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第74話

 それからさらに数日後。気持ちを切り替え、私は兄の運転する車で、"ポラリス"の事務所を訪れた。


「ごめんね、お兄ちゃん」


「何が?」


「せっかくの舞台明けのオフなのに、付き合わせちゃったから・・・」


「気にするな」


 この前、兄と一緒に飲んだときに、兄に頼んだのだ。


"事務所に一緒についてきてほしい"と。


 兄は快く了解してくれた。


 千秋マネージャーと社長に、劇団"フラン・カンパニー"についての話を詳しく聞き、出来ればカンパニーの人ともちゃんと話をしたいと思ったからだ。


 正直言ってしまうと、教師を続けるか、人事交流でアメリカへ行くか、フランに転職するか、まだ決めかねていた。でも、フラン・カンパニーの担当者とちゃんと話をして、決めるのはそれからでも遅くないと思ったからだ。


 でも、一人で事務所に行くのは気が引けた。


 今までだったら一人でも平気だった。でも、事務所には、もしかしたら司さんも結斗もいるかもしれない。今、ここで、2人に遭ってしまったら、決心が緩んで、ちゃんとした判断が出来なくなりそうだった。


 だから、兄に、ついてきてもらった。決心がぶれないように・・・




 事務所の建物に入った途端、中の普通じゃない空気感に、私は兄と顔を見合わせた。何というか・・・あわただしいし、空気が落ち着かない。


大きなトラブルが起きているような、そんな空気だ。


 いつもいる受付の人と目があい、私は軽く会釈した。


「花奏さん! 隼人さん、こんにちは」


「こんにちは・・・何かあったの?」


 そう聞くと、受付の子が、言いにくそうに話してくれた。


「今、社長室で社長と結斗さんがすごい言い合いしてて・・・」


「結斗が? なんで?」


 結斗、その名前を聞いただけで、心臓の音が妙に高鳴った。


 結斗はあの性格もあって、私がバイトしていた頃は、よく社長やスタッフとも口喧嘩する事があった。でもそれは昔の話で、今はそう言ったことも少なくなっていた。


 その結斗が、喧嘩する程社長にブチ切れる事なんて、想像できない。


「結斗に、何かあったのか?」

 

 兄が受付にそう聞くと、彼女は躊躇いながらも話してくれた。


「今度、結斗さんが出演するドラマの事で・・・

 そのスタッフやキャストと食事会が、先日行われたんです。


 その時の写真が週刊誌に撮られたそうです。


 その写真が撮られた時、近くにはほかにマネージャーもスタッフもキャストもいたんですけど、共演の女優さんと二人きりみたいな写真を撮られてしまって、二人きりで食事してきたような事を、週刊誌に書かれて、それで結斗さんが怒って・・・」


よくある話だ。他の人も大勢いた食事会で、異性と二人きりの写真が綺麗に抜かれて撮られ、“熱愛報道”として報じられる・・・今も昔も変わらない、三流週刊誌のよくやることだ。


でも・・・


「結斗が、そんなことで社長と喧嘩してるの?」


 ・・・そっちの方が信じられなかった。今まで、結斗は自分のスキャンダルなど全く気にせず、女優さんやらアイドルやらと好き勝手遊んでいたし、それが万一週刊誌に撮られても、どこ吹く風。まったく気にしていなかった。むしろそれで騒ぐ周囲を面白がって見ているフシさえあった。


そう、さも、数々ある熱愛報道全てが、彼の“戦歴”とでも言いたげに。


 その結斗が、たった一つの熱愛報道で社長に食って掛かるなんて・・・彼の性格上、あり得ない。


「今まで食い散らかしてた奴が、今更何言ってるのよ」


 独り言のようにそう言ったけど、受付の子は首を横に振った。


「今回はそんなんじゃないんです!」


「どういうこと?」


 聞くと、どうやら今回のドラマに関する契約等も関係しているようだ。


「ドラマって、この前、結斗が渋々出演承諾したあのドラマか?」


 兄の問いに、受付の子は頷いた。


「あのドラマ、もともと結斗さんは出演を断りたがっていたんです。でも、ドラマ制作側と、相手役の女優さんの事務所のたっての頼みで渋々出演を了解したんです。


 その時、結斗さんとうちの事務所が出した条件が、"たとえドラマの番宣でも、熱愛報道やスキャンダルに巻き込まれるような事はしたくないから、そのようにしてほしい"という事だったんです」


「・・・そのドラマの相手役!!」


 兄が、何か思いついたように声に出すと、受付の子は頷いた。その相手役の子は、何か月か前、結斗と一緒の所を写真に撮られ、週刊誌に熱愛スクープとして報道された女性だった。


「じゃあ、今回のドラマも・・・」


「・・・聞いた話ですと、もともと、制作側は結斗さんを使うつもりは全くなかったそうです。でも、ヒロインの女性があの人に決まったとき、条件として、"結斗をドラマに出す事"を提示したらしい。


 制作側も、何か月も前とはいえ、ヒロイン役と熱愛報道が出た人をドラマで共演させるのは良くない、って渋ったらしいけど、ヒロイン役の女優とその事務所側が押し切る形で、抜擢が決まったんです。


 でも、結斗さんとうちの事務所も、出演に際して条件を出したんです。それが・・・」


『たとえドラマの番宣でも、熱愛報道されるような事はしたくない』


 私は、さっき彼女が言っていた言葉を繰り返した。彼女は頷いた。


「そうです!

