■136 カグラの町と桜閣殿
「ここがカグラの町か……」
第四エリアから第五エリアへ抜けて、平原を少し南下した場所にその町はあった。
まずなによりも目を引いたのが大きな桜である。
町の入り口から確認できるほど、中心部にどデカい桜の木が生えていた。巨木なんてレベルではない。世界樹か、と思うほどのレベルである。
町中にはらはらと桜の花びらが散ってはいるが、地面に落ちると不思議なことに溶けるように消えてしまう。
ただ、水の上に落ちた桜だけはなぜかそのまま浮かんでいたが。
試しに空中で花びらを捕まえてみたが、ちゃんと手の上に残っていた。それを再び地面に落とすとやはり消えてしまう。どういうことなんだろうか。まあ地面に桜の花びらがわんさかあったら邪魔だし、掃除する手間も省けるからこの方がいいのかもしれないが。
町には運河のようなものが張り巡らされていて、赤い欄干の橋がいくつも渡されていた。
瓦屋根の和風な建物が至るところに建てられているが、まるでビル街のように高い建物が多い。ごちゃごちゃと組み合わされて、迷路のような印象を受ける。
「赤い鳥居がいろんなところにあるな」
「鳥居は本来、神域と俗世界を区画するものなのですけれど、結界という意味もあります。この町を守る防衛システムなのかもしれません」
僕の疑問に祖母の家が神社であるというシズカが見解を答えてくれた。
全部和風かというとそうでもなく、歩道には街灯が取り付けてあったり、煉瓦造りのレトロな(ファンタジー世界からしたら近代的だが)時計塔があったりする。遠くに神殿のようなものも見えるな。
かと思えば火の見櫓や五重の塔のようなものもあるし、事前情報の通り和洋折衷といった感じだ。
そこを歩くNPCの人々も和風寄りな服装が多く、僕とシズカ以外のみんなは若干浮いているように見える。
「とりあえずポータルエリアに行って登録しようよ」
うむ、ミウラの言う通り、まずはポータルエリアの登録だな。町中で死ぬなんてことは滅多にないと思うが、また白の門を通り抜けてここまで来るのは面倒くさい。
カグラの町のマップを確認し、ポータルエリアへと向かう。
僕らがやってきた北門のすぐそばにある広場にカグラのポータルエリアはあった。
広場の中心にはお稲荷さんの像が渋谷のハチ公のように立っている。なんで?
町の中心にある巨大な桜以外にも町のそこら中に桜が咲いていた。これって年中咲いているんだろうか。ゲームの中で季節が巡るとは思えないから、咲いているんだろうなあ……。
「町中が鳥居の赤と桜のピンクだらけでちょっと落ち着かないな……」
「正確には鳥居の色は朱色です。朱色は魔除けと言われてますから、モンスターから町を守る意味合いもあるのかもしれませんね」
シズカの説明になるほど、と納得する。色にもなにかしらの意味はあるのか。
登録を無事に済ませた僕らはカグラの町の散策を開始する。
「まずはご飯だよね! どこかの店に入ろうよ!」
リゼルがテンション高く歩き出す。無理もないか。幻想種の件でかなりストレスが溜まってそうだからなあ……。
少しでもストレス解消になればいいが、と思いつつ、僕もリゼルについていく。
やがて僕らは大通りの一角にあった、煉瓦造りのお洒落なオープンカフェみたいな店に入ることに決めた。
「なんかメニューが古めかしいけど、これは仕様かな……」
「おそらく。雰囲気作りというやつだと思います」
僕がメニューを見て漏らした感想にウェンディさんが答えてくれる。
だってさ、『ハムエツグス』とか、『ビーフスチユー』とか、書いてあるんだもん……。たぶん、ハムエッグとビーフシチューだと思うんだけど。
とりあえず僕はビーフカツレツを頼んだ。
てっきりトンカツみたいなものが来るのかと思っていたが、来たのはトンカツよりも薄い感じのカツだった。
だけど衣はサクッとしていて、肉は柔らかく、ソースの味も絶品の一品だった。この店は当たりだったな。
食後に『林檎ジュウス』を飲んでいると、マップを開いて近辺を確認していたリゼルが難しい顔をしているのが見えた。
「どうした?」
「うーん、この町けっこう広いなあと思ってね……。みんなでぞろぞろ歩くより、自由行動にした方がいいかなあ、と」
「賛成。私は鍛冶屋に行きたいけど、レンの行きたい服飾店は逆方向だし」
リゼルの提案にリンカさんが乗る。まあ、なにかギルドでクエストをしているわけでもないし、今日は各々好きに行動でもいいかな。
レンとウェンディさんとリゼルは服飾店、ミウラとリンカさんは武器屋と鍛冶屋、シズカは神殿を見に行くらしい。
僕はというと特に行きたいところもなかったので、町中を散策しながらクエストを探そうかと思っていた。
