6.恋愛依存女神
それに気が付いた少女はますます速須を見つめている。なんというか、視線が熱い。
「わたくしを見て頬を染めてくださるなんて。あなたは素敵な殿方ですわ」
そういうお豊ちゃんの声がこれまたハスキーで色っぽい。
「き、君みたいな子に見つめられたら、誰だってドキドキするよ」
思わぬ言葉に速須は完全に舞い上がっている。
「まあ! それならあなたはわたくしに恋してくださっているのね!」
「は?」
「わたくしもあなたに一目惚れしましたわ。さあ、ぜひわたくしと結ばれましょう!」
「ええ? ちょっと、マジで?」速須は驚きながらもお豊ちゃんに引っ張られていく。
「ちょっと。いいんですか? 女神が人間をナンパしてますけど?」
俺が橘の祖母にそう聞くと、
「お豊ちゃんの恋愛依存症も困ったものね。それでなくてもあの子は人間が好みだし。まあ、あの男の子も運命として受け入れてくれるのであれば……」
なんだよー。俺ばっかり貧乏くじで、速須はいい思いが出来るのかよ。と思っていたら、お豊ちゃんは速須を海に向かって引っ張っていく。
「ただねえ。お豊ちゃんは長く陸上にいると、サメの姿になってしまうのよねえ」
橘の祖母はそういってため息をつく。サ、サメ?
するとお豊ちゃんも、
「そうですの。ですからわたくしと結ばれて、ぜひとも海底宮殿で暮らしていただきたいのです。わたくしの祖母は陸で暮らそうとしてサメの姿を夫に見られ、捨てられてしまったのです。ですからわたくしはそんなことがないように、夫となる人を永遠に海底にとどめることにしたのです」
「それって、平たく言うと?」速須が恐る恐る聞くと、お豊ちゃんはあっさり
「海の事故で人としての死を迎えていただき、魂を海に連れていきます」と言った。
「うわーっ! やだ! 俺まだ死にたくなーい!」速須が叫んで足を止める。
「こらー! 俺の友人、勝手に殺すなー!」
俺も慌てて引っ張られていく速須を捕まえ、引っ張り返した。速須を真ん中に、お豊ちゃんと俺とで激しく水しぶきを上げての引っ張り合いになってしまう。
「咲耶! 橘! お前たちも止めさせろよっ」俺は女神たちに助けを求めるが橘は、
「でも、僕の祖母も愛のために入水して海底暮らししてるし」という。
「話がちがーう! 本人、嫌がってるじゃないか!」
「嫌がっているんですか?」
唐突に声がして振り向くとそこにいたのは……おなじみの伊邪那美だった。
「うわっ! 伊邪那美! こいつは違うんだ! この乙姫の孫が速須の魂を勝手に海底に連れていくって」俺は必死に説明し、速須も余裕がないながら懸命にうなずく。
「まだ若い魂ですね。困りますわ。こういう想定外の若い命を勝手に減らされては。それに魂を海底に連れて行かれては、わたくしが死の国へ導けないではありませんか」
「だったら、コイツを引っ張られないように、助けてくれー!」
死神に生きるための助けを求めるってのも変だが、この際どんな神頼みだってするしかない。だが、二人(?)掛かりでもなかなかひっぱり返せない。お豊ちゃんの友人の橘はどうしたものかと傍観しているし、水が苦手な咲耶は水には近寄れないという。
「なんで、この娘こんなに馬鹿力なんだ?」
「海の女神は海辺の力が強いのです。離岸流などやすやすと操ります」
伊邪那美が分かりやすく説明してくれるが、今は役に立ってない。
すると橘の祖母がようやく、
「お豊ちゃん、おやめなさい。わたくしは愛のために自ら海に身を投げたのですが、それは夫の行く末を案じての事。ひと時の感情は愛とは言えませんよ。それに海底での底筒男命とのことはどうなったの?」
とお豊ちゃんに問いかけた。
「だって、底筒のお兄様はわたくしを子ども扱いして、全然振り向いても下さらないんですもの。おばあさまだって以前、亀となって浦島という人を海底に連れてきたでしょう? だからわたくしは大人っぽく人に化身して、夫となる人を捕まえようかと」
まるっきり、罠じゃねーか。怖い、乙姫の孫、怖すぎる。
「それは底筒の思いやりですよ。あなたはずっと海底の宮殿暮らしで世間知らず。あなたの心が大人に育つのを、待っているのではないかしら?」
人の命を無視してピントがずれたままだが、それでも橘の祖母は乙姫の孫を説得する。
「わたくし、そんなに子供じゃありませんわ! それにわたくし、住吉の神々よりも人間の男性の方が好みなんですもの」
乙姫の孫が反論のために力を緩めたので、速須はようやく自分の意見を言った。
「好みで殺されてたまるか! 俺は人としての人生にまだまだ未練があるんだ!」
「え? 何かお望みの将来像がおありですの?」お豊ちゃんがそう聞き返す。
「ま、まだ具体的にあるわけじゃないけど」
「だったら気にすることございません。わたくしも愛するあなたの行く末を案じておりますわ。さっさと死んで、わたくしと明るい将来のビジョンを描きましょう!」
