12.嫉妬女神
「で、お父上はどこに?」
そういって須勢理毘売はきょろきょろと周りを見渡した。
「あなたの目の前にいらっしゃいます。現世に生まれ変わってあなたの記憶はありませんが、魂は確かに父上の物。現世でのお名前を『速須雄』とおっしゃいます」
「目の前?」
須勢理毘売は今ようやく速須の存在に気が付いたように、速須をじろじろと見まわした。そして数歩下がると、
「えええええー! これが父上? 黄泉の国でも厳しさと威厳の高さを誇って、逞しい姿と深い情愛に誰もがひれ伏さずにはいられない、地の国の王、須佐之男命の人の姿が、こんな感じ? 残念すぎるーっ!」と指差して叫んだ。
「残念って、なんだよ。俺は特別イケメンなわけじゃないが、そこまで言われるほどひどい容姿もしてないぞ」
「でも、でもぉ! 身体も逞しくないし、背も低いし、口元に締まりがないし、眼も全然涼しげじゃないし……。表情に知性の欠片も感じられないじゃない」
まさに言いたい放題だ。そんなに速須は神の時代とギャップが激しいのか。
「そんなこと……俺はまだ成長途中なんだ! そこにいる夫と比べてるなら、俺だってまだ数年は伸びしろがある! 身体だってまだ鍛えるし、背だって去年より五センチも伸びてるし」
確かに速須は入学当時から小柄だった。この一年でずいぶん背が伸びている。
「うん。こいつは今が成長期だろうな」そこは俺も同意する。
「だろ? お前が現世に生まれるのは先の話。俺はまだ若いんだ。勉強だってちょっとしかしてなかったし」
「……というより、ほとんど授業に出てなかったよな。よく留年しなかったもんだ」
俺がそういうと須勢理毘売が、
「ええっ? 向上心まで欠けてるの?」と、呆れた顔をした。
「理は口をはさむなっ。とにかく、今の俺はお前が生まれるずっと前の存在だ。お前だって人に生まれ変わったら、赤ん坊から育たなくちゃならないんだぞ」
「でも、同じく人として生まれ変わった母上には、美麗な櫛を撫で愛でるように接するに値する、美しさと品格がおありです。なぜ同じ十七年の月日でこんなにもお二人の御様子が違うのですか? 父上は甘ったれのわがまま男子にしか見えないんですけど」
「なんだよっ。だったら、お前だってわがままでお転婆で無遠慮で、稲櫛の可憐さの欠片も似てないだろーが」
「母上は母上、わたくしはわたくしですっ! わかったわ。これが父上の本性なのね? だからわたくしが大国主に一目惚れしても、父上はわたくしを信じてくださらずに結婚に反対なさったんだわ」
「こんなはねっかえりが相手もよく知らずに一目惚れだのと言ってたら、普通の父親なら反対して当然だ。……稲櫛、俺が反対したのはそういう理由だろ?」
急に話を振られて一瞬、稲櫛も慌てたようだが、すぐに落ち着いて
「そうですよ。未来の父上の言う通り。父上はあなたを案じるあまり、あなたの愛情が本物か確かめようとなさったのです」
と、冷静に答えた。だがそれは須勢理毘売の癇に障ったらしく、
「ずるーい。父上はいつもそうやって母上を味方にして。父上が生まれ変わって記憶をなくしてからも、母上だけがわたくしの味方でいてくれたのに」
と一層騒ぎ始めた。いつもって、人間の速須と稲櫛は今日が初対面なんだが。
「須勢理。これは敵とか味方という話ではありませんよ」そう稲櫛が言っても、
「そんなの関係ない! 母上はわたくしだけの母上なのっ! あんたが父上だなんて認めないわ。気安く母上に近づかないで!」と、鼻息が荒い。
「近づいたのは俺じゃない。稲櫛の方だ。だいたいお前も人妻の割に感情的過ぎる」
そういって速須は大国主の方を振り返ると、
「須勢理毘売はお前の妻なんだろう? もう少し自分の妻をしとやかに躾られないのか?」と問いかけるが、
「いやあ。私は須勢理毘売のこういうわがままなところが、かわいいかなと」
なんて、デレデレしている。それを聞いて須勢理毘売も、
