あの女の子は誰?
伊藤と家中で大乱闘を繰り広げたあと。
HIMOTE様サポートと思われる黒づくめの連中が家に着いたのは、ケータイの着信後五分ほど過ぎてからだった。
その間に美雪はレイを連れ商店街に戻っていった。試着中だったし会計がまだだったのだ。むしろそれが幸いし明らかに怪しいメンインブラックなみなさんを見せずにすんだ。
彼らは気絶している伊藤を回収すると共に家の中の被害状況を調査しどこぞに電話した。破損したものについては責任持って修復すると何か発注表のような紙を俺に差し出しあっという間に消えた。
伊藤が闇から闇に葬り去られたらやだなと思いどうするのかを聞いたら、きちんと病院に連れていくと言う。あとでどこに収容されたかをメールで知らせるように約束させた。
その後、家に帰ってきた美雪に、
「家の中で暴れないでよね」
とさんざん文句を言われた。そのくらいで済んでいるのは俺が厨房の頃の悪行を見て慣れているからか。
俺は言われるままに割れた皿などの後片付けをおこなう。一応レイも手伝いしてくれたがここで問題が一つ。
「お兄ちゃん、あの女の子は誰?」
美雪に指さされ部屋の隅に目を向けると、簡素なワンピースを着込んだ目と唇以外真っ白な幼女が正座してこちらを見ている。
俺も誰だろうと考えたのだが、そのあまりに純白な容姿にまさかと思ったが伊藤の持っていた剣の擬人化だと判った。でも奴が持っている間はわりに大人の姿だったはず。しかし今の体格はレイより一回り小さく見える。
「あ、あの子は親父のメールで預かることになった……」
「わ、そうなんだ。レイちゃん一人じゃ無かったのね!」
本当に誰かを疑うことをしないな。俺は将来映画の無料チケットとか振り込め詐欺とか火災報知器無料点検とか、新しい詐欺が産まれるごとにその実験体としてホイホイ引っかかりそうで怖いわ。
「ちょっと、俺はこの子と話があるから、美雪は食事の支度をよろしくな!」
俺は適当に片付けを終了した。そしてレイと真っ白な幼女を連れ背後に美雪の罵声を浴びながら自室に入ると鍵をしめた。
さて、俺の目の前には二人の幼女が座っている。
一人は美雪チョイスのゴスロリ衣装に身をくるんだ金髪に赤い瞳のレイがやや緊張してあひる座りだ。
もう一人は全身真っ白の瞳が青い幼女が座布団の上にきちんと正座している。
大人の時はフードとコートとスカートに隠されて良く判らなかった外見だが、ワンピース一枚になるとともかく白いという印象しかない。それと細い。銀髪はストレートでレイより長く毛先が座布団の上に広がっているということは太ももに届くのだろう。
たった一つのアクセントになっているのは切れ長の目の中のサファイヤブルーの瞳だ。まさしく宝石のように澄んでいた。
そしてその目は俺を見ているようで視線が合ってない。
しかも無口だ。部屋に飛び込んでから一言も声を発していなかった。
「ええと、俺は柴田英雄っていうんだ。よかったら自己紹介をしてくれないか?」
「……アイスブランド、第六の宝剣」
青い瞳がほんの少しだけ動いて俺に焦点を合わせたのだが呟いたのはそれだけ。やや大人びて聞こえるのは沙織さん以下に声が小さいからだろうか。しかし沙織さんは声こそ出さないが瞳が十分語っているのに対しこの子は表情からしてとぼしい。
「それじゃ、何と呼べばいい?」
「……アイ」
何というかヘタっぴ同士の温泉卓球のように、サーブ即ラリー終了のような言葉のやりとりだ。仕方なしに俺は救いの目をレイに向けた。
「どうしてこの子、小さくなったんだ?」
「剣の所有権があるじ様に移行したのでレベルがリセットされたからだと思います」
「なるほどレベルの引き継ぎはできないのか」
「それがその……HIMOTE同士の対決の場合、負けた方が所有していた剣は消失してしまうはずなのですが」
レイがどことなく緊張してアイをちらちら見ているのはそれが原因らしい。つまり幼女の姿に戻ってなぜここに存在しているか判らないのだろう。
それは本人に聞いてみるかと顔を向けると、
「……刻印」
と俺の右脇腹を指さした。自分でも判るくしゃ顔を造り、着替えたばかりのスエットをめくって指さす先を見ると、伊藤から打撃を受けた場所に青いあざが……いや青い文字が浮き出ている。
身体をひねりそこをレイに見せた。
「何て書いてある?」
「HIMOTE#6,Icebrand、ですね」
