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第71話

『拾う神あれば捨てる神あり』とはよく言ったもので、今、私の目の前には、その二人の『神』が手を差し出していた。


理事長やPTA会長の様に


「クビにしないだけ、ありがたいと思いたまえ」


と言いながら、体面や外聞のために飼い殺ししようとする人。


そして、事務所の社長の様に、これを機会に新しい道を提示してくれる人・・・


あくまでも教師に拘るのなら、学校の人事に従って、アメリカの姉妹校へ行くのが順当だろう。


教師に拘るのなら・・・


正直言ってしまえば、教師は続けたい。理事長やPTA会長の冷たい言葉を我慢してでも。いくらあの二人だって、私がアメリカの姉妹校へ言ってしまえば、うるさく言うことはないだろう。


そこで、一から教師としてやり直せれば・・・


でも、教師を続ける場所が、この高校、あるいはアメリカの姉妹校が良いか・・・と、そう考えると微妙だ。


 もちろん、この学校は好きだ。生徒も素直な子ばかりだし、教員同僚も、いい人が多い。


 でも・・・さっきの理事長の言葉が突き刺さったまま、離れてくれない。


 事なかれ主義とはいえ、理事長もPTA会長も、今回の事件以前は、あまり顔を合わせる機会はなかった。その2人は、私に対してあんな態度で接することはなかった。

 

 それが、今回の事件が起こった途端にこれだ・・・


 ここにいる限り、あんな風に扱われるのかと考えると、憂鬱だ。


 でもそれも、渡米するまで、と割り切ってしまえば・・・


「花奏先生!」


 自席で考え込んでしまった私、にそう声をかけたのは、野間先生だった。


 入院中も、しょっちゅうお見舞いに来ては、事件前と変わらずに接してくれて、学校内の事を話してくれた。

 

 すべての事情や私の正体だって知っているはずなのに、だ。


「お昼、どうする?」


「え・・・」


 気が付くと、もうお昼を回っていた。周囲の教師の中には、早々と学食へ行ってしまった人もいて、職員室は閑散としている。


 そんな中、彼女の自然な態度は、職員室内での私を取り囲む異常な空気感の中で、それ以上に異常に見えた。


 今までも、お昼ご飯は、それぞれ用がない限り、一緒に食べることが多かった。だから彼女にしてみれば、いつも通りなのだけれど・・


「英語科室、行こうか?音楽室、合唱部が使ってるんだ」


 周りの空気を察してか、そう言ってくれた彼女に私は頷き、お弁当を持って、彼女に手を引かれるように職員室を出た。





 


#######################


英語科準備室は、以前と変わっていなかった。


音楽室や他の教室のような、夏休みの部活動で誰かが使うわけでもなく、静かで落ち着いた。


 私と野間先生は、それぞれお弁当をたべ、お茶を飲みながら、以前と変わらない、他愛もない話をしながら過ごしていた。


 でも、私は・・・どうしても、心の中の突っかかりが取れなかった。


(どうして、野間先生、いつも通りなの?)


 私の正体と、報道された事件の全貌を知って、他の先生はみんな、私の事を遠巻きに見ている。珍しいもの、汚らしいものを見るような目で、だ。


 あの理事長やPTA会長でさえ、厄介な荷物を見るような目だったのだ。


 それなのに、野間先生だけが、以前と変わらず、自然に笑って普通に接している・・・


 その態度が、嬉しいのを通り越して、不気味にさえ思えた。その想いの根底にあるもの・・・芸能人がらみの便宜を求めるためのものかもしれない。


今までだって、そういう人をたくさん見てきた。私が“隼人の妹”というだけで、あるいは芸能事務所でバイトをしていて、今もつながりがある・・・と知って、急に態度を変えて接してくる人をたくさん見てきた。


野間先生も、そういう人なの?


「・・・ねえ、野間先生?」


「何?」


 いつも通りの口調で返事をして、笑顔で私を見ている。それにさえも、不信感がわいてくる。


「私の正体や、事件の事、知ってるんだよね?」


 私がそう聞くと、野間先生は相変わらずの表情で、"うん、知ってるよ"と答えた。


思い切って聞いてみることにした。


それは、今まで、私の正体を知って、私に対する態度を変えてきた人に対して、聞いたことなど無かった。


・・・返事を聞くのが怖くて・・・


「どうしていつも通りなの?」


「は?」


 不思議そうな声が、静かな英語準備室に響いた。


「・・・周りの先生達の態度、見てるんでしょ?

 私の正体知った人は、大概あんなふうになるか、媚売ってくるか、どっちかよ?


