■063 龍眼
本日二話めです。ご注意下さい。
季節は夏に入りつつある。まだ暑いというほどではないが、梅雨も過ぎて晴れの日が続いていた。
もうすぐ学校は夏休みに入る。とりたてて夏休みの予定などはないが、お盆には墓参り、島の伯父さんのところに帰省、ぐらいは考えている。予定が立てられないのは父さんの仕事の都合だ。
父親ながら父さんの仕事はよくわからない。なんでも海外諸国の人たちに通訳&橋渡しみたいなことをしているらしいが。コンサルタント業ってことなんだろうか。
父さんの部屋にはどこから持ち帰ったのか、わけのわからない木彫りの置物や金属のオブジェが所狭しと並んでいる。あれらもたぶん仕事で海外に行った時に手に入れた物なのだろう。
僕もいくつかもらったが、残念ながら父さんとはセンスが合わないので押し入れの中にずっと眠っている。
そんな感じで夏休みが来るのを楽しみに待っていた僕だったのだが、その前にひとつ予定が入ってしまった。
「百花おばあちゃんが?」
「おう。お前を連れて遊びに来いってよ」
百花おばあちゃん。霧宮奏汰・遥花兄妹の祖母にして、僕の祖父の妹。確か年齢は七、八十過ぎくらい。
一度しか会ったことがないが、矍鑠たるもので優しそうな人だった。
百花おばあちゃんは隣町の外れにあるでっかい武家屋敷にお手伝いさんと二人で住んでいる。
「夏休みの祭りの時に行こうとは思ってたんだけど」
「祭りの前に来いってさ。浴衣作ってくれるらしいぜ。採寸すんだろ」
そこまでしてもらうのはなんか悪い気もするが、断るのもそれはそれで気が引ける。
百花おばあちゃんの趣味は裁縫らしいので、浴衣を作るのを楽しみにしてるんじゃないかとは奏汰の弁。
そこまで言われては断れない。週末の土曜日に泊りがけでお邪魔することになった。霧宮兄妹も一緒だ。さすがに親戚とはいえ、一回顔を合わせただけの人と二人きりでは間が持たない。
手土産なににしようかなあ。
そして土曜日。
午前中で授業は終わり、一旦家に戻ってから電車で隣町の日向町へと移動する。
駅前には霧宮兄妹と、その母親である一花おばさんが車で迎えに来てくれていた。
「白兎君、ちゃんと御飯食べてる? コンビニ弁当ばっかりじゃないでしょうね?」
「ちゃんと食べてます。……それなりに」
車を運転しながらも話しかけてくる、世話好きなこの一花おばさんが百花おばあちゃんの娘だ。つまりうちの父さんの従姉弟に当たる。
百花おばあちゃんは結婚してはいない。なんでも婚約者が事故死したとかで……。だけどその時にすでにお腹の中には一花おばさんがいたんだと。
で、一花おばさんが霧宮の家にお嫁に行き、奏汰・遥花が生まれたというわけだ。
だからこれから行く武家屋敷は、正確には因幡の本家ということになる。
本来ならば僕の祖父さんが住んでいてもおかしくはないのだが、祖父さんはなぜか妹の百花おばあちゃんを住まわせ、自分は現在僕が住んでいる洋館に引っ込んだらしい。
亡くなるまで戻らなかったというから、なにか嫌な思い出でもあったのだろうか。百花おばあちゃんとの仲は悪くなかったと聞いているけど。
「あ、『おやま』が見えてきた」
星宮町と日向町の境目にある『おやま』。そのふもとに百花おばあちゃんが住む武家屋敷がある。
駅から遠く、交通の便も悪いので車がないと行くのも大変だ。
うねうねとした道を車が上るのを見ながら、ここを自転車では上りたくないなあと僕は思った。
しばらくすると見えてきた、立派な石積白壁の塀が長く続き、車は大きな屋根瓦のある門の手前で止まった。
「私は駐車場に車を停めてくるから先に行ってなさい」
「はーい」
真っ先に返事をして助手席に座っていた遥花が降りる。僕と奏汰も続いて降りた。
大きな門をくぐると石畳がまっすぐ伸びるその先にはこれまた大きな平屋の一軒家が建っていた。前に来た時も思ったが、みんなが武家屋敷というのも頷ける。
庭の低木もよく手入れされていて、初夏の日差しを浴びて新緑の輝きを放っていた。
「おばーちゃーん、来たよー!」
屋敷の玄関に飛び込むがいなや、遥花が大きな声を上げた。
しばらくすると奥の廊下から桜色の着物を着た、白髪の小柄な老婆が僕たちを出迎えた。
「まあまあ、よくきたねえ。さ、お上がんなさい」
「はーい!」
遥花がさっさと靴を脱いで家に上がる。
「ご無沙汰してます。これ、父からのお土産です」
「あらあら。これはどうもご丁寧に。さ、二人も上がってちょうだいな。今お茶を入れますからね」