ひょっとしたら宝剣でとてつもなく強い打撃を受けると刻印となるのかな。いやあの痛みは勘弁してほしいのだが。二回食らっても慣れやしない。
そこをレイに聞いてみた。
「HIMOTEに選ばれた人もこんなに痛い目に遭わないと刻印とならないのか?」
「いえ、契約時はわたくしたちもこの姿ですから、任意の箇所に手を触れるだけです」
なにその格差。つまり途中参加は扱いが別と言うわけだ。示現高校みたいな一貫校に途中で入学するようなものか。
さらに確認を込めて俺は自分を指さしてアイを見た。
「あの、俺ってあるじなのかな?」
「……マスター」
アイはこくりとうなずいた。彼女の場合そう呼ぶのかと思いつつふうと息を吐く。
丸目が見たら全身からありとあらゆる分泌液を垂れ流しそこいらを転げ回るかもしれない。なにせ無表情でもアイは美幼女に変わりないからだ。
「すると俺もアイを剣化できるのかな?」
「……だと思う」
これって例のサポート電話に聞けば教えてくれるのだろうか。こっちが聞きたいときに応えずどうでも良いときにあっちから勝手にかかってくる電話はサポートで無いと感じるのだけど。
「お兄ちゃん、レイちゃん、新しく来た女の子、ご飯の用意ができたよ!」
扉越しに聞こえる美雪の声。確かに俺も腹が減った。
「ともかく晩ご飯を食べようか」
俺はレイとアイを連れて部屋を出た。
§
「そうなんだ、アイちゃんっていうのね!」
テーブルを囲む人数が一人増えてそれなりに賑やかになったが、はしゃいでいるのは美雪だけだ。
俺の左にアイ、目の前にレイ、アイの前に美雪が座って少し遅めの晩ご飯となった。
急遽アイが増えたのにおかずの量は人数分きっちりそろっている。むしろ一人前多いように感じた。
美雪に比べてテンションがすっごく低いアイは食事できるのかと思ったが、レイと同じように器用に箸を使いこなすとゆっくりだがお行儀良くご飯を噛みしめている。
「アイちゃん、味付けとかどう?」
「……ちょうど」
返事がとても素っ気ないが美雪は気にせずにこにことアイの顔を見ていた。それでいて自分の食事もきっちりと進めるのだからこいつにはいくつ口があるのかと思ってしまう。
レイと言えば時々アイの方を見るが、今日は美雪にからまれないので安心して食事を続けているようだ。俺も妹の前髪をちらりと見て食事に専念した。
「ところでアイちゃんの洋服はどうしようかな」
食事が落ち着くと美雪は腕組みして考えている。前髪で見えない眉毛は八の字になっているのがモロ判りだ。食欲が満たされると装飾欲か。レイはその言葉に背筋を伸ばしたがアイは基本的な無表情を崩すことなく青い瞳をじっと美雪に向けていた。
「色が白いから鮮やかな原色系がいいかしら。アイちゃんはどんな色が好きなの?」
「……青」
「そっか、瞳が青いから淡い青色が似合うかもね。確かスカイブルーのトレーナーがあったはずだから今日はそれで我慢してね」
「……うん」
「明日もお休みだから一緒にアイちゃんの服を買いにいきましょう!」
また出かけるのかと思ったが、
「……出たくない」
アイは俺の方をちらりと見てそう呟いた。とても小さな声だが美雪にもきちんと聞こえていたようだ。
「そっか……ちょっと残念だけど明日はあたしがアイちゃんに似合う服装を探してくるわ」
「……ごめん」
「いいのよ、まだ日本にも慣れてないんでしょ。明日はお兄ちゃんとレイちゃんとゆっくりとこの家で過ごしていてね!」
美雪は残念そうだったがそれ以上ごり押ししなかった。
食事が終わったあと妹はレイとアイを連れて風呂場へと向かった。
何度か説明している通り学生の下宿として作られた家なので風呂場もムダに大きい。大人でも五人くらいは同時に入浴可能なのだが、造りが古くてお湯が沸くのに時間がかかるのが難点だ。しかも冷めるのも早い。
俺は男子の入浴時間が来るまで自室に戻りあれこれ考えてみた。
残りのHIMOTEは俺を含めて三人。するとあと最低で二回対決がある。それまでに他のHIMOTEがリア充を討伐すれば被害者はまだ増えるはずだ。
これ以上ターゲットとなる人から犠牲者を出さないようにするには俺が二人を捜し出してそれらに勝つことだ。
伊藤のように自分の願いを成就させるため手段を問わず罪のない人を巻き込むことだって考えられる。むしろその方が自然なのかもしれない。
リア充がターゲットだとしたら俺や美雪が襲われる確率は低いと思うのだがすでに一度狙われているな。女連れだとリア充だと解釈するのは短絡的だと思うのだけど。
