7.理の宿命
海の一件で命からがら帰った速須は、翌日には高熱を出して学校を休んだ。せっかく放火未遂の事件で(あれは実際は咲耶が付け火させたのだが)停学や休学せずに済んだのに。
「あれだけびしょ濡れになれば、そりゃ、風邪もひくよね。まあ、しょうがないんじゃない? 生きてる証拠だろうし」
速須が乙姫の孫に殺されても、魂が神となって海底にいるなら自分たちの仲間が増えるくらいにしか思っていない咲耶と橘はケロリとしたものだった。
「とどめを刺したのは、咲耶が速須のシャツを燃やしたからだろうが!」
罪の意識がまるでない二人に反省を促そうと、俺は咲耶の悪行をきっちり叱る。
「えー? ひっどぉーい! あたしは気を使ってあげただけなのに」
咲耶はそういってぷーっと頬を膨らませ、目を潤ませる。ええいっ! そんなぶりっ子な表情しても誤魔化されないぞ!
あの後俺たちはせめて濡れたシャツだけでも何とか乾かそうと、懸命にシャツを絞り始めた。それを見た咲耶が自分の火球の熱で乾かせばいいと言い出した。ところが湿気の多い浜辺だったせいか、それでなくても火力調節のへたな咲耶の火球がうまく燃えない。幾度か試みた挙句、もういいからとシャツを取り返そうとしたときに、咲耶がむきになってシャツをひったくった。その時勢い余って火が噴き出し、シャツは乾くどころか一瞬にして灰と化した。
「何がひどいだ。お前がシャツを燃やしたせいで、俺たちは薄い上着一枚で帰る羽目になったんだ。おかげで寒いわ、みっともないわ、シャツの弁償代はかかるわ……」
「速須君は弁償なんてしなくていいって言ってたけど?」
「真に受けるなよっ! 速須が熱出したのは風邪のせいじゃなく、殺されかけたショックからなんだぞ!」
まあ、ほかにもいろいろショックだったろうが、それをこいつらが理解できると思えない。
「これで気を使わなかったら、速須に合わせる顔がないだろ! 人の友情にひびを入れるな」
……つうか、次に学校で会った時に、口きいてくれるか心配だ。それでなくてもバイト三昧だった俺は、付き合いが悪くて友人も少ない。貴重な友人を安易に殺そうとしないでほしい(友人でなくてもダメなんだが)。
「それにもとはと言えばあそこに連れて行けと言い出した橘のせいなんだからな。これで速須の病状が悪化でもしたら、お前また疫病神に落ちるんじゃないのか?」
俺の言葉は図星だったようで、橘はぎくりとした表情を見せると、あのボールを取出した。
「それ、困るっ。病が鎮まるように鎮めの霊力を……」
「投げるなああああ~っ! 俺が言い過ぎた。ただの風邪だからすぐ直る。これ以上余計な事、するな~あっ」
俺の言葉に左右され過ぎだ。橘にこそ一番鎮魂が必要なんじゃないか?
