■086 夏の終わり
ちりりん、と風鈴の音が鳴る。
うるさいばかりだった蝉の声も、近ごろは心なしか小さくなったように思えた。
麦茶を飲み干したコップの中の氷が、からん、と小さく音を立てる。
「夏も終わりだなあ……」
「俺も終わりだ……」
「あたしも終わる……」
死んだような魚の目をした奏汰と遥花が夏休みの課題とにらめっこしている。おいおい、睨んでるだけじゃ終わらないぞ。『終わる』っていろんなことがか?
「遊んでばっかりいるからそういうことになるんだ」
「あ、ありのまま、今起こったことを話すぜ……! 『夏休みはまだまだあると思ってたのに、気がついたら終わりかけていた』。な、何を言っているのかわからねーと思うが、」
「わからん。いいからさっさとやれ。一花おばさんに頼まれて監視しなきゃならない僕の身にもなってみろ」
霧宮の兄妹は僕の家で最後の追い込みに入っている。夏休みは朝昼晩関係なく『DWO』にログインできるチャンスだというのに、なんでこんなことに。
ため息をついていると、玄関のチャイムが鳴った。サボるなよ、と二人に釘を刺してリビングから玄関の扉を開くと、白いワンピースを着たお隣さんのリーゼが立っていた。
「白兎君、これ伯母さんがお裾分けだって」
そう言って笑顔でリーゼが持ち上げたのは網に入った大きなスイカだった。なかなかの重さのそれを、僕は落とさないように受け取る。
「こりゃすごい。どうもありがとう」
「二人は?」
「未だ格闘中。あ、上がってよ。これ切るからさ」
「じゃあ、お邪魔しまーす」
リビングへ戻ってくると、二人がちゃっかりテレビをつけて、お昼の番組を見ていた。こいつら……。
「わお! スイカだ! リーゼの差し入れ!?」
「おお! 救いの女神! 地獄に仏とはまさにこのこと……」
やかましい。人んちを地獄呼ばわりすんな。調子のいい二人にイラっとしたが、確かにそろそろ休憩してもいいか。お昼ごはんも用意しないといけないし。
「リーゼもそうめん食べてく?」
「いいの? じゃあお言葉に甘えて」
そうめんなんて一人増えてもどうってことないしな。
僕はキッチンに立つと、お湯を鍋で沸かして、そうめんをバラけるように入れた。茹で終わったらザルにあけて、流水でぬめりをとり、食べやすいようにフォークでクルクルっといくつかの塊に分けて皿に盛る。
冷蔵庫から麺つゆを出して、小鉢に注ぎ、ゴマにねぎに大根おろし、刻み大葉にショウガ……と、薬味をいくつか小皿に乗せて完成っと。
お盆に乗せてリビングへと持っていく。すでにテーブルからノート類は片付けられていた。
「よっ、待ってました! やっぱり夏はそうめんだよなァ」
「はっくん、スイカはー?」
「食後に出すから心配すんな」
みんなの前にそうめんや麺つゆ、薬味を置いて、食べ始めた。僕はねぎと大根おろしでいただく。うん、さっぱりしていて美味い。
「ショウガがピリッとしていておいしー!」
舌鼓を打つ遥花に比べて、リーゼの箸を持つ手は止まっている。口に合わなかったのかな、と視線を向けると、彼女の目はテレビに向けられていた。
『昨夜、この場所からあちらのビルへと向けて、少年たちが未確認飛行物体を目撃したということです。オレンジ色に光る長細い物体が、スーッと闇夜の中を……』
テレビの中ではマイクを持ったレポーターが身振り手振りで状況を説明している。
「最近多いな、UFOの番組」
「夏になると増えるけど、今年は多い気がするねー。リーゼも気になる?」
「えっ、あ、そうだね。ヨーロッパの方でも目撃例が多いからね」
リーゼの言う通り、確かにここ数年でこういった目撃例は多くなった。本物だと言う者、偽物だと言う者、見間違いだと言う者。プラズマだ、流星だ、球電現象だと、様々な憶測が飛び交って、果てはどこかの国の軍事秘密兵器だ、いや未来からやってきたタイムマシンだと、トンデモな話が飛び交う始末。
まあ、テレビで見るぶんには面白いからいいのだが。
「こりゃとうとう宇宙人が地球侵略にやってきたな。地球防衛軍の出番だぜ」
「そっかなあ。友好関係を結びにきてるかもしれないじゃん」
「遥花は甘いな。宇宙人ってのは初めは友好的な態度を見せといて、油断したところを襲うんだ。前に映画で観た」
奏汰がドヤ顔で語るが、僕の観た映画ではビルの屋上で『宇宙人さんいらっしゃーい!』と歓迎してた人間たちを前置きなく攻撃してたぞ。
「はっくんはどう思う?」
「さあ? 本当にUFOかどうかわからないし。最近話題になってることに便乗したデマかもしれないしね」
