俺がどんな立場に居るのか判っているのか?
丸目の話を無理矢理聞かされやや精神的に疲労を覚えてたどり着いた下駄箱だ。
「ヒデちゃん」
名前を呼ばれた俺が振り返ると、そこによく知った顔があった。
「おう大介。帰りか?」
「その様子だと特に酷いケガはしてないみたいだね」
佐々木大介は下駄箱からスニーカーを取り出し上履きと履き替えていた。
こいつとは小学校からの付き合いになる。この学校でクラスが異なるから顔を合わせることはそうない。大介は部活があるから帰宅部プラス生徒会活動の俺と下校時も一緒になることも少なかった。
背は俺より少し低いが体格はずっと良い。頭髪規定があまりないこの学校でスポーツ刈りより少し長い程度の髪は染めても脱色もされていなかった。
一見すると昔ながらの体育会系部活高校生という印象だ。中身もほぼ外見通りだ。
今日はいつもより軽装に思えた。
「部活はどうしたんだ?」
「試験が近いからね。それでお休み」
「そのわりに帰りが遅いじゃん」
「図書室で勉強していたんだよ。数学がいよいよやばくてね」
大介は竹刀を収める袋を持っていなかった。こいつは小さい頃からずっと剣道を続けており家に帰ってからも練習を欠かさない剣に生きる硬派野郎だ。
ただ普通の硬派より、俺がうらやましい方向にちょっとだけ柔らかい。
「数学ならミヨちゃんに教えてもらえよ」
「今日は友だちと勉強会だってさ。成績がいいとそういうのに引っ張りだこだよ」
「そりゃ仕方ないか」
俺たちは並んで校庭に出ていた。まだ真っ暗というほどでもないが東の空に目を向けると星でも見つかりそうな暗さだった。
「そう言えば事件があったの山岡児童公園なんだよね」
「そうだけど」
「なんだかあの公園も事故が続くよね。何年か前に中学生の女の子が飲酒運転の車にはねられたこともあったでしょ」
大介に言われて上目遣いになる。確か三年前か。
「交通事故と切り裂き魔では、事故と事件の差があると思うけど」
「そうだけど道場に通う小学生のお母さんたちは気を付けないとねっって話していたよ」
「気を付けるにこしたことはないけどさ、あの公園今は立ち入り禁止になっているらしいし。児童公園のわりに側の道路が交通量が多いんだぜ。それで動物もよく交通事故にあっていてさ。モルモットとか猫とかがひかれているのを見たこともあるんだよ」
何と言うか動物の事故現場というのはあまり見たいものではない。
「そっか。それより今日もバイトなの?」
大介はカバンを肩に担いでそう聞いてきた。
「とりあえず今月は休みだ。店もいろいろと騒がれるのを嫌がっているし」
「そうなんだ……どっか寄っていく?」
「目立たないところならいいんだけどな」
「テレビでは犯人が捕まったって言っているけどヒデちゃんの名前は出てないみたいだよ」
「テレビで名前が出てないだけで、俺たちが被害者だってのは知れ渡っているみたいなんだよ」
「有名人は大変だね」
実際大介の言うとおり少し大変なのだ。
例の紳士協定のおかげで有名なテレビとか雑誌・新聞については俺たちに対して静かにしてくれている。だが世の中にはそんなのを律儀に守ってくれないところもあるわけだ。
昨日、家に帰ったときに留守番電話をチェックしたらメモリいっぱいに伝言がたまっていた。親父からの連絡かと思ったらそのほとんどは聞いたこともないような雑誌の取材依頼だった。
その中には俺の親戚を名乗っている者もある。一通りメッセージを確認したあとにメモリ丸ごと消去したのは言うまでもない。
しかしそれだけで終わってくれなかった。
午後九時を過ぎてからもぽつぽつと電話が入る。そのどれもが取材依頼だったのには腹が立つ。
俺は電話の設定を切り替え着信音無し状態で放置した。友だちの連絡はケータイの方に入るだろう。
あとは友人関係を探られケータイの番号とかメアドまでばれないかってところだ。
