■079 嵐をこえて
「これが僕たちの船、『銀星号』だ」
「おおー……!」
【怠惰】第三エリアの都、湾岸都市フレデリカの波止場にその船は停泊していた。
アレンさんは小型船と言っていたが、なかなか大きさだと思う。
マストが三本立っていて、どことなく船体はずんぐりとしている。船体に銀のラインが入っていて、後方デッキには星のレリーフが付いていた。帆には大きく【スターライト】のギルドエンブレムが描かれている。
「これはガレオン船ですか? それにしては小さい……。デザインだけはそのままで小型化している?」
「別にリアルに操船するわけじゃないからね。帆とかロープは飾りさ。正確には『魔導船』という種類だし。居住スペースを多く取って居心地のいいように改造してある。そのおかげでけっこうお金がかかったよ」
船を眺めるウェンディさんの質問に、アレンさんが肩をすくめる。
これで小さいか? 充分な大きさだと思うがなあ。
レンたち年少組がメイリンさんに連れられて早くも渡り板を渡って船に乗り込んでいた。早っ。
遅れじとウェンディさん、リンカさん、リゼル、そして僕の四人も銀星号に乗り込んだ。当然ながらスノウは連れてきてない。船を壊してしまったら弁償なんてできないからさあ。
甲板に足を踏み入れると、見覚えのない鬼神族のおっさんがいた。筋肉質で髭面に赤褐色の肌、黒の眼帯に黒のバンダナを巻いて、白いシャツの上からベストを着込んでいる。腰には湾曲した刀のカトラスを吊るしていた。
「よう、お前らが【月見兎】か?」
「そうですけど……」
「オレ様はシルバ。この銀星号の船長を任されている。よろしくな」
ピコンとシルバさんの頭上にネームプレートが出て、すぐに引っ込む。色は緑。NPCか。
「シルバは【操船】スキルを持っているんだ。こいつ一人いるだけでこの船を動かすことができるんだぜ」
同じ鬼神族のガルガドさんが説明してくれた。【操船】スキルか。露店で売っているのを見たことがあるけど、馬鹿高かったな。
「実際には他に手伝いの船員が四人いるけどな。だけどオレ様が得意なのは船だけじゃないぜ。剣だって一流さ。トビザメくらいなら三枚に下ろしてやるよ」
ポン、とシルバさんが笑いながら腰のカトラスを叩く。トビザメ……。確かトビウオみたいな鮫だったか? 鮫を三枚に下ろすってどうやるんだろう……。
僕のそんな疑問は無視してシルバさんが甲板を見回す。
「うっし! 全員乗ったか? そんじゃ出航するぞ! 錨を上げろ、渡り板外せー!」
シルバさんが叫ぶと、魔法なのか錨が自動で巻き上げられ、バンダナに横縞のシャツを着た船員が渡り板を外した。
「針路に異常なーし!」
「出航!」
帆に風を受けて、ゆっくりと波止場から銀星号が離れていく。
「動いた、動いた!」
年少組が甲板から海を覗き込む。魔導船ってのは半分自動的に動く船なのかな。たった五人の船員でこんな大きな船が動くなんてゲームとはいえ非常識だろ……。
【操船】スキルのあるシルバさんは特になにをしているようにも見えないんだが。だけどこんな大きな船を自由自在に操るなんて、ラジコンみたいで面白そうだよな。僕もちょっと欲しい。
「んで、アレン。その『銀の羅針盤』とやらはどっちを指している?」
「ちょっと待ってくれ。えっと……南南西の方だな」
「んじゃ、とりあえずそっちに向かうか」
船が左の方へとゆっくりと曲がっていく。
シルバさんとアレンさんの会話を聞いて、僕もインベントリから『銀の羅針盤』を取り出してみた。
陸地ではフラフラと定まらなかった磁針が、確かに南南西の方に向いている。
当たり前だけど、第三エリアのボスを指し示している『銀の羅針盤』では方角はわからない。マップウィンドウにある地図のコンパスで方角は確認しているのだ。
「全速前進、ヨーソロー!」
シルバさんが声をかけると船のスピードが上がった。ひょっとしてこの船って【操船】スキルのある者に従う従魔扱いなのかもしれない。
「シロ兄ちゃん、『ヨーソロー』ってなに?」
「え? さあ……」
ミウラの質問に僕も首を傾げた。んなこと言われてもさ。酔うソロ?
