第三話
その出会いはやはり豪雨の夜、溜まった仕事を少しでも減らす為に残業をした、その帰り道。神楽坂は道端で蹲る一人の男を見かけた。黒のパーカーと黒のスキニーで身を包み、フードを深く被っている。本来ならば誰も警戒して近づかないだろう。ましてや神経症を患っている神楽坂であれば尚更だ。だが、その時、神楽坂はその男を恐ろしく思う反面、自分にとって必要不可欠な存在だという気がして仕方がなかった。この男が自分に変わる切っ掛けを与えてくれると、そう直感していた。神楽坂は吸い寄せられるように男の傍に寄り、声を掛けた。
「すみません……大丈夫ですか?」
「……ん? おお、我と同等の力を持つものが他に存在したとは……。」
男は少し間をおいてこちらを向き、意味の分からない事を口走り始めた。その顔に、背筋が凍りつきそうなほど悍ましい笑みを貼り付けながら。その様子を見て、神楽坂は怖気づくどころか逆に高揚していた。彼の話している内容は意味が分からないはずであったが、何故か理解できたのだ。頭の中に、見知らぬはずの数名の顔が浮かぶ。今目の前にいる、不気味な雰囲気を纏った男。神経質そうな表情をした、長身の老翁。胡散臭い笑みを浮かべた、巨腹の中年男性。妖艶な佇まいの、若い女性。そして彼らを取り纏めていると思われる、言葉で言い表せぬ曖昧な姿をした謎の生命体。そして、神楽坂の持つ謎の力についても、天啓のように瞬時に理解できた。その能力は、触れた相手の感情・記憶・思考回路を一定時間中操れるというもの。名を『マインドハッカー』と言う。完全に記憶を消したり、感情や思考回路を正反対にすることはできないが、見ていない物を見たと誤認させたり、激しい感情の波を鎮めたりと、かなり自由度は高い。能力の発動方法は、対象の生命体に触れること。人間でなくても、ある程度知能があれば問題なく発動する。能力を発動する意思のない場合は、強く念じれば発動することはない。―今まで散々辛酸を舐めさせられてきた、忌々しい謎の能力に関する情報が、一気に脳内に流れ込んでくる。神楽坂は、ここ数年で最も気分が昂ぶっていた。本来であれば狼狽しているのだが、この時は違っていた。目を見開き、口元を歪ませ、不気味な笑い声をこぼしていた。
「おお、さては貴様、今まで自身の能力について知らなかったのか……?」
「ふ、ふふふ……ッ!? あ、ああ……そうだが、それがどうかしたのか?」
神楽坂の様子が豹変したのを見た男は、神楽坂にそう問いかける。男の言葉で我に返った神楽坂は、慌てて問いに答えた。
「やはりな……そういう者は、初めて同じ能力者と目を合わせた時必ずそうなる。理由は分らぬが、自身の能力や、他の能力者の情報、そしてそれに関連する言動が理解できるようになるらしい。」
神楽坂の返答を想定していたのか、男は納得したように説明を始めた。体験していなければ信じていなかっただろう。だが、実際に自分の身に起こったことだ。その説明に頷くしかなかった。……ふと、神楽坂は疑問を覚えた。
「なあ……何故、俺達はこんな能力を得たんだ……?以前得体の知れない少女の様な奴に襲われて、それからこうなった訳なんだが、あんたは何か知っているのか?」
そう問い返すと、男はその切れ長の目を大きく見開き、そして震える声を絞って一言。
「貴様……『あの御方』に会ったのか……?」
「『あの御方』……とは、その少女、のことか?」
「ああそうだ。我らは『あの御方』の意思で動いている。『あの御方』の野望を実現するために、我らは力を授かったのだ。」
心から慕っているかのような、真剣な表情で語りだす。神楽坂は困惑した。自分はその能力によって苦しめられてきた。恨みこそあれど、慕うことなど決してない。だが、男の様子は正に神に祈りを捧げる信者のものだ。それに、『野望』というのも気になる。大したことでなければ無視しても問題はないが、能力を与えている以上そこそこ規模の大きなものだろう。神楽坂は男に問い詰めた。
「その『野望』とは一体何だ。俺は以前の様な平穏な生活を送りたいだけなんだ。面倒事に巻き込まれるのは心外なのだが…。」
「ふふ……ふふふふふ……。それすらも知らぬとは何たる無礼。良いだろう。無知なる貴様に我が教えて進ぜよう。『あの御方』は、この惑星を支配することを望んでおられる。この惑星に生けるもの全てを、その手中に収めるのだ。なんと素晴らしい事だろうか!」
返ってきたのは、想像以上に壮大で、荒唐無稽な答えだった。