そんなことを大介に話していると、
「それだと美雪ちゃんが結構心配だね」
「うん、そうなんだよ。あいつはそういう警戒心薄いからな」
今日は元気に学校にいったと丸目に話したがその元気なところが気になる。余計なことをぺらぺらしゃべらなければいいが。むしろしゃべるなと念を押しておけばよかった。
やや気落ちしてため息着いていると、大介は笑顔で俺の肩をぽんと叩いた。
「まあまあ、ぼくがお好み焼きでもおごってあげるよ。何だったら美雪ちゃんも呼ぼうよ」
「おごりはいやだな。割り勘なら付き合うし美雪も喜んで来るさ。そもそも大介には返してないでっかい借りがあるし」
「またそれ? 気にしなくていいのに」
「そうはいかないさ。母さんに借りた物は必ず返せと教わったからな」
俺は笑いながら返事した。
そして守衛さんに挨拶してから校門を出ようとしたときだ。大介は何かに気がついたらしい。
「ねえあの子、ヒデちゃんに用事があるのかな?」
俺は大介が指さす方向をちらりと見た。
校門を出て少し離れた所にこの学校の制服を着た女子が一人で立ってこちらを見ていた。
辺りが暗いこともあって顔とか判りづらいのだが、少なくとも俺の知り合いではない。そばにあった電柱と比べると背がそこそこ高くやせ気味なのか電柱の方が太く感じた。
黒髪はショートでメガネをかけている。綺麗な顔なので知り合いなら忘れるはずが無い。メガネ越しの切れ長の目は確かに俺の方を見ているように思えた。
大介は続けて俺に質問した。
「知り合い?」
「いや知らないと思う。おまえは誰だか知っているのか?」
大助は力なく首を左右に振っていた。
俺たちがその子をじっと見ていると彼女は口元をわずかに引き上げほほえみ、会釈するとその場から立ち去った。
その細い身体からチリンと小さな鈴の音が響いていた。何となくその背中は見たことがあるような、だがショートヘアの制服の後ろ姿なんてそんなに珍しいものでもないだろう。
俺たちも校門でぼうっとしている訳にもいかず彼女の姿が見えなくなってから歩き出す。
「ぼく、居ない方が良かったかな?」
大介がそんなことを言い出した。俺は顔を向けて「何で」と言うように目で問いかけると、
「あれはきっとヒデちゃんを待っていたんだよ」
「待たれる理由がない」
「さっき言っただろ、それなりの有名人なんだし、これを機会にお友だちになろうとかさ」
「そんなことなら大介を無視してアタックしてくれたら、おまえなんかほっぽって付いてくけど」
「あー、そうですか」
どこかふてくされている大介に俺は笑いかけた。
「あの様子だと新聞部とかミステリー研究部のインタビューじゃないかな。俺は取材対象だよ」
「そういうことならぼくを無視して強行取材しそうだけどね」
言われてみればそうかもしれない。いくらマスコミを自粛させたとしてそういう興味に歯止めが効きづらいのは同じ年代、特に同じ学校に居る連中だろう。
ますます美雪が心配になってくる。
そこら辺を気にしなくていいのは男には興味が全く無い丸目か、長い付き合いの大介くらいの者だ。
改めて大介を見たとき、右手首に巻いてある包帯が気になった。
「それ、ケンカか?」
すると大介は眉を寄せ嫌な顔をしてみせる。
「練習中にくじいたんだよ。これのせいで仕方ないから稽古も休んでいるんだ」
しかし本当に剣道が好きな男だ。そこで思い出したのはあのときに俺に斬りかかってきた男と奴が持っていた大きな剣だ。
覚えている限り男はあの剣を軽々と振り回していた。見た目は鉄の固まりだしかなりの重量だろう。
「なあ質問なんだけどさ、中世の騎士とかが持っている馬鹿でかい剣とかあるだろ、あれって大介ならぶんぶん振り回せるのか?」
突然の質問に驚いたようだが上目遣いに考えすぐに答えてくれた。
