そうかもしれませんがこうも仮定できませんか?
「これ、何に見える?」
翌日、学校の二時間目の休み時間に俺は、級友にあの参加要項をつきつけてたずねていた。
朝から何人目だろうか。それなりに親しくまともな神経を持っている者を選んでいるのだが、そいつらの第一声はこうだ。
「そのコピー用紙がどうした?」
「何か書いてないか?」
加えて質問を続けると紙を受け取ってから何度かひっくり返し同じ答えをする。
「折り目が付いているけどマジックでも見せてくれるのか?」
「そうか。まだそこまでできないんだ」
俺は苦笑し紙を取り返す。やはりレイの言うとおりこの紙に書かれたスパム電子メールまがいの内容を読める友人は一人も居なかった。
昨日レイと夕食をとっているときにも、美雪に紙を見せたが白紙にしか見えなかったようだ。俺の脇腹の傷跡もそれを撮った写真を見ても俺が見えた文字は認識できず、だいぶあざが引いてきたねと喜んでいた。
そのレイだが今は俺の家でお留守番だ。
美雪の通っている山岡中学校とこの学校は共に徒歩一〇分程度の距離なのだ。俺たちは毎朝同じ時間に家を出る。昨日まではその時点で無人となるのだが今日は壊れかけの扉の向こうに、金髪幼女が美雪のおさがりを着て俺たちに向かい手を振っていた。
「それじゃレイちゃん。お昼は用意してあるのを適当に暖めて食べてね。何かあったらあたしかお兄ちゃんの携帯電話に連絡するのよ」
「判りました。いってらっしゃいませ」
すっかりとお姉さん気分の美雪はレイの出所について何の疑いもなく接している。レイも妹になれたようで相変わらず外見年齢に似合わないが丁寧な口調で対応していた。
昨日は食事のあと美雪と風呂に一緒に入り一緒に寝たらしい。朝になってレイが心配だから学校にいかないとまで言い出した。そこは何とか説得した。
「お兄ちゃん、レイちゃん一人でお留守番させて平気かな?」
「大丈夫だろ。親父のメールだとしっかりしたいい子だそうだから」
「そうだよね、あんなに小さいのに大人びたしゃべり方しているもん」
「美雪も少しくらいレイみたいに話せるようになれよ」
すると美雪は舌をベーっと出し学校に向かって走っていった。
実のところ俺もレイを一人にしてよいかと迷っていた。まさか学校に連れていくこともできない。金髪で美少女というとてもよく目立つ容姿もさることながら丸目の手からレイを守る自信が無かった。
レイも彼女なりに俺を一人にするのを心配していた。他のHIMOTEに襲撃されたときの対処だ。
そこでレイから小さな剣のペンダントを渡された。これに強く念じることでレイをいつでも俺の側に召喚できるという。
ただ呼べても帰せないので学校で使用するのは要注意だ。
「それにしても他のHIMOTEがどこで襲ってくるか判らないな」
「日中は問題無いでしょう。わたくしたちは太陽が出ている間剣に姿を変えられません」
「まるで吸血鬼みたいだな」
それはそれとして。今でも闘う意志なんて欠片も無い俺は、自分にしか読めない参加要項を見ながらふうとため息をついた。
裏面に書かれた嫌がらせのような参加規則を読んでもどこにも参加後の任意退会について記述されていない。
同時に闘わない場合の罰則も明示されていないから知らんぷりを決め込んでも良いのだろう。しかしどんな願いでも一つだけ叶えることができるという甘いご褒美に、俺に戦いを仕掛けてくる奴はいるはずだ。
せめて誰かがこの文面を読めたらこれを持って警察にでも出頭するところだ。だが向こうだっていくら俺が被害者でも見た目真っ白な紙に興味を持ってくれるとは思えない。あのときのショックがトラウマかPTSDになって早速出てきたかとか思われるのが関の山だろう。
HIMOTE様サポートにも電話してみたが呼び出し音が鳴り響くだけで応答ない。お客様窓口としてはよくあることだと思うのだが合点がいかなかった。
