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ウチの妹になにしやがる

「なるほどそれは実に災難と言うものだ」

 俺の前でメタルフレームのメガネを光らせこいつはとても楽しそうに言いやがった。

 日付は一月二三日木曜日、あの事件の二日後、所は俺の通っている私立・示現[じげん]高校の生徒会室でのことだ。

 時刻は夕方。授業は全て終わり校庭では運動部の起こす声が室内に響いている。日も短いので窓から差し込むのはあのときを思い起こさせる朱の色だった。

「しかし巷を騒がせている通り魔に襲われ、大した傷も無いとは君も幸運だったようだ」

「無傷じゃないさ。脇腹に大きなあざが残っているし制服とシャツはおシャカだよ」

「それを軽傷と言うのだ。君の説明では刃渡り一メートルありそうな大剣で斬りつけられたのだろう? 内臓破裂で死亡していても不思議でない。西洋風のロングソードを模写したものであれば切断より打撃に特化していると思うが、やはり刃物にかわりない」

 上から目線、饒舌に語った男の机には隅に「生徒会長」と書かれた三角錐が立っている。

 この学校創立以来最悪と評判の生徒会長、丸目[まるめ]三郎はイスをきしませて立ち上がり、後ろ手に組んで窓から校庭を見るといういかにもな生徒会長ポーズをしてみせた。

 常に学校トップの成績と俺でも見上げる一八五センチという長身。運動は得意でないと言うがそれでもどんなスポーツでも一通りこなせる。どういう訳か顔の作りもまとも、加えて丸目家というのはなかなかの名家だ。

 天は二物を与えずと言うが三つ以上は大盤振る舞いになる典型だ。

 去年の秋におこなわれた生徒会長選挙でも立候補は奴が名乗り出た時点で他の候補は無し。信任投票の結果全校生徒七一八人中信任三五九・不信任三五八・棄権一で承認された。

 なぜそんな結果になったかについては説明が面倒なので省略する。

 こいつは中学の頃からの仲だ。向こうがどう思っているかよく判らないが生徒会の補佐として俺を指名したのだから名前くらいは覚えていたのだろう。

「ときに君の妹君は無事かな?」

 ……と奴を養護してみたが、俺のことは美雪の兄貴としか見ていないのかもしれない。

「あいつはどこもケガしてない。今朝も元気に学校にいったよ」

「うむそうか。さすれば妹君の中学校では大騒ぎだろう」

 それは丸目の言う通りに違いない。

 今年に入ってから世間でニュースにならない日が無いほどの事件が、俺の家近辺で起きている連続通り魔だ。

 普段は平和すぎて都会だと思えないほど辺鄙なこの山岡町が広告費無しで全国に報道されているのだが、それを素直に喜べないのが連続犯罪、しかも未解決という事実だった。

 日付はまちまちなのだが今までに六件、犯行時間は午後八時から午前〇時まで。最初の犯行が午後九時だったことから「二一時の切り裂き魔」と言われている。

 不幸中の幸いというのか六人とも命に別状はなかった。切り裂きと言っても引き裂かれるのは衣服だけ、今までの被害者の肉体的な損傷は少ない。

 だがショックのために記憶がすっぽりと抜けており警察の事情聴取もままならないと言う。

 その七人目の被害者が俺と妹ということだ。

 もっとも公園は炎上し電柱はなぎ倒される大破壊、あそこまで大騒ぎになったのは今回が初めてだった。

 ちなみに二日前の俺は午後五時に下校した。そのまま商店街にあるスーパーで食品陳列のアルバイトをおこない、迎えに来た美雪と合流して家に帰る途中だった。妹は下校してから時間つぶしのため友人の家で過ごしていたという。

