに戻らなくてよかった。
それに見知った顔に拾われたのも運がいい。
隣国に比べ奴隷は少ないがグリゼオの民となれば話は別だろう。
海水の影響か、すっかり髪の色は抜け、元の灰色の髪に戻っていた。
染め続けた髪の痛みはひどい。
何年ぶりかの灰色の髪だが、早く染めなくては、今はニホンが三つ編みにしてくれ、その上から布を巻き、隠してある。
窓のあるこの部屋は外から覗かれる心配があっての事。
ありがたい。
水流にもまれ、全身打撲のあざだらけ。
助けられ五日。
ウィーンドミレの雨が止んだのが一週間ほど前との話、水に数日浸かっていてよく助かったものだと思うがそれも父の力だろうか。
グリゼオの生命力か。
と、考えてしまう。
身体の感覚も戻り、ゆっくりと手を借りながら起き上がる。
豆を潰したスープをニホンが持って来てくれた。
冷ましてあったそれをゆっくりと口に運ぶ。
「風邪をひいている気がある。知り合いの灰魔術師に薬を作ってもらっている。」
「何から何まですみません。」
「大事な妹だ。気にするな。」
頭に大きな手を乗せられる。
彼、フロント・オールは私の兄である。
昔は乱暴者と言われ、旅という名の家出をしたぐらいだ。
あまり、仲が良かった記憶もない。
そしてその妻ニホンはリポネームの第三十二王女。
フロント自体に王位継承権はないが王子となっている今現在、なぜ、こんな小屋にいるのか。
聞いてみると
「一週間前から内戦が起きているのだ。王家の軍と民間の自警団で戦っているのだがどうやら自警団の方は海賊とのつながりが強く、アクアムから海の向こうの武器を仕入れているようなんだ。ニホンが今、二人目の子供を妊娠中でな。エゾと三人でここに避難している所だ。」
そうだったのか。
私の寝ているベッドに肘を突き、にっこりと笑う男の子エゾ。
無口だが、表情豊か。
こんな子供が争いに巻き込まれることになるのは心が痛む。
内戦とはまた厄介。
国単位の争いならば隣国が間に入り武力衝突は最小限に出来る事もあるが国内では隣国は入りにくい。
しかも隣国がかかわっているかもしれないとなれば確信なく動くわけにもいかない。
「税収の不満や国内犯罪集団の存在もあっての内戦。軍には鎮圧ではなく、国民が巻き込まれないように守れとツンドラ様もおっしゃり、攻防戦になっている。城には多くの民が避難している。今はケティーナやカルミナに一時避難の船を出してもらえるように連絡を取っている。それもアクアムを通ってくるからどうなるかわからないがな。」
税収の不満はどの国にもある。
犯罪集団に自警団、海賊と来ると厄介だ。
国民の避難を最優先にしている今、
「私の名前を伝えて下さい。ホエ王子やアヌビス様が急ぎの船を出してくれるはずです。」
「ずいぶんと頼もしくなったな。」
そう言えばアヌビス様たちは安全に海に出られただろうか。
国に戻れただろうか。
空を眺め、ため息が出る。
「婚約の話を蹴って逃げている割に、ご執心のようね。」
ニホンの言葉に視線を向ける。
にっこり笑った顔が意味ありげでなんと言ったらいいのか悩む。
「婚約の話は一切していません。誤報が広まっているのです。私はアヌビス様に毒を盛った重罪人です。」
「そんな重罪人もケティーナでは大恩人となって公使にまで、ウィーンドミレじゃ、妃にまでなったんでしょ?」
話が筒抜けなことに私の頭は色を混ぜたように濁る。
「ケティーナは感染症の薬を提供しただけです。ウィーンドミレのは私の知らないところでの話で、単にグリゼオがほしかっただけだと思います。私も入れないティアリサム山に彼らは侵入し、民を捕まえていると聞きました。より円滑に進めるのに私が欲しかったのだと思います。」
「どういう事?」
二人にウィーンドミレの実態を話した。
ティアリサム山への侵入。
奴隷の期限越えの労働。
テリーやピスティアの非道な扱い。
祭事と称した闘技場での殺傷行為。
国鳥の乱獲。
二人とも、眉間にしわが寄り、こぶしをきつく握っていた。
エゾさえ、涙が目に浮かぶ。
「ひどい。」
簡単な言葉で表せばひどい。
一番伝わりやすい言葉。
「一度城へ戻る。エゾと一緒に二人はここに残ってくれ。」
「気を付けて」
フードを深くかぶり、フロントは行ってしまった。
残された私たちは日が暮れ始めた事もあり、就寝準備に入った。