5.女神とダブルデート
「海、海。海に行きたぁ~い!」なぜだか橘が駄々をこねだした。
「うみぃ? なんだってまた? 真夏でもないのに」俺はわけがわからない。
「せっかくクラスアップしたんだから、僕の祖母に報告したいんだい!」
「そんなに貧乏神になったのが嬉しいのかよ」俺には迷惑なままなんだが。
「そりゃあ、もう! あのまま疫病神続けてたら人に関わる神として不適格と見なされて、人の姿になることさえ許されなくなるところだったんだ。そうなったら祖母のように櫛にでも憑りついて、『つくもがみ』としてパワーを持て余し続ける羽目になってたからね」
「疫病神が一番下じゃなかったのか?」
「人に関わる神としてはね。その下にも動物に化身して上の神の使いをしたり、神木になったり、物に憑りついたり。なんたって八百万の神がいるんだよ。とても説明しきれないよ」
八百万……そんな説明、こっちも聞きたくない。だが咲耶も、
「橘ちゃんには悪いけど、あたしはあんまり行きたくないな。海は湿気が多くて」
と、消極的だ。火を扱う咲耶としてはそうなんだろうなあ。
「咲耶もこういってる。何も死んだおばあちゃんにまで、わざわざ報告しなくてもいいじゃないか」
「いつ、僕の祖母が死んだなんて言った?」
「え? だって、なんとかの海に身を投げたって」
「ちゃんと海の底で健在だよ。っていうか、僕の祖母は入水して人としての人生を終えたことで鎮めの神になったんだから。一度は櫛に憑りついていたけど、今じゃ海神の綿津見様と豊玉毗売様のいい茶飲み友達になってる」
海の底で神様たちがお茶会してんのか。
「この間なんかお神酒で宴会してたのに人が海を汚して酒の味が悪くなったって、海神様が怒っちゃってさ。酔いもあって大津波起こしたら、もっとたちの悪い汚し方されて祖母がさんざん愚痴を聞かされたって。今は祖母の鎮めの力でお酒は控えてもらってるんだ」
……すいません。大人しく、お茶会開いていてください。
「その祖母に報告したいけど、今は理に憑りついちゃってるからさあ。理に走水の海……今は浦賀水道とかいうんだっけ? 行ってほしいんだよね」
俺はいつ憑りつくのをやめてくれてもかまわないんだが……。とにかくネットで浦賀水道ってところを確かめてみる。今は神奈川と千葉を結ぶ海上航路なのか。意外と近い。橘の祖母が入水したのは神奈川県側だから……
「横須賀市観音崎? 県立観音崎公園って……。家族連れでレジャーするようなところじゃないか」
主な施設は白い灯台、屋外遊具、浜辺にレストラン、展望台に美術館、バーベキューコーナー。男一人で行くにはあまりにもむなしすぎる。
「一人じゃないじゃん。僕も咲耶もいるし」
「現地までの道のりは俺一人に見えるだろうが」
「えー? あたしたちだって人間の使う道のり堪能したいよぉ。ちゃんと姿現すもん」
「ちょっと待て。それじゃ交通費が三倍かかるだろうが!」
さすがは貧乏神だ。こっちの財布の都合なんか考えちゃいない。
すでに期待した咲耶は「連れて行かなきゃ火を放つ」と得意の脅し言葉を発し、橘も「僕たちが満足すれば、それだけ理の徳になるから」と、こんな時だけ都合よく神様ぶるので結局俺は観音崎まで出かけることになった。だが街中の景色なんて変わり映えもなく見どころもないと女神たちを説得し、電車の移動中は姿を消すように頼んだ。
しかしそれはそれで道中があまりにむなしいので、先日の借りを持ち出して速須に同行させることにした。事情を説明し、美少女二人を連れて現れた俺に一瞬速須の嫉妬を感じたが、咲耶は手に火球を灯し、橘は霊力込めたボールを手にしながら、
「断ったりなんて、しないよね?」
そう、にっこり笑う間にも俺の髪が少し焦げるのを目にすると速須もうなずいてくれた。女神二人が姿を消すと目を白黒させながらも、
「でも、かわいい女の子二人にいつも囲まれて、悪い気はしないだろ?」
と、実状も知らずにのんびりとからかう。俺はむっつりと電車の切符を買おうとしたが、突然財布の留め金が壊れて小銭を床にばらまいた。拾い集めたがいくらか足りない。すると咲耶の声が、
「あたしたちの切符を買ってくれないから、神罰だよ」と頭に響く。速須も同情したらしく、
