第7話
心が荒んだ中学時代。
荒んだ私の心を癒してくれた、二つの出会いがあった。
誰もが通る、“初恋”・・・司さんとの出会いと、当時めったに話すことのなかった“同年代の異性”の出会いだった。
司さんと出会ったのは、兄が研究生になってすぐ、私が小学生の頃だった。
兄が研究生になってすぐ、私は母と一緒に、兄たち研究生のレッスンを見学しにポラリスの事務所を訪れていた。
自宅から事務所まで、電車と地下鉄を乗り継がないと行けない距離。兄に会えるのは嬉しかったけれど、それ以上に、母と一緒に、普段滅多に乗らない電車や地下鉄に乗って遠出するのが楽しかった。
そんな風に、ポラリスの事務所を出入りするようになってから知り合ったのが、司さんだった。
兄と一緒に笑顔で話したりふざけたりしている司さんの笑顔に惹かれた。
“あ、司! こいつ、俺の妹の花奏。”
“花奏ちゃん、よろしく。早川司です”
そう言って挨拶してくれた彼の笑顔に見とれた。
不思議と、心臓の音が早く大きく聞こえたような気がした。
子供の頃、兄の背中を追っかけて遊んでいた頃、兄と一緒に遊んでいた兄の友達たちを思い出し、自然と心がほぐれた。
兄とは違うタイプの顔立ちと、兄とは対照的な白っぽい綺麗な肌色、一見すると女性みたいな雰囲気だけれども、その風貌は童話に出てくる王子様みたいだと思った。
それが、私の初恋だった。
その日以来、母と一緒に事務所を訪れ、兄のレッスンを見に行くたびに、兄よりも司さんの方が気になっていた。
“花奏ちゃん、こんにちは”
顔を合わせると、一言か二言。それだけの言葉のやりとり。たったそれだけで、胸がときめいた。
私から何かを話すことなど、恥ずかしくて出来ない。何より、私は母に連れられて兄のレッスンを見に来た立場。レッスンの邪魔や、他の研究生の迷惑になる様なことは絶対にしちゃいけない・・・母には何度もそう言われていた。
だから私は、大好きな司さんにさえ、彼から話しかけられない限り、こちらから話しかけることなど出来なかった。
まして、当時まだ小学生だった私に、兄と同年代の、しかもアイドル候補生の人に想いを伝える、なんてあり得なかった。好きだなんて、伝え方すら知らない子供だった。
自然、司さんに、あわよくば声をかけてもらうのが楽しみで、母と一緒にレッスン見学に行っていた。
そんな日々のさなか、司さんは違う意味で、目を引く男の子と出会った。
それが結斗だった。
背や体型、顔立ちからして私と同じ位の歳で、スポーツをす子が着る様な、薄汚れたジャージとトレーニングウェアを着た子だった。
その姿は、兄の背中を追いかけて遊んでいた頃の自分自身の姿とダブって見えた。だから余計に目を引いたのかもしれない。
彼からしても、自分と同年代の子供がいたからだろうか?休憩時間に、その子はスタスタと私の側にやってきた。
「隼人さんの妹?」
突然そう聞かれて、びっくりして、思わずうなづいた。
「やっぱり、隼人さんそっくりだもんな」
“兄そっくり”
その言葉は、当時の私にとって褒め言葉と複雑な想いを生み出す言葉だった。と同時に、兄を知る人には、必ず言われる言葉だった。
だから私は、その言葉には何も答えなかった気がする。答える言葉なんかなかった。私の反応など、相手は求めてなんかいない。子供でもそれ位、分かった。
「なーんにも話さないんだな、お前」
「え?」
「せっかく、唯一の小学生同士なんだぜ!仲良くしようぜ!」
そう言って、屈託ない笑顔を見せてくれた。私もつられて笑ったけど、もしかしたらその笑顔は、引きつった愛想笑いだったのかもしれない。
私は結斗の話を聞きながら辺りを見回した。そういえば研究生は、みんな兄と同年代の人ばかりで、どこから見ても小学生にしか見えない子は結斗だけだった。