 それなのに今回の熱愛報道・・・写真撮られたのは仕方ないにしても!

 一緒に写っている女優さん、報道陣からのインタビューで、さも結斗と付き合っていて、その日は二人きりでご飯を食べに行っていたような事を言ってたんです!


 それで結斗さんが激怒して! 相手方の事務所と週刊誌の出版社に抗議するって、さっきは手が付けられないくらいだったんですよ!


 他のスタッフも怯えて仕事にならないくらいですよ!」


 ・・・それで、事務所内の空気がおかしかったのか・・・他のスタッフが驚くくらい結斗がキレて怒りまくったなら、今日事務所でミーティングするアーティストさんもモデルさんも、ミーティングどころじゃないだろう・・・


「・・・ね、私、社長にアポ取ってるんだけど・・・」


「あ、はい! 社長、花奏さんが来たら、社長室に通すようにって言われてます。

でも、今、その社長室で結斗さんが社長と大喧嘩してるんです・・・」


 こんなことを予想していなかったけれど、念のため、社長には事前にアポを取っておいた。ちゃんとした話をしたかったから、アポを取るのは当然だと思っていたけれど、私のアポ以上に強力な爆弾が、社長室に落とされた、という事だ。


「いいや、花奏、行ってみよう」


 兄に腕を引かれ、私は社長室へと向かった。後ろでは受付の子の心配そうな表情が見えた。





社長室の前まで来ると、中から怒鳴り声とも取れる声がハッキリと聞こえた。


『どういうことですか? この記事!』


 それは結斗の声だった。そして、それを宥めるような社長の声も聞こえる。


『落ち着け結斗! その週刊誌にも手を打った』


『でも、明らかに制作側と相手事務所、条件違反じゃないですか!』


『だけど、今更降板は無理だ。諦めろ』


『じゃあっ・・・泣き寝入りしろって事ですか?

 社長にだって前に言いましたよね!

 金輪際、たとえ相手が誰だろうと、たとえ話題目的だろうと、誰かとスキャンダル報道されるのは、もうまっぴらなんです!』


 結斗がそう言うと、社長が一瞬、言葉を止めた。そして、今までよりも少し、落ち着いた声で、結斗に問いかけた。


『・・・結斗。

 念のために聞いておくけど。

 急にスキャンダルが嫌だって言い出したのは・・・どうしてだ?


 今までは、お前が何所の女と遊ぼうと、私達は全く関与しなかったし、お前だってそんな報道気にしたこともなかった。


 スキャンダルさえお前は自分の好感度にしちまうんだからな。


 それがなんで今更気にするようになった?』


『それは・・・』


 結斗は言葉を詰まらせたようだ。そんな結斗にさらに社長は畳みかけた。


『お前は、他の連中みたいに、スキャンダルが人気に傷がつくような奴とは違う。スキャンダルや熱愛報道を全部飲み込んですべて人気に変えるだけのパワーを持っている。だから私もお前のスキャンダル報道には何も言わなかった。


 そのお前が、今更どうしてスキャンダルを気にするようになったんだ?』


 冷静に、社長にそう問われて、結斗は答えを渋っているようだった。社長室の中に沈黙が走った。


 そんなやり取りをドア越しに聞いてしまい、私も兄も、ドアをノックするのを躊躇っていた。すると・・・


『率直に聞く。

 スキャンダルを嫌がるのは、花奏さんが・・・理由か?』


『!!』


 微かに、本当に微かにだけど、結斗が息をのむ音が聞こえた。

 

 兄が、私に視線を落とした。けれど、私はその視線に応えることが出来ず、ただその場に動けなくなっていた。


脳裏に、あの過ちの夜の事が過った。そして、その後ストーカーに怯えていた時、二人きりで過ごした2日間・・・


“俺、花奏の事、好きだ・・・性欲処理で抱いたわけじゃない”

“愛してる”

"心配するな、ちゃんと好きだから"


囁いてくれた甘い言葉・・・あれは嘘じゃなかった・・・


そして、その証拠が、目の前で繰り広げられている喧嘩だという事・・・


改めて、結斗の本気さが身に染みて、胸がときめいた。


ところが・・・


『結斗、この際だから、はっきり言っておく』


 社長の声は、酷く落ち着いて、冷たく聞こえた。まるで私のときめきに釘をさすように。


『花奏さんは辞めておけ』


『『!!!』』


 そう言われた瞬間、全身に鳥肌が走った。


『あの子が、いくら、人間的に優れた子でも、スタッフとして仕事が出来る子だとしても・・・

 あの子の精神状態を考えると、これ以上、事務所に関わらせるわけにはいかない。


 関わり続けていけば、あの子の心は破綻する!