「でしょ、でしょう? わたくしって、やきもち妬いてもかわいいでしょ?」
と調子に乗る。するとさっきまでの醜態はどこへやら。大国主はほつれた髪をサッとかき上げ、須勢理毘売の肩を抱くとイケメンオーラ全開で、
「うん、かわいい。だから親子喧嘩はやめよう。君は母上が父上を追いかけたことにやきもちを妬いているかもしれないが、母上だって父上と同じくらい君のことが好きなんだから。もちろん私も情熱的な君が大好きだし」と甘い言葉を吐く。
「や~ぁん。もっと、言ってぇ~」
ばかばかしい夫婦漫才を見せつけられて、速須も怒鳴る気が失せたようだ。変わりに何故か八つ当たりに俺の胸ぐらをつかんでくる。
それを横目に見た須勢理毘売が「無知性なうえに粗暴だわ」とつぶやくが、速須はそんなことにはかまわずに、
「理、俺、娘とはいえあいつら見てると無性に腹が立つんだが、問題あるか?」
と聞いてきたので、
「安心しろ。その感情は正常だ」
と、請け負ってやる。速須が次々と起こる予想外の展開に混乱しているのは間違いないので、「さすがは龍女と雷落としながら戯れる夫婦の娘だ」という言葉は呑み込んでおいた。
「あれが俺の娘だなんて。これからお先真っ暗じゃないか」
速須がそう言って頭を抱えるので、
「いやいや。生まれ変われば赤ん坊から育つんだから、要はお前の育て方だろ? 気性が分かっている分、やりようがあるんじゃないか?」
「うー、そうだな。生まれたらとことん厳しく躾けて、簡単に俺に口答えなんて出来ないようにしてやるっ。結婚だってそう簡単にさせないぞ。ギリギリまで徹底的に邪魔してやろう」
あーあ。かえって娘の性格が歪まなきゃいいが。余計反抗的に育ちそうだ。
速須は実感のない父性に振り回されて、馬鹿な発想に剣呑な雰囲気を漂わせているが、今でも娘を見守っている稲櫛は冷静で、
「婿君。あまり娘を甘やかさないでください。須勢理は人に生まれる前に、神としての神格を高めてもらわないと」
と、母親らしく釘をさしている。すると須勢理毘売が、
「それはわたくしも神界から命じられました。今回、わたくしも人に関わる神として、修行することになりましたし」と、どこか不満げに答える。
「まあ。それは知らなかったわ。どんなお役目につくのかしら?」
「ちょうど空きがあるということで、疫病神から始めることになりました」
聞き捨てならないことを聞いてしまった。俺の近くにまた疫病神が来るのかよっ。とりあえず俺に付きまとわないだけましだが……。
「なんでもこの地には支配力に目覚めていない祟り神候補がいるんですって? かと言って人としての徳もまだ乏しくて、素行不良な少年と融通の利かない糞真面目な少年が友人なんだとか」
これを聞いて俺と速須は落ち込んだ。祟り神候補は俺のことだし、素行不良な友人は……
「その、祟り神候補の友人の一人が、このお父上です」
稲櫛が深いため息とともに説明する。
「あら。父上はどう見ても真面目には見えないから……素行不良ね。うん、納得」
須勢理毘売は深々と頷いている。この調子じゃ速須が娘を躾けるには、説得力なさすぎだろうな。
「じゃあ、あなたが祟り神なのね?」須勢理毘売が決めつけて俺に聞く。
「言うなっ! 俺は祟る気もなきゃ、神になる気もないぞ!」
「あ、それはよかった。祟り神は神界でもちょっと面倒臭い存在だから。それに安心して。素行不良な父上の影響からは、母上がしっかり守ってくださるから」
須勢理毘売の嫌味な台詞に速須は「今はもう不良じゃない!」と反論しているが、毘売は全く取り合っていない。
「それにもう一人の融通の利かない頑固者も、悪影響が出ないうちに隔離させました」
「ちょっと待て。それって俺のクラスの、大海原隼人の事じゃないか?」
大海原は俺の数少ないもう一人の友人だ。理屈を曲げない頑固者でクラスから浮いたのがきっかけで、何となく親しくなった。俺の学校での友人は速須と大海原の二人しかいないのだ。そいつを……隔離?
