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熱気混ざる温かな風、鼻に付く香りは慣れ親しんだもので、毎日のお風呂は心地よい。
ここは小さな島国で、一つの島の中に七つの国土を持つ連合国家である。
隣国との境は大河が流れ、各国土間の移動は自由だが、出身の国の王の命令は絶対。
決して逆らえない。
他国の王の命令ももちろん従わなくてはならないが自国の王からの鶴の一声があればどんな罪からも免れることができる。
レアケースの話ではあるが、
私たちの生活する空間を島外の来訪者は驚きと興味、そして悪事を働くための考えを巡らせる。
この島の民は人間のほか、
知識を持った獣ピスティアと
人間と獣の間に生まれたテリアントロペ、通称テリー
という獣人の三種から成り立つ。
三種にとくに大きな差はなく、権利は同等。
格差など王と平民の関係以外は平等である。
でも、これは私の知る限りの話。
他国から来た者はこの国は平和だという。
何がどう違うのか、説明してくれる人はいなかった。
この世には知らなくてもいいことがたくさんあるのだといわれた。
この島へ入る事の出来るのは国交で来た政務官や国王のみ、一般の旅行者は基本立ち入れない。
それが世界を見ても珍しい国民を守る手立てである。
島の中にある七つの国家。
その中で民を持ち、国王の一家がそれぞれの国を治めているのは六つ。
島の中心ティアリサム山を国土とする竜王の国には民はいない。
事になっている。
竜王一人がこの島の神とあがめられながら生活している神聖な土地である。
侵入は許されない。
かつてのティアリサム山の噴火により流れ出たマグマが固まり、出来た溶岩の土地を国土と持つカルミナ国は今でもマグマがあふれ出す土地ではあるがその恩恵ともいえる蒸気や温泉による観光業と他国では温室栽培すら難しい珍しい植物が多く自生し、灰魔術師と呼ばれる薬師が多く住んでいる。
温泉療法も相まって療養地としても有名である。
一日中熱気の吹く環境ではあるが体に溜まる毒素はすぐに排泄され、汗をかくだけでエネルギーの消費もされる。
そのためか、カルミナ出身者の多くはスマートな体系を意地している。
さらに熱気に負けない石作りの家が並び、近海では漁も盛ん、筋骨隆々な男性が多く、理想だと話す女性も多い。
私は健康的なら体系なんて気にしないとお客さんと話したことがあった。
でも、健康的な人はだいたい適度な運動と適切な食事をしているだろうといわれ、結局は皆の理想と同じではないかといわれた。
訂正するならば顔より性格だというとそれは皆一緒だとまた返され、あきらめたのは数日前の記憶だろうか。
私はこの国で小さな薬屋の二代目薬師としてこの店を切り盛りしていた。
「サンスちゃんの作る薬はよく利くね。その辺の店とは大違いだ。」
「ありがとうございます。お大事に」
カウンターと待合椅子がいくつか置かれただけの店内。
私は次のお客さんに声をかけ、カルテを開く。
背後の薬棚からいくつか薬草を取り出し、薬研でつぶしていく。
そんな作業をしながらお客さんの話も聞いていると世間話の間に症状につながることも出てくるときもある。
だいたいは世間話なのだか。
「サンスちゃんは今日の夕飯どうするんだい?」
「今日もあり合わせで済ませちゃおうと思ってるけど、たまには食べに行こうかな?」
なんて考えるがそんな時間はないだろう。
「何言ってんだい、お前は。サンスは今日は特に忙しいだろ。」
そんなことはないと思うがお客の夫婦の会話はいつもこんな感じだ。
荒く粉になった薬草を乳鉢に移してさらにすりつぶす。
アレルギーのあるこのお客さんには少し匂いがしてしまうが動物性の油と煉り合せた軟膏を作り、容器に詰めて渡す。
「ありがとう。またよろしくね。」
「お大事に」
なじみのお客さんたちを見送ると店内からは人気はなくなり、私一人になった。
今日は妙に客引きが早い。
何かあるのだろうか?