 それなのにどうして野間先生は普通通りでいられるの?」


"新堂隼人"。知らない人もいないほどの国民的アイドルで、俳優。ファンだって多い。その妹。それだけで周囲の私を見る目は異質なものに変わる。


 それが当たり前で、普通で、私にとっては厄介で、見たくもない現実だった。


 でも、野間先生は・・・その現実とは正反対の態度をとり続けていた。


「うーん・・・・」


 私の質問を正確に把握してくれたのか、野間先生は、少し考え込んだ。そして、


「花奏先生には悪いけど・・・あ、気を悪くしないでね」


 と前置きをすると、言葉を選ぶようにして話を始めた。


「知らないんだ。何も」


 あっけらかんとそう言った。


「私、子供の頃からずーっとクラシック漬けだったんだ。テレビもアイドルも興味なくって、学校と家と、ピアノの師匠の家の往復しかしてなかったの。家でもテレビなんか見ないで、ピアノの練習ばっかりしてた。だからテレビの人気アイドルも知らないんだ。


 大学時代も、日本の大学で単位取ってから、海外に二年位留学してたしね。日本の芸能事情とか、全然知らないんだ。


 さすがに今は、生徒たちが好きなアイドルとか芸能人は、知ってるよ? でも知識程度。


 だから・・・花奏先生がね。


 "新堂隼人の妹"なんて言われても、ピンとこないの。


 あ、さすがに、新堂隼人って、何者かって調べたよ? でも、ああ、アイドルなんだ、舞台俳優さんなんだ、って程度しか思い入れ、持てなくて・・・花奏には悪いけど、花奏のお兄さんがどれだけすごい人かって・・・全然わからなかったの。私の知らない、遠い世界の人」



 野間先生の言葉を、私は唖然として聞いていた。


 兄を知らない人がいる・・・兄に話したら、兄はどんな顔をするだろう・・・

 

「だからだよ。花奏先生。

 私は芸能人なんか知らないから、新堂先生のお兄さんがどんな人なのか知らないし、・・・こういったら悪いけど、今だって興味もないんだ。


だから、どうして理事長とPTA会長があそこまで神経質になってるのか、理解はできるけど共感できないの。


でもさ、生徒たちの騒ぎ方見てると、花奏先生のお兄さんが、芸能界でもかなり人気者なんだなって・・・想像できるよ」


 そこまで言うと、野間先生は、うーん、と、再び考え込んだ。


「だって、花奏先生?


もしも私が、長谷部徹の孫娘だってカミングアウトしたら、どうする?」


 突然そう聞かれて、私は面食らった。


「・・・誰?」


「長谷部徹」


 野間先生は、もう一度、名前を教えてくれた。


 長谷部・・・徹? 聞いたこともない名前だ。


 私が答えに困っていると、野間先生は、面白そうに声をあげて笑った。


「花奏先生が知らないのも無理ないよ。アメリカで活躍してる日本人ジャズピアニストよ。


聞いたこともない名前でしょ?

でも、アメリカのジャズピアニスト界では、すごい有名人なのよ」


 私の知らない業界の、知らない人。でも、野間先生の業界では有名人・・・いまいちピンと来なかった。


 それでも私は、野間先生の話に必死で食らいつこうとした。


「野間先生・・・その人の孫、なの?」


聞くと、野間先生は笑って首を横に振った。


「まさかぁ!

でも、花奏先生の家族構成も、それと大差ないでしょ?

誰もが知ってる有名人だからこそ、周りが勝手に騒ぐ。

知らない人にとっては、どうでもいいことなんだよ。


私はね、花奏先生の経歴も家族構成も知らずに、花奏先生と友達やってるのよ。

誰の妹だとか、家族がどうとか、関係ないもの・・・違う?」


 野間先生の結論を聞きながら、私は、入院中の彼女を思い出した。


 入院中、ちょくちょくお見舞いにきてくれたのは、下心の欠片もない、友人としての好意だったんだ・・・それを思い知った。


「そう・・・だね・・・」


 ああ、私は。


 何を神経質になっていたんだろう。


 今まで、"隼人の妹"ってだけで嫌な思いをしてきたことの方が多かった。

 

 兄の事を知らない人なんか、いない、そう思っていた。それ位、"隼人の妹"という言葉は強大で、兄の知名度を思い知った。


 でも、こうして目の前に、兄の存在に関わりなく、向かい合ってくれている人がいる。ううん、出会ってからずっと、そうやって向かい合ってくれていたに違いない。


 先入観も、下心もなく・・・だから野間先生は、いつもと変わらずに、こうして向かいあってくれてたんだ・・・


 野間先生の今までの言葉を鵜呑みにすることはできないけれど。


 その言葉に嘘がないだろう。だって、野間先生の言っていることと、今までの態度と、今向かい合っている様子は、全部、辻褄が合う。


 野間先生の言葉に、救われた気分になった。


「世の中、捨てたもんじゃないね」


 今まで私の周囲は、私のことを“隼人の妹”閉じて見る人が多かった。でも、そうでない人もいる・・・たったそれだけで、逃げ切れたような気分になった。


「・・・ありがとう」


「何がよ? 私、何もしてないよ?」


「知ってても、知らなくても、いつも通りでいてくれて、ありがとう」


「そんなの、当然でしょ? 知らない人の妹だって言われたって、ああそう?それで?って感じよ?」


 のほほんと、いつも通りの笑顔を見て、私も自然に、笑顔になれた。





 捨てる神あれば拾う神あり。


 

 世の中、捨てたもんじゃないかも知れないね・・・


 久しぶりに、笑えたような気がした・・・




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