 バレンタインデーを控えチョコレートの商品が大量に入荷され仕事を終えるのが遅くなった。それが切り裂き魔に遭遇する要因だったようだ。

 早く帰ろうと山岡児童公園の中を通り抜けようとしたら、切り裂き魔と出会ってあの結果になったというわけだ。

 犯人が倒れた後無事だったケータイで警察と消防を呼び出した。俺は病院、美雪は地元の警察署に向かう。

 そう言えば救急車のお世話になったのは高校生になってから初めてだ。乗り心地はあまり変わっていない。

 病院に到着しいろいろと検査を受けてみると左脇腹に太い線のあざができているが、骨や内臓に影響は無いという。とりあえずその日は病院に緊急入院することになった。

 美雪は警察署で深夜までいろいろと状況を尋ねられたらしい。

 それでも今回は犯人らしい男が捕まっているのでその日のうちに解放され、その足で俺が入院している病院にやってきた。

 取調室が意外と綺麗だったとか、女の人の刑事さんがとてもおっとりしていたとか、夕食はカツ丼をとって貰ったけど自腹だったとか……身振り手振り口ぶり目ぶりで俺を眠らせない勢いでしゃべりまくる。その夜は物騒だと言うことで美雪も病室に泊まることになった。

 翌日俺としては脇腹はひねると痛みがあるものの、動き回るのに問題なさそうだったので学校にいこうと思った。その考えは美雪も同じだったのだが周りがそうさせてくれない。

 ともかく病院とか警察にマスコミが駆けつけ大変な騒ぎになっているそうだ。犯人が捕まりそのときの被害者と言うことで取材ができないかとやってきたらしい。

 一応被害者は未成年、特に一人は一四才未満だ。名前の公表に至らず直接取材はおこなわないこととマスコミは紳士協定を結んだと言う。だが所詮マスコミなんて紳士と言い難い存在だ。

 町内もこれ以上の悪評を避けたかったらしい。その結果報道陣の取材をシャットアウトする方向に決めたという。そのなんやかんやで一日つぶれた。

 病院が地元だったこともあり俺と美雪は病室に隔離されていた。することも無いのでテレビを見たがニュースは切り裂き魔ばかりでうんざりする。

 俺たちが退院して自宅に戻ったのが昨日の夜八時頃だった。なによりうれしかったのは栄養面で塩加減以外不足がない病院食をもう食べずにすんだことだろう。

 二人の様子を見に来た山岡町の町会長はしばらく学校を休んではどうかと提案した。だがそろそろ中間試験があるからと無理言って今日登校させてもらったのだ。

 二日ぶりの教室ではいつも通りだった。みんな一応それなりの気を使ってくれたのだろう。

 放課後になって報告だけしておくかと生徒会室に足を向けたのだ。

「それで犯人は君のことを『リア充か』と再三尋ねていたというのか」

 丸目が身体ごとこちらを向いた。俺がそれにうなずいて答えると奴はやや長めの髪をくゆらせるように小首を傾げて見せる。

「わたしから見ても君はリア充と異なる。その後に『非モテ』と言われたのだな?」

「イントネーションはもっと平たんだったと思うけど確かに非モテと言われた」

「君の場合は妹君に好かれているといえリア充と言うより非モテだろう。だからと言って命まで狙われるのはどこかおかしなことだ。むしろ君が抱える本来の敵ではないのか?」

 こいつ何気なく俺の事を非モテと断言しやがった。自分でもそう思っているがこいつに言われるとかなり傷つく。

「高校に上がってからは特に暴れてもいないしあれはそういうたぐいの人間じゃない」

「なるほど君がそう感じたのなら間違いないだろう。こちらの調査でも犯人が君という個人に遺恨を抱いている要素は無いと報告されている」

 丸目は机に近づいて引き出しから一冊のクリアファイルを取り出した。

 奴はそれをめくりながらメガネのフレームを直す。

「警察では発表を控えているが犯人は隣町の男子高校の一年生、名前は田宮健吾、年齢は一六才となっている」

 どうやら丸目グループの力で情報を入手したらしい。ここいら近辺で丸目家の影響を受けていない者は少ない。

 俺と美雪も例外でないし町会長にしても人望だけで成ったと誰も思っていなかった。

「そういえば犯人の持っていた凶器の長剣だが病院に搬送後無くなった」

「無くなった?」

「救急病院で治療のために柄を握りしめていた右手を無理矢理開いたのだが、病院関係者が目を離したすきに無くなっていたらしい」

「そんなに簡単に見失うほど小さいものでないぞ。しかもフェンスやら電柱を切り裂いているんだ、綿菓子みたいに自然に消えるもんか」

 俺の問いかけに丸目も軽くうなずいた。

「先ほども説明したがロングソードと言うのは打撃に特化している。日本刀のような切れ味はないだろう。公園の破損については警察でも捜査を続けているそうだし長剣の行方も必至になって捜索しているようだ」