「真っ直ぐ進め、という意味ですわ。『宜しく候』が変化したものと言われています」
「へぇ〜。そうなんだ」
「そうなのか……」
僕らの疑問にシズカがにこやかに答えをくれた。よく知ってるなあ。
「ベルクレア! 何か見えますか!」
「なーんにも! 海と空と雲だけ!」
セイルロットさんの声に、中央マストの見張り台にいるベルクレアさんが答える。
弓使いのベルクレアさんは遠くを見渡せるスキル、【鷹の目】を持っているから見張りには適任だ。
「油断しないで! 海の中から突然現れるって可能性もあるんだから!」
「わかってるー!」
ジェシカさんの言う通り、その可能性もあるよな。気を抜かないようにしないと。なんとなくどこかに島があって、そこに上陸すると第三エリアのボスが……なんて想像をしていたけど、海の中にすでにいる、ってこともありうるわけだ。
っていうか、クラーケンとかがボスならそうなるよなあ。船に触腕が絡みついてきたりしてないよな?
ちょっと心配になったので、僕も船首の方へと足を向け、進行先の海を監視する。波の音が聞こえるだけであとは静かなもんだ。
「あ、何か跳ねた!」
リゼルの声に思わず視線を向けると、水面をパシャパシャとトビウオの群れが飛んでいた。なんだ。おどかすない。
「うおっと!」
トビウオが甲板まで飛んできた。危ないなあ。もう少しで当たるところだ。ボスと戦う前に魚にダメージを食らってたら笑い話だよ。
ぴちぴちと甲板で跳ねるトビウオを海へ戻そうと、僕は腰を屈めた。
次の瞬間、屈んだ背中の上を三又の槍が飛んでいき、マストにドカッと突き刺さった。
「……え?」
なんとも間抜けな声を出した僕に、見張りにいるベルクレアさんの声が降り注ぐ。
「シーフォークが登ってきてるわ! 戦闘準備!」
マスト上の見張り台からベルクレアさんの放った矢が飛んでくる。矢は甲板へ乗り込もうとしていた半魚人のようなモンスターの頭部を射ち抜き、【Critical Hit!】の文字とともにバランスを崩して海へと落ちていった。
シーフォーク。海に棲息するモンスターか。全身の鱗と頭から腰にかけての背ビレ。ゴブリンの海バージョンって感じかな。けっこう登ってきたぞ。
武器は錆びついた三又の槍とか、フジツボだらけの棍棒のようなものだ。それを容赦なく振り回してくる。
「【加速】!」
スピードを上げてシーフォークの脇をすり抜けながら横腹を斬り裂く。そのまま回転するように【蹴撃】による蹴りを見舞い、傷付いたシーフォークは海へと落ちていった。
「海に落ちねえようにしろよ! 溺れて死に戻るのはキツいぞ!」
ガルガドさんが大剣をシーフォークに突き立てながら叫ぶ。僕も経験があるけど、あれはキツい。そういや、川で溺れているところをガルガドさんたちに助けてもらったのが、アレンさんたちとの出会いだったな。
「おっと」
思い出に浸っていた僕の目の前を三又の槍が掠めていく。【気配察知】がなかったら刺さってたぞ、コンニャロ。
伸びきった槍を掴んで根元から叩き斬る。すかさず戦技を発動させた。
「【風塵斬り】」
『ギッ!?』
巻き起こった小さな竜巻にシーフォークが斬り刻まれながら飛んでいき、光の粒へと変わった。
「やるじゃねぇか、白いの! オレ様も負けてらんねぇなァ!」
カトラスを振り回したシルバさんがシーフォークを次々と斬り伏せていく。周りを見ると四人の船員たちもそれぞれの武器を手に暴れ回っていた。腕に覚えがあるってのは嘘じゃないらしい。
「【シールドタックル】!」
前方にいるシーフォークを二、三体まとめてアレンさんが戦車のように押していき、海へと放り投げた。そこへベルクレアさんとレンの矢の雨が降り注ぐ。リゼルとジェシカさんも魔法の矢を放っていた。
「【ペネトレイト】」
力を溜めた【チャージ】からの貫通戦技で、シズカの薙刀が二匹を串刺しにし、一撃で光の粒へと変える。【カウンター】も発動してたか?
