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第69話

 それから数日後、私は退院した。


 傷もやっと治り、あとは通院だけでどうにかなる、との事だった。


 ぼろぼろになった髪の毛も、短く切りそろえ、随分首回りがすっきりした。けれど、そのせいで、首の傷跡が露わになってしまい、隠すことが出来ない。髪が伸びるのを待つしかなさそうだ。 


 それに、実際、まだ身体のあちこちは痛かったので、完治した、というわけではなさそうだ。


 退院の日は、母が来てくれて、退院手続きをすべてしてくれた。


「いろいろ、ありがとう」


 入院中、何度目になるのか、そう母にお礼を言うと、母は"何言ってるのよ"と笑ってくれた。


 そして、手配してくれたタクシーに乗り込み、マンションへと向かった。


「ねえ・・・花奏?」


 母が、心なしか真面目な顔をして、私を見つめていた。


「何?


「隼人の事・・・恨んでる?」


 それは、母から初めて聞く言葉だった。


「・・・どうして?」


 母が研究生になってから、母はそれを応援するように、レッスンの度に私を連れて、ポラリスの事務所内のレッスン室に通っていた。


 兄が、先輩アイドルのバックで初めて踊った日も、デビューイベントの時も、初めてのツアーの時や音楽番組も・・・状況の許す限り、母は私を連れて見に行っていた。

 

 兄の一番のファンは、母・・・私はいつしかそう思っていた。そんな母から出てきた言葉は、私にとって意外だった。


「この事件だって、隼人が芸能人じゃなかったら、起きなかったかも知れないでしょ?

 隼人が一般の人だったら、もしかしたら花奏も、普通のOLや社会人として平和に・・・」


 それは、入院中に見ていた夢のようだった。


"もしも兄がアイドルではなかったら"


 あの優しくて甘酸っぱい、幸せな夢・・・

 

 それは、兄との関係だけではない。


 兄は芸能人になり、母は、花奏よりも兄の方を優先し、土日は必ず兄のレッスン付き添い。母と2人だけで、兄絡みではないお出掛けなど、した事なかった。


 その揚句、抱いたジレンマは・・・兄との関係だけではなく、母との関係も絡んでいる・・・少なくとも母はそう思ったのだ。


「でもね、花奏には悪いけど、私は、あの時、自分で自分の道を切り開いた隼人を、応援してやりたかった。

 子供だった花奏には理解できなかったかもしれないし、花奏をほったらかしにしたことは悪かったと思ってる。


 花奏に寂しい思いをさせたね。

ごめんね、花奏」


 母の謝罪を、私は、大きく頷いて受け入れることが出来た。


 ずっと兄の事でジレンマを抱えていたのは本当だし、休日の度に兄のレッスンに付き合わされたのも、良い気分ではなかった。でも・・・


「気にしないで・・・

 私、お兄ちゃんもお母さんも、大好きだよ・・・」


 そう言いながら、私は隣に座るお母さんに、軽くもたれかかった。


「そりゃ、お兄ちゃんがアイドルやってて、嫌な思いしたこと、一杯あるけど。

お兄ちゃんはお兄ちゃんだから」


 私にとってのお兄ちゃんは、アイドルなんかじゃなくて。

 子供の頃、いっぱい遊んでくれた新堂隼人で。

 今でもどっか抜けていて、アイドルしてる癖に物忘れが激しくて忘れ物ばっかりして。

 

 "隼人の妹"っていう目で見るのは周囲で、周囲との人間関係を考えると、この立場は、正直嫌だ。


 でも・・・それでも。


兄がいなかったら、と思うことはあっても、兄の事は好きだし、恨んでは、いないと思っている。


「花奏・・・」


 母の肩に寄りかかった私の頭を、母は優しく撫でてくれた。その心地よさに、私は目を閉じた。


「マンションに着いたら・・・起こして?」


 その言葉に、母は答えてくれたような気がしたけれど、私はそれを聞くことも出来ず、そのまま眠りに落ちて行った。


 逃げ切れたような気分だった・・・





 マンションに戻ると、ゆっくりする間もなく日常生活が戻って来た。


 私の通院もあるし、母は私のマンションで、しばらく一緒に暮らしてくれることになったけれど、母は、外での私の現実に関与するわけでもなく、山積みになった問題は、私が解決しなくてはいけなかった。


 夏休み中だったけれど、退院した旨を学校に連絡すると、都合がつき次第、すぐに学校に来るように呼び出しがかかった。


 私は、入念に"新堂先生"の姿をした。


そして、肌身離さず身につけていたあのピアスを宝石箱から出した。


いつも、必ずつけていたピアス。落とした片方を、結斗が拾ってくれたから、また付けることができる。


それなのに、なぜか身につける気になれなかった。


「・・・・・・」


しばらく考えてから、そのピアスを宝石箱に戻した。そして、事務所のみんながくれた、あの腕時計と伊達眼鏡だけを身につけた。

 

 結い上げていた髪は、短くなったので、結い上げず、おろしっぱなしだ。


この姿をするのは、あと何回くらいなんだろう?


身支度が終わった姿を鏡に写し、丹念にチェックしながら、私は、心のどこかで、この姿の私がいなくなる日までのカウントダウンを、始めていた。


それは、教師の仕事が続けられなくなる、とか、クビになる、とか、そんなことではなく・・・


そんなことではなく・・・


大きな、避けられない、人生の分岐に差し掛かっている・・・そんな気がした。





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