あと誰か聞けそうな人物は居るかな、教室の中を見回したとき最後尾の窓際に女子がたたずんでいた。
俺は腰を上げてその子の近くまで進むと、
「ミヨちゃん、これ何に見える?」
と紙を差し出してたずねてみた。
彼女は荒木美代子、小学校からの友人だが大介と幼なじみ、しかもこの学校ではほとんど公認のカップルだ。本人たちは仲が良い友だちだよと言ってはいるがそれは社交辞令にしか聞こえなかった。
美代子は俺の問いかけに答えずぼうっと窓の外を見ていた。様子から察するに俺を無視していないと思うのでもう少し大きな声で名前を呼んでみよう。
「ミーヨちゃんってば!」
「あ、ヒデくん。どうしたの?」
彼女はようやく三つ編みお下げを揺らし慌てたように俺の方を振り向く。
「いやなんか呆けていたけど、また徹夜でマンガ描いていたの?」
「ううん、さすがにテスト前に徹夜しないから。ところであたしに何か用事?」
「そうそう、この紙に何か書いてあるかな?」
二回質問するのが面倒なのでいきなり要点から切り出し参加要項を美代子に渡した。彼女もそれを数回ひっくりかえし俺を見た後首を左右に振ってみせる。
「何も書いてないと思うけど」
「そっか。メモした紙を捨てちゃって、下の紙に何か残っていないかと思ったんだ」
「この紙の上でシャーペンの芯を転がしてみれば? あとが残っていればそれで判るかも」
「うん、あとで試してみる」
俺は彼女から紙を受け取ってその手もあるかなと思った。だが浮き出た文字まで誰にも見えなかったらより悲しい思いになるに違いない。
ふと美代子の左手にあるバンソウコウが目にとまった。
「まさかケガも大介とおそろいなのか?」
彼女には俺の言いたいことがすぐに判ったようだ。色白の頬をほんのりと桜色にしてから、
「違うのよ、これ近所の犬に引っかかれたの」
「大丈夫なのか?」
「爪がかすった程度だから。化膿するかもしれないって用心しているのよ」
「ま、利き腕でなくて良かったな」
「当たり前よ、マンガを描く人にとって利き腕は命だから」
美代子はほほえんで見せた。
「しかし犬を飼うのならきちんとしつけないといけないよな」
「でもね、そこの家の犬はよく慣れていてあたしが頭をなでてもしっぽを振ってくれたんだけどな」
「何にしても気を付けた方がいいぜ」
そこで三時間目開始のチャイムが鳴った。俺が自分の席に戻ろうとすると、
「そうそう、さっきの休み時間に丸目くんに逢ったらヒデくんを捜していたみたいよ」
最後に聞かなくて良いことを耳にしちまった。俺は肩を落として、
「昼休みにでも生徒会室にいってみる」
「お疲れ様」
美代子は明るくほほえんでうなずいた。しかしすぐあとに窓の外に視線を向けてまた呆けていた。
ネームに行き詰まっているのかな。そんなことを考えながら俺は自分の席に着いた。
§
丸目とはほっておいても放課後に逢うのだが、謎の参加要項のこともあるし昼飯を食べてから生徒会室に向かっていた。
ところがそこに着いてみると中から意外な人物が出てきたところだった。その人も俺に気がつきとても柔和な笑顔を向けてくる。
「柴田くん、久しぶりだね」
「こんにちは」
この人は丸目と沙織さんのお父さんだ。確か名前は幸之助だったかな。丸目グループのCEOでこの示現高校の理事長であり、なにより親父のスポンサーだ。
背も高く体格もしっかりしビシッとスーツをそつなく着こなしている。ダンディという言葉がなにより似合うロマンスグレイのナイスミドルだ。
中学時代、丸目に誘われあいつの邸宅に訪れたときに何度か話をしたことがある。俺の印象なんてさして濃い方ではないと思うのだがちゃんと覚えていたようだ。
ちなみに丸目本人は高校に上がると、学校の近所にある高級マンションで一人暮らしをしている。
「今日はどうされたんですか?」
「校長に用事があったのだよ。そのついでに三郎の顔を見ようと思ったのだがここには来ていないようだ」