「それに咲耶も簡単に火を使うな。火力調整もできないくせに」
あわてて話を咲耶の方にそらす。実際こいつも目標は外さないものの、火の扱いが乱暴すぎる。
「だって、ある程度はエネルギーを発散させないと、あふれかえって勝手に発火しちゃうから。思いっきり火を使える練習場所もないし」
「練習場所って、俺に憑りつく前はどこで練習してたんだよ?」
「木花咲耶のおばあちゃんのところで。おばあちゃんのお父さんが大山津見様って言うすべての山の神なおかげで、あたしもおばあちゃんも国中の火山の神と知り合いなの。だからあちこちの火山で火力調整の練習が出来たの。たまにうっかり噴火させても、おばあちゃんが小噴火におさえてくれたし」
咲耶の火力は火山爆発レベルなのか。人間にとっちゃ迷惑以外の何物でもないな。うまく調節できれば地熱利用や火力発電なんかに使えるんだろうが、こいつじゃ間違いなく発電所を爆発させるだろう。
「大丈夫。おばあちゃんの特訓のおかげて、今じゃうっかり燃えても山火事程度だから」
ちっとも大丈夫じゃない。人間とは基準が違いすぎる。
「ということは、咲耶の祖母も健在なのか?」
「うん! 烈火の中で出産できる人だもん。今でもすごーく元気だよ。ときどき化身しながら富士の火口付近に降臨して、今時の富士山を満喫してる。最近はいろんな国の人が来ていて楽しいって。でも、人が多いからこそ山を鎮めておかなきゃならなくて、あまり活動できないんだけど」
今の富士山で火山活動されたら……。あわわ、頼むから降臨しないでいてくれっ。
「あたしもおばあちゃんに会いたいな。理。連れて行ってよ」
「冗談じゃない。観音崎の件でこりごりだ。それにお前が祖母に会うって言ったら行先は……」
「富士山の山頂だね」
「誰が富士登山するか! それにお前を連れて行ったら、マジで富士山が噴火しそうだ。そんなことになったら俺は日本中の人から怨まれて……」
「祟り神、一直線だよねえ」
なぜか俺は祟り神への主要候補らしいのだ。不運オーラが生まれつき強すぎるのが原因らしい。そのオーラを減らすためにこいつらトンデモ女神に憑りつかれているらしいのだが、正直状況はかえって悪化している気さえする。
「お前らがいない方が、俺はよっぽど安泰なんじゃないか?」なんせ貧乏神だし。
「本当にそう思ってる? 両親が貧乏どころかやることすべて裏目に出てたんでしょ? あのままだったら理は絶対に学校を退学してたよ」
咲耶が恐ろしいことをさらりと言ってのける。
「おいおい。自分が憑りついていたいからって、そんな脅し文句を言うのかよ」
俺の憎まれ口の仕返しに咲耶がきついことを言っていると思い、聞き流そうとしたが、咲耶も橘も真顔だった。さらに橘まで、
「脅しじゃないよ。あのままじゃ両親のほうが先に参って、一家心中起こしかねないところだった」と言い切る。
「しかも理のオーラは強すぎて、両親だけが死んで一人で生き残ったと思う。さらに次々と不幸を呼び寄せて、人に騙されたり、大けがしたり、恨みまで買って絶望する。だって、自分に非がないことで人から疎まれ続ける孤独を味わうんだから。ただ不運と言うだけで自分の全存在を否定されたら、さすがにちょっと生きてはいけないでしょ? 人を恨んで、死んで、祟ってもおかしくないんじゃない?」
真顔の咲耶は普段見せない大人びた表情で話す。ひどい決めつけた言葉で、心を探るように目を見据えたまま問いかける。そこにはどことなく女神の片鱗が感じられた。
確かに覚えはある。あの時のわが家は本当に追い詰められていて、俺自身もくじける寸前だった。親だって俺の前では笑顔でいてくれたが、陰でたくさん泣いていたのを知っている。
でも、だからって。
「……いくら神だからって、人の力をなめるなよ。存在否定? そんなの糞喰らえだ。どんなに表面で否定されたって、俺の親や速須みたいなやつは心の奥まで俺を否定したりしない。そういうやつがいる限り、俺は不幸になんかならねえよ」
たとえ神が俺の人生を操っているにしても、俺の人生は俺のものだ。人が俺をどう見ているかなんて、俺が決める。
