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第65話

「本当、なのね」


落合先生が、ため息交じりで言った。それは、確認ではなく、事実を言うような口調だった。


教頭は、何も言わずに、うつむくようにして私から目をそらした。


 ただ一人、野間先生だけが、心配そうに、今にも泣きそうな顔をして私と教頭たちを交互に見つめていた。


病室に流れた空気は重たく、言葉を発する事さえ困難だった。


もう、言い逃れはできない。


今考えれば、教員になって数年、いままで露見しなかった方が不思議だ。


露見したからどうという事はない。でも、周囲の私を見る目が変わるのが、耐えられない。


所詮、私が、自分の意思で隠し通した事だ。それに対する罰則でも身分詐称の処分でも、受ける覚悟はできていた。


「・・・はい。

 私の兄は、新堂隼人です。


随分長い事、私は、兄の家族として、“ポラリスプロダクション”に出入りしていましたし、大学の時は、ポラリスでバイトしていました」


 今まで、何人か、数えるほどではあったけど、私の正体を話したことはあった。でも、こんな気まずい気持ちで話すのは初めてだった。


 言い訳、しなかった。ただ、事実だけを話した。きっと、私が正体を隠し続けた理由なんか、良きにせよ悪きにせよ、教頭や落合先生が想像してくれるだろう。


「・・・そうか・・・」


 教頭は、静かにそう言った。その言葉には、否定的でも肯定的でもない、怒っている様子もない。ただ、事実を事実として受け入れているようだった。


「それは・・・PTAと理事会で公表してもいいんだね?」


 最終確認、だった。それによって、私の今回の一件に対する処分が、決まるのだろう。


 拉致監禁被害者に対する、学校の処分とはいったい何だろう? 芸能人の妹だと隠し続けていた事に対する処分なんて、もっと想像できない。


 私は、一瞬の間のあと、頷いた。


「学校側にお任せします

私が、自分のプロフィールの一部を学校側に公表していなかった事が処分に相当するかどうかは・・・すべて、皆さんのお考えに従います。


K学園の教員に相応しくない、と理由で処分を受けるのならば、それでも構いません」


 もう、私は学校には戻れないのかもしれない。そんな想いがリアルによぎった。


「・・・判った。君に関しては、理事会とPTAで処遇を決めよう」


 処遇・・・か。


 心の中でそう呟いた時だった。


その時だった。


「おい」


結斗の、低い、少し鋭い声が、静かな病室に響いた。


「どんな経歴持ってようと、誰が家族だろうと、花奏は花奏だ。

 花奏のお兄さんは、別に犯罪者というわけじゃない。普通と違う仕事をしていて、普通より有名なだけだ。

 

 それのどこが不都合なんですか?」


 結斗が、いきなり三人にそう言葉を投げつけた。


 いつものような勝気で俺様な声ではなかった。良く知っているはずの私さえ、あまり見たことがない程、静かな声だった。


 教頭は、結斗を見ると、少し呆れたような軽いため息をついた。


「確かに、新堂先生のお兄さんは、悪い事など何もしていない。

 でも、有名すぎる。


 その家族、というだけで、生徒に悪影響を及ぼしかねない。

 君みたいなアイドルとも親密に関係がある、なんて校内に知られたら、生徒たちは新堂先生の授業どころじゃなくなるだろう。


 新堂先生は、進学校の教師なんだ。しかも受験クラスを受け持っている。そのクラスが、授業どころじゃなくなったら、わが校にとって大変な損失だ」


 淡々と、教頭はそう言っていた。もっと言ってしまえば、うちの学校が売りにしている"進学率が低下する"なんて事も言いたかったに違いない。そんな教頭の言葉が気に入らなかったのか、結斗はさらに食って掛かるように言葉を返した。


「花奏のお兄さんも、俺たちも、確かに芸能人です。学歴なんかありません。


 でも、世間に顔向けできないような事をしているつもりはありません。

 みんな、学歴がなくても、各々の仕事にプライドをもって、胸張って生きています。


 それでも、悪影響なんですか?」


怒りと苛立ちの混ざったその声が怖かった。普段の結斗の声ではなかった。でも・・・今回の一件・・・あの過ちの夜以来、この声を何度も聞いているような気がした。


こんな険悪な口調にさえ、教頭は動じなかった。



「世の中には、学歴なんか関係ない、と思って生きている人もいれば、

 学歴重視、能力重視な世界で生きている人もいる。


 私達は、生徒に必要な学歴と能力を身に付ける為の学校で教師をしている。新堂先生もそれは同じはずだ。


 私達は、君たちの世界を否定するつもりはない。でも、私達が抱えている生徒たちは、君とは対極の世界に進むことを志し、その道を選び取った生徒なんだ。


 その邪魔になるような存在は、出来るだけ取り除きたい。


 それも我々の仕事であり、生徒の為の事なんです。確かに、君達の世界を見て夢み、憧れる事はあるだろう。でも、そこに将来を見出す生徒は、そもそも私たちの学校には進学して来ない」


 そう言い切った。そして、野間先生と落合先生に目くばせした。


「とにかく。

 君の事は、草野先生の事も含めて、事実を理事会とPTAですべて公表したうえで、それぞれの処分を決める。

 処分が決まり次第、連絡します」

 

 そう断言すると、2人を連れて、病室を去って行った。最後まで、野間先生は、私の事を心配そうに見つめていた。


 兄の事や私の素性の事を秘密にし続けていたのに、それでも、来た時と変わらず、ただ心配そうに私を見ていた彼女に、胸が痛んだ。


 ばたん、とドアが閉まる音が響くのと同時に、私は深いため息をついた。


 草野先生の処分はともかく、私の処分とは、一体何なんだろう?