 確かに良く切れる剣だとしても、ああも簡単にすっぱりいかないだろう。さらに俺の身体は二つに切断されていなかった。

 切れそうに無いものが切れ、切れそうなものが切れない。まるでスーパーイリュージョンで出てきそうな代物だ。持っていたら学期末に予定している懇親会で芸ができるだろう。

 それにしてもあんな目立つものが無くなるなんて考えられない。

 丸目は話を続けた。

「犯人の性格は真面目でバスケットボール部に在籍し、級友や教師の評判もよろしいそうだ」

「凶悪犯罪の犯人ってのは捕まってみると『何であの人が』ってパターンが多くないか?」

「人間の持つ複雑な内面を表すのに的確な事例だ。今回もそれかもしれないがまだ犯人も昏睡状態のままだから調書もおこなわれていないそうだ」

 そうか……確かにあんな感電していれば死んでいてもおかしくないだろう。俺はため息ついて顎と眉尻を下げていた。

 メランコリーだぜ。

 丸目はぱたんと勢いよくファイルを閉じると机の上に投げ捨てるように置いた。

「妹君のために言うと重傷であるが重体ではない。昏睡の原因は不明だが君が責任を問われることはない。立派な正当防衛だ」

 俺や美雪に対して過激な報道合戦がおこなわれていないのも、奴の家が何らかの力を発揮しているからだろう。

「すまないな」

「君に礼を言われる筋合いはない。しいて言えば妹のためだ」

 ……結局美雪の兄貴としか見てないのか。

 それでも俺より無邪気な美雪に気遣ってくれた方がありがたい。

 こういう変に気を回すところがこいつとの縁を切れない理由だ。

「無理はするなと言いたいところだが試験もあるだろうし、こちらも来年度に向け計画を進めておく必要がある」

 奴はにやりとほくそ笑むと生徒会長席につき、自らの照合を記した三角錐に手を伸ばす。

 それを一二〇度回転する。

 すると奴の背後に設置されたこの学校唯一の電子黒板が白く輝く。「重要機密」という超極太明朝体フォントの文字が右から流れて黒板中央で止まった。

 さらに文字を取り巻く黄色と黒の斜め島模様がうねうねとアニメーションする。いつ見ても仰々しい表示だ。

「おまえまだ諦めていないのか?」

「何を諦める必要がある。わたしはこのために苦労し権力の頂点に立ったのだ」

 丸目は頬をやや紅潮させさらに三角錐を一二〇度回転させる。部屋のカーテンが自動で閉まり廊下側の扉もロックされ防音となった。

『おにいちゃま、ぱすわぁどをどうじょ』

「美しき幼女様は世界の至宝也!」

 アニメっぽい合成音声に渋い変態ボイスで答えると「校則補完計画・幼女様のためにその二」とこれまた威圧感のこもった文字が電子黒板の上から中央にスクロールして来る。

「ふふふ、君にだけは見せてあげよう。このすばらしい設備とわたしの計画の全貌を!」 

 いや、この設備を作るのに俺も協力してるから。

 こいつは生徒会長に就任するとこの部屋に大胆な改造を加えた。とある理由で学校側も見てみないふりだが一応人目を避け土日と俺をこき使い改築したのだ。

 俺は気が進まなかったのだが提示された日給にくらりときた。さすが金持ち使うところが違う。それに欲しかったプラモもあったし……

「次なる目標は学校指定のカバンを女子のみ全てランドセルとする。色はもちろん赤だ」

 奴の声に連動し黒板に表示されたのは色も鮮やかなランドセルの三面図だった。さらに実写にしか見えない3D表示がくるくると周り、重要と思われる部分に矢印が引っ張られ何やら数字とかコメントとか数式とかグラフが表示されている。