そんな結斗にしてみれば、見学者で先輩の妹とはいえ、自分と同じ歳の子がいるのは、もしかしたら嬉しかったのかもしれない。
結斗との出会いは、確かそんな感じだった。いい印象も悪い印象もない。他の人との初対面と全く同じ。司さんの様に心ときめくことも、その後の私の人生が変わる様なことも、なかった。
でも、結斗の人見知りしない、明るすぎる位明るい性格故か、それとも私が隼人の妹だったからか、私たちが仲良くなるのに時間などかからなかった・・・・
そう言うと、お互い惹かれあった様な感じだけど、実際はそうでなく、結斗が一方的に話しかけてきて、私がそれを聞く、と言った関係だった。そして、話しかけて来てくれる頻度は司さんよりも圧倒的に多かった。それが余計に、司さんに対するもどかしさに変わり、私は余計に、司さんの姿ばかりを目で追い、司さんへの想いをつのらせていった。
耳では結斗の話を聞きながら・・・
私が中学生になり、兄と司さんが“ジェネシス”としてCDデビューすると、結斗はジェネシスのバックダンサーチームの一人に選ばれた。自然に、私は母に連れられて、ジェネシスのライブや公開録画を見に行くようになり、兄や司さんに会うのと同じ頻度で、バックダンサーの結斗とも顔を合わせるようになった。
「花奏!来てたのか?」
ライブ終了後の楽屋の廊下で、まだ衣装姿のまま、汗びっしょりな結斗は私に駆け寄って来た。
「結斗、お疲れ様」
気がつくと母と司さんのお母さんは、それぞれさっさと兄と司さんの楽屋に入ってしまい、廊下には私と結斗と、忙しそうに右往左往するスタッフだけしかいなかった。
「結斗、ダンス上手くなったよね? 間奏でお兄ちゃんの横でダンスしてたの、結斗だったでしょ?」
「やっぱり隼人さんと司さんのバックについてると、緊張感が全然違うぜ!」
頬を上気させて結斗は熱っぽくそう言っていた。
バックダンサーになってから、結斗のダンスはメキメキと上達して行った。どうやら結斗は、レッスンよりも場数を踏んで上達するタイプみたいだ。
背も、初めて出会った頃と比べたら随分伸びた。会うたびに、どんどん大人っぽくなっていった。
彼もいずれ、兄みたいに遠くに行ってしまうんだろうな・・・少し大人びて見えた彼の笑顔を見ながら、漠然とそう思った。
そして、兄たちのコンサートツアーやライブを一つこなすたびに、結斗の風貌はどんどん派手になっていった。
初めて出会った頃は、薄汚れた、ジャージ姿しか見たことがない。きっとスポーツか何かの朝練の後、そのまま来てるんだろうな、という印象があった。他の子は、もうちょっとマシな、子供だけどアイドル候補生みたいな恰好していた子が多かっただけに、そのジャージ姿はとても印象的だった。そう、いつまでたっても垢抜けない、明るいスポーツ少年だった。
けれど年月を重ねるたびに、スタイルも少しずつ大人っぽくなったし、今は、背も私より伸びた。何よりも彼の目を惹くのは、色気と意志の強さの両方を兼ね備えた目と、その髪色だった。光の加減でどんな色にも見える、銀色に近いゴールドに染めていた。
髪色は、バックダンサーをやる傍ら、雑誌のモデルも始めて、そのスタイリストさんやヘアメイクの人に勧められたのがきっかけだとかで、それがエスカレートしてしまったとか・・・
その風貌は、会うたびにどんどんかっこ良くなっていったけど、司さんのような、優しい王子様みたいな風貌とは対照的だった。
そして、高校生の終わり頃、結斗と、ジェネシスのバックダンサーをやっていたメンバー数人で、ダンス・ヴォーカルユニット“Colors”としてデビューした。
デビュー前からバックダンサーとしてスキルアップして、さらにバックダンサー時代からのファンも多かったせいか、デビューと同時に一気に人気が出て・・・使い古した言葉を使ってしまうと、"一気にスターダムへの階段を駆け上がった"と、言うのだろうか?