 経歴詐称になるのだろうか?・・・それとも、芸能人の妹が、進学校で教壇に立つ事は、受験を目指す高校生にとって、そんなにも、マイナスイメージになるのだろうか?


でも。


 結斗が部屋に入って来るのと同時に、顔色が変わった先生方。その顔色を、私は見てしまった。


 教頭も落合先生も、私を見るその眼は、明らかに"新堂先生"を見る表情ではなかった。


 珍しいものを見るような目、自分たちとは違う人種を見るような、視線に変質していた。


 変わらなかったのは、野間先生だけだった。でもそれは、きっと芸能人に全く興味がないから・・・


 2人の視線にさらされた途端、私は内心、ため息をついた。


 あーあ、またか。


 覚悟はしていたし、子供の頃から慣れっこの筈だったのに、いざ、面と向かって表情が変わってゆく様子を見てしまうと、やっぱり気分が悪い。



「花奏」


先生方が出て行ったあと、静まり返ったままだった病室に残った結斗は、心配そうに私を見つめていた。


「ん・・・ごめんね、みっともないところ、見せちゃったね」


 結斗だって芸能人。その芸能人を否定するとも取れるような教頭の言葉・・・結斗にとっては不愉快だったに違いない。


「教頭の事、怒らないで。

私立の進学校の偉い人達って、多かれ少なかれ、あんな感じなんだ。

学校の体面、偏差値、進学率、伝統・・・それに傷がつくのが嫌なの。

上の方の教師陣も、理事会もPTAもね・・・」


 私が、そんな学校で教壇に立っているのも事実で、教師、という仕事が好きなのも事実。


 でも、私の経歴は、勤務する学校が進学校であればあるほど、邪魔なものにしかならないのかもしれない。


「いや・・俺の事はいいんだ。

 でも、お前、平気なのか?

 学校、辞めさせられるかもしれないんだろ?」


「理事会次第。

 しょうがないよ」


 そう言ってから、私は一瞬考え、結斗の顔を改めてみた。まだ怒りが残っているように見える結斗を見ながら、私は意識的に心を落ち着かせた。


「結斗、気を悪くさせたら、ごめん。


あと、教頭の言ってる事、気にしないで。


結斗から見たら、芸能人とかアイドルを否定してる、とんでもない世界かもしれない。

それでも、私はね。

この世界で生きていくって覚悟して、教師やってるんだ。


兄や芸能界とは無縁の世界で生きていきたかったの」


 なるべく明るい言葉で、そう答えた。それでも結斗の表情は硬い。


「だってお前・・・理事会次第では辞めさせられるかもしれないんだろう?

 教師になるためにすっげー頑張ってたのに!


 夢をかなえる手伝いしたいって言って、高校教師になったんだろ?

 その夢叶えたのに、こんな形で夢壊れていいのかよ!」


 心なしか、結斗の声は激しく、怖く感じた。


 その言葉に、ぐらぐらと心が揺らされながらも・・・私は頷いた。


「仕方…ないよ」


 泣きそうになる。でも、その一言しか、言えない。


 教師っていう仕事が好きで、天職だと思っている。でも私の経歴は・・・この職には相応しくない、それだけだ。随分前から、判り切っていることだ。  


「私の事より、結斗、・・・仕事は?」


 これ以上、現実に直面したくない私は、話を結斗へと無理に移した。すると結斗はそれに気づいたのか、苦笑いした。


「今日はオフ」


思えば、結斗と最後に会ったのはいつだろう?随分長いこと、会ってない気がする。懐かしささえ感じる。


それを彼も感じたのか、


「やっと・・・会えた」


さっきまでの怒りを収め、 結斗にしては珍しい、静かな声色と言葉が耳をくすぐった。ひどく懐かしくて、愛しくて、泣きそうになる。


いつもだったら、結斗とこうして向かい合うと、無意識とはいえ、“隼人の妹”を演じていた。物分かりの良い、研究生にとっては姉のような存在で、結斗には少し勝気な、事務所のタレント達と対等に渡り合うことができる、言いたい事をはっきりと言う、大人の女を・・・