だとすれば大介と美代子のペアも危ない。ただ大介なら相手を返り討ちにできそうだ。
何より心配なのが沙織さんだ。今回カズミちゃんは彼女でなくて俺を選んだのは昔の因縁だと思うのだが、沙織さんが狙われたら大変な事になる。丸目と一緒に居ればわりに安心なのだが今は住んでいるところが違うし、彼女はお嬢様なのに徒歩で学校に通っているのだ。
今回は伊藤のレベルが上でも本人が間抜けだったから俺が勝てたが、ここまで勝ち残った残りの二人はかなり手強いに違いない。
俺がさっさと負けることで被害者を減らせるかもしれない。もともと参加する気が無いのだからとっとと退場すればいいのだ。
ただ負けるとなるととてつもなく痛そうだし、ケンカには無意識で勝とうとする条件反射を何とか我慢しなければならない。
俺以外のHIMOTEが自分のレベルを上げるのにご執心だったら俺が退場しても被害者は増えるだろう。ロールプレイングゲームでもむやみにレベルを上げたがる奴だっているし、リア充狩りが楽しくなるとかだ。
あと気になるのは勝者の願いだ。これもリア充スレイヤーの賞品が有効であったらの仮定だが伊藤のようなあれは断固として阻止したい。
だとしたら俺が優勝して適当な願いを言えばそれで解決だ。
願い……改めて俺は考える。もし俺がウイナーになり何か叶えてもらうとしたらどんなことを思うのだろうか。
今のところエントリーしている『沙織さんを後ろから目隠しして』とかは論外にしても、女の子に持てて非モテを卒業するとか、使い切れない金を貰うとか、世界を征服するとか。
どれもこれも魅力的に思えるのだがどうしても現実味が無い。まだ伊藤に勝っただけだし五月雨式に参入したから実感が無いのだろうか。もっと勝ち進んでいったりリア充を討伐すると意識が変わってくるのだろうか。
ちょっと気になるのは伊藤との闘いのときに相手を斬りつけて感じた気の昂ぶり、高揚感だろうか。あれはまずい。他人を傷つけ相手がうめくことで気持ちよくなる。
ケンカの最中でも味わえるが普通の殴り合と比べものにならないほど高かった。アルコールやヤバイ薬から離れられないオトナと同じ依存性があるかもしれない。
でも……俺としては争いごとはもう十分という気がする。ケンカに勝ってもろくなことは無いしさらに余計な争いごとに巻き込まれるだけだ。
それは中坊の頃で良く判っているのだ。
今のところ明確なのはこの馬鹿げた戦いを止めたいってことなのだ。俺や美雪や沙織さんや大介に美代子など友人が巻き込まれないためにもリア充スレイヤーそのものを止めたい。
そこまで考えて俺はどこぞの正義の味方かと苦笑する。あんなにヒーローなんてものを嫌っているのに。
「お兄ちゃん、お風呂空いたよ」
扉越しに美雪の声が響いた。軽く返事して廊下に出るとパジャマに着替えた三人が俺を見ている。
レイはピンク色の新品を着ているが、アイは大きめの青いパジャマだ。裾と袖を何度か折り返し着ていた。
これはこれで良く似合っている。湯上がりのせいか真っ白な頬がほんの少し桜色に染まっているように思えた。
広い袖口から指先がちょっとだけ見えているのは以前丸目に聞かされた幼女の萌えポイントらしいがなるほどと納得した。ただアイは手をだらんと下げているが、本当は肘を曲げ指先は顎をわずかに触る必要があるそうだ。
「二人とも今日は美雪の部屋か?」
「そうだよ。お兄ちゃん明日はお父さんの部屋を片付けてね。ひょっとしたらまだ女の子が来るかもしれないでしょ」
それはあり得るが……あの上級者が最終局面まで達したジェンガみたいな部屋は触りたくないなと思いつつ、俺は寝間着を持って風呂場に向かった。
§
日曜日はレイとアイの部屋を作るために二階にある親父の倉庫をなんとか開ける作業に没頭していた。
とは言っても二つの部屋はそれぞれ見た目八〇パーセント物が詰まっておりそれを一つの部屋に収めることなど不可能だと思えた。
だがしかし、意外と余剰空間があるのではないかと着手し整理と言う名の混沌を繰り返す。途中で昔の宇宙船なみに物品が詰め込まれていると気がつき結局一階の一〇一号室・客間を使うことに決めた。親父の倉庫は見なかったことにする。帰ってきたら自分で整理するだろう。
唯一、第一倉庫と言う名の二〇二号室に『絶対に触るな、特に英雄』と書かれた菓子箱があった。玉手箱の原理でフタを開いてみると普通の書類と装飾品らしい鏡の写真しか入っていない。
これって嫌がらせか?