…………
結斗がデビューした翌年、私は第一志望の大学に受かり、大学の側で一人暮らしを始める・・・つもりだった。
ところが、女の独り暮らしをことさら心配した両親と兄の勧めで、兄が独り暮らしするマンションに転がり込む形で同居することになった。
"俺、仕事で家、空けてること多いから、留守中に家の事やって欲しいんだ"
兄にそう言われ、また、家賃は兄持ち、という条件に負けて、私は兄との同居生活を始めた。
それと同時に兄に言われた同居の条件が、"もしもバイトを探しているなら、ポラリスプロダクションでバイトすること"だった。
"今、うちのスタッフ人数不足でな、口固いバイト、探してるんだ"
一般で募集すればいいじゃない・・そう思ったけれど、
"事務所の内情とか、極秘事項とか、外部に漏れたらまずいんだ。花奏だったら身内だし、信用できる"
兄にもそう言われたし、事務所の担当者にも同じことを言われて、あっさり採用された。
事務所スタッフのバイト、といってもほとんど雑用だったり、コンサートスタッフだったり、研究生の面倒を見たりと、仕事は多岐にわたった。
兄のこともあって、小さい頃からポラリスの事務所には母と一緒に顔を出すことが多かったし、バイトの経緯も私が隼人の妹だから、という理由からだ。バイトする以前から、ポラリスに所属するタレントさんとは大概顔見知りだったし、バイトを始めてからは、研究生とも友達になった。
この事務所で、大学の友達より一足早く、社会に出る、という事がどういうことなのかを体感できたし、いい経験だったと思っている・・・
ここでバイトをするようになって、改めて、結斗や司さんとも、所属タレントとスタッフ、という人間関係になった。司さんとは、仕事の事で話をする機会が増えて、司さんとの距離は縮んだような気がした。気さくに世間話が出来るようになっていった。けれど反対に、結斗とは、仕事以外の話をすることはなくなった。もともとデビューしたてで忙しかった結斗。事務所に来るのも私がいない間だったりと、すれ違うことが多くなった。
けれど当時の私は、10歳からの長い付き合いの結斗とすれ違う事に寂しさも全く感じなかったし、むしろそれよりも司さんと、少しだけど仲良くなれたことの方が、ずっと嬉しかった。
それでも、結斗は、事務所で私を見かけると、以前と全く変わらずに、"よう! 花奏!"と軽い感じに声をかけてくれた。もう、結斗の中に、あの初めて出会った頃の雰囲気は全く残っていない。金色に染め上げた髪の色もしっくりきてるし、その髪色のせいか、それともモデルもやっているせいか、着る服もあの頃と比べて随分センスが良くなった。まるで別人のようだった。世の若い子達に人気があるのも頷ける。
「すっかり芸能人だね、結斗」
そう言うと、結斗は不機嫌そうに私を見た。
「お前にまで言われたくねぇな」
「え?」
「俺は俺。お前も、今まで通りでいりゃいいんだよ!」
ぽんぽん、と頭を撫でて、彼は去って行った。出会った時、同じくらいの身長だった彼は、気が付くと私よりも高くなっていた。私だって、女にしては背が高い方で、ハイヒールを履くとゆうに170センチを超える。そんな私の頭を撫でることが出来る人なんて、私よりも明らかに背の高い人達で、この事務所ではせいぜい、長身の兄と司さん位だ・・・と思っていた。
「背…伸びたね…」
呟いた私の声なんて、きっと聞いていないだろう。彼はマネージャーに呼ばれて、さっさと向こうへ行ってしまった。その後ろ姿を見送りながら、私は心を切り替えるように、軽く頭を振った。
結斗は結斗の夢をかなえるために歩いている。私も、自分の夢をちゃんとした形で叶えたい・・・
ううん、結斗だけじゃない。今の研究生達も、兄や司さんも、必死で、死に物狂いで努力して今の地位を勝ち取った人たちだ。凡人の私から見ても、存在感も、発するオーラも違う。
そんな人たちを目の当たりにして、じっとしてなんかいられない・・・
そう奮起して、私は、見つけたばかりの自分の夢を、しっかり心の中で握った・・・・
結斗はデビューして今年で10年目。今は、ポラリスプロダクションで、ジェネシスと人気を二分するトップアイドルグループとなり、私はかねてからの夢を叶え、英語の高校教師となった。しかも、都内で有数の進学校の、だ。
仕事にやりがいも感じるし、大変だと思うことも多い。でも、全力で夢を叶え、今頂点に立っている兄達や結斗のことを考えると、まだまだだ、とも思う。いつだって上昇意識と鍛錬を忘れない人達だ。私など、まだ叶わない・・・