第6話
昔から、私と兄は仲良しだった。
私は、4歳年上の兄の背中を追いかけるようにして、子供時代を過ごしていた。
私の家の近所には同年代の女の子は住んでいなくて、隣近所は兄と同年代の男の子ばかり住んでいて、自然、私は兄や兄のお友達と一緒に遊んでいた。
小学生になるまで、自分が男だと思い込んでいた程だ。
髪を短くして、兄のおさがりのズボンをはいて、外で兄たちと暗くなるまで、服を真っ黒にして遊んでいた。
"元気な男の子ね"
知らない人にそう言われても、何とも思わなかった。それ位、自分が男だと信じて疑ってなかった。
転機が訪れたのはいつだろう?
小学校入学の時のランドセルが赤っぽい色だった時だろうか?それとも入学式用に、と祖母が買ってくれたスーツが女物のスカートだったのを見たときだろうか?
相当、ショックを受けたのを、今でも覚えている。
それでも、兄も、兄のお友達も、今までと変わらずに私の事を本当にかわいがってくれて、それが救いだった。
兄は、昔からカッコよかった。
カッコよくて、女の子にモテて、スポーツ万能で・・・おおよそ、同性、異性の両方にモテる要素をすべて兼ね備えていたのではないだろうか?
そして、私にとって、"花奏は、隼人君そっくりね"と周囲に言われる事は、最大の褒め言葉だった。
けれど、そんな日々も長く続かなかった。この褒め言葉が、やがて、自分自身の首を締める様になった。
私が9歳の時。
小学校を卒業した兄が、"ポラリスプロダクション"の研究生オーディションに履歴書を送ったのだ。
アイドルになりたい、芸能人になりたい、と本気で思ったのかもしれないし、他に理由があったのか定かではない。けれど、両親はそれに反対しなかった。
写真審査をはじめとしたいくつかのオーディションを勝ち抜き、兄は中一の時、ポラリスの研究生となった。
大好きだった兄は、中学と研究生としてのレッスンに追われる日々となり、私に構う暇など無くなっていった。
大好きだった兄がいなくなり、さらにその影響か、近所で遊んでくれる人など誰もいなくなった。周囲の、兄の友達にとって、所詮私など、兄のおまけで、兄がいたからこそ、私の事を構ってくれていたんだ・・・と理解するのに、時間などかからなかった。
兄とは違う色のランドセルが、そのすべてを物語っているように思えて、とても嫌な気分になった。もしも私が正真正銘の男の子だったら、もしかしたら引き続き遊んでくれたかもしれない。
その現実にショックを受けながらも、その頃から、自然に私の遊び相手は、少し離れた所に住んでいる同学年の女の子になり、ようやっと、私は、兄のおさがりのズボンや男の子向けの服を着るのをやめ、違和感を感じながら、女の子向けの明るい色の服を着て、短かった髪を伸ばすようになった。
それはもしかしたら、私の前からいなくなってしまった大好きな兄に対する、意味のない反抗だったのかもしれない。
慣れない女の子同士の遊びに、戸惑いや、本音と建前が飛び交う会話に、嫌悪感を覚えたのもこの頃だった。
時々顔を合わせる兄は、会うごとに女の子っぽくなってゆく私を見るたびに、複雑そうな顔をしていた。
「花奏ちゃん、本当にかわいいよね」
いつごろからだろう?そう言われるようになったのは・・・私が、中学生になった頃だろうか?
体型が、子供のそれから女のコっぽくなり、大人っぽい中学の制服を着て、髪を伸ばして可愛く結ぶようになっていた。それと、当時の兄並に高い身長、兄とよく似た整った顔立ち。
この頃には、同性同士と遊ぶのも会話するのもすっかり慣れて、適当に、相手が嫌な思いをしない程度に、踏み込みすぎず、離れすぎず、距離を置くことも覚えて、実践してた。男女問わず、モテるようになったのは、この頃だろうか?