そんな考えを巡らせるも私には関係の無い事。
お客がいないのなら薬草の仕入れに行こう。
そう思い立ち、薬棚の引き出しを開け、在庫を確かめる。
奥の倉庫から在庫を移動させ、それでも足りない物をメモに起こし、店を出た。
扉に掛けてある“オープン”を“クローズ”に変え、ポストを除く。
手前に引くと中をかがんで覗きこまなくてはならない不便なポスト。
いつもなら手を差し込んで郵便物を確かめるが今日は明るい時間帯と言う事もあり、覗きこんでみた。
「あ、これっていつから入っていたんだろう?」
ポストの扉裏の小さな溝に手紙の端が引っかかり、今まで気が付かなかった。
差出人を確かめれば赤の国カルミナ狒々王第二王子から全国民へ向けた手紙であった。
全国民宛ならば私一人手紙を見ていなかったとしても何も問題はないだろう。
手紙片手に店へ戻りカウンターに手紙を置いた。
「明日定休日だし、森に泊りがけで行ってこよう。」
お店のスペースから階段を上り自室のドアを開けた。
大振りな薬箱を背負い、
薬草を入れるかごを持ち、
冷える夜のために上着を持ち、
靴を歩きやすい物に履き替え、
薬に髪が入らない様にしていた帽子を脱ぎ、
作業しやすいようにバンダナをまき直し、
家を出た。
着飾った若い女性が数名、歩く姿とすれ違う。
「王子ってどんな人が好みなのかな?」
「あたし会うの初めてだから緊張してきた。」
「選ばれたらどうしよう。」
実に楽しそうだ。
この国を始め、島の王族たちは一般民から結婚相手を選ぶ。
王族間の結婚はなく、自国の民を選ぶのが習わしとなり、王子や王女と結婚することは民として最高の名誉であるとされている。
私は興味がないため、以前行われた第一王子の婚約者選びのパーティーも参加しなかった。
選ばれたのは町でも美人と有名な花屋で働く娘と私と同じ灰魔術師の娘たち数人。
今後だれと結婚するのか共に生活しながら選ぶと公表されたのはつい、一か月前の事。
間も開けず、第二王子まで妃選びを始めているのかとため息が出る。
溶岩の国であるここは歩くと足の裏が熱くなる。
この地熱が私たち薬師のほしい薬草が育つ環境の土台となっている。
溶岩の砕けた水はけのいい土。
カルミナに少ない真水の水源から必要な分だけ補水できるこの土壌に私たちは恩恵を受けている。
その中でも隣国ナトラリベスとの国境である川の付近ではさらに種類豊富な薬草が手に入る。
目的地へ向かうその道中もまた、着飾った娘たちとすれ違う。
私が逆の方向へ間もなく日が暮れるこの時間に歩いていることが珍しいのか、振り返り、ひそひそと話しているのが視界の端で解る。
奴隷が人力車を引いているのとすれ違う。
ナトラリベスから来たのだろう。
紫の国ナトラリベス蛇王は代々女王国家。
女性の民が王宮へ上がることはまずなく、隣国である両隣の王子が開くパーティーにはよく人力車が国を走っている。
女王国家と言う事もあってかナトラリベスは奴隷が多く雇われている。
この国の建国以来、奴隷の流れ込みは多く。
海を渡った先から商人が王家に直接売りに来るルートがあるらしい。
それにより、国王は年間百人ほどを買い取っていると聞く。
奴隷となった人間のすさんだ顔を私はとても近くで見た事がある。
だが、
この国のいいところは奴隷が二十年働くと国民としての権利を貰い、
民と同等の権利を持つことができるのだ。
一生の奴隷よりは未来がある分それは希望かもしれない。
あのころの私にはそんな風には考えられなかった。
今とは違う人生が待っていたと思う。
マグマの川が地中を流れる高温地帯を抜け、首から下げたタオルで汗を拭く。