「高校生にもなってランドセルは厳しいだろう」

「なおこのランドセルには音楽の授業で使用する縦笛を収めるポケットが左側に、体育袋を下げるフックが右側にある。さらにフタの裏に氏名住所を記入したシートを挟むクリアポケットも用意した。

 来週に試作品が納品されるが外観仕様はできているから君も確認しておいてくれたまへ」

 俺の言うことなんか聞いてないし、くれたまへでは無いだろうと無言で講義した。

「うむ……どうやらイマジネーションが欠落している君ではこのランドセルのすばらしさが判らないようだな」

 頼むから残念そうな目つきで俺を見るな。そして判ったようにうなずくな。

「もちろん、そんな君のために判りやすいイメージを作成した」

 そしてぱちんと指を鳴らすと黒板の表示が切り替わる。

「ぶっ」

 一人の女の子が問題のランドセルを背負って表示されていた。頭に黄色い帽子、ミニスカートに三つ折りの純白靴下とアニメキャラの運動靴を履いているその子は、まびれもなく美雪だった。

「てめえ、ウチの妹に何しやがる!」

「うむ、君が見間違うのも無理も無い。これは丸目グループ配下の丸目エンターテーメントで作成したポリゴン画像だが、妹君の写真を元に約二千万ポリゴンと最新3D表示技術をこめ作成したものだ」

「そんなことは聞いてねえ!」

「見たまえ……この自然な髪と肌の質感、昨今の3DCG映画など足下に及ばないぞ。1秒のレンダリングに費やした時間は桁が違うからな」

 などと説明している側から黒板の中の美雪は背中のランドセルからビームサーベルのように縦笛を引き抜きピロピロと吹き出した。曲名は「キラキラ星」のようだがどことなく音程まで外してやがる。

 つまり見た目リア充の丸目三郎は変態である。

 世の中には「変態紳士」という珍しい種族が存在すると友人から聞いたことがあるが、こいつに出逢ってみてそれが都市伝説でないことを思い知らされた。

 動く年齢制限専用ウィキペディア、アダルトモラルハザード、変態紳士どころか変態帝王を目指すというエロ魔王が奴の正体だ。

 信任投票の真っ二つに割れた要因、それは大多数の男子は信任に投票し大多数の女子は不信任に投票したのだ。

「諸君! スパッツは現世が生み出した最悪の存在だと思わないかっ!」

 こいつの生徒会長選挙での演説、その第一声がこれである。

 しかも拳を振り上げ顔を真っ赤にし音量が大きすぎて語尾はハウリングを起こすという前代未聞の出だしだった。

 さらに当選の暁にはスカートの長さをミニにする、下着の色は白のみ、タイツは不許可、ブルマ復活、旧式スクール水着を採用(以上、全て対象は女子のみ)とわめきちらし、最後はマイクの電源を切られ体育教師に身体ごと持ち上げられ強制退去だった。教師の横暴を許すなとか叫んでいたが人に言う前に我がふり直せ。

 たぶん丸目を初めて見た者は皆唖然としただろう。俺はある程度慣れていたがそれでも頭を抱えるには十分な内容だった。

 そんな恐ろしい公約を立てたに関わらず立候補が取り消されなかったのも、こいつが丸目家の嫡男であることと入学に当たって天文学的な寄付がされたことが一因のようだ。

 美雪のポリゴンが演奏するヘタっぴな縦笛のBGMは続いている。しかしホントにそっくりな上に良く似合ってやがる。丸目の幼女に対する偏愛がにじみ出て怖くなる。

「制服変更提案を懲りてないのか? 去年の年末に失敗したばかりだろう」

「うむ、あれは時期尚早だった。風紀側から抵抗はあったものの失敗ではなく、戦略的な撤退というのだ。君も布石という言葉は知っているだろう」

 ちなみに女子の制服は今のところポピュラーなセーラー服だ。奴はそれをスカートの長さは股下一二.四センチにし夏服の上着は袖の太さをやや大きく、裾は背伸びしたときにへそが見える長さと決めようとしていた。

 ミリ単位の細かい数値は変態の曰く、走ったときに中が見えるぎりぎりのサイズだそうだ。建前は「廊下は走らないようにしましょう」とのことだが、とある生徒の強固な反対によって廃案となった。