ちょうどその頃、研究生だった兄は、司さんと二人で、ダンス・ヴォーカルユニット、"ジェネシス"としてCDデビューした。
デビューと同時に一気に人気者になり、周囲の注目を集めた。
それは、兄だけではない・・・・私の生活も、また大きく変えることになった。
「花奏ちゃんって、"ジェネシス"の隼人の妹なんでしょ?」
「いいなぁ! ねえ、今度サイン貰ってきてよ!」
「ねえねえ、今度の公開録画、見に行けたりする?優先的に観覧できるとかって、ないの?ー」
周りの、私を見る目が一気に変わった。"同学年のお友達"から、"芸能人、新堂隼人の妹"という視線に。
最初は、私はとても優越感に浸っていた。大好きな兄が芸能人、アイドル歌手。たったそれだけの事実で、私は一躍、人気者になれた。ほんの数年前まで、自分が男だと信じて疑わなくて、兄にべったり引っ付いていたブラコンだった私が、突然周囲の注目を浴びたのだ。私の方が、アイドル気分だったのかもしれない。
でも、そんなものが幻想だ、と実感するまで時間などかからなかった。なぜなら、兄のデビュー後に私の友達になった人は、ほぼみんな、"兄目当て"だと気づいてしまったから。
「だって、花奏と友達でいたら、お兄さん通じて芸能人に会えるかもしれないじゃん!」
「花奏なんて二の次! 芸能人の妹と友達、なんて絶対ありえないでしょ?」
「花奏のお兄さんって、司とコンビ組んでるんだもんねー! 花奏と仲良くしておけば、ひょっとしたら司に会えるかもだよね!」
「ポラリスって、かっこいいアイドルやモデル、一杯いる事務所だもんね。もしかしたら●○とも会えるかもねー」
私の事など、誰も見ていなかった。みんなが見ているのは、私の後ろにいるであろう、アイドルの兄と、人気芸能人・・・みんな、それが目当て・・・周囲の視線で嫌というほど、判った。
「隼人の妹だからって、生意気なのよ!」
「そうよ、少しくらい融通きかせてくれたっていいじゃないの!」
「どうせ花奏が、ポラリスのタレントと自由に会ったりしてるんでしょ?
ちょっと可愛いからって独り占めしてるんじゃないの?」
そんな陰口まで聞こえるようになってきていた。事務所のタレントに対してそんなに便宜を図れる立場ではない私に、例えば兄とは直接関係のない芸能人に会わせろ、などと出来もしない無理難題を吹っかける周囲や先輩、そしてそれができない、となれば、
「生意気だ」
「どうして仲良くしてあげてると思ってるの?」
「あんたなんか、隼人の妹、って以外、なんの価値もないんだから、大人しく言うこと聞いてればいいのよ!」
そして、その後に続くのは、一方的な暴力と、断続的に続く嫌がらせだった。
周囲が、私に対して何を期待しているのかが分かるようになればなるほど、周囲が嫌いになった。
兄が芸能人だから、と言って、兄と同じ事務所に所属するタレントさんのサインを優先的にもらえるわけでもない。まして、公開録画を優先的にみれたりライブチケットを融通してもらえることはあるけれど、それは家族限定のことで、家族の友達だからといって、融通できるものではない。
でも、そんな裏事情、いくら説明してもわかってもらえなかった。
私は、平気な顔をして笑いながら、相手が何を考えているのかを冷静に見ながら、その根底にあるものに反吐が出そうな思いをしたことも、たくさんあった。
その頃から、私は兄に、複雑な思いを抱くようになった。
兄は大好きなのに。たった一人の兄で、子供の頃はよく遊んでくれた兄なのに。
それと同じくらいの重さで、"兄がいなければ、こんな思いしなくて済んだのに"と思うようにすら、なっていった。
兄も、実家に戻るたびに、私の荒んだ何かを感じていたのだろう。
多感な年ごろになっていた私に、ことさら気を遣うようになった。
"ジェネシス"のアリーナコンサートやイベントのチケットをくれたり、珍しい音楽番組の特番ライブを見られるように手配してくれたり、それとなく、実家に戻ってくるとき、都内での有名菓子店のケーキを買ってきてくれたり・・・今思うと、かなり気を遣わせていたのだろう。
兄が大好きな気持ちと、兄目当てで私に近づく周囲の人たちに対する嫌悪、兄との楽しい日々を奪った芸能界への複雑な想い・・・それらが私の中で絡まり続け、その絡まりは、歳を重ねるにつれて、どんどん酷くなっていった。
中学を卒業して、高校進学するとき、私は、それらから逃げるように、地元の高校ではなく、学区外の高校へと進学した。そこまで行けば、私と兄の関係を知っている人もいないだろうと思ったからだ。
事実、高校では、周囲は、私と兄の関係を知る人が皆無の為、兄とのことを とやかく言わなくなり、やっと私は、様々な呪縛から、一時的にだけど、逃れることができた。
・・・・・・