目の前には清流が涼やかな音を鳴らしている。
背負っていた薬箱を下ろし、一息休むのに座り込む。
薬箱の引き出しを開け、コップを出すと、川の水をすくい、口に含んだ。
汗ばんだ背中を涼やかな風が撫で、冷えていく。
十分ほど休んだところで薬箱を背負い直し、薬草を摘みに木々の間を歩きだす。
マグマの川と清流の間を太い根の張る木が区切っている。
それにより、マグマの熱が清流へ伝わるのを防ぎ、涼やかな水を保っている。
地熱と清流からの水で細くはあるが大きく成長した木々の間に生える薬草を必要なだけ採取していく。
薬草を山の方から海へ向かって川が下るのと並行に採取していると赤防隊、通称赤隊の姿が見えた。
やはり、今日は第二王子がパーティーを開いているのだろう。
その間に海からやってくる密入国者を監視しているといったところか。
その赤隊の一人と目が合ったため、軽く会釈をする。
するとその人はこっちへ歩いてきた。
赤隊だけでなく、各国に防衛隊がある。
国境警備に密入国者の阻止、国法を犯した者を捕まえるなどの役割を担っている。
普通に生活をしているだけなら挨拶を交わす程度なのだが、今日は雰囲気が違う。
何か、不穏な空気を覚える。
「こんばんは。ナトラリベスの方ですか?」
「いえ、カルミナの薬師です。」
そういうと、赤隊のその人は私の腕を強くつかんだ。
「来ていただけますか。」
つかまれる力が強く、痛く、顔をしかめながら顔を覗くと笑っていなかった。
真剣な顔で私を見ている。
何かしてしまったのか?
混乱する頭のまま、男は私を馬車へ乗せ、
「城へ戻るぞ。アヌビス様の命令に背いたんだ。直接刑を科せられるだろうよ。」
「馬鹿な娘だな。」
適当に放り込まれた馬車が動き出す。
座りなおす余裕もなく荒く揺れる車体。
隊士と馬車を引くピスティアが何か話をしているようだが、その話に耳を傾ける余裕もない。
薬箱の中身が心配になる大きな揺れが収まると規則正しい揺れが車輪から伝わってくる。
煉瓦道に入ったようだ。
「あの、なんで私、連行されているんですか?」
体勢を直しながら隊士に聞く。
すると男は驚いた顔をする。
「お前、解ってないのか。国中の娘に手紙が届いているはずだが、国民ではないのか。」
「いえ、国籍はカルミナです。」
一様。
先生たちは私を他国で産まれた孫娘として国籍取得の手続きをしたと聞いている。
「じゃあ、読んでいないのか、もしくは親が読ませていないか、何か不備があって届いていないかだな。お前、嫌がらせを受ける事はあるか?」
いろいろと失礼な男だ。
この国の民の中で獣人のほとんどが猿のテリー。
ピスティアの猿はもうおらず、獣人の中でのみその血を生かしている。
猿のテリーの特徴は気性が荒く、王に忠実。
上下関係に厳しく、女性に優しい。
捕まった時と違い、どうやら私の事を心配している様子。
今日見つけた手紙がそうかもしれないなんて言わないでおこう。
「嫌がらせをされるほど親しい友人がいません。仕事一本なもので、家族も他界していますし」
「まあいい、王子には俺から手紙が何かの不備で届かず、親しい同世代の友人がいない為、今回のパーティーのことを知らずにいた事にしておく。」
「じゃあ、見逃してくれればよかったんじゃないですか。」
なんて、城の前まで着いた今となっては、意味のない相談だ。
連絡を受けていたのか、兵士が数名馬車を囲った。
私は降りるように促され、薬箱は絶対に離さない様に肩紐を握りしめ、城の階段を上がる。
「ここで待っているように、王子に事情を話してくる。」
「お前は見張れ、刺客だったら厄介だ。」