まだこの町にはプレイヤーはあまり来ていない。ということは手付かずのクエストがまだ多く残っているということだ。NPCに関わったり、特定の場所を訪れると始まる連鎖クエストもあるしな。
町を歩きながらそういったのを探すのも悪くない。
と、いうわけで、僕らは散開し、銘々で楽しむことに決めた。
みんなと別れた僕はとりあえず町の中心にある巨大な桜を目指し歩くことに決めた。
ところがこのカグラの町はかなり入り組んだ作りになっていて、真っ直ぐに巨桜のところへは行けないようになっているらしい。
カクカクとした細い道を曲がったり、階段を上ったり下りたり、まるでちょっとしたダンジョンだ。
建物は積み上げられたように高いものが多いから、視界も悪い。マップがなかったら間違いなく迷子になるだろ、これ。
「高いところからの眺めはいいんだけどな」
僕は上ってきた階段の先にあった見晴らし台から見える街並みを眺める。
どうも巨桜のある町の中心にいくにつれて勾配が高くなっているようだ。というか、もうここは巨桜の根の上にあるんじゃないだろうか。
そんなことを考察しながらさらに階段を上る。ここまできたら巨桜まであともう少しだ。
「おお……」
最後の階段を上り、巨桜の根本に到着する。あまりにもデカいため、真下から見る形になってしまうな。
空が桜色で埋め尽くされて、思わず圧倒される。今更だが遠くから見たほうが眺めは良かったのかもしれない。
巨桜の根本は公園のようになっていて、ぐるりと囲むように円形の広場になっている。ベンチや四阿のようなものもあり、茶店のようなものもあった。
NPCたちが普通に歩いてたり、四阿で話したりしている。巨桜に手を合わせて祈っている人もちらほらといるな。
ミヤビさんたちの話だと、NPCたちは自分たちの本星に近い環境のフィールドで生活しているというが、この人たちも日本のような惑星の出身者なのだろうか。
「へい、らっしゃい。なんにしますか?」
とりあえず一休みしようと茶店の店先に置いてある長椅子に座ると、奥から店の主人が出てきた。着物姿のいかにも町人といったお爺さんだ。
長椅子に置いてあった小さなメニューを手に取る。さっきビーフカツレツを食べたから食べ物はいいかな……でも団子くらいなら入るか?
「玄米茶とお団子ひとつ」
「あいよ。玄米茶に団子ね」
僕の注文を受けて店主が店の奥に戻っていく。
すぐに団子が三本載った皿と、玄米茶の入った湯呑みが出てきた。団子三本でワンセットなのか。
団子は三色団子だった。ピンク、白、緑の団子が三つ串に刺さっている。
さっそく食べてみるともちもちしてなかなかうまい。玄米茶もなんかホッとする味だ。
「平和だなぁ……」
はらりはらりと舞い散る桜に思わずそんな呟きが漏れてしまった。遅い花見ができたな。今度みんなで来てみよう。
二本目の団子に手を伸ばそうとした時、いつの間にか僕の両脇に巫女服姿の双子の子狐がいることに気がついた。
ノドカとマドカである。
「君らいつ来た……」
「さっきです」
「さっきなの」
そう答えながら、彼女たちの視線は僕の持つ三色団子にロックオンしている。
僕はため息をひとつつくと残りの二本を二人にあげた。
「ありがとうです!」
「ありがとうなの!」
満面の笑顔になって団子を頬張る双子。追加でもうふた皿注文する。
「で、なんかあったのか?」
現実世界では僕のボディーガードらしいノドカとマドカは、『DWO』では比較的自由に行動している。基本的にはミヤビさんと同じ【天社】にいるか、ミヤコさんの城、【シャンパウラ城】にいたりするのだが。
「案内しにきたです」
「案内しにきたの」
「案内?」
追加注文された団子を両手に持ちながらノドカとマドカがそんなことをのたまう。案内ってどこへ?
団子を食べ終えた二人が僕の手を取って走り出す。
引かれるままに僕もそれについて行くと、巨桜の広場から鳥居を潜って階段を下り、また別の通りへと二人は入っていった。
「おっと、これは……」
通りの角を曲がって見えた何基もの鳥居の連なりに思わず僕は圧倒される。
まるで伏見稲荷神社の千本鳥居のように、どこまでも朱塗の鳥居が並んでいるのだ。
くねくねと曲がった道のため、先が見えないな。
「この先です」
「この先なの」
ノドカとマドカが僕を案内したい場所とやらはこの先にあるらしい。
幽玄さの漂う鳥居の中を進んでいく。なんとも不思議な感覚だ。どこか別の世界にでも連れていかれるような……って、『DWO』自体、別世界のようなものなんだけどさ。
長い鳥居を抜けると、一面の桜が咲く庭園のような場所に出た。池の近くに金閣寺のようなものが建っている。
ただ、目の前の金閣寺は黄金ではなく、白銀に輝いていた。銀閣寺? いや、銀閣寺は銀色じゃないよな……。
その建物は周りの桜の色が映り込んでうっすらと桜色に輝いて見える。というか、ここってシークレットエリアか?
