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第8話

 行きつけの定食屋で、結斗とメニューを広げ、それぞれ注文をすると、他愛もない会話が始まる。


 この定食屋は、うちの事務所の人たちがまるで社食のように使っていて、裏通りのわかりにくい場所にあるのも手伝って、事務所関係者しかいない。


「どうだ?最近は?」


「どうって?

 仕事は順調だよ?

 今年から三年生のクラス担任任されるようになったから、進路のこととか、ちょっと大変かな?


 でも、生徒、みんないい子だし、充実してるよ」


 結斗に聞かれて、私はそう答えた。でも結斗は怪訝な顔をしている。


「仕事じゃなくて、司さんの事だよ!」


 言われて私は、返す言葉を失った。


 司さんの事など、結斗に話したことはない。でも、長い付き合いだ。結斗もいつごろからか気づいて、二人きりになるたびに、こうして私の胸のひっかかりをつついてくる。


「・・・相変らずだよ・・・」


「進展ナシってか?

 さっさと告っちまえば?」


「無理」


 出されたお茶を飲みながら、私はそう答えた。


「前にも言ったでしょ?」


 それは、随分昔・・・まだ私が事務所でバイトしていた頃に、結斗に司さんの事を突っつかれた時にも話したことだ。


「・・・司さんは、誰のものにもならないよ」


 そう。それは随分昔から判り切ったことで、バイト時代に自分で出した結論だった。

 

 司さんは、誰にでも優しいけれど、誰よりも自分自身に対してストイックな人だ。誰かに甘えたり頼ったり、という事はない。私など、いつまでも子供扱いされて、“特別”という距離まで近づくことなどできない。


 それでも、テレビで歌ったり、ニュースキャスターをやっている彼は、完璧そのもので、それが彼の魅力で、見ている人にとって、そんな"司"が全てなのだ。


 そんな彼だからこそ、私は彼を好きになったのだ。


 私にとっての彼は、子供の頃からずっと、"王子様"そのものだった。


 憧れて、大好きで、どれだけ手を伸ばしても、触れることさえできない人。近づけなくて絶対に想いは届かない存在。


私は・・・ううん、私だけではない。他の誰も、彼の"特別"にはならないし、なれないだろう。


「確かになぁ」


 結斗はそう言ってため息をついた。結斗は私以上に、司さんとの付き合いは深いから、私の言ってることも、ちゃんと理解してくれている。


「私はね。

もう、司さんの彼女になれなくていいの。

 ただ、近くにいたい。それだけ。


 だって、司さんにとっての一番は私じゃないけど。

今までも、多分これからもずっと、

 私にとっての一番は、ずっと司さんだけだから」


 そう言って、自嘲気味に笑った。


「私ってさぁ。

一歩間違えたら、ただのオタクの腐女子やストーカー的なファンになってたかもね」


「そりゃないだろ?」


「どうして?」


「今、現実、花奏は、そうなってないだろ?

アイドルに恋するガキみたいな愛し方じゃない。

司さんって人、そのものを理解して、距離を保とうとしてる。


その段階で、腐女子とも迷惑ファンとも違う。それに花奏は司さんの事ストーカーなんかしてないだろ?」


「それは・・・」


私は言葉に詰まった。


学生時代、事務所でバイトしていた頃は、ストーカーするまでもなかった。悪い言い方をしてしまえば、仕事にかこつけて司さんの側にいられたんだから。

それに、司さんの私生活を知りたい、と思っても、だから実際に行動に出る、という事は、普通、しないと思う。

私生活を知りたい、もっともっと彼を知りたいからストーカーや迷惑行為に走るのは、常識を持たないごく一部分の人だと・・・思う。


でも私は、そのごく"一部分の人"に類する人たちをたくさん見てきてしまった。ただのファンではない、熱狂的、狂信的なファンや、芸能人の家族に、芸能人目当てで近づく人たちを・・・

それらすべては、私の過去の一部を、真っ黒に染めていた。


「司さんはさ・・・すごく自分に厳しいでしょ?」


 その黒い色から目を逸らしながら、私は結斗の顔を見た。


「恋愛なんて、全く興味ないみたいじゃない。

私が彼の特別にはなれない。


でも、きっと・・・他のどんな女性も、彼の特別にはなれないよ。

だから私は・・・この状況、耐えられるんだと思う


もし司さんに、本当に好きな人が出来たり、そんな気配が見えたときは・・・」


 狂うかもしれないよ?


そう言いかけた時、注文しておいた日替わり定食が来て、私たちは話を中断して、それぞれ、いただきます、と言ってお箸を持った。


司さんとて、年相応な男性な訳で、恋愛経験皆無というわけではない。何度か、誰かとお付き合いしていたこともあるらしい。でも、長続きした様子はない。


私が事務所でバイトしていた頃、司さんが事務所の人や所属モデルさんに告白されているところを見たことがある。その度に、司さんはお断りしているのだ。


今は仕事が恋人、と言うかの如く、職場と事務所と自宅の往復生活をしている、と聞く。


もっともこれにも理由があって、平日夕方の報道の帯番組に出演しているので、平日はかなりの時間、テレビ局にいることが多いのだ。さらに、報道をやっている、という性質上、週刊誌のネタになるようなスキャンダルは、他の所属タレント以上に御法度なのだ。


“報道番組にキャスターとして出る以上、視聴者にクリーンなイメージを持って欲しい”ということらしい。それはもっともなことで、視聴者だって、スキャンダルや疑惑まみれなキャスターが話す報道ニュースに、信頼など寄せないだろう。