「よっし、これでおしまいっ、と!」
メイリンさんが放った、僕の【蹴撃】とは比べ物にならないほど強力な回し蹴りで、甲板に上がってきた最後のシーフォークが光りながら消えていく。
「片付いたな」
海を覗き込みながらシルバさんが討伐完了を告げる。
インベントリを確認すると『シーフォークの鱗』と『シーフォークの槍』がドロップしていた。
「槍はまだしも鱗なんて何に使うんだ?」
「『シーフォークの鱗』はスケイルメイルの材料にもなる。うまくいくと火耐性の属性が付く」
「へえ」
リンカさんが僕の疑問に答えてくれた。スケイルメイルっていうと、何枚もの小さな金属板が集まってできている鎧だっけか。フルプレートよりは軽いだろうけど、それでも僕には重いよなあ。
「しかし、海の上でも襲われるんですね」
「そりゃそうさ。もっと大型の船なら雑魚の敵は出ないらしいんだけどね」
「おい、ベルクレア。もっと早く察知できなかったのかよ」
「無茶言わないでよ! いくら【鷹の目】だって、海から直接這い上がってくる奴らなんでわからないわよ!」
甲板から文句を言うガルガドさんに、見張り台にいるベルクレアさんが怒鳴り返す。
そうだよなぁ。敵は真下から襲ってこれるんだからこっちがかなり不利だよな。
「シルバ。船は大丈夫かい?」
「ああ。それは問題ねえ。だけど、ちっとやばそうだな、こりゃ」
「え?」
シルバさんが指し示す方向。船の遥か前方にはいつの間にか黒い雲が漂い始めていた。なんか雷とか光ってないか、あれ……。
「アレン、『銀の羅針盤』は?」
「まっすぐにあの雲を指している。突入しろってことなのか?」
「突入って、あの中にですか? 絶対に嵐だと思うんですけど……」
「下手すりゃ嵐で船は木っ端微塵。僕らは海に放り出されて、全員死に戻るね」
DWOでは水の中に落ちても息苦しいなんてことはない。だが、ずっと水中にいるとHPとスタミナがどんどんと減っていく。なにもしないと最終的には死に戻ることになってしまう。
水中でのHP減少を緩やかにする【潜水】なんてスキルもあるみたいだが、お目にかかったことはない。星付きのレアスキルなんだろう。
この船はアレンさんたち【スターライト】の船だ。ここで引き返しても僕らは文句を言う立場にいない。
船が木っ端微塵になると、『ロスト』という扱いで、消滅してしまう。せっかくギルドで大金はたいて買ったのに、それはもったいないよな。
甲板に【スターライト】のメンバーが集まって、どうするかを話し合っている。シルバさんが船のスピードを落とし始めた。
「シルバさんたちはいいんですか?」
「俺たちは雇われている身だからアレンたち船主に従う。契約上もそうなっているしな。海の男は細けぇことにこだわらねえ」
細かくはないと思うんだが……。NPCが死に戻りするとペナルティが大きいって聞いたけど。教会で復活してもレベルダウンとか所持金及びアイテムの消滅とか。それ込みで契約してるのかね。
アレンさんたちの声が小さく聞こえてくる。
「この船の船体ランクは『B』だ。『S』、『A』に続く上から三番目。『S』ランクの船なんかこの第三エリアじゃほぼ手に入らない。『A』ランクの船だって、ギルド【エルドラド】が持ってるくらいだ。だからたぶん『B』でも大丈夫じゃないかな……と思うんだけど」