マップを呼び出して確認してみると、【桜閣殿】と表示されている。間違いない。ここはシークレットエリアだ。こんなにホイホイとシークレットエリアに入れるとは……。
いや、シークレットエリア自体が宇宙人サイドの個人的なプライベートエリアだとしたら、ノドカとマドカが自由に入れるのもわからんでもないんだけども……。
そのノドカとマドカに連れられて、金閣寺……いや、【桜閣殿】? に足を踏み入れる。
ノドカとマドカが寝殿造のような妻戸を開くと、がらんとした板張りの部屋があるだけで中には誰もいなかった。
「シロお兄ちゃんを連れてきたです!」
「連れてきたの!」
二人が大声でそう言い放つと、今まで誰もいなかった室内に、一瞬にして十人もの人物が跪いて現れた。
「御足労いただきありがとうございます、殿下」
「で、殿下?」
突然現れたグループの先頭にいた人物が顔を上げる。僕はその呼び方と、目の前の人物の左目にある眼帯を見て、この人が誰だかすぐに察した。
「ひょっとしてウルスラさん?」
「はい。こちらの姿ではお初にお目にかかります」
そう言ってウルスラさんが微笑む。
【帝国】の諜報機関長官であるウルスラさんが『DWO』をしているのは知っていたが、まさかそのシークレットエリアに呼ばれるとは。
ウルスラさんは金髪だった髪が銀色に、種族がおそらく狐の【獣人族】であること以外は、【帝国】の宇宙戦艦で会った時と顔と姿は変わりなかった。
いや、あの時は軍服姿だったが、今は和服のような衣装に身を包んでいる。
他の人たちもだが、色は全体的に黒。動きやすい和風の衣装で、どことなく忍者っぽいんだが。くのいち?もともと諜報機関の人たちらしいから似合ってはいるんだけどさ。
「えっと、今日はどういったご用件で……」
「『DWO』でもご挨拶をと思いまして。なにかお手伝いすることがございましたらお申し付け下さればと」
「いえいえ、大丈夫です! あまりお気になさらず!」
僕はウルスラさんの申し出を丁重にお断りする。
この人たちもおそらく『DWO』ではVIP待遇の人たちだと思う。NPCの中で、ということだが。
そんな人たちに手助けしてもらうのは、なんかズルをしているような気がするからさ。
あれ? でもそのVIP最高位にいるミヤビさんと関わっている以上、今さらなのか……?
ミヤビさんからスキルオーブとかももらっているし、ボス戦のヒントとかももらったしな……。今さらか。
うん、まあ本当に困った時は助けてもらおう。
「とりあえずお茶でもいかがでしょうか。上に用意してございます」
「あ、じゃあ……」
断るのもなんなので誘われるままに金閣寺……いや、桜閣殿の階段を上る。二階に上がり、そのまま三階へ。
四方にある妻戸と障子が開かれ、桜の花びらが混じった風が吹いている。
中央にあった紫檀の机の前に座ると、正面にウルスラさんが、僕の両サイドにノドカとマドカが座った。
やがてウルスラさんの部下の方が湯呑み茶碗を四つ持ってきて、それぞれの前に置く。
あれ? 湯呑みにお茶が入ってない。中には何やらピンク色のしわくちゃな物が入っているだけだ。
その器の中に急須からお湯が注がれる。すると中に入っていた物がゆっくりと開き、桜の花となって湯の中に浮かんだ。これって桜茶ってやつか? 桜の花を梅酢と塩で漬けたやつだっけ? 初めて見るけど、本当に桜の花が入ってるんだ。
桜の香りが鼻孔をくすぐる。ほのかに色付いた桜色のお茶を口に含むと、少しの梅の酸味とかすかな塩の味がした。
桜の香りに梅の味が実にマッチしている。なかなかに美味しい。外の景色とも相まって、なんとも贅沢な気分だ。
「いいところですね」
「【DWO】にNPCとして参加する際に、一部上流階級の者は個人のエリアが与えられるのです。基本的にプレイヤーは入ることができず、プライベートな空間ですから好きに作ることができるのですよ」
シークレットエリアのことか。ミヤビさんの【天社】やミヤコさんの【シャンパウラ城】も個人の好みで作ったのかな。
「我々は【帝国】の耳となる諜報機関の者です。身体よりも心に傷を負うこともあります。このような場所で心を癒やす時間も必要なのです」
ウルスラさんの言うことがなんとなくだがわかる気がする。