「それに、俺は絶対に親を死なせたりしない。不運が何をしようと、神様が余計な手出ししようと、俺が両親ともに死なせない。俺が生き残るってんなら親も生き残るし、俺が死んでも親は助ける。それに俺はどんな死に方したって絶望なんかしないし、祟り神にもならない。祟りなんてただの恨みだろ? そんなの全力で生きそこなった奴の泣き言だ。死ぬ時は未練なくきれいさっぱり成仏して、伊邪那美に連れていかれるよ」
俺がそう言った途端、咲耶が俺に飛びついてきた。
「さっすが、理! あたしが見込んだ理想だけのことはあるわ!」
続いて橘も俺を後ろから抱き付いてくる。
「うん! こんな強い魂、めったにないよね。負のオーラを背負うだけの力がある」
「どういうことなんだよ?」俺がうろたえていると伊邪那美が姿を現した。
「理は宿命を聞かされた直後だったので、天照大神様がお試しになったのです。理の魂が本当に祟り神となる誘惑に耐え得る強さがあるのかどうか。今の言葉は紛れもなく理の本心。理の歳の人間で、心からこのような覚悟を持てる者はそうはいません。迷いが強く、心が弱いようならば、この二人は理のそばから離れ、別の女神を探さなくてはなりませんでした。もっと理の心を操れる者をそばに置き、強引に人生を定める必要があったのです」
「そんなことされたら、俺には自分の意思で生きる自由がないじゃないか」
「その通りです。天照様もそのようなことはお望みになっていませんでした。ですから霊力だけは極端に強く、ともどもに成長の見込めるこの二人を使わされたのです。理は天照様の見込み通りの魂の持ち主。いずれわたくしも安心してその魂を導けそうです。楽しみですわ」
「そんなこと楽しみにしないでくれ。俺、天寿を全うする気満々なんだから」
今にも魂を奪いそうな笑顔の伊邪那美に釘をさしていると、咲耶は、
「そーだよー。理の不運オーラが尽きるまで、あたしたちと一緒に徳を積んでいこうねっ」
と、俺の頭を抱え込む。顔に咲耶の胸が当たってるー!
「そうそう。まだまだ一緒にいようね、理」
橘も背中にぴったりくっついて、柔らかい感触がもう、たまらない。さっき言った言葉と裏腹に、このまま昇天してしまいそうだ。ああ、もう死んでもいいかも……。
俺の意識が朦朧となりかけたその時、目の前に突然中年女性が現れた。この現れ方は女神のいつものパターンだが、こんな風に普通のおばさんが現れるのは初めてだ。
「えー? 岩長比売様! 珍しいですね。なんでこんなところに御降臨したんですかぁ?」
おばさんの姿を見た咲耶が驚いたような声を上げ、俺から離れる。橘もそれを見て俺を押しのけ、女性の方に向かった。ああ、俺の数少ない幸運タイムが終了した……。
「妹が咲耶を心配してねえ。橘がクラスアップしたにもかかわらず、咲耶は火力を抑えられずに昇進を逃したそうじゃありませんか。こんな顔を人に見られるのは恥ずかしいけれど、姉の頼みを無視することもできないから、恥を忍んで降臨したのですよ」
そう言いながら女性は手にした扇子を広げて恥ずかしげに顔を隠した。
「岩長比売様は顔を気にしすぎです。どこにも恥ずかしいところなんてないですよ」
橘が呆れたようにそう言った。本当だ。何が恥ずかしいっていうんだろ?
「私のような醜女が地上に姿を見せては、神界の恥となりますから……」
「醜女って。どう見ても普通のおばさんにしか見えませんよ? 俺の母さんと似たようなもんですよ」俺は思わずそう言ったが、
「でも、神の世界ではわたくしは醜い女なのです。肌は浅黒く、顔はおうとつがあり、口も大きい。このような女、神界では他に誰もいません」
女性はそういって身を小さく縮ませた。おーい。そんな事をこのあたりで口にしてみろ。嫌味以外の何でもないぞ。肌が黒いって言っても咲耶や橘が白すぎるだけで俺たちにすれば普通だし、顔のおうとつって単に彫が深いだけじゃないか。欧米人が聞いたら卒倒するわ。口が大きいって、それほど驚くような大きさじゃない。このくらいのサイズの口をしたタレントなんかいっぱいいる。
普通の日本人基準なら中の中。この人、表情を曇らせてるから印象良くないだけで、笑顔でも見せたら中の上かもしれない。この程度の容姿でそこまで恥ずかしがられたら、俺の母親なんか腹が立つんじゃないか? 本当のブスなら怒り狂うだろう。俺たち普通の人間は外を歩けなくなってしまう。