「私も海に放り出されないようにさえすれば、大丈夫だと思いますよ。DWOで嵐に遭遇したという情報はまだありません。渦巻きに巻き込まれたというのはありますけどね。調べてみる価値はある」
アレンさんの言葉にセイルロットさんが頷く。
「せっかく買った船がなくなるのは痛いけど……最悪あのSランク鉱石を売ればまた買えると思うわ」
「おいおい、沈むって最初から決めんなよ。たぶん大丈夫だろ。『A』ランクの船を持ってる奴らしかエリアボスに挑めないなんて、そんな馬鹿な設定するわけがねえ」
「どうかしら? DWOの運営、けっこう性格悪いから……」
「身体を船にロープで縛り付けておけば放り出されることもないと思うよ。面白いじゃん、行こうよ!」
「よし、決を取ろう。突入に反対の者は?」
アレンさんの声に【スターライト】の誰も声を出さなかった。決まったな。
「シルバ! 羅針盤通りに進め!」
「アイアイサー!」
再び銀星号がスピードを上げ始めた。黒く漂う雲へ近づくにつれ、だんだんと波の高さが大きくなり、船の揺れも大きくなり始める。
今のうちに僕らはマストなどにロープを結び、身体をしっかりと固定した。放り出されたら二度と船には戻れないだろう。間違いなく死に戻る。レンたち年少組はウェンディさんたちと船室に閉じこもっていてもらう。
ポツリ、ポツリと雨が降り出す。すぐにそれはパラパラとした雨になり、やがて豪雨のような土砂降りとなった。
風もものすごく、みんなの声が聞き取りにくい。まさに嵐の中に僕らはいた。
高波で甲板にまで海水が押し寄せる。うおおお、なかなかにリアルで怖い!
空は黒い雲で覆われて雷が鳴り響く。
「だ、大丈夫なんですかね、これ!」
「心配すんな! オレ様が舵を握っている以上、銀星号は沈ませねぇ!」
シルバさんがマストにしがみ付きながらガハハと笑って答える。いや、アンタ舵握ってないじゃん……。
しかし揺れるなあ! 【ほろ酔い】スキルがないのに酔いそうだ。
いつまでこんな揺れを耐えなきゃ……おや?
だんだんと揺れが小さくなっている? 雨も依然として降ってはいるが、先ほどのような打ち付けるような雨じゃない。風もおさまってきた。雷も……小さくなっている。
「嵐が……やんだ?」
黒い雲で覆われた空は同じだし、雨も降っている。だけどさっきと比べたら天国と地獄だ。
「ここが目的地なの? 海中からボスが登場、とかはやめてほしいんだけど……」
リゼルがボヤくが、その可能性は高いと思うぞ。海のモンスターなんて大概そうだろ。
「ちょ……見て! あれ!」
未だ降り注ぐ雨の中、船首の方にいたメイリンさんが正面を指差した。分厚い雲と降りしきる雨で視界が遮られ薄暗くてよく見えないが、そのシルエットでそれが何かはわかる。
ボロボロの帆に折れかけたマスト。朽ちた船体がボンヤリと不気味に光り、波間に漂っていた。
「幽霊船……」
思わず漏らした僕のつぶやきに、正解だ、と言わんばかりに空で雷が鳴った。
【DWO ちょこっと解説】
■魔導船について
【操船】スキルがあれば自由自在に操れる船のこと。最悪、プレイヤー一人でも操ることができる。船の船体ランクには『S』から『E』ランクまであり、耐久性がそれぞれ違う。海のモンスターには船を直接攻撃してくるものもいるので注意が必要。




