■030 カッパ
「いーなー。あたしも【怠惰】で始めればよかったなー」
放課後に寄った喫茶店で遥花が咥えたストローを上下させながらボヤいた。
その横では困ったように笑うリゼル……リーゼがいる。
僕らが「DWO」で一緒にパーティを組んだと聞いて遥花がやさぐれているのだ。
僕の隣に座っていた彼女の双子の兄である奏汰が呆れたような声を漏らす。
「こればっかりは仕方ないだろ。それとも今のキャラを消して新しくやり直すか?」
「むー。なんで『DWO』ってサブアバター使えないのかなー」
「DWO」ではサブアバターは使えない。新しくアバターを作るときは以前のアバターを消さなければならないのだ。確か複数のアバターによるログインは精神への負荷がなんたらかんたらとあったが。
「そういや二人は第二エリアをクリアしたのか?」
「いんや、まだだ。それよりも先にやることが一杯あってな。ギルドを立ち上げたばかりで金欠だし、俺の方はNPCの個人イベントも始まっちまってさ」
「私の方もギルドをいろいろとね。ギルド作ると面白いけどいろいろ必要になってくるよー」
「例えば?」
遥花の横にいたリーゼが尋ねると、彼女の口から予想外の返事が返ってきた。
「まずは家具だね」
「は?」
家具? 家具ってテーブルとかイスとかの家具か?
「拠点となる場所ができたのに、なんにもないんじゃつまらないじゃん! それぞれ好みの家具や調度品を手に入れたくなるの! 運悪く、あたしたちのパーティには【木工】系のスキル持ちがいなくてさあ。買うとなるとそれなりにまたお金がかかるんだよ……。今から【木工】スキルを手に入れて、熟練度上げするのもなんだしさあ」
「なるほど……。僕らのパーティにも【木工】持ちはいないなあ……」
「レンちゃんは服飾系の生産スキルだしね」
リーゼの言う通り、うちのパーティで生産系のスキル持ちはレンと僕とウェンディさんだけだ。しかも僕とウェンディさんは【調合】と【料理】という、あまり伸ばしていないお蔵入りスキルである。
「僕らもギルドを作るとなると、お金が必要になってきそうだな。手っ取り早く金を稼ぐにはどうしたらいいかな……」
「元手が安い何かを大量生産して売る。生産経験値も入るし、熟練度も上がっていいことづくめだ。ただし、素材を集めてくれる協力者が必要になるけどな」
「それだと僕は【調合】だからポーションとかになるのか。そういやポーション系はまだハイポーションを作れてないな。ポーション(粗悪品)は山ほどできたけど」
ポーション(粗悪品)から普通のポーションを作れるようにはけっこう早くなったんだけどな。さすがにハイポーションは熟練度が高いみたいだ。
「【調合】持ちならいろんなものを調合して、まだ発見されてないアイテムを作ってみれば? 高く売れるかもよ?」
「いやいや、もう大概見つかってるだろ。いろんな味付きポーションとかも考えたけど、すでにあったし」
ポーションを初めて飲んだとき、苦いと思った。ジュースや果物なんかと【調合】すれば美味いポーションができるんじゃないかと考えたけど、やはり誰でもそう考えるらしく、『ポーション(オレンジ)』だの、『ポーション(サイダー)』などがすでに存在していた。
ところがこの手のものは味はまあいいんだが、回復量がかなり落ちるのだ。プレイヤーが露店で売っている中には『ハイポーション(グレープ)』などもあって、それでポーション並みだったりする。しかも値段は高い。
これがものによってはあまり回復量が落ちないものもあるとかで、僕は飲んだことはないが『ポーション(酢)』なんかはそれなりの回復量らしい。飲みたいとは思わないが。苦いか酸っぱいかの違いだけじゃないか。
それから僕らはゲームの話や学校の話、リーゼの日本観とか、取るに足らない話を駄弁って時間を過ごした。
「そういやさ、最近変な噂を耳にしたんだけど。ほら、この近くに小学校があるだろ?」
「小学校?」
唐突に奏汰が話題を振ってくる。小学校って、また誘拐とかじゃないだろうな。僕は春先にレン……レンシアと出会った時のことを思い出していた。
「その小学校の校庭にさ、こないだ変なマークが描かれていたんだってよ。なんだっけ、アレだよ、み、み、ミリタリーサーカス?」
「……ひょっとして、ミステリーサークル?」
「そう、それ!」
どんな間違いだ。軍人さんが火の輪くぐりでもすんのか。
「早朝に登校した生徒が見つけたんだって。誰かが夜の間に侵入して落書きしたんじゃないかってお母さんたちが話してた。迷惑よねえ」
「まあ、暇人はどこにでもいるよね」
呆れたようにつぶやいた遥花に僕も同意してそう答える。くだらないイタズラだ。近所の不良とかの仕業かな。
「それに便乗したのか、その夜にUFOを見たって人もいるらしいぜ。なんか葉巻型の光るものが夜空を飛んでいったって」
「案外その見たって人が学校に侵入した犯人なんじゃないの? 自作自演で事件を広めようとかさ。リーゼはどう思う?」
正面に座るリーゼに話を振るが、聞いてなかったのか彼女は視線を飲んでいたオレンジジュースに落としていた。
「リーゼ?」
「え? あ、ああ、ヨーロッパの方じゃけっこうあるよ、そういうの。あっちは麦畑とかだけど。だいたい誰かのイタズラだって話だよ」