「こういうこと、たまにあるのか?」と聞くので、
「しょっちゅうだよ。ダブル貧乏神だからな」と答えた。
最寄り駅からバスに乗り換えるところで女神二人は姿を現した。速須はこの状況を結構楽しんでいる。周りから見れば俺たちは微笑ましいグループ交際に見えるのかもしれない。俺だって楽しみたかったさ。こいつらが俺に憑りついた貧乏神じゃなかったら。そしてこいつらのバス代は俺の財布から出て行くんだ。
着いたら着いたで昼時で、飯でも食おうとレストランに入ったら、
「あたし、パスタがいい! それからケーキも!」
「僕はピザがいいな。食後はパフェね」
と、女神たちが言うので速須は不思議そうに、
「なに? この子たち実体がなくても食べられるの?」と聞いた。それに橘が、
「人みたいには食べられないけど、感謝を込めて供えてくれれば味も香りもわかるよ。そもそも食べ物は僕ら神が人に与えた恵みなんだから」と答える。
「え? じゃあ、実際に口にするのは」
「あなたたちの方ね。よーく感謝して食べてね」咲耶がそういうと二人は姿を消す。
「俺、自分の食べたいものを選べないのか……」速須ががっかり顔で言う。
「悪い。辛抱してやってくれ」さらに感謝まで強要されているが。
「実際は俺が食べるってことは、これの支払いは俺の自腹か?」
「すまん……」俺は謝るしかないが、貧乏神の鬱陶しさを理解してもらえたらしい。
「男の子には物足りないんじゃない? プリンアラモード、追加しよ」咲耶の声が響く。
「あー、僕はクリームソーダ追加ね!」橘まで調子に乗る。
「もう十分だ!」俺と速須が同時に拒否すると、
「男のくせに余裕のないお腹だね~」
と不服そうな声がする。腹に余裕があっても、財布に余裕がないんだよ!
ぐったりした気分を味わいながらも、ようやく浜辺に到着する。水辺があまりうれしくないらしい咲耶はちょっと及び腰で、あまり波打ち際に近づかない。反対に橘は靴を脱ぎ、波に足を浸して気持ちよさそうに深呼吸しながら言った。
「ああ、やっぱり海辺は落ち着くなあ。思わず海に飛び込みたくなる」
お前が言うとシャレにならないセリフだ。すると、
「咲耶ちゃあ~ん、橘ちゃあ~ん!」と、ちょっとハスキーな少女の声がした。
「あー! お豊ちゃんだぁ!」
いち早く気付いた咲耶が声を発した少女に手を振り返した。お豊ちゃんと呼ばれた少女の方も手を振り返す。
「あれが橘のおばあちゃん? えらく若く見えるな」神様だからか?
すると橘が「ぷぷっ」と吹き出した。
「まっさか。あれは海底宮殿に住む豊玉毗売様……別名乙姫様の孫娘、お豊ちゃんだよ。その後ろからゆっくり歩いてくる人、あれが僕の祖母の弟橘比売」
なるほど。少女の後を追ってくる女性がいる。でもそっちも結構若い。白いゆったりとしたレースのワンピースに白い日傘をさしている。人間なら四十代初めの綺麗なお母さんって感じか。とても橘の祖母には見えないが、神様の見た目年齢なんて考えるだけ野暮だろう。そして少女の方は乙姫様の孫だって?
「乙姫様って、あの浦島太郎に出てくる?」
「そうそう。お豊ちゃーん、久しぶり!」
俺の質問なんか無視して、橘も咲耶も知り合いらしいお豊ちゃんとの再会を喜んでいた。そして俺はあとから追いついた橘の祖母に話しかけられる。
「あなたが理君ね。あなたのおかげでうちの孫が成長できたそうね。どうもありがとう」
「い、いえ。俺のおかげってわけでは……」
とても橘の祖母とは思えない常識的な対応を落ち着いた美人にされて、俺はどぎまぎしていた。そして、そうしながらも視線はちらちらとお豊ちゃんと呼ばれる少女の方に流れてしまう。どうしても意識せずにはいられない。
なぜならその少女は、少女らしからぬ色っぽさを感じさせるから。体つきは咲耶や橘とそう変わらないし、服装も大人しめのワンピース姿なのだが、ちょっとたれ気味のうるんだ眼、人工的ではない長いまつ毛、印象的な泣きぼくろ、わずかに厚めの唇が妙に色っぽい。真正面から見るのをはばかりたくなるような雰囲気がある。咲耶も橘も少女の方を向いてしまって視線のそらしようがない速須は少女と目があって真っ赤になっていた。