でも、あの日姿を晒してしまったせいか、何日間かの軟禁生活のせいか、もうそんな気力、残っていなかった。


結斗の手が、私に遠慮がちに伸びてきた。そして、優しく頬に触れ、髪の毛を指で優しく梳き、撫でてくれた。たったそれだけで、心が落ち着いてくる・・・


「助けてくれたの・・・結斗だったんだってね。看護師さんから聞いた。

ありがとう」


 助けられた時の記憶はない。草野先生の部屋から首に鎖をつけられたまま、飛び降りて・・・そこまでの記憶しかない。

 救急車に乗り込んで、ずっと付き添ってくれたのが結斗だった、と看護師さんが教えてくれた。


「・・・無事で、本当によかった・・・」


 それは、心の底から湧き出してくるような声だった。そして、遠慮がちに私の痩せ衰えた身体を抱きしめる彼の腕を、私は拒絶しなかった。


 ベッドに座る私を、腰をかがめて抱きしめる結斗・・・一歩間違えれば、このままベッドに押し倒されそうだった。



結斗に抱きしめられ、体温を感じた時。


それは、テレビ越しに触れた司さんの無機質な冷たさとも、

草野先生に暴行を受けた時の温かみを感じない体とも、明らかに違った。


「・・・草野に、いろいろひどい事されたんだろ?」


抱きしめる腕を緩め、治りかけの首の傷に、そっと手のひらで触れた。もう傷の痛みはないけれど、草野先生の様々な仕打ちや凌辱の数々が、フラッシュするように脳裏に蘇り、身体中が強張った。


「・・・平気っ・・・」


 それでも、かろうじて強がり、いつもと変わらない語調でそう答えた。でも・・・結斗の表情は、相変らずで、私の、平気、という言葉など信じてしないのは一目瞭然だった。


 きっと結斗は、監禁中、草野先生に凌辱を受けたこと位、想像がついているのだろう。


「でもっ!あの男っ!」


「愛情の・・・」


 結斗の言葉を遮った。


「愛情のない行為を強いられるのは、慣れてる」


 以前の結斗との過ちの夜しかり、草野先生の仕打ち然り・・・もっとさかのぼれば、学生時代に付き合っていた人然り・・・


 思い返すと、私とそういった行為に及ぶ人との間に、まともな愛情があった事など、なかった。それほど男性経験が豊富、というわけではないけれど、少ないなりに、その数少ない経験の全てが、愛情の伴わない身体のやり取りだったのだ。


 そう考えると、ちゃんとした愛情の伴ったやり取りなんか・・・想像の外の世界の出来事だ。


「花奏・・・俺は・・・」


 結斗は私を抱きしめる腕を少し、緩めてそう言いかけた。言いかけたものの、結斗の言葉の続きは出てこなかった。出てこないまま、結斗は、一瞬俯き、そして顔をあげた。


「俺も・・・か?」


絞り出すような声だった。抱きしめられていた距離感で、彼の息遣いを顔に感じた。


「あの夜のことも、お前にとっては、愛のない行為だったのか?」


 そう聞かれ、私は返事を躊躇った。


 あの過ちの夜・・・結斗の行為に愛情を感じたか、といったら、答えは"NO "だった。

 

 ただ、よっぱらった結斗の性欲のはけ口に使われただけだ。


 でも結斗にとっては、精一杯の愛情表現だったのかもしれない。


でも・・・


「草野にされた事と、大差ない・・・花奏はそう思ってるのか?」


私は思わず首を大きく横に振った。そんな事はない!


それなのに・・・それは言葉になって出て来なかった。


だって、言葉にしたら、認めてしまったら・・・


 認めたら?


 どうなるの?


一瞬、考えが止まった。同時に脳裏に現れたのは、司さんだった。テレビ越しに、スーツ姿で報道番組でニュースを読んでいる、私にとって、たった一つの恋、そして絶対に叶う事のない恋。


結斗とは違って、体温さえ知らない、無機質なテレビ越しの恋・・・


結斗との行為に,性欲処理以外の何かを感じてしまったら、ずっと思い続けていた司さんへの想いは、どこに持って行けばいいの?


結斗の行為に心が動いてしまったら・・・


叶う事のない想いは、持って行き場もない。ただただ、想いに殉じる事しか考えていなかった私は・・・


「・・・外・・・行かないか?」


「え?」


 司さんに想いを馳せていた私は、突然話を変えた結斗の言葉についてゆけず、結斗の顔を見た。結斗はそんな私に構う事なく、病室の隅に置いてある車椅子をベッドの側に押してきた。そして、私を横抱きにした。


「え?ちょっと!」


「お前、随分軽くなったな。入院してからちゃんとメシ食ってるのか?」


さっきまでとは対照的に、ことさら明るい声でそう言いながら、車椅子に座らせてくれた。


正直、ご飯どころではない。 入院してからも食欲はなく、食事も残しがちだ。


 体の傷の治りが遅いのは、ストレスだけでなく、この食欲不振もあるのかもしれない。それに、2週間近くの絶食のせいで、私の身体は、まだ思い通りに動かなかった。未だに車椅子が必須の生活をしていた。


 車椅子には点滴をつるす柱のようなものもついていて、結斗は慣れた手つきで、私の腕とつながっている点滴もセットした。


「行くぞ」


 私の返事を待つことなく、戸惑う私をよそに車椅子を押し、病室から出た。


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