第七話
男に触れた瞬間、神楽坂の脳内に膨大な量の情報が押し寄せる。男がこれまで生きて来た記憶、男の趣味や特技、そして、男の個人情報。神楽坂はそこで初めて男の名を知った。
「……? 何ですか……?」
「――、あ、いえ、鍵を落としてしまったので……失礼しました。」
能力発動後すぐに鍵を取り、上を向くと、男――灰垣が訝し気に神楽坂を見ていた。足に手が触れたのをあまり快く思っていないようなので、恐らくそのせいだろう。私は立ち上がりながら、灰垣に軽く笑いかける。
「……それなら構わんが……」
灰垣はそんな事を呟きながら会計を済ませ、店を出ていく。時折こちらを盗み見てきたが、結局話しかけてくる事はなかった。いざとなれば記憶を書き換えて場を凌ぐしかないと思っていたが、そうはならずに済んだ。
その後私も会計を済ませ、店を出る。ガラス張りのドアを押して外に足を踏み出した瞬間、壁一枚で遮られていた喧騒が神楽坂の耳を打った。その合間を縫って、会社があるビルへと向かう。その道すがら、少しずつ灰垣の記憶を見る。
灰垣が能力を持っていることはすぐに分かった。大体神楽坂と同じ時期に、妙な現象――例えていうなら、突如呼吸ができる水の中に投げ出され、そのままどこまでも深く沈んでいくかのような――を体験した記憶があったのだ。そしてその直後、不自然な空白があり、そこから時折不可解な現象の記憶がある。詳細はなぜか靄がかかって見る事が出来なかったが、少なくとも私と同じような能力を持っていることは確かだろう。
そうして暫く灰垣の記憶を覗き込んでいた神楽坂であったが、丁度会社があるビルにたどり着き、自動ドアを潜った瞬間、息をのんで立ち止まった。
「……な、なんだこれは……!」
神楽坂はその時、灰垣の三か月前の記憶を見ていた。そこに広がるのは路地裏の薄暗い空間。ゴミが散乱し、壁には水垢が残り、じめじめとした空気を漂わせている。時刻は正午を半刻程回ったところ。灰垣の頭上、建物の隙間から、陽光が微かに差し込んでいる。
灰垣はその中を、少し急ぎ気味に歩いていた。長くいれば気分が悪くなりそうなその空間を、ただひたすらに進んでいた。暫く歩いて、やがて袋小路にたどり着いた。そこには、一つのさびれた鉄の扉があった。灰垣はその扉を何の躊躇いもなく開き、ぽっかりと開いた闇の中へと歩を進める。
入った後暫くは暗闇でしかなかったが、やがて目が慣れてくると、そこには一つの大きな円卓と、それを囲む数人の男女がいた。灰垣は円卓の周囲に並べられた椅子、最後の空席に腰を下ろす。円卓を囲む男女の内最も年を食っているであろう白髪の男性が、灰垣に一度視線を向けた後、ゆっくりと口を開いた。
そして、その口から零れた言葉は、神楽坂を戦慄させるに足る、恐ろしいものだった。
「……揃ったな。では、これよりT県知事暗殺計画について、ゆっくりと話し合おうではないか」