 丸目が生徒会長になるに当たり「沈黙の風紀委員長」と全校から呼称されるその生徒が最大にして最強の制御棒になるだろう……皆がそう予想したがまさしくその通りになっていた。

 この部屋をこっそりと改造したのもその人に見つからないようにするためだった。丸目はまだ知られていないと思っているが、実はすっかりばれている。そこは俺も口止めされていた。

 どうせ今回もあっさりと廃案になりそうだな……机に頬杖ついて奴の考えたランドセルの機能解説を流し見ていると……

『とんとん』

 扉が小さな音でノックされた。

 部屋の中は俺と変態だけ。生徒行事も無い時期だし頻繁にお客が来る場所でもないから珍しいなと視線を扉に移した。

 興奮した丸目はランドセルの歴史と縦笛が発生する相互作用について、全世界の同志に向け演説している。うるさいことこの上ないがそれを無視していると……

『とんととん』

「どうぞ」

 俺がそう答えても入ってくる様子がない。

 良く考えたら扉は変態がロックしているので外から開かないのだ。

 仕方なしに重い腰を上げ扉に近づくと静かに開いた。

「どちらさんです?」

 しかし目の前に誰も居ない。

 生徒会室にピンポンダッシュか? だが何となく人の気配があったので辺りを見回してみる。

 視線を下に移動するとそこに来訪者の姿を見つけた。

 幼女が一人立ってじっと俺を見ている。

 身長は一三〇センチくらいだろうか、そういう知り合いが居ないので正確な値が判らない。

 冬だというのに無地のワンピースを着ているだけだった。もっとも校内はそれなりに暖房されているから寒くないだろうが季節外れの服装に違いない。

 袖とスカートから伸びた手足はとても細くそして白かった。足は小さなサンダルをつっかけていてつま先が内側を向いたハの字になっている。

 襟から伸びた首から上も肌の色は白と言って良いだろう。どうやら日本人で無いように見えた。

 目を見張るのはその子の顔立ちである。美少女って本当に居るんだ、それが俺の感想だ。

 細面にちょっとたれた目尻の中の瞳はとても大きく廊下の蛍光灯を写り込んでまばゆくばかりのルビーレッドだ。まつげがとても長く眉毛も細く、鼻はあまり自己主張していないが桜色の唇がわずかに開いている。

 頬だけはどこか幼女らしくほんのりと朱に染まっている。ふわふわして柔らかそうな金髪はとても長くこの子の腰に届いていた。

 本当にお人形のような姿だ。俺の身長は一八〇センチに少し足りないが立ったままでは彼女の首も辛いだろうと思い膝を折って目線を同じ高さにした。

 真正面から見るとまぎれもなく美少女だ。この場合は美幼女かな? ともかく彼女は瞳をくりくりと動かし俺をじっと見ていた。

 ところで、この子誰だろう?

 俺が首をほんの少し左側に倒すと彼女は鏡のように同じ方向に倒す。同じ仕草なのに無性に可愛く見えるのが当然のことに感じられる。

 ここは一応私立の高校、しかも校舎内で放課後といえ生徒以外はおいそれと入れない。正門にも裏門にも警備室があって、民間警備会社の警備員が常駐しているから許可無く進入することは難しい。敷地は覗き防止のため三メートルの壁に囲まれているからこの子では乗り越えられないだろう。

 となるとお客さんの連れてきたお子さんだろうか。

「ええと、お嬢ちゃんは迷子になったのかな?」

 日本語が通じるのだろうかと思ったが彼女は首を左右に振っている。どうやら迷子で無いらしい。

 さてどうしたものかと思っていたら、その子は俺を指さしてニッコリとほほえんだ。

 様子から察するに馬鹿にされたのではないだろう。それにしても理由が判らない、それを表情に出してみた。返事はニッコリとうなずいただけ。言葉は通じても会話のキャッチボールは投げっぱなしだ。

「どうしたんだ、わたしの説明を途中で放棄して」

 いつの間にか俺の背後に近づいていた丸目が頭越しに美幼女の姿を見ていた。

「おお、なんと素晴らしい!」

 心臓の止まりそうな大声だ。びっくりしたのは目の前の女の子も同じだったのだろう、目を見開いてその視線は丸目に向いているらしい。

 まずいかなと思った。嫌な予感に振り返ると丸目はこれ以上ないと思える不気味な笑顔を幼女に向けていた。実際に見たことは無いが臨界点を突破した性犯罪者の顔なのだろうと思う。

「お、お、お嬢ちゃん、どこから来たのでちゅかぁ?」

 うわ、いきなり赤ちゃん言葉だよ。不気味だよ背筋が寒いよ似合っていない上に本当に犯罪者だよ!

