3.うさぎの罪
「橘。お前何やってんの?」
ある日、橘が何か懸命に作業をしていた。
「僕が霊力込めて投げるためのボール作ってる」
見ると床には布やら乾いた藁っぽい物やら皮のようなものがある程度のサイズに刻まれて散らばっていた。
「へーえ。手作りなんだ」
「うん。僕の祖母は水の上に菅畳と獣の皮と絹の敷物を八枚づつ重ねたけど、僕は乾いた菅を八本丸めて芯にして、絹の端切れを八枚、動物の皮をなめして細かく切ったのを八枚、こうして重ねてボールにするんだ。これに霊力を込めて投げるってわけ」
「え? じゃあこれ、本革と正絹か?」結構高価な材料だ。
「そう。この絹と皮に結構かかるから、自分の着るものに回す余裕がなくなるんだよね。これ、使い捨てだから」
「だったら、余計大事に投げろよ。ノーコンじゃいくらあっても足りないだろ」
咲耶は自分で服を燃やして貧乏になるが、コイツもそういう自滅貧乏だったのか。
「一生懸命投げてるつもりだけどなあ」
「だったら、それを俺に投げてみろよ。霊力込めてなきゃただのボールなんだろ? 受け止めてやるからキャッチボールしよう」
「え? いいの? じゃあ、お言葉に甘えて」
そういうなり橘はいきなり大きく両腕伸ばして振りかぶった。ええ? 今時めったに見ないワインドアップ?
そして思い切り振りおろされた手から剛速球が飛んでくる。それも俺には向かわずに、別方向の窓に向かって。
やべえ! ガラスが割れる!
そう思って身構えたが、ボールは途中でパッと開いて、ただの草と皮と布の切れ端となって舞っていた。
「これ……的に当てるのにそんなに全力投球しなきゃダメなのか? 俺、こんなに近くにいたのに」
「さあ? でも、全力で投げるのって、気持ちいいじゃん」
「気分で投げてんのかよ!」
「だってこれ、人や物を傷つけることないし、実害ないから」
「あるあるあるー! 霊力込めてるんだからっ! もっと普通に投げられないのか?」
「さあ? 全力でしか投げたことないし」
「おまえら、本当に容赦とか手加減とか少しは覚えてくれ……」
これじゃ、ガキと同じだ。俺もガキだが。
「しかし、正絹に本革とはね。まさかこのためにその辺の動物の皮はいだりしてないだろうな?」
なんか、神って想像以上に残酷で容赦なしっていう認識が最近ついてきたからな。
「そんなことしないよぉ。因幡のワニザメじゃあるまいし」
「因幡の……って、あの白うさぎの? あれも神の仕業だっけ?」
「だってあれはワニザメをだましたうさぎが悪いでしょ。ワニザメが頭にきてうさぎの皮をはいだのは仕方ないし、そんなときだけ神に頼ったうさぎを、神たちが懲らしめたんだし」
「ああ、思い出した。治すふりして嘘を教えて、うさぎは悪化したんだよな。でも後から来た別の神様がちゃんと治した。有名な昔話だ」
でもやっぱり神は酷だ。うさぎはすでに報復を受けていて、ワニザメも一応は納得していたのに。うさぎを懲らしめた神は、ただの外野だ。どーも気分が悪い話だ。
翌日、俺は学校帰りに不良グループにカツアゲされた。ありがたくはないが、不運の塊の俺にはこれもよくある日常だ。こいつらから逃れるのも大変だが、今は、
「うー、何よこいつら。あたしが丸焼けにしてあげようか」
「やっちゃえ! あとは僕が霊力投げまくるから」
こういう面倒臭い貧乏神と疫病神がいる。俺は心の中で咲耶の暴走を抑えていた。すると、
「おい、そいつは金になんねーよ。超ビンボー人で有名だから」
と、グループの一人が声をかけた。俺のクラスの速須ってやつだ。
「ちぇっ。しけたやつに絡んじまったか。時間を損した」
それでも腹にけりを一発入れられた。結構堪えたが開放はされた。咲耶たちは怒りが収まらずにいたが、俺は知り合いが混じっているからと言って、抑えさせた。ところが咲耶が、
「ねえ、あいつらのブログ見つけちゃった。これに細工してあいつらの素性バラしたうえで炎上させるってのは、どう?」
なんて、恐ろしいことを喜々として言ってきた。コイツにブログの炎上なんて……ああ、株価を異常に急騰させるんだから、出来るか。本当に容赦ねえな。
「ダメ。お前らは部外者だろ。それじゃ因幡のうさぎをいじめた神と同じだぞ」
「えー。それのどこが悪いのよ。もともと悪いのはうさぎじゃない」
「俺、あの話嫌いだ。うさぎだって初めは海の向こうに憧れていただけだろう? あの時俺じゃ金にならないと言ってかばってくれた速須ってやつ、本当はそんなに悪い奴じゃないんだ。入学したての時は俺とも仲が良かったし、俺がバイトになれてない時も、手伝いに来てくれた。速須の母親が事故で急死してから父親とうまくいかなくなって、それから悪い方に転がっていったんだ。それでも速須は、あんな形でも俺をかばおうとしてくれた。今でも根は悪い奴じゃないと思う」
「でも、あいつらのせいで学校中の生徒が迷惑してるんでしょ? 少しは懲らしめないと」