百花おばあちゃんはにっこりとして僕の手渡したお土産の紙袋を受け取ってくれた。
中身は父さんの送ってきた地方の銘菓だ。
僕と奏汰は揃って古い屋敷へと上がり、茶の間へと案内された。
そこにはすでに遥花が扇風機の前に陣取っており、首元を開いて風を迎え入れていた。年頃の女子としてお前は少し慎みを持て。
「しかし相変わらずすごい庭園だなあ……」
僕は榑縁から見える庭を見て思わず息を吐く。池や飛び石、灯籠に刈り込まれた低木と、まるでどこかの旅館みたいだ。奥には蔵まであるぞ。
「ばあちゃんの知り合いの庭師が手入れしてくれてんだよ。先代に恩があるとかなんとか」
「へー。先代って誰?」
「は? お前のじいさんだろ。なに言ってんだ」
「え?」
座布団に胡座をかいて座った奏汰がキョトンとしている。
「あれ? お前親父さんから聞いてねえの? この家って、今はばあちゃんが住んでるけど元はお前のじいさんの家だったって。表札も因幡だったろうが」
「いや、それは聞いてるけど」
百花おばあちゃんは嫁にいってない。だから生家の「因幡家」に住んでいてもおかしくはないし、表札が「因幡」なのは当たり前だ。
「この家の権利はお前のじいさんがずっと持ってたから、今はお前の親父さんが当主だぞ、確か」
「え⁉︎ マジで⁉︎」
「本当ですよ」
奏汰の言葉に僕が驚いていると、百花おばあちゃんがお茶菓子を持って現れた。
「私はこの家を間借りしているだけ。もちろん実家でもありますけどね。正確には貴方のお父さん、白鷹さんの物なんですよ」
「知らなかった……です」
ちゃんと説明しろよ、父さん……。日本中飛び回ってて忙しかったのはわかるけどさあ。
「だから貴方が遠慮することはないのよ。自分の家なんだからもっと寛いでちょうだいな」
「そうそう。はっくん、リラックスリラックス」
遥花がおばあちゃんの持ってきたお茶菓子をさっそく手に取り、パクパクと食べながらケラケラと笑う。その理屈で言うとお前は人の家でリラックスし過ぎじゃないのか。
どうやら父さんはおばあちゃんにそのままここに住むことを勧め、自分たちは洋館の方へ住むことにしたようだった。
父さんとしても実家ではあったが、じいさんと盛大な親子喧嘩の末、家を飛び出したという負い目があるのだろう……と勝手な推測をする。
ちなみに僕の祖母……つまり父さんの母さんは僕が生まれるかなり前にすでに亡くなっている。
そんなことを考えていると、別の部屋からチーン……、と御鈴の鳴る音が聞こえてきた。
「あっ、仏壇に手を合わせるの忘れてた……」
「いけね、俺も」
「あ、あたしも」
おそらく一花おばさんがいるであろう仏間に、僕らはみんな揃って足早に向かった。
「だけど本当に似ているわねぇ……」
浴衣の採寸をされながら百花おばあちゃんが呟く。
似ている、というのはたぶんじいさんにだろう。一度しか会ったことはないが、あんな頑固そうな顔をしているだろうか。
「ふふ。貴方のお祖父さん……白鳳兄さんもね、今みたいに眉をよく顰めていたわ。懐かしい」
む。顔に出てたか。僕はポーカーフェイスが苦手で、顔は無表情を貫いても、眉でわかるらしい。そんなわかりやすいかな。
「頑固で意地っ張りで無口なくせに行動力はあってねえ。若い時は相当なヤンチャをしてたけれど……」
どうやら性格は似てないようだ。ちょっと安心する。
「だけど優しくて正義感が強くてね。困っている人を見たら放っておけない、そんな人だったわ。それがどんな人でもね。この町や海外にも白鳳兄さんに世話になった人たちがたくさんいるのよ? おかげで年賀状を書くのが大変」
じいさんが亡くなってからも本家であるこの家に年賀状が届くのだろう。今だとメールなんかでやりとりしてしまうが、じいさん世代だと未だに手書きなんだろうな。
「はい、おしまい。来週くらいにはできるから鮫島さんに届けさせるわ」
「すいません、わざわざ」
鮫島さんというのはこの家で百花おばあちゃんのお世話をしているお手伝いさんのことだ。五十くらいのおばさんで、用のある時以外は奥の間に引っ込んでいる。
「好きでやってるんだからいいのよ。これは私のワガママだから。ああ、そうそう。もうひとつ用があったのを忘れてたわ」
おばあちゃんは部屋の年代がかった箪笥から、小さな袱紗に包まれた物を僕に手渡した。
開いてみると、直径三センチほどの真球に近い翠色の透き通った石が入っていた。縦に白い筋が入っており、まるで猫の目のようにも見える。猫目石ってやつだろうか?