 今はまだいい、でも、時間の問題だ。


 そうなったとき、あの子は、お前にとって、何の役にも立たないお荷物にしかならない』


『社長!』


 そう言われた瞬間。隣にいた兄が、乱暴にドアを開けた。


「っひっ!」


 その音に・・・いや、それ以前に、社長が言っていた言葉にショックで、動けないままでいた。でも、兄がドアを開けたせいで、視界が急に明るくなった。


「花奏はやめとけって! 役に立たないって!! お荷物って!!!

 どういう意味ですか?


いずれ破たんする?


 見捨てるんですか?


 それが、うちの事務所の為に学業と両立して4年間頑張ってた花奏に対する評価ですか?


 事務所辞めてからも、こうして事務所に関わって、研究生や所属タレントにあんなに慕われている!


 その花奏を、この期に及んで切るって事ですか?!」


 突然、社長と結斗の話に入って来た兄に、2人は驚いて、言い合うことさえも忘れたようだった。


「は、隼人・・」


 呆然と兄と私を見つめる2人に、兄はさらに食って掛かった。


「今回の結斗のスキャンダルなんか、この際どうでもいい!それこそうちの事務所と相手事務所、制作側の問題で、俺が口出しできることじゃない!

でも、今の、花奏に関する評価はひどすぎます!」


 そして、社長の視線が、ドアの所に立ち尽くしていた私と目が合った。


「か、花奏・・・さん・・・・!」


 いったい私はどんな顔をしていたんだろう? どんな表情をして、社長を見ていたんだろう?


身体が、ガタガタと震えてきて、その震えは収まるどころか、どんどん酷くなっていった。


 社長は・・・聞かれたくない事を聞かれた、という狼狽とうしろめたさの混ざった表情をしていた。


(オマエニトッテ ナンノヤクニモ タタナイオニモツ・・・)


 その言葉は、他のどんな言葉よりも強力で、破壊力に溢れていた。


「花奏っ!」


 足元がガタガタと震えて、倒れそうになった私を、誰よりも早く結斗が近くまで来て支えてくれた。


「大丈夫か?」


 震える肩を必死で支えて、軽くゆすった。でも、私はその腕さえも振りほどいた。


「花奏?」


「花奏さん、違うんだ! 話を聞けっ!」


社長の言葉が遠くに聞こえたけど、それ以上、聞く事はできなかった。


 そして、社長室にいる社長と兄、結斗に、深く一礼すると、そのままその場を後にした。


「花奏っ!」


「花奏さんっ!」


 背中では、結斗が私を呼び留める声がした。と同時に、追いついてきた結斗の手が、私の腕を掴んだ。


「離してっ!」


 その腕をも振りほどき、私は走った。もう、ここに、居てはいけない。頭の中で何かがそう囁き続けている。


 後ろで追いかけてくる結斗の声が届くより先に、私は事務所の廊下を走って、事務所を出た。すれ違う事務員やスタッフが、私を不審そうに、そして心配そうに見つめていた。


 外に出ると、私は通りかかって来たタクシーに乗り込んだ。


「すぐに出して下さい!」

 

 そう急かすと、運転手さんは慌ててアクセルを踏んでくれた。


 事務所の前では、結斗がタクシーに向かって何か叫んでいたけれど、エンジン音にかき消されて、何も聞こえなかった。


 もう、何も聞きたくなかった。


(何の役にも立たない)


 その一言が、まるで私のこの数年間の結末のように思えて、ショックで泣きたくなった。


 これでも一生懸命、精一杯頑張って来たのに・・・それさえも、社長は・・・


(何の訳にも立たない)


 そう思っていた、という事だ。


「役に立たないお荷物・・・か・・・」


 たとえ結斗が私の事を好きでいてくれたとしても、所詮芸能人と一般人。一般人の私が、芸能人の結斗の役に立てるわけがない。そんなこと、判っていた。判っていたからこそ、司さんへの告白さえ、ずっと躊躇っていた。


 でも、監禁される前、私は、結斗のぬくもりに救われて、癒されていた。あの手が嘘だとは思いたくない。けれど・・・そんな彼に、私は何もしてあげられない・・・


 社長にそう断言されたように思えて・・・・そしてそれはもっともだ。


「ふ・・・ふっふっふっふ・・・・」


 悲しくて、もう笑うしかない。


 少しは・・・ほんの少しくらいは役に立っていると、そう思っているのは私だけ。研究生や事務所タレントに慕われたり頼られたりして、役に立っていると天狗になっていたのは、私だけ。


 結局社長の評価は・・・


"カナデサンハ ヤメテオケ"


"イズレ、ハタンスル"


"オマエニトッテ ナンノヤクニモ タタナイオニモツ・・・"


 私が、結斗の為にしげあげられることなんか・・・何もない・・・


 いくら、事務所や、学校での仕事や、世間に評価されようと・・・所詮役に立たない存在・・・


 反論できる材料もなかった。


 自分の力のなさ、ちっぽけさを思い知って、あきれ果て、もう涙さえ、出なかった。


(もう、私なんか・・・いなくなっちゃえばいい・・・・)


 膝に顔を伏せたまま、私は涙さえ出なくなり、私は声をあげていた。それは、泣いているのは自嘲の果ての叫びなのか、判らなかった。






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