「どうだろうね。ぼくは一度道場で日本刀を持たせてもらったけど、竹刀と違って両手で持ってもけっこう重かったよ。それですら振り回すと言うより振り回されていたけどね」
「そっか、するとそれよりでっかい剣だと簡単に扱えないな」
「どうしたのいきなりそんな質問をして?」
「いやちょっとな。しかし日本刀って両手で持っても重いのか。それだと二刀流ってのはすごい力がいりそうだな」
剣術の話題なので大介はとても楽しそうだ。目が輝いている。
「そうだね、二刀流と言えば宮本武蔵だけどあの人が両手で刀を扱えたのは身体が大きくて腕力も強いかららしいよ」
「どれくらいのタッパだったんだ?」
「六尺だから約一八二センチかな。ヒデちゃんよりちょっと大きいくらいだよ」
今では一八〇センチを越える日本人も珍しくないが、戦国から江戸時代なので山のような大男という印象だったのだろう。
二刀流と言えば、
「確か大介が教わっているのってタイなんとか……」
「タイ捨[たいしゃ]流?」
「それそれ、前に聞いたけどあれも二刀流があるんだろ? 試合とかで竹刀二つで闘ったりしないのか?」
「どうかな。竹刀なら二刀流できるけど扱うのは面倒だよ」
その後大介は剣道の試合で二刀流で闘った人が居たことなどを俺に教えてくれた。
動画投稿サイトにもあると言うので今度調べてみよう、いやぼくの家にそのビデオがあるよと剣術談義に華を咲かせそのまま商店街へと向かった。
§
日は落ち辺りはすっかり暗くなった。
俺たちの住むこの町は都会にあるにしては小さな商店街しか無く、隣町にできた総合ショッピングセンターのおかげで常時シャッターが降りている風景が目立つようになった。
特に連続切り裂き魔のおかげでマスコミが来てもお金を落とさず評判だけ落とすと、今年になってから町全体が厄年ではないかと肩身が狭い思いをしている。
寂しいのは不景気のせいだよ……そう言うのは小さな頃から立ち寄っていた駄菓子屋のおっちゃんが話す定型句だが、犯人が捕まったことでほんの少し商店街も活気を取り戻したように見えている。
俺はアーケードの入り口で美雪のケータイに電話を入れた。授業が終わったらまっすぐ帰れと言い聞かせてあるが家の固定電話は俺が使いものにならない設定にしてあったのだ。
『お兄ちゃんどうしたの?』
呼び出し音は二回を待たずに最大音量の返事が聞こえてくる。
「大介と一緒だがお好み焼きを……」
『いく!』
電話はそこで切れた。恐ろしくシンプルな返事にどこで待ち合わせとも伝えていないのだが、お好み焼きと言えばこの町に一軒しかないからあえて確認もしないのだろう。
俺はフリップを折りたたみながら大介を見たのだが、
「美雪ちゃん元気でなによりだね」
受話口から漏れ聞こえた声にこいつは笑っている。俺は苦笑して見せた。
さて、どうせお好み焼き屋の店内はガラガラなのだろうが、席だけ確保しておくかと足を向けたときだ。
「おう、久しぶりだな有名人」
背後から投げかけられた声に俺はふうとため息つき肩を落とした。
知っている声でも聞きたくない場合がある。かといって無視するとこういう連中はトラブルを起こす。なにしろ呼びかけ方からして好戦的だ。
俺は足を止めゆっくり振り返った。眉毛は八の字に目は半目で口はへの字を基本に脱力姿勢をとってみる。
特徴のあるダミ声を聞き間違えないと思っていたのだが、予想通りそこには見るからにチンピラという様相の男が、俺以上にだるそうな姿で突っ立っていた。その背後に怪しいお友だちが三人ほどいらっしゃる。
「おまえ、俺がどんな立場に居るのか判っているのか?」
「名前通り連続切り裂き魔を退治してくださったヒーローってところか」
あー何というかこういう情報は、こんな連中にダダ漏れなのかと落ちた肩が地面に付きそうな勢いでさらに降りた。
おまけに俺をヒーローとぬかした。
「頼む、それはあまり周りに言いふらさないでくれ」