「白い線が見える?」
「はい。猫の目みたいな。ひょっとしてこれってキャッツアイってやつですか?」
「そう。『龍の瞳』が見えるのね」
百花おばあちゃんは微笑みを浮かべながら口を開いた。
「それはね、『龍眼』よ」
「りゅうがん?」
「そう。食べる方のじゃなくてね。龍の眼。その昔、平安のころ、私たちのご先祖様が地上に落ちてとても困っている龍を見つけ、助けたという言い伝えがあるの。その時のお礼として貰ったと言われているわ」
そりゃまたファンタジーな。確かに龍の目と見えなくもないが、これが龍の目だとしたらえらく小さな龍だったんだな。しかもお礼に自分の目をくれるって、どんなホラーだ。
「それは貴方の物よ。代々その『龍眼』は龍の瞳が見える者が持つとされているの。残念だけど貴方のお父さんには見えなかった。白鳳兄さんはうっすらと見えたみたいだけど、私には見えない。貴方が持っていた方がいいわ」
「はあ……。いいんですか? これって高い物なんじゃ……」
「普通の人には線は見えないから、ただの丸い石としか思われないわ。宝石的な価値はないわねえ」
そうなのか。
僕は『龍眼』を夕陽に翳し、キラキラとした光の覗き込んだ。綺麗なモンだけどな……ガラスなのかな?
「御守りとして持っていなさい。この袋に入れてね。これも私が作ったのよ」
おばあちゃんは小さな巾着のような袋をくれた。神社の御守りくらいの大きさで、紐がついていて落とさないようになっている。これを首に下げるのはいささか恥ずかしい。
僕は巾着に『龍眼』を入れると服の内側にそれをしまった。
「さ、夕食にしましょう。なにか嫌いな食べ物とかはある?」
「いえ。特には。あ、バナナは食べられないんですけど」
「バナナは夕食には出ないわねぇ」
おばあちゃんは笑いながら台所へと向かった。
子供のころ風邪をひいて、咳と痰が止まらず、何回も吐いたことがあった。僕はその数時間前に山ほどバナナチップスを食べていて、吐くもの吐くもの全部がバナナ味だったんだ。
以来、バナナは食べられない。
幸か不幸かバナナはあまり料理には使われないのでそれほど困ってはいないが。
僕はおばあちゃんについていきながら、胸元にぶら下がる不思議な玉に手を当てた。
龍眼。龍の目ねえ。
兎の眼なら面白かったんだが。……いや、単なるホラーか。
僕はDWOで兎の足を手に入れた時のことを思い出し、馬鹿な考えを捨てた。
【DWO無関係 ちょこっと解説】
■龍眼(食用のほう)
りゅうがん。ロンガンとも。ムクロジ科ムクロジ属の常緑小高木またはその果実。インドや中国が原産地と言われ、国内では九州南部や沖縄などで栽培されている。果肉は少ないが、酸味がなく、甘みが強い。独特な香りと味のため、好みが分かれる。動脈硬化、糖尿病の予防に有用とされる。