「ええ、そういう名前ですね。頑固すぎて極論に走った時が不安なので、柔軟性を持たせるようにと指令を受けましたが、面倒なので病に憑りつかせました。あなたが卒業するまで全快させずにおきます」
「こらーっ! なんてことするんだ。そんな長患いさせて、大海原の人生狂ったらどーしてくれる。いや、その前に体が弱って死んだりしたら……」
「あら。それはそれで仕方ないわ。病の方がその人より生き延びる力が強かったってことだし」
「冗談じゃない。なんでお前らは人の友人をすぐに殺そうとするんだ。病原菌生かして人を殺すって、おかしいだろ?」
「だって、疫病神ですもの。病原菌も人と同じ命です。神の守る命に上下はありません。そのために疫病神のポストがあるんだから」
俺と須勢理毘売のバカなやり取りをしている間に、速須は大海原に連絡を取っていた。大海原のケータイは繋がらず、自宅にかけてようやく母親が出てくれた。
「大海原のやつ、急な高熱で意識を失って、病院に搬送されたって」
速須が真っ青になって言った。稲櫛は眉をキッと上げて須勢理毘売に向かい、
「すぐ、病を退散させなさい。病の存在とあなたのやったことは別の話。自分の役目をおろそかにして、都合のいい解釈で人の命を左右してはいけません。それは神の理にも反しています」と厳しい口調で告げる。
「でも、どうせわたくしは人に生まれ変わるのが決まっているし、そんなに出世しなきゃいけないわけじゃないし。一人くらい予定外の病にかかっても」
「そんなことを繰り返して御覧なさい。どんな命でも神の都合で左右しては、その命はいつか絶えてしまいます。神というのはその存在を意識する生き物があって初めて存在できるのです。人命は神を存在させるもっとも重要な命。人を軽んじることは、我々神を軽んじることと同じです!」
「だって……。人に生まれ変わるなら、今の魂を高めても何の得もないでしょ? 父上はこんなだし、人になんかなりたくないのに」
「でも、そのように手を抜いてはあなたの魂はつまらないものになります。神としての生きがいも失うでしょう。人に生まれ変わっても、つまらない人生を送るでしょうね。未来も過去も、神も人もありません。今を大切に生きる貴さには変わりがないのです」
稲櫛に諭されて、須勢理毘売もしゅんとしている。そして俺と速須も稲櫛の言葉になんだか救われていた。未来を知ってしまう悲惨さに気落ちしていたが、稲櫛の言うとおりだ。過去や未来、前世や転生後なんかを気にするよりも、今をちゃんと生きる方がずっと価値がある。今この時こそが一番代えがたい時間なんだ。
「とにかく、大海原の病を何とかしてくれ。あいつには何の罪もないんだから」
俺がそう須勢理毘売に迫っていたら、すっかり影が薄くなっていた大国主がトントンと俺の肩を叩いた。
「大丈夫です。私の治癒力で彼の病は快方に向かっています。私は医療の神でもありますからね。少し体力は消耗したでしょうが、明日には回復するでしょう。落ち着いてからお見舞いでもなさってください」
とほほ笑んだ。おお、さすがは神。思わずその背に後光まで見えた。
「お手間をおかけしましたね、婿君」稲櫛も安堵の表情だ。
「須勢理毘売の後始末は私の役目ですから。これから毘売は大海原隼人に憑りつきますが、私も一緒です。決して無謀なことはさせませんから、ご安心を……おっと、天啓だ」
そういう大国主の目の中がわずかに光った。それを見て須勢理毘売が覗きこむ。すると大国主の顔色が悪くなった。須勢理毘売の目じりがきりきりと上がる。
「……ちょっと。これって、あなたが二人子を産ませた、多紀理毘売からの着信じゃない。まだ、手が切れてなかったの?」
「あ、いや、それはその……」
「問答無用! てん、ちゅーうぅぅぅ!」
言うが早いか、大国主は突然倒れた巨木の下敷きとなった。
「ぐえええ。ち、治療、ちりょう~」
必死に這い出しながら、わが身に治療を行っている。
「ちょっと通信を交わしただけじゃないか。少しは手加減してくれよ」
大国主は情けない顔で泣き言をいう。
「したわよ。だから自分で治療できてるでしょ。あなたは意識さえあればどんな傷でも治療できるんだし」
「我が子の成長報告ぐらい、許してほしいよなあ……」
大国主は自らの傷を見る間に癒しながら、ぶつぶつと文句を言っている。
大海原。きっとお前には見えないんだろうが、お前はとんでもない夫婦に憑りつかれたぞ。知らぬが仏……いや、神だろうから、わざわざ教えようとは思わないが。
ただ、心底同情するわ……。