いろんな情報を扱うってことは、見たくもない、聞きたくもない情報も扱わなければならないってことだ。その心の澱を溜め込んでいったらやがて心も病んでしまうかもしれない。
それを浄化する癒しの空間は必要だろう。実際ストレス解消がある人とない人では鬱になる確率も大きく違うらしいし。……最近のリゼルの姿を見ていると本当にそう思うよ……。
「もちろんここだけではなくて、フィールドに行って冒険したり、町に行って買い物をしたりと楽しんでいます。この景色を見ての通り、最近は【怠惰】の第五エリアを拠点としております。それで殿下になにかお力添えできたらと思いまして」
「なるほど……。あ、じゃあカグラ近辺の地図とかありますか?」
「ええ、ありますよ」
ウルスラさんが懐から取り出した巻物を机の上に広げる。
巻物には筆で詳細な地図が描かれていた。おお……なんてレトロチックな……。
「ここがカグラでこっちが白の門ですね。西に行くと天羽山脈、東にずっと行くと霧骸城があります」
「霧骸城?」
「モンスターたちの居城ですね。ここらのモンスターはここの城主モンスターに統率されています」
モンスターたちの城? ダンジョンとかの城バージョンみたいなものか……?
まさか第五エリアに入って早々、攻城戦をやらないといけないのか?
グリーンドラゴンの時みたいに町に攻めてきたりしないよな……?
けっこう距離は離れているから今すぐカグラが襲われるってことはないと思うけど……。
僕は目の前の地図を見ながらこれからの行動について考え込んでいた。
◇ ◇ ◇
「穏やかで優しそうな方でしたね」
「あの苛烈な陛下の御子息とは思えないですわ」
「そうか、お前らは地球に来てからの陛下を見たことがなかったのだな」
シロが【桜閣殿】から去って、部下の漏らした言葉にウルスラが反応した。
「なにか陛下に変化が?」
「うむ。なんというか……落ち着きが出たというか、どっしりと構えるようになられたというか……。威風堂々としたところは変わらんのだがな。なにか楽しんでおられるようにも見える。その変化は殿下と出会ってからだと思うのだ」
千年と短い付き合いだが、【帝国】の女皇帝は以前に比べると丸くなったとウルスラは思う。昔は触れば火傷どころではなく、近づく者を蒸発せんばかりの怒りが滲み出ていた。
かつて幾千幾万もの星々を滅ぼし、災厄の化身とも言われた人物とは到底思えない。
「陛下は毎日楽しそうだ。我々の報告書を嬉しそうに見ているからな」
実を言うと、白兎が【龍眼】の継承者とわかってから、ノドカとマドカ以外にも彼には陰ながらボディーガードが付いている。
その情報は諜報機関の長であるウルスラの元に届き、その上の女皇帝であるミヤビの元へ届くようになっているのだ。
つまり白兎の行動はミヤビに筒抜けなのである。子を思う親心……なのかは怪しいところだが。
「陛下も初めは一族の者と知らなかったのですよね? なぜそこまでお気にかけるようになったのか……」
「だからこそだ。陛下が気に入り、目をかけていた者が自分の唯一の肉親だったのだぞ。溺愛してもおかしくはあるまい」
ウルスラの言葉に今さら気が付いたように、一人の女性が小さく手を挙げる。
「あの、もしもですよ? もしもあの方に何かあったら……」
「うむ。間違いなく陛下は烈火の如くお怒りになられるだろうな。手を下した者の星や組織はもちろん、守れなかった我々も無事では済むまい。下手をすれば銀河が滅ぶ」
「まさか……」
「冗談だと思うか?」
ごく、と誰かの唾を飲む音が大きく聞こえた。まさか銀河が滅ぶかもしれない爆弾のスイッチが、こんなに身近にあるとは思ってもみなかったのだろう。
ウルスラの部下たちは自分たちがそのスイッチを守る存在だと改めて認識し、気を引き締めることとなった。
【DWO無関係 ちょこっと解説】
■金閣寺
正しくは北山鹿苑禅寺。臨済宗相国寺派の寺院。応永4年(1397年)、足利義満により建てられた。昭和25年(1950年)に放火により焼失し、昭和30年(1955年)に再建されている。焼失前の金閣寺はほぼ金箔が剥げ落ちていて、三層ある階のうち、最上階のみに金箔が残っていた。再建の際に二層も全面金箔貼りにされ、現在の姿となっている。