当たり障りのない返しをしたが、僕の脳裏にはこの夏に体験したあの出来事がよぎっていた。
レンシアの別荘で目撃したあの砂の怪物と仮面のスーツヒーロー。
僕はあのヘルメットとスーツを『宇宙服』ではなかったかと思い始めている。
つまり、あの仮面ヒーローは『宇宙人』なのではないか……と。
証拠はなにもないが、そう考えるといろいろとしっくりくる。仮面ヒーローの目的はわからないが、地球人に危害を加える気はないんじゃないかとも思っている。そんな気があれば、あの時に僕は消されていたと思うし。
さらに気になるのはあの時の仮面ヒーローの言葉。
『おやすみ、シロくん』
彼……いや身体つきは彼女だったか。彼女は僕のことを『シロ』と呼んだ。僕の『DWO』におけるアバターである『シロ』は、それほど顔の造形をいじってはいない。知り合いが見れば一目でわかるレベルだ。
逆に言えば、『シロ』を知っている者が僕の素顔を見ればそれとわかるということだ。そりゃ『DWO』に限らず、VRゲームで容姿をいじっておけと推奨されるわけだ。
こういう場合の身バレは怖い。住所氏名がわかるわけでもないし、テレビに出ている有名人でもないからと高を括っていたな。
僕の動画なんかもアップされてたりするが、顔にはきっちりとモザイクがかかっている。ということは、『DWO』で実際に彼女と僕は、会ったことがあるということだ。
もちろん、向こうが一方的に見ていただけという可能性があるが……どちらにしろ『宇宙人がDWOにログインしている』というトンデモない結論に至ってしまう。
宇宙人がゲームとか……笑えないな。
地球人に化けて潜伏していた宇宙人が、暇だったのでVRゲームを始めた、とか?
僕があの仮面ヒーローのことを世間に黙っているのは、向こうは僕の記憶を消したと思っているからだ。もし、記憶が残っていることがバレたら、どこかの映画のように『黒服の男たち』がやってくるかもしれない。我ながら馬鹿らしいと思うが、笑い飛ばすにはあの出来事はリアル過ぎた。
「どしたの、はっくん?」
「あ、いや、なんでもない」
思考の海にダイブしていた意識を浮かび上がらせると、僕は席を立ってキッチンへと戻った。
スイカを切ってそれぞれの皿に乗せ、スプーンと一緒にリビングへ持っていった。
「おっ、きたきた!」
「はっくん、塩もー」
「お前ら少しは手伝え」
テーブルに置くなりさっさと食い始めた兄妹。こいつら……。も一度キッチンに戻り、塩を取ってきて遥花に渡した。
僕も座ってスイカを一口食べる。うん、甘くて美味い。いいスイカだ。
「そういや、リーゼの国にはスイカってあるの?」
「確かあるはずだよ。形はこんなのじゃないらしいけど」
「らしいって、ずいぶんと曖昧だな」
「え? あー、えっと、あはは。私は食べたことなかったから」
「はっくん、リーゼは貴族様のおうちなんだよ? スイカなんて普通は食べたりしないんだよ」
そんなもんかね。スイカは庶民の食べ物ってか。メロンとかだと高級なイメージになるのにな。同じウリ科なのにねえ。
シャクシャクとスイカを食べている間もテレビではUFO特番をやっている。
『UFO、空飛ぶ円盤を至近距離で目撃することを第一種接近遭遇といいまして、UFOが着陸した跡や落下物などが見つかることを第二種接近遭遇といいます。ミステリーサークルなどはこれですね。そしてUFOに乗った宇宙人と遭遇することを第三種接近遭遇といいます』
怪しさ全開のUFO研究家とやらが熱弁を振るっている。
宇宙人に拉致されたり、異物を埋め込まれたり、宇宙人を捕らえたりすれば第四種接近遭遇。
宇宙人と直接対話、通信をすれば第五種接近遭遇。
そこから先は統一された定義はないらしいが、宇宙人に殺されると第六種接近遭遇、宇宙人との間に混血が生まれると第七種接近遭遇、宇宙人から侵略を受けると第八種接近遭遇、人類と宇宙人が公的交流を結ぶと第九種接近遭遇なのだそうだ。
あの仮面ヒーローが宇宙人だとしたら、僕の場合、第五種接近遭遇になるのか? 第六種接近遭遇じゃなくてよかった……。
「そういや最近隣のクラスのヤツもUFO見たとか言ってたなあ」
「ここらの町ってけっこう目撃例多いよね。やっぱり『おやま』があるからかなぁ」
「『おやま』? 山がUFOとなにか関係あるのか?」
僕の住む星宮町と奏汰たちの住む日向町の間にある『おやま』。なぜ『おやま』がUFO飛来と関係あるんだ?