「おにいたんに用事でちゅかぁ? こっちにくればお菓子もたくさんあるでしゅ!」

「おい丸目、やめろって」

 ずりっと小さな音がする。改めて幼女の姿を見ると一歩後ずさっていた。しかも身体が後ろに反り返り顔は泣き出す直前だ。

 いや、その気持ちはよーく判る。俺も同じ立場ならそうしていると思う。

「どこにいくのでちゅかぁ、すぐにこっちに来るでちゅ!」

 だから俺の肩越しに腕を伸ばすのはよせ、鼻息が頭に降りかかり変態という名のどす黒いオーラが扉から廊下ににじみ出していた。

 幼女はずりずりと後退し目尻に涙を貯めている。俺はこの子に変なトラウマと間違った日本人男子のイメージを植え付けさせないため、背後の男を沈黙させようと決意した。

 そして肘鉄を丸目の股間にぶちこもうとしたとき、幼女はくるりと左を向く。

 俺もそれにならって同じ方向を見ると皆にとっての救いの手が近づいている。

 よかったねと幼女を見た。涙は止まったが彼女は丸目に迫られたとき以上に目を見開き、救い主に背を向けると脱兎のごとくその場から駆け去った。

 何というかすさまじい速さだった。身体が小さいから余計速く見えるのかもしれないが、モデルスケールで考えても一〇〇メートル五秒台であっさりと神の領域に入りそうだった。

 そしてなぜか一直線でなく金髪を踊らせジグザグに走りながら、あっという間に廊下を駆け抜け姿が見えなくなる。

 ようやく救い主が追いついたのか駆け足と息を切らせる音が聞こえてくる。俺は反対側に顔を向けた。

 こちらも女の子だがきちんとこの学校の制服を着ている。校則通りに着こなしているが早歩きに上着もスカートも少し乱れていた。

 実に女の子らしく肘を曲げ拳を胸の位置で左右に揺らしている。それに伴って黒髪ストレートなロングが背中で優雅に揺れていた。

 こちらも分類は美少女、ほっそりとした卵形の輪郭に小鳥のような大きな目だ。少しだけ太い眉毛は八の字になっており、荒い息づかいと赤くなった顔から無理して早歩きしているのだろうと思われる。急いでいるのだが「廊下は走らないように」という校則を遵守していた。

 彼女は生徒会室の扉から顔を出している俺と丸目の前で停止した。そしてこくんと頭を下げると深呼吸し肩を落とした。

 整ったセーラー服姿が実に清楚だ。

 細い首に巻かれた黒いチョーカーが少しアダルトな雰囲気があるのに、そこに指を当てやや困った表情はどこか幼い。

 久しぶりに見た――と言っても二日ぶりだが、沙織さんはとても可愛かった。

 彼女こそ「沈黙の風紀委員長」だ。学年は俺たちと同じ二年生、しかも、

「沙織、いまの幼女様を追っていたのか?」

 丸目が真顔になってたずねると沙織さんはすっと背筋を伸ばし奴にうなずいて見せた。身長は一六五センチ程度なので丸目のことを見上げている。

 端から見ると生徒会長だからと言ってなれなれしく名前を呼び捨てにしやがってと思われそうだが、彼女の名字は丸目、つまりこの二人は兄妹なのだ。

 確か丸目が四月の早生まれ、沙織さんは三月の遅生まれで今のところ年齢も異なる。この二人が同じ遺伝子を共有しているという事実はこの学校の七不思議の一つだ。

 さすがの変態帝王も妹には弱いらしく、奴の企みを粉砕できるのは校内で唯一彼女だけなのだ。というか現世でただ一人だろう。

 見た目がイケテイルところ以外は全く似ていない。特に性格は真逆とも言えた。

 沙織さんは風紀委員会の委員長だがボランティア研究会の部長でもある。その天使のような優しさに彼女の笑顔を拝めれば、全ての罪を白状し懺悔し、救われて笑顔になる……当然、俺もだ。