「そーいうことじゃ、なーい!」速須はまたお豊ちゃんに引っ張られかけて叫ぶ。
「お豊ちゃん。その人を愛しているなら、そのように苦しめては可哀想です」
見かねたのか橘の祖母がさらに声をかけたが、お豊ちゃんは、
「弟橘比売様は海中での溺死でしたからさぞやお苦しみになったと思いますが、わたくしならサメの歯ですぐに仕留めて差し上げます。痛みは一時ですわ。大切な人を苦しめない。これも愛でしょう?」
とピントがずれている。
「いけません。それは愛でなく独占欲です。お豊ちゃんはまだ愛が何かをわかっていません。あなたはその人を愛してはいないのです」
「ええ? こんなに行く末を案じ、少しでも苦しみを与えぬようにと心砕いていても?」
そのために殺そうとしていることはすっ飛ばされてる。
「そうです。それはあなたが一方的に押し付ける愛。そのように幼い心のままだから、愛を得ることが出来ないのです」
この言葉にはお豊ちゃんも反論はしなかったが、
「それなら、わたくしがもう少し大人になってから、夫を探しに来ればよいのですね」
と、性懲りもなく言い放つので、俺は釘を刺した。
「ダメ! 絶対にそんなことしちゃダメ! 神様が人に勝手に干渉しちゃダメ!」
「まあ。人は平気で神に頼るというのに。それこそ一方的ではありませんか」
いきなりの正論に俺は言葉に詰まった。神様の考えは人にとって矛盾だらけだが、その神に頼る人間が一番矛盾している。だが、橘の祖母が助け舟を出してくれた。
「それだけ人と神とでは価値観が違うのです。その違いを愛せなければ、本当の愛とは呼べません。人であったわたくしは愛のために人の世を離れる覚悟をして、海に入りました。あなたは愛のために海を捨てられますか? あなたのおばあさまも、一時は海を捨てる覚悟で人と結ばれたのですよ?」
そうだ。この人は夫のために身を犠牲にしただけじゃない。大事な人の世を離れたんだ。お豊ちゃんの祖母も一度は海の世界を離れた。本当の女神の慈愛って、すごいんだな。
「あなたに結婚はまだ早いようです。その人を離して差し上げなさい」
橘の祖母の説得に、お豊ちゃんもようやく速須の手を離した。さすがは鎮めの神。俺たちはまた海に引き戻されてはたまらないと、波打ち際から必死に離れていった。
「……わかりました。宮殿に戻ります。人間の男性が好きだけど……底筒のお兄様のことも、もっと好きになれるように努力します」
ようやく理解したらしく、お豊ちゃんはしおらしくそう言った。
「無理に恋心を抱こうとすることは無いのですよ。普通に慕っていれば、自ずとその時が来るでしょう」
橘の祖母も安堵したようににっこりと笑ってそう言った。
「それにしても、理……でしたっけ? あなたって変わった人ですのね。神のわたくしたちを少しも恐れないなんて」お豊ちゃんは呆れたように俺に言った。
「へ? そうなのか?」俺は普通のつもりだけど。
「そりゃ、そうよ。理の持ってる不運のオーラって、半端じゃないもん。若いのにそこそこ魂が鍛えられちゃってるんだからぁ」
褒められているのかどうか良く分からないことを咲耶が言う。
「そうですね。天照様があなたには特別お目をかけていらっしゃるのが良く分かります。あなたの大きな力は何者も恐れることは無いでしょう」
橘の祖母までもがそんなことを言い出した。
「ええ? 俺って、そんなに特別なのか?」
「ええ。ですから私の孫があなたに憑りついたと聞いて、私は光栄なことだと喜んでいるのです。さっそくクラスアップも叶いましたしね。今は橘同様に力の大きさに不幸が招かれやすくなっているけれど、いずれは……」
「い、いずれは?」
「人として大きな幸運をつかんで大成するか、大変な祟り神となってこの世に君臨するか。どちらにしても楽しみな事です」
「えー? 全然楽しみじゃないんですけど! 俺は静かに平凡に暮らしたいんですけど!」
「その大きなオーラでは難しいでしょうね。でも、不思議ですわ。あなたならその力を抑えて、静かに暮らし続けられそうな気もするのですよ」
「ど、どうしたら静かに暮らせるんです?」
「徳を積むよりほか、ないでしょう。そのために咲耶と橘の面倒を見てくだされば。この二人の有り余る力を善い行いに変えれば、徳となり人に分け与えられてゆくでしょう。難しいことではありません。二人とも根は良い娘ですから」
「俺の人生、貧乏女神たちの世話次第。……しかも、二人がクラスアップしないと俺は」
俺の言葉を橘の祖母は飛び切りの笑顔で引き取った。
「一生、貧乏なままでしょうね。死んで祟り神になれば別ですけど」
最初っから貧乏くじ引いてるんじゃねーか。……生きてやる。何としても平凡に生き抜いてやる。祟り神になんて、なってたまるかー!