「こんな生娘がですか?」
こんな生娘で悪かったな。
そんなことを考えながら周りを見渡す。
木製の城は黒をメインに赤の装飾が目立つ。
絢爛豪華な金の金具や装飾品が目を引く。
城に入るのは初めてでいつも遠くから外見しか望めない。
中に入る機会は国民なら何度かあるが、その機会を幾度となく蹴ってきたのは私だ。
ばれてはいけない秘密を隠しながら生きていく上でリスクは回避しなくてはならない。
そう言えば、髪を最後に染めたのはいつだっただろうか。
もう、根元の色は地がでているのではないか。
不安がこみあげてくる。
どのくらい待たされただろうか。
遠くから聞こえる音楽が鳴りやむことなく耳に届く。
「私、王子様と直接会うんですか?」
「ああ、参加した国中の娘、そして隣国の娘、参加した者全員と時間を作っているのだ。予定していた来客数よりも一人少ない事はもう王子の耳に入っている。」
私以外、全員がちゃんと参加しているとは意外な話だ。
「なんて言ったって今回は国の娘は全員必ず参加するように、さもなくば奴隷にするというお達しが付いていたからな。それを無視するとは、お前は肝の据わったやつだ。」
これは本当に手紙に今日気が付き、読むことなくカウンターに置いてきたとは言えない状況が出来上がった。
あの兵士の提案に乗り、手紙が届かなかったことにしよう。
「手紙なんて知りませんでした。店を出るときに若い女性が城に向かっているのは見かけましたが、また前回のように自由参加かと」
「前回はもう、目当てを付けていたからな。そいつに声を掛け、必ず来るように言ってあったから自由参加だったんだ。今回のデモンストレーションのようなものだな。」
そうだったのか。
だから、そんなに時期を開けずに婚約者を探すパーティーが開かれたようだ。
使用人の一人が二人分の飲み物を持ってやってきた。
「間もなく王子が来られます。無礼の無いように」
「はい。」
不服な返事をすると睨まれた。
私の前にはお茶が、王子が座るのだろう席にはワイングラスが置かれ、真っ赤なお酒が注がれた。
この国でとれた赤い果実だけで作られた名産品。
毎年、竜王に献上されるものの一つだ。
お酒の匂いが鼻に付く。
このアルコールの匂いは苦手だ。
薬を作るのに、殺菌で使うアルコールとはまた違う匂いに顔をしかめる。
すると
「とんだお子ちゃまだな。その年で酒も飲めないのか。」
私の前のお茶を見て言っているのだろうが
「これはそちらの使用人さんが用意してくださったものです。私の希望ではありません。それにいつなんどき薬が必要な方が現れるかわかりませんから」
単なる言い訳だ。私は座ったまま、この国の第二王子アヌビス様を見上げる。
「可愛い顔してんじゃないか。」
ちゃらちゃらしている。
私の嫌いなタイプ。
長く話をすれば馬鹿が移りそうだ。
「手紙が届かなかったようだな。こっちの不手際で手荒な拘束をしたようで悪かったな。」
そう言いながらアヌビス王子の手が近づいてくる。
私はそれを避けようと後ろにそれるが、背後の薬箱が邪魔で後ろに下がれない。
横にそれるように体を倒す。
すると、
「なんだ。こんなところで乗り気か?」
そう言いながら私の座るソファーに手を付き、倒れた私の上に身体を近づけてくるアヌビス王子のにやつく顔が近づいてくる。
その行動に、私の頭は真っ白になる。
一国の、第二王子とは言え、国政を担う人物が一小娘に何をしようとしているのか。
これは遊びか、本気か。
こんな状況、ほかの娘たちに見られたらいない友達どころか、近所の知らない娘にまで嫌がらせを受けるのではないかと余計な心配をしてしまう。