俺はフタをしめると二度と開かないようにガムテープでぐるぐるまきにして部屋の奥に放り込んだ。中身が菓子でも正月以来帰ってきていない部屋なのだし食べられたものでも無いだろう。ゴミ箱に直行しないだけありがたく思え親父。
客間だってそれなりに広い。レイやアイであればもう二人くらい住めるはずだ。
そんなタコ部屋にしてもしょうがないが、レイは構わないと笑顔でうなずいたしアイは無言で首を縦に振っている。
むしろ美雪が二人と別々の部屋になることを悲しんでおり、風呂だけは一緒に入ると聞かなかった。
その美雪は朝から巻き尺でアイの採寸をおこなってから意気揚々と買い物に出かけていった。今回は一人だったので三時間もしないうちに帰ってきたが両手いっぱいに買い物袋をぶら下げているのはバーゲンセールで一番乗りしたおばちゃんのようだ。
しかしそんなに買い込んで金は足りるのか? それを聞いてみると、
「口座にお金が振り込まれていたよ。レイちゃんたちのために入金してくれたんじゃないの?」
俺がネットから銀行口座を調べてみるといつもの丸目グループ名義からちょっと驚くほどの金額が振り込まれている。去年の親父の印税で換算すると六〇〇〇倍くらいだ。親父、いったい何を要求したのだろうと思ってしまう。
ともかくこれで金銭的にしばらく問題無いと思うのだが、ムダ遣いはよくないしほっとくと美雪は散財しそうだからしっかりと監視しないといけない。
その後、美雪に夕食の買い物を頼まれレイを連れ山岡商店街に向かった。美雪は衣料品を買うのに疲れたとのことで当初は一人で向かうはずが「お伴します」との一言でレイが手伝ってくれることになった。
レイの服装はゴスロリ服でなく普通のコートに毛糸の帽子をかぶっている。そのおかげで金髪は隠れているもののその美幼女ぶりは十分目立つと思うのだが、昨日美雪が商店街を引き回していたおかげか開いている店の店員から挨拶されていた。
公園デビューならぬ商店街デビューが済んでいるということだ。
本日は食料品の買い物だ。俺のバイト先でもあるスーパーマーケット・ナオキストアに向かっていた。その途中、マンガの品揃えが良いことでマニアに良く知られている土方書店の店先で竹刀と防具が詰まった大袋を背負っている大介の姿を見つけた。
「よう大介。稽古の帰りか?」
ところが大介の視線は書店の中を向いたきり俺の問いかけに答えなかった。こいつが俺を無視すると思えないので何かに集中しているのだろうと、そっと近づいてあいつの背後から目先を追ってみるとアルバイト募集の張り紙だった。
たぶん声をかけても気がつかないだろう。肩をぽんぽんと叩くと振り返って俺を見た。どことなく目が死んでいるな、稽古疲れと違うように思える。
「バイト先でも探しているのか?」
「うん、そうだけど……ところでその子は誰なの?」
大介が見ているのは俺のすぐ横に立っていたレイだった。
「この子は親父の知り合いからしばらく俺の家で預かることになったんだ」
「初めまして、レイと申します」
「そうなんだ、ぼくは佐々木大介です。日本語お上手だね」