奴が昼休みに居ないのは珍しい。やはり放課後にもう一度来ないといけないようだ。
「ところで柴田くん。お父上は健在かな?」
「うちの親父、そっちに連絡入れてないんですか?」
「そういうことになるかな……実は今年になって意見の食い違いをおこしてね。連絡がうまくいかなくて心配しているのだよ」
こいつはちょっと驚いた。幸之助さんの大人風説明を俺風に解釈すれば「ケンカして親父がだんまりを決めている」ってことになる。
あまりに幼い親父の態度にここは親族が代わって謝罪しておくべきだろう。
「親父がわがままですいません」
「いやいや、こちらも少々大人げない対応をとってしまってね、反省しているのだよ。ところで君も連絡は受けていないのかな?」
「二週間前にメールが届きましたけど確か今居るのはアマゾン源流近くだとか言っていました。数日前にこちらの近状報告を送ったんですが返事はまだです」
すると幸之助さんは顎をなでてから一回うなずいた。
「なるほど……もし返事があったら三郎にでも知らせて欲しい。少々急ぎで調べていただきたい用件があってね」
「判りました、帰ったらもう一度メールしてみます」
「すまないね。それはそうともう身体の具合は平気なのかな?」
何のことを言っているのかはすぐに判った。丸目が犯人の詳細を知っているのだからその父親だし、ここいら一帯に影響力のある人なので事件について気に病んでいるのだろう。
しかも被害者が息子や娘の友人なのだ、より心配しているのかもしれない。
「ええ、まあ、身体を動かすのは何の問題も無いです」
「それは不幸中の幸いだったね。君には三郎も沙織もお世話になっているのだし困ったことがあったらいつでもわたしに相談してくれたまえ」
「はい、ありがとうございます」
「それとまたわたしの所にでも遊びに来てもらえないかな。沙織も喜ぶと思う」
幸之助さんは笑顔でそれを告げるとその場を離れていった。
はたして沙織さんが喜んでくれるかは判らないが、あの広い邸宅にいくと格差社会というものを嫌と言うほど思い知らされる。美雪は広い庭とか豪華な料理とかとても喜ぶのだが俺は少しためらってしまう。
それより親父だ。
改めて俺の親父こと柴田平太郎の子供指数の高さにあきれる。
仮にも俺たち家族が路頭に迷わずこの不景気下できちんと生活できているのは、丸目グループという大きなサイフが親父の道楽に近い研究に興味を抱いてくださっている事実を認識しろと言いたい。
もしスポンサーの不興を買ったら収入源は柴田平太郎著の、吹けば飛ぶようなマイナー出版社から出している、トンデモ考古学本の印税だけなのだ。確か去年の売り上げは一〇冊……印税にして一五〇〇円だったはず。年収一五〇〇円だぞ。
この親父の考古学者としての基本姿勢が「インディジョーンズ」なのだ。立ち位置から間違っているのは明らかだ。
俺も小さな頃は毎日のようにレイダースを見せられた。しかも日本語字幕版だ。おかげでセリフは全部原文で覚えたし、さらにへびが苦手にもなった。
ことあるごとに、
「ああ、わしもこんな時代に産まれていれば大きな発見ができたものを……すでにジョーンズ博士に全て発掘されてしまったわ。全く持って残念でたまらぬ!」
フィクションと現実をごっちゃにしている。
どこの中学生だよ、まさしく子供心のまえに子供頭脳空間がそのまま大人になったとても悪い例だ。よい子はまねしてはいけない。
今年の初めと言えば帰国して何とか元旦だけ親子三人で過ごしていた。
だが午後からは元旦ではありませんとばかりにどっかに旅だっていった。やたら上機嫌だったけどまさかケンカして丸目グループに指図されずに済んだとか思ってないだろな。
今のところ美雪が大学を卒業するぐらいの貯蓄はあるが、スポンサーが無くなったらとりあえず親父は家から閉め出そうと決意する。
俺は用も無いので生徒会室を後にしようとした。