「さあてどうしたもんかな。そんな頼み方をされると中坊のころからのお付き合いだし迷っちまうけどな」
「まあおまえに頼んでもムダだと思うけどさ、カズミちゃん」
「名前で呼ぶんじゃねえよ、このシバヅケ!」
と目の前のチンピラこと伊藤和美は、やや剃り込まれたこめかみに見事なシャープ記号を浮きだたせ大声を上げた。
顔は不良らしく相手を威圧するためのメイクを施しているが、いかんせん身長が俺より一五センチほど低い。俺が背筋を伸ばすと迫力不足となる。
それと素晴らしい愛称で呼び合っていても、こいつとは幼稚園はおろか小中学校一緒になったことは無い。
ある意味俺の嫌な時代の嫌な知人と言うところだ。大介もそれを知っているからどこか不安そうに俺たちを見ていた。
「頼む。その格好で大声はよしてくれ」
「どうやらいい気になっているようだな」
「そんなことは無いんだけど」
「その高い鼻もすぐにへし折ってやる。いいものを手に入れたからな!」
「いまさら無修正の洋物エログラビアぐらいじゃ驚かないぞ。インターネットで検索してみろよ、フィルターさえ外せれば天国だぜ」
「ふざけてんのかこらぁ!」
と耳をつんざく怒鳴り声にわずかに訪れている商店街のお客様が驚いている。俺ってこういうときの穏やかな対処って苦手なのだ。
「判った判った。せいぜい努力してくれ。俺はそういうのに飽きたから」
これ以上付き合う義理も無いので俺は大介の肩を叩いてチンピラに背中を向けたのだが、
「おう逃げるのか負け犬!」
俺の奥歯がギリギリと音を立てた。
次の瞬間振り返った俺の右手は奴のジャケットの襟をむんずと掴んでいた。
言葉は出ないが目で相手を威圧する。背筋が伸びて見下ろしていた。
「ヒデちゃん!」
大介は俺を押さえようとしたが左手でそれを制した。近づくとおまえまで巻き込む。
「いい目だな、それを見たかったぜ」
チンピラはそう言ってにやりと笑いやがった。いつも以上の強気に俺の手が襟をより巻き込もうとする。
そのときジャケットの中から何かの気配がにじみ出していた。
それを感じた瞬間奴を掴んでいる右手から全身に寒気が走った。言い表せない恐怖と一緒に身体が凍ってしまうのではないかという温度的な寒さだ。
さらに俺をにらみつける伊藤の目の奥から例えようもない暗闇を感じていた。いつもの焦点が合わずにどんよりしたもので無く、ぎらぎらと輝いているのにそれがちっともまぶしくない。こっちの精気をすべて吸い取られそうな怪しい光りだ。
俺はとっさに奴のジャケットから手を放した。詰襟の袖の下では鳥肌が立っている。奥歯がカチリと小さな音を立てた。
「ハーイお兄ちゃん、大ちゃんおまたせー!」
そこに飛び込んできた素っ頓狂な声が緊迫した空気をぶちこわす。
美雪が両手を広げ飛行機のポーズでその場に乱入してきたのだ。さらに伊藤のことなど眼中にないとばかりに大介に近づいた。
「あれ、今日はミヨちゃん一緒じゃないんだ」
「相変わらずだな、シバヅケの妹は……」
そう声を漏らしたのは伊藤だったが美雪はそれを聞いて改めて振り向くと、
「あ、カズミちゃんも一緒なんだ」
「名前で呼ぶんじゃねえよ!」
チンピラは大声で怒鳴る。しかし美雪はよく鍛えられた俺の妹なので大声くらいでは動じなかった。
「珍しいね、今日はたくさんで食べに行くんだ」
「ち、付き合っていられねえ」
伊藤は舌打ちした後に俺をにらみつける。
「ともかくいい気になるなよシバヅケ。そのうちけりをつけてやる」
奴はよくある死亡フラグを明確に立て、お友だちをひきつれるとその場から消えた。
やれやれ疲れる。
「お兄ちゃんどうしたの?」
そして美雪はいつも通りだ。そんな妹に大介はほほえみかけた。
「やっぱり美雪ちゃんは元気だね」
「うん!」
ともかくその場にたたずんでいても仕方ない。俺たちは美雪に後押しされながらお好み焼き屋に向かった。