スポーツ青少年らしく爽やかに挨拶したあと大介は視線をアルバイト募集の張り紙に戻していた。やはり真剣だな。
「ここのバイトはきついわりに時給が安いぜ。コンビニの方が儲かるけど」
「ヒデちゃんのスーパーだとどれくらい?」
「あれも安いよ。たまに食い物くれるし親父の知り合いだから働いているようなものさ」
「そうなんだ」
大介は背中を丸くした。何かお金が必要なのだろうか。しかし金銭的な問題というのはなかなか切り出しずらかった。
きっと欲しいものでもあるのだろう、こいつのことだから新しい竹刀かもしれない。
「なんだったら俺が町会長に効率のいいアルバイトがあるか聞いてみようか?」
「ありがとう、ヒデちゃんは変わらないね」
暗い表情ながらほほえんだ大介の言いたいことが判らず首をひねっていると、
「他人の面倒は嫌いだっていつも言っているのに心配してくれるでしょ」
「何を言っている! そんなのはすっごく可愛い女の子と大介限定だ!」
「ありがと。もう少し自分で探してみるよ。じゃまた明日」
大介は俺とレイにほほえむと大荷物を本当に重そうに背負いながら俺たちに背を向けて歩き出した。その背中はどこか哀愁を帯びていて佐々木大介にとても見えない。
「お友だちなのですか?」
俺を見上げたレイもどこか心配そうだ。彼女にもあいつの背中はそう見えるのだろう。
「小学校からのダチだよ。俺のことは一番知っていると思う」
レイは納得したかのように小さくうなずいた。俺たちもここでのんびりしていられないからさっさと買い物に向かおう。
まもなくスーパーに到着し美雪の書いた買い物リストを見て驚いた。いくらお金が振り込まれているからって何を作るつもりなんだ、満漢全席でもおこなうのか?
「手分けして買いましょう」
俺の手元を覗いていたレイがそう言うのでリストを二つに切ると片方を彼女に渡した。
「何を買うのかこのリストで判るか?」
「大丈夫です、判らなかったらあとであるじ様にお聞きします」
レイはレジにカートを取りにいった。さて、半分でもなかなかすごい分量だ。さっさと買わないと夕食が遅くなる。
とりあえず野菜類から攻めてみるかとカートを押したのだが、目の前で大根を見ているのは褐色の肌に鳶色の髪、横顔から見える瞳はアンバーイエローの女性だった。服装はダッフルコートでモコモコということは昨日、出逢った関西弁・インドの人だろう。
「昨日はちゃんと着けた?」
俺が彼女に近づいてそう聞くと、振り返ったはいいがこちらを見て半目になった。ちょっと空気が重い。
「どちらさん?」
「ええと、昨日隣町のショッピングセンターで道を聞いてきたよね?」
「しらんなぁ、わては昨日ずっとこっちにおったけど、あんちゃんとは逢ってないわ」
「あ、そうなの。そりゃ人違いだったかすまん」
すると女性は右手を拳銃スタイルにし人差し指をこめかみにぐりぐりと押し当てた。
「もしかしてあんちゃんが逢ったのはわてのアネキかもしれへんなあ。昨日はまちごうて隣町にいったいうてたし」
確かに顔は良く似ているのだがこっちの女性は髪をツインテイルにしていた。昨日の女性はポニーテイルだったから別人なのだろう。しかし良く似ている、双子なのだろうか?
