第95話
あの、夢のような南国での日々から数か月後。
冬の朝、目覚ましの音で目を覚ました。
今日もいつものような一日が始まる。
ベッドサイドには、あのハワイでの挙式での写真が飾ってある。
結斗と二人きりの写真・・・ではない。あの時参列してくれたかつての研究生やスタッフも一緒の写真だ。
「・・・おはよう・・・」
それは、結斗に向かって言っているのか、あの時一緒にお祝いしてくれたみんなに言っているのか、最近は判らない。
でも、心のどこかがつながっているのを、今ははっきりと感じ取ることが出来る。
手早く身支度をして、鏡の前に立つ。鏡の前の宝石箱には、今は指輪が入っている。あのハワイでのサプライズの時、結斗がくれたものだ。それを鎖に通して、ネックレスのようにして首に下げている。ブラウスの下に隠れてしまうので、誰かに気づかれることはないだろう。
入籍は、結斗の、今の仕事が一段落する頃になるだろう。私もそれまでに、身辺整理しなくてはいけない。
校長に、いつかはまだ未定だけれど、そう遠くない時期に結婚するので、その時には退職したい旨を相談した。すると、校長は残念そうな顔をした。
「そうか・・・君にはもっとここにいてほしいと思ったけど・・・」
そう言いながらも、引き止めることはしなかった。ただ、その時には後任の先生を探さなくてはな、こんな田舎に、花奏先生みたいな、真面目で、この街に住み込んでくれるような先生が赴任してくれればいいのだが・・・と残念そうに言っていた。
でも、辞めるまではまだ私はこの高校の教師だし、後任の先生が決まるまでは、私はこの街に残るつもりだった。教師としての、最後の仕事として。勤め上げるつもりだった。
家を出て、海沿いの国道を歩いていると、いつものように、生徒たちが声をかけてくる。
「花奏先生! おはようございます!」
「おはよう!」
海沿いの道から正門に入ると、教師生活が生活が私を待っていた。
今後の事を、結斗や事務所と相談しなくてはいけないのだけれど、とりあえず今は、普通の生活をしていた。
そして時はさらに過ぎて行き・・・
気がつくと、私がこの高校に赴任してから5度目の冬になっていた。
冬になると、この海沿いの町は、本当に静かになる。相変わらず観光客もいないローカル線の一駅。でも、行き交う人はみな、温かかった。
「あ、花奏先生! 今パン焼けたよ! 買っていかないか?」
商店街のパン屋のおじさんがそういい、焼きたてのイギリスパンを一斤、買った。
その先にあるお惣菜屋さんで、美味しそうなサラダも買って、商店街でさらに買い物をつづけ・・・
気が付くと、両手いっぱいに食材を買い込んで、住宅地の家の前にたどり着いた。
その時。
「花奏!」
懐かしい声で、名前を呼ばれた。びっくりして振り向くと、そこには、懐かしい人が立っていた。
「ゆい・・・と・・・」
あの頃は、本当に派手好きで、ヒョウ柄のシャツとか迷彩柄のズボンとかを平気な顔をして履いていた結斗は、いつの間にか髪色をナチュラルなこげ茶色にして、普通に襟のあるシャツとジーンズをはいていた。その眼にはメガネをかけて・・・それだけで芸能人と判らなくなってしまうのだから不思議だ。
私は、両手からするり、と買い物袋を落としてしまった。
「・・・迎えに来たよ」
気が付くと私は。
結斗に駆け寄り、彼に抱き付いていた。
「っと・・おいっ」
驚いたようにそう言いながら、彼は私の背中に手を回し、ぎゅっと抱きしめてくれた。
「会いたかった・・・」
昔の私を考えると、絶対に言えないであろう言葉が、結斗を前にしてすんなりと出てきた。
「俺も」
結斗も、それに応えてくれた。
「やっと、手に入れた」
結斗の口からこぼれた言葉は、まるで結斗の想いが零れ落ちてきたようだった。
「もう二度と、嫌な想い、させないから・・・」
結斗の甘い囁きに、私は泣きそうになりながら、頷いた。
言葉にならないほどの想いは、涙になって溢れかえっていった。
先日、結斗が出演していたドラマも最終回を迎え、主演映画も公開された。Colorsの5大ドームツアーも大成功のうちに最終日を迎え、芸能人としての結斗は、ようやく夢を叶え、ひと段落ついた、という時期になっていた。
特に、出演映画は興行収入が国内でベスト3に入っただとかで話題になった。先日行われた日本の映画賞の主演男優賞を総なめにしたほどだ。あんな大根役者だった彼が、いったいいつの間にこんなに演技力を磨いたんだろう・・・いまだに謎だ。
でも、彼は私のそんな物思いをものともせず、抱きしめた腕を離さなかった。
「お前の為に、ずっと必死だった。
でも、やっと・・・・手に入れた。
もう二度と、悲しい思いさせないから・・・
俺に、お前を守らせてくれ」
週刊誌に、
"Colors 結斗 結婚!"
"相手はジェネシス、"新堂隼人の妹"
という見出しで彩られたのは、この冬が明けてからだった・・・
事務所関係者から、一般人に戻った私は、再び"結斗の妻"という形で、事務所関係者となった。
でもそれは、兄の芸能界入りの時のような、選べない肩書ではなく、自ら選び取った肩書だった。
結斗と生きてゆく・・・ただそのために・・・