「……いいわけすると、俺は速須を無駄に追い込みたくない。俺だってバイトもうまくいかなくて、学校も続けられるか不安で、成績まで落ち始めた時は何もかもどうでもいいような気になりかけた。たまたま俺は親が頑張ってくれたから、申し訳なくて踏ん張りがきいたが、一つ間違えばあいつと同じになっていた。俺、あいつの気持ちがわかるんだ。なのにあいつを助ける勇気がないんだよ」
「理は違うよぉ。ちゃんと周りの人の事考えてるもん」咲耶はそういってくれたが、
「違わない。俺も周りが見えない時はあった。近くの人の接し方がほんの少し違っただけだ。あいつが悪いというなら、あいつを助けられない俺達みんなも同罪だ。それを解決できずに外野が口を出すのは義憤でもなんでもない。そんなのただの野次馬根性だよ」
と、俺は咲耶を説得した。すると咲耶は、
「そいつ、本当に悪い奴じゃないのね? それに周りの人も助ける気があるのね?」
そう俺に確認した。
「少なくても、俺は助けたい」
「わかった。なら、あいつらに放火させよう」
おーい。全然わかってないじゃないか! それでも咲耶は行動を起こしてしまった。
「おい……いくらなんでもまずいって」速須はリーダーの少年を止めた。
「何言ってんだよ。このくらい。自販機の中の金なんてたかが知れてるって」
「いや、自販機に放火したら罪が重い。他に延焼するかもしれないし。こんな高いもの燃やされたら店も絶対困るって」
「そんなこと俺が知るかよ。おい、ライターよこせ」
「やめろ!」
速須が本気で止めようとすると、ほかの少年たちから両脇を捕まえられた上にリーダーの少年に何度も殴られた。
「今更ビビりやがって。そら、火が付いた。さあ、小銭ちゃん。俺たちのところに出ておいで」
すると突然火が大きくなり、リーダーの少年の袖口と髪の毛に火が燃え移った。
「うわっちっい! な、なんだ? 火が!」
うろたえる少年にすぐさま消火剤がかけられた。火元の火共々すぐに消えたが、少年は驚いた表情のまま固まっている。
「ざまあないね。無様な声立てやがって」俺は消火器を手にしたまま言ってやった。
「なんだと?」
「おっと。俺に殴り掛かってる場合か? もうとっくに通報済みだ。罪が増えるだけだぜ」
「くそっ」不良たちは逃げ出そうとするが、
「逃げても無駄さ。今の様子の一部始終をビデオに撮影してある。全員顔も映ってる。おとなしく堪忍するんだね」
「こいつ! そのビデオをよこせ!」
「やだね。それに速須にはお前らから抜けてもらう。放火を止めようとしている様子もばっちり映ってるし。速須だって懲りたはずだ。もう学校に戻ってこい」
「理。お前……」
そうこうするうちにサイレンが聞こえ、近所の人が様子をうかがい始めた。
「橘、思いっきり投げろ」
「うん!」
橘の霊力が八方に飛び散った。相変わらずのノーコンだな。この辺で奴らに迷惑こうむった人には一通り投げ込まれたかもしれない。
「ちゃんと罰を受けたら、学校に戻れよ。待ってるからな」
放火による高校生の補導は、当然街の話題になった。証拠のビデオまであるのだから言い逃れは出来ない。通行人の証言もあったらしい。
放火された自販機は少し表面が煤焦げた程度で済んだが、リーダーの少年の顔と腕の火傷は結構ひどかったらしい。咲耶は本当に容赦がないな。
橘の『鎮魂』の力で不良たちの心は落ち着き、反省している様子。余分に飛び散った霊力だが、平穏だった人は余分な鎮魂で不良の話題で気分が悪いと偏見の目を向けたが、それは彼らの罪なので、いい薬になるだろう。
逆にこれまで不良たちのせいで不安におびえていた人々は、ようやく補導されたと聞いて安堵し、喜んでいるという。人の心があるべき姿にあるのは、たぶんいい事なんだと思う。
さらに自販機の持ち主に掛け合って、放火の損傷分、速須にバイトさせることを承諾してもらった。あのビデオを見せたので、ちゃんと更生できるやつだと信じてもらえたのだ。
書類送検で済んだ速須も停学を免れてちゃんと学校に出てきたし、そのバイトは俺も手伝ってやろうと思っている。うさぎにだって頑張るチャンスはあるべきだ。
「それって、僕の霊力がいい効き方したってことだよね?」と橘は自慢げにしていたが、
「わああああーい! 服の布が増えてるー!」
咲耶と橘がそういって大喜びした。成程、咲耶はキャミソールから袖なしのブラウスに変わったし、スカートの丈も膝まで伸びた。橘も袖なしのシャツに、ひざ丈のパンツルックに変わっている。俺としては目の保養がずいぶん……いや、あの、その。
「と、言うことは、お前らクラスアップできたのか?」問題はそっちのはず。
「うー。あたしはクラスまでは変わんないや。やっぱり、あのやけどはやりすぎだった」
「わーい! 僕はクラスアップだ! 咲耶ちゃんと同じになれた!」
「咲耶と同じ? それって」
「うん、二人とも『貧乏神』。わ~、橘ちゃん、よかったねー」
良くない! 俺に貧乏神が二人憑りついてることになるじゃないか!
俺は神様に大いに不満があるぞー!