私は、煮魚の定食を食べながら、司さんに想いを馳せた。アイドルなのに、アイドルオーラをスーツ姿で隠して、報道番組でニュースを読んでいる彼は、知的な雰囲気がする。でも、そこから離れて、兄とのユニットでライブをしたり歌番組に出ているときは、どこから見てもアイドルで、アーティストなのだ。


そのギャップと、事務所で会う時の素の彼・・・どれもが、私の心を捉えて離してくれない。


「ふーん・・・」


結斗は大盛りのカツ丼を食べながら相槌を打った。


 今をときめく国民的アイドルが、こんな裏通りの定食屋でカツ丼を食べている、なんてファンに知れたらどうなるだろう・・・彼がおいしそうに丼を綺麗に平らげている姿を見ながら、ふっとそう思った。


「花奏のいう事も判るけどさぁ」


 結斗はそう言うと、丼から私の方に視線を移した。


「俺は、伝えない後悔より、伝えて後悔した方が、いいと思うぜ?

だって、司さんは、花奏の気持ちなんか、知らないんだろ?」


「知らないままでいいの」

 

 結斗の言葉に、私は普段の口調でそう答えた。


 そう・・・私は、今のままでいい。


 このまま、動かない空気感のまま、誰も傷つかず、自分も傷つかないように、静かに生きていきたい・・・


「時々思うんだけどさ」


「何よ?」


 彼は意味深に笑った。


「お前がバイトしてた時、あの社長の申し出受け入れてたら・・・

 今頃、何のストレスもなく、同業者として堂々と向かい合ってたかもな」


 誰と、とは言わなかった。言わなくても判ってしまう。


 バイト時代、私は事務所の社長にスカウトされた。社員として、ではなく、所属タレントとして、だ。


 それは、とりわけ私が美人だからでも、演技力があったからでもない。


 "ジェネシスの隼人の妹"だったから。隼人の妹、という存在そのものがは、社長にとって、売りこむのにはもってこいの素材だったから。


 それが判っていたからこそ、その時私はその申し出を断った。この間まで、社長は私を芸能界入りさせるのをあきらめていないみたいで、さっきみたいに会うごとにその話を持ち出してくる。芸能界入りの話を私が断ると、今度は事務所のスタッフにならないか? と言われる。最近になってやっと、芸能界デビューの話は立ち消えしたけれど、事務所スタッフに勧誘することは、なかなか諦めてくれない。


「それはないよー」


 私はそう言って笑った。それは、私の芸能界入りの事と、司さんの話の事、両方の事を言ったつもりだった。


「今以上にすれ違ってると思うよ?」


「・・・お前が芸能人として成功していれば、な」


「うぐ・・・」


「単なるネームバリューだけで成功する業界じゃない・・・それは花奏もよく判ってるだろ?

ネームバリュー以上の何かを、社長は花奏の中に見てるんじゃないのか?」


 ・・・芸能界が、努力だけでのし上がれる業界ではない事位、私も結斗も良く分かってる。


 私も、たくさんの研究生を見てきたのだ。中にはデビュー出来ず、チャンスをものにすることも出来ず、人生の分岐点で辞めて行ってしまう子をたくさん見てきたのだ。


浮き沈み激しく、おぼつかない世界。そこに安定して地位を築けるのは、、本当に、血反吐を吐くほど努力して、さらに選ばれ、限られた人だけだ。


 そんな業界に、私は身を置きたくない。


 どうせ仕事するなら、ちゃんと安定して、努力が報われる・・・そして、女でも一人でも胸を張って生きてゆける仕事がいい・・・いつごろからかそう思っていた。


「いまのままが・・・いいの。

 平凡で穏やかなのが一番だよ。

私にとっては、ね」


 私は、この話はこれで終わりにしたくてそう言うと、定食のフライを口に運んだ。


 今を時めくトップアイドルと、こうして一緒に定食を食べること自体、平凡でも何でもないのだけれど、私が私でいる為には、そう言うしか、なかった。


「花奏は、変わらないな」


「そう?」


煮魚の定食を平らげ、私は結斗の顔を見た。


金色の髪の毛が、窓から入る光を受けて、不思議な色に見える。この色と、結斗自身の持つ、意志の強い目はマッチしていて、司さんとは違う意味で魅力的だ。


「ああ、変わらない。

ガキの頃から落ち着いてて、冷静な目で周りを見てる。


お前がいたから、俺、足を踏み外さずにここまでこれたのかもな」


「スキャンダルは多いけどね」


そう・・・結斗の女性がらみのスキャンダルの多さは事務所で類を見ない程だ。


周囲の女性もほっとかないし、彼自身も、自分の魅力をよく知っているのか、女性に困ることはないようだ。


「お前に言われると痛いな。

俺はお前みたいに、初恋に引きずられてねぇだけ!


周り見てみろよ!いい男なんていっぱいいるぜ!」


・・・わたしは頬杖をついて俯いた。


そう、私だってそう思ったことはある。そして、ただ一度、司さん以外の人に恋したことがあった。


でも、その恋は・・・


「花奏?どうかしたか?」


突然黙り込んだせいか、結斗が心配そうに私の顔を見つめた。あの独特な瞳で見つめられると不思議な気分になる。


「え?ううん、なんでもない!」


「大丈夫か?ぼーっとして・・・疲れてんのか?」


「ううん、そんなんじゃないよ!」


突然過去にトリップしそうになった心を、私は笑顔で誤魔化し、食後の緑茶を飲んだ。


「私は・・・結斗みたいな、とっかえひっかえな恋愛は、できないよ」


全てを断ち切るように、私はそう断言した。


・・・そう・・・できないよ・・・今更・・・


心の奥に漂う苦い思い出に蓋をするように、わたしはそう呟いた。





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