リーゼの言う通り、ミステリーサークルはヨーロッパ、特にイギリスとかでよく発見されたとかテレビでやってたな。僕もその手の番組を観た記憶がある。
「最近変な話をよく聞くよな。こないだうちの母ちゃんの知り合いは河童を見たって言ってたし」
「河童ぁ?」
それはまた……。宇宙人だけじゃなく妖怪まで出るようになったのか、この町は。あまりの胡散臭さに疑惑の目を奏汰に向ける。
「河童ってアレだよね。頭に皿があって甲羅を背負ってる……」
「夜だったらしいから皿があるかはわからなかったみたいだけどな。なんでも雨の日の夜に全身緑色のやつを見たんだと。車のヘッドライトに照らされてどっかに逃げたらしいけど」
「それって子供が緑の雨合羽を着てただけじゃ……」
苦笑しながら僕が奏汰に答えると、正面のリーゼが首を傾げて尋ねてきた。
「カッパとアマガッパってなに?」
「え? ああ、雨合羽ってのはレインコートのことだよ。カッパは……えーっと妖怪、あー、向こうじゃなんて言うんだ? モンスター?」
リーゼが目を丸くしている。なんて説明したらいいんだろ。甲羅を背負ってて、頭に皿があって……。
「こういうやつだよ」
バッグからノートを取り出した遥花が、それにサラサラと河童の絵を描いた。上手いな! よくこんな簡単に描けるもんだ。あっという間にコミカルな河童が出来上がった。
「……これがカッパ?」
「そう。頭に皿があって甲羅を背負ってる。日本に昔から伝わるモンスターのひとつさ」
遥花が描いたカッパのイラストを食い入るようにリーゼは眺めていた。それを横目で見ながら、僕は隣の奏汰に向けて口を開く。
「さっきのミステリーサークルも河童の仕業じゃないのか。河童はイタズラ好きだって言うし」
「また迷惑な河童だな、オイ」
「河童は迷惑なもんだろう? 妖怪だし」
奏汰のツッコミにそう返す。「かっぱらい」って言うくらいだしな。アレは「掻っ払い」で関係ないか。
リーゼはまだ遥花の描いたカッパとにらめっこしている。
「それ気に入った?」
「え? あ、うん。なんか」
「じゃあリーゼにあげちゃおうー」
ノートのページをビッ、と破り、遥花はカッパのイラストをリーゼに手渡す。
「ありがとう。遥花」
渡されたページを丁寧に折りたたみ、リーゼはそれをバッグにしまった。カッパが気に入ったんだろうか。女の子の「カワイイ」の基準はよくわからん。
「ありゃ、降ってきたか」
喫茶店を出ると少し雨が降っていた。僕や奏汰なんかは濡れたって気にしないが、リーゼや遥花はそうもいかない。
幸い霧宮の兄妹は傘を持ってきていたので、一本借りることにした。僕とリーゼは家がお隣さんだし、正直助かる。美少女と相合傘ってのがいささか緊張するけど。
「朝、天気予報見てから出ればよかったな」
「私も。寝坊しちゃってバタバタしてたから」
お互いにたわいない話をしながら、曇天模様の空の下を歩く。リーゼも日本やクラスに慣れて、いろいろと行動しているらしかった。意外とアクティブなんだな。ゲーム好きっていうからインドア派かと思ってたけど。
二人で川沿いの道を歩いていたとき、土手の下にある藪の中からガサガサという音が聞こえてきた。
「え、なに?」
「……下がって」
野良犬かもしれないとリーゼの前に僕は足を踏み出す。
次の瞬間、僕の目に映ったそれは全身緑色の──────。
「あれ?」
「よかった、気がついた?」
気がつくと土手の斜面に僕は横になっていた。しとしとと降る霧雨が冷たい。全身泥だらけで濡れている。
あいてて。起き上がろうとすると、身体のあちこちが痛む。
「えっと、なにがどうなった?」
「藪から出てきた犬に驚いて、足を滑らせて土手下に落ちたんだよ。頭を打ってたから救急車呼ぼうかと思ってたんだけど、大丈夫?」
犬? ……ああ、そうか。急に黒い犬が出てきて驚いて転んだんだ。うわ、カッコ悪いな。
泥だらけ、濡れネズミの身体を起こして立ち上がる。多少の痛みはあるけど怪我はしていないみたいだ。
「あーあ、傘を借りた意味がなくなっちゃったな」
「早く帰ってお風呂入った方がいいよ。風邪ひくから」
確かにリーゼの言う通りだ。意識したら寒くなってきた。
ずふ濡れの気持ち悪い身体を引きずって、なんとか家まで帰り着く。
リーゼと自宅前で別れた僕は、すぐさま風呂を沸かし、濡れた制服を洗濯機に放り込んだ。
そのままシャワーを浴びて、湯船に浸かり、やっと温まって自分の部屋へ戻るとすでに時計の針は八時半を回っていた。
え? もう八時半!? 喫茶店を出たのが五時前で、家まで二十分くらいなのに。てっきり六時過ぎくらいかと思ってた。
あれえ?
晩御飯の用意とかしてないじゃん。どうしよ。なんか買ってくりゃよかったな。
いや、ずふ濡れ状態でスーパーなんかどのみち入れなかったか。
「今日はもう買い物に行くのも面倒だし、あり物でいいかー……」
確か冷凍のチャーハンがあったはず。僕はキッチンに向かい、冷凍庫のドアを開けた。
【DWO ちょこっと解説】
■カッパについて
……カッパ。日本の妖怪。「河太郎」とも。頭頂部に皿を持ち、口には嘴、手足には水掻き、背中には甲羅を持つ。相撲とキュウリが好物。
ちなみに雨合羽の「かっぱ」はポルトガル語のcapaが由来でカッパとはまったく関係がない。
DWOともカッパとはまったく関係がない。