そこにチリンと小さな鈴の音が聞こえてきた。
何だろうと辺りを見回すと少し離れたところに女子生徒が一人、俺をじっと見ている。
痩身にショートヘア、メガネに切れ長の目とどこかで見たことがあるな……そう思ったら昨日校門を出てすぐのところで俺を見ていた女子だ。
彼女は俺と目が合うと薄く笑を浮かべゆっくり近づいて来る。足音がまるでしない。そのくせ存在感がとても大きい。
顔に比べて大きなメガネだがその下にあるややつり上がった目には黒々と輝く瞳がある。それが微動だにせず俺を見ていた。
「二年C組の柴田英雄くんですね」
手を伸ばせば届く距離まで近づくと彼女はそう俺に話しかけた。やや低めに澄んでいてよく通る声だ。
視線が同じ高さに思えると言うことはそれなりの身長なのだろう。
「ああそうだけど。あんたは誰だ?」
「失礼。わたしは二年A組の塚原鳴美[なるみ]と言います」
塚原と名乗った女子は会釈したあとほほえんだ。違うクラスだしこの学校はそれなりに生徒が居るが、ここまでの美人を俺が見過ごすとは思えない。
それが顔に表れていたのか、
「わたし、最近転校したばかりなのです」
「ああ、そうなのか。ところで俺に何か用事なのか?」
「はい、お聞きしたいことがありまして」
「ひょっとして連続切り裂き魔のことか?」
俺が眉を顰めてそう聞くと返事は目を細めてうなずいただけだった。
「ええと、俺も警察とかにあまり細かいことは話さないでくれと言われていてさ。まあ犯人も捕まったんだしそのうち明らかになると思うよ」
「ご存じ無いのですね。今朝方第八の犯行がおこなわれました」
塚原の冷静な言い方に俺は中途半端だった身体の向きを彼女に向け正面を見た。
「朝のテレビでは何も言ってなかったぞ」
「はい、警察も発表を控えていましたから。しかし本日の午前一時頃、西山岡町の路地裏で女性が襲われ病院に搬送されました。命に別状無いようです」
「なぜ警察は発表をしぶっているんだ?」
「もしかしたら別の犯人による犯行かもしれないと慎重に捜査を進めているようです」
「犯人は捕まったんだ、模倣犯でないのか?」
「そうかもしれませんがこうも仮定できませんか? 柴田くんが遭遇した犯人が模倣犯ではないか」
塚原は一拍おいて小首を傾げて見せた。
「あるいはこの切り裂き魔は単独犯でなく複数犯ではないのか」
何かを知っているような声に俺は思わず唾を飲み込んでいた。しかしここで焦ったところでどうなる、
「そういうのを明らかにするために警察が捜査しているんじゃないのか? 俺にはそこまで判らないけど」
「そうですか……」
「すまないな、あまり答えられなくて」
俺はそこで話を打ち切り塚原に背中を向け教室に帰ろうとした。
「リア充スレイヤー……」
俺の背中に冷たいものが流れる。
唄うような声、聞き逃してしまいそうな音量にも関わらず塚原の言葉で今まで聞こえていた昼休みの喧噪は一瞬でかき消された。
鼓動が耳に届く。振り返った俺の足下で上履きが廊下の床を噛みしめる音が奇妙に響いていた。
塚原は窓の外を見ながら腕を組んでいた。先ほどと異なりまるで俺を無視するような視線を窓の外に送り口はきゅっと結ばれている。
何と言って良いか判らず彼女の整った横顔をじっと見ていた。どんな問いかけでもヘタを打ちそうだったからだ。
塚原が腕を組んだまま右手の人差し指で左の肘を軽く叩く。
するとチリンと小さな音が廊下に響いた。彼女の腰の位置に吊された鈴が奏でたものだ。
その直後、黒目だけが動いて俺を見た。
「本日の放課後午後四時、東棟の校舎裏でお待ちしています」
「校舎裏?」
それ以上問いかけようとしたが塚原が薄くほほえんだ直後、廊下に昼休み終了のチャイムが鳴り響いた。
塚原は呆然とする俺を横目に、足音もなく俺の横をすり抜けていた。
歩いているのに音が鳴らない。
おれは彼女の腰で左右に揺れる鈴を見ながらそんなことを考えていた。