「はっくん、『おやま』の正しい名前知ってる?」
「名前? あの山に名前なんてあったのか?」
ここらへんの人たちはみんな『おやま』って呼んでいるから、名前なんてないと思ってた。名前のない山なんてけっこうあるし。
「あの山の名前はね、『天外山』って言うんだよ」
「天外山……」
「そう。天外。天の外、つまり宇宙って意味なんだよ。百花おばあちゃんに聞いた話だとね────」
その昔、都に不思議な力を持つ狐たちがいた。
怪我人を治し、未来を予知し、福を呼び込む力を持っていたという。しかし都の人々はその狐の力を自分たちのためだけに使おうと考え、狐たちを捕らえようとした。
狐たちは都を逃げだし、北へ北へと逃げた。
やがてこの地に辿り着いた狐たちは、山の人々に迎えられ、『おやま』に住み着いたという。
だが数年後、狐たちの所在がバレて、再び都から追っ手が迫ってきた。
土地の人々は狐たちを守ろうと共に戦ったが、都からの兵士たちに敵うわけもなかった。
これまでかというとき、狐たちが天に向かって助けを求めると、突然天から空飛ぶ舟が現れたという。
都からの追っ手は空飛ぶ舟が放つまばゆい光を受けて、忽然と消えてしまった。
そしてその狐たちは空飛ぶ舟に乗り、天に昇っていったという。それ以来、人々は山に神社を建てて、狐たちと天からの使者を祀ることになったということだ。
「なんかいろんな昔話が混ざったような話だな」
かぐや姫とか殺生石伝説とか。その天からの使者ってのが宇宙人ってか。そういや、かぐや姫宇宙人説ってのがあったな。
「だから『おやま』にはUFOを呼び寄せる不思議な力があるんじゃないかなーって。『宇宙人ホイホイ』みたいな」
イメージが悪いな……。それにそれだと地球人が宇宙人を捕獲しているような感じになるだろ。
スイカを食べながら遥花は隣のリーゼに話を振った。
「ねえねえ、リーゼはどう思う?」
「え? ……うーん、わかんないな。単なる偶然じゃない?」
「えー? それじゃつまんないよー」
ブーブー文句を言う遥花。つまんないとかそういう問題か? 地球が狙われているかもしれないのに。
「おばあちゃんの話だと、昔『おやま』には龍も落っこちたって聞いたよ。で、私たちのご先祖様が助けて空へ返してあげたんだって」
そういえばそんな話を百花おばあちゃんから聞いたな。その時にお礼として龍の目をもらったって。
僕は首にぶら下がっていたお守り袋を服の中から取り出し、その中からおばあちゃんにもらった『龍眼』をコロンと手の上に出した。
「はっくん、なにそれ? ビー玉?」
「ビー玉にしちゃデカいな」
「『龍眼』っていうらしいよ。おばあちゃんにもらった。ほら、龍の目みたいに筋があるだろ?」
「どこに?」
「なんだ、キズでもあんのか?」
霧宮兄妹が訝しげに首をかしげる。二人には見えないのか。やはりおばあちゃんの言っていた通り、僕しか見えないのだろうか。これも変なアイテムだよな……。
「『レガリア』……!」
「え?」
小さいがはっきりとしたつぶやきに顔を上げると、リーゼが目を見開いて『龍眼』を凝視していた。
「……どしたの、リーゼ?」
「え!? あ、伯母さんと出かける約束思い出しちゃって! ご、ごめん、帰るね! あ、そうめん、ごちそうさま!」
遥花が声をかけるとハッとしたようにあわあわと立ち上がり、リーゼはリビングを出ていった。やがてぽかんとしていた奏汰が口を開く。
「なんだありゃ? 慌てすぎだろ」
「リーゼもけっこう天然でうっかりさんだねえ」
笑いながらシャクッと遥花がスプーンをスイカに突き刺した。
なんだろう。今のはこの『龍眼』を見て驚いたように見えたけど。手のひらに乗る透き通った緑色の球を見る。とりたてて変わったところはないが……。いや、充分に変わってはいるのだが。そのうちリーゼにちゃんと聞いてみるか。
「……まったくわからんことばっかりだ」
僕もスイカに塩を一振りしてかぶりつく。テレビの中ではまだ胡散臭いUFO研究家が、独自の理論を展開していた。
【DWO無関係 ちょこっと解説】
■UFOについて
未確認飛行物体(unidentified flying object)。宇宙人の乗り物説の他に、タイムマシン説、秘密兵器説など様々な説が存在する。作者は幽霊は見たことがあるが、UFOは一度も見たことはない。飛行船を誤認したことはある。一度くらいは見てみたい。