「まあ、あんちゃんのおかげでアネキも昨日はわてと逢えたし、えろうすまんかったなあ」
「いいや、無事逢えたならなによりだよ」
「ところで今何時やろか?」
彼女に問われケータイを引っ張り出すと待受を見てみた。
「午後五時一〇分だけど」
「さよか。ほなわて用があるんで、これで失礼させてもらうわ」
関西弁妹は俺にぺこりとお辞儀をすると大根を人参の棚に戻して店を出ていった。
俺は彼女が間違えた大根を取り上げカートの中に納める。
関西弁でインド人(俺予想)で双子というのはなかなか珍しい姉妹だ。貴重な人物を見られたのでひょっとしたら何か良いことがあるのだろうかと思った。
だがカートの中は大根だけだ、ピッチをあげて商品を探していく。
時間を取られたこともありレイが彼女の分担を終えて食材満載のカートを押し現れたときにも、俺のリストは半分も終わっていなかった。
残りの食材はレイと二人で探し二つのカートをレジに向かわせると、それなりの金額が刻まれたレシートにダンベル並の重量となったレジ袋を手にする。それからすっかりと暗くなった商店街を後にした。
「ただいま」
「ただいま戻りました」
「おかえり、レイちゃんお疲れ様」
昨日と異なり家に帰ってから暖かく迎えてくれるのはいいが、俺は眼中に無いというのか我が妹よ。それをそのまま顔に表していると、
「最近お散歩中の犬が急に飼い主さんに噛むことがあるんだって。そのとばっちりでレイちゃんが襲われないか心配で」
それでも俺を心配してくれないのか、トホホ。
ロンリーだぜ。
だがその話、学校で美代子から聞いたのとよく似ているな。
「昨日も町会長さんがジルベールに噛まれて大変だったって言ってたよ」
「ジルベールってチワワだろ、大げさだなぁ」
「チワワでも犬は犬だもん。やっぱり猫の方が可愛いよね」
町会長は血統書付きのチワワをいつも自慢しているけど、言うこと聞かないときに殴る蹴るの乱暴を働くっていうから自業自得だな。
「ところでアイはどうしている?」
「アイちゃんなら今はシロと遊んでいるよ」
俺が渡した大量のレジ袋を食堂のテーブルに並べつつ美雪は振り返りもせずそう答えた。レイは晩ご飯の手伝いをするというので食堂に残し、俺は家の奥へと足を進めた。
確かにアイはシロと向かい合わせに正座している。ただ二人の間は三メートルほど開いていた。
これは遊んでいると言うよりお見合いではないだろうか。
シロは専用の座布団の上で丸くなりしっぽをふらつかせている。とても余裕のある態度だ。
それに比べるとアイは板張りの上に直接正座していておまけにどこか緊張しているように見える。さらに右手を差し出してシロに向けて居るのだが擬人化しているときは普通の幼女らしくヨガの達人みたいに腕だけビヨーンと伸びたりしない。
シロにしてもそこまで気を使わないからこの二人はユークリット平面上の平行線のようにいつまでたっても交わらないだろう。
「ひょっとしてシロに触りたいのか?」
「……うん」
アイは俺の方を見ずに答えた。
「触りたいのならもうちっと近づかないと無理だぞ」
アイはうなずいたが動く気配が無い。ひょっとして怖がっているのかな。伊藤と闘ったときに威嚇されていたし。
ここは一つ強硬手段でいこう。俺はアイの背中から脇の下に手を入れると彼女の身体をそっと持ち上げて見た。予想通りそんなに重くない。おまけに硬直しているから正座の姿勢のままに宙に浮いた。
それからゆっくりシロに近づいた。急に移動するとシロも驚くから少しずつ、猫と幼女の反応を見ながら進む。
その距離が二〇センチを切った。そろそろアイの手でもシロに届くはずだ。猫側は拒否していないししっぽはふらふらと動いている。
俺はそっとアイの身体を降ろした。そこで彼女は振り返ると俺の顔を見る。
俺は強くうなずいてからアイの隣に腰掛けた。
アイはそーっと腕を伸ばし息を殺してその手をシロの背中に乗せた。ここでも拒絶されない。
アイはふうと息を吐くとシロの背中をゆっくりとなで始める。
ちなみに無表情だ。青い瞳はじっとシロのしっぽを見ていた。
「猫、好きなのか?」
「……判らない」
返事はいつもの通りだがどことなくアイの顔が喜んでいるように見えた。唇も頬も眉も目元も動いていないのだが何となく判る。
俺とアイは丸くなっているシロの背中を見ていた。
「……なぜシロ?」
たぶん猫の名前のことだろう。トラ縞なのにシロと言う名がアイにも不思議なのかもしれない。
「この猫は二代目シロなんだ」
アイは瞳だけ俺に向けたあとすぐさま視線を戻した。続きを聞きたいのだろう。
「俺たち家族がここに引っ越して来たときには白猫が住み着いていて、みんなでシロと呼んでいた。ある日、その猫が居なくなり代わりに住み着いたのがこいつなんだ」
そのとき美雪はトラ縞の猫をシロだと言い張ったのでこいつの名前はシロなのである。当時名もない猫も美雪の訴えに反駁しなかった。
「……前の猫は?」
「さあ、俺にも判らない。居なくなったのが七年前、まだ生きていたらかなりの長生きだな」
「……そう」
アイはゆっくりとシロの背中をなでている。その仕草はとても優しく見えた。