 そこでもう一つのあだ名が「沈黙の天使サイレントエンジェル」……何というか中二病的にリーサルウエポンな表現だが、丸目にとっての最終兵器そのものだろう。

 沙織さんの視線がこちらに向いた。俺は幼女と目を合わせるためにしゃがんでいたのでやや見下ろされたがにっこりとほほえむと会釈してくれた。

 俺も当然笑顔でお答えする。

「やあ、沙織さん」

 彼女は頬をぽっと赤くし大きな瞳が下に移動してから左に移り再度下に降りる。どうやら俺を心配してくれたらしい。

「大丈夫、大きなケガもしてないし」

 彼女はそれに答えるように目を閉じてゆっくり開いて瞳は真正面から下・前・下・前と動き、胸の前で手を握りしめていた。

 要約すると「ご無事で何よりです。安心しました」となるだろうか。

 さらに一回うなずいてから瞳が下・下・右・前・右・前と動いて大きなため息をついてから眉を顰めた。

 ええと下・下・右は「恥ずかしい」だったよなと頭の中の沙織さんガンチャートを再確認する。

「別に走っていたわけでもないから恥ずかしいことでもないさ」

 俺が答えると沙織さんの目元が朱に染まる。

 その後彼女は幼女が逃げ去った方向を指さす。二回素早く瞬きすると右・前・左・下・前と瞳を動かしてから俺と丸目に会釈してまた早歩きを始めていた。

 あの金髪幼女はここに不正侵入したのだろうか、それを沙織さんが追いかけているのか。丸目(兄)に捕まる前に沙織さんが確保してくれた方が安全だと俺は思う。

 彼女の背中では黒髪が川の流れのように揺らめいている。それがゆっくりと遠のく様子を見ながら「右・前・左・下・前」って何だろうと考えていると、

「うむ、沙織は先を急ぐらしい」

 兄である奴が補足してくれた。

 なるほど新しいパターンだな。きちんとマイ沙織さんガンチャートに記憶しておこう。

 彼女が「沈黙の」と呼ばれるのは極端なアガリ症と小さな声なので会話がほとんど仕草になってしまうことから来ている。

 失語症ではないのできちんと声で会話もできるのだが、普段は何かを表現したいときに瞳が一定の動きをするためそれで判るのだ。

 この沙織さんの瞳の動きと言葉の関連性――通称眼[ガン]チャートは俺が発案しその後校内の有志がまとめておりネットでも無料でダウンロードできる。

 ウワサによると普段はあまり発しない秘め事ガンチャートも存在するらしくそちらは有料サイトでないと見られないらしい。俺はアクセスしたことは無いが詐欺まがいのサイトもあるらしく、風紀委員会では沙織さんに内緒で取り締まりを検討しているそうだ。

 たぶん廊下でなければ俺と普通に話していたのだろうが、彼女も急いでいたので目で会話となった。彼女の声もとても可愛く言葉遣いも礼儀正しいことを俺が保証する。

「あの幼女様が誰であったか気になるが……」

 いつまで廊下を見ていても仕方ないので二人、生徒会室に入った後丸目は小首を傾げそう呟いた。っていうか様付けかよ。

「ときに柴田くん」

 奴はいつになくきりりと締まった顔を作り俺の名を呼んだ。

「なんだよ、真面目になって」

「君は沙織とだいぶ親しくなったようだが」

「生徒会の仕事でよく顔を合わせるからだろう」

「だとしてもだ」

 丸目はメガネのレンズを鈍く光らせた後、

「わたしは君にお兄様と呼ばせないと宣言しよう」

「呼ばねえよ!」

「何? 君は我が妹が気に入らないというのか、この贅沢者がっ!」

「どっちなんだよ!」

 そう叫びつつ、沙織さんと付き合うことになればこれを兄さんと呼ばなければいけないのだろうかと自然にため息が出た。


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