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第63話

 それから数日、入院しながら、監禁中に負った傷を癒した。


誘拐と監禁からくるストレスからか、暴力や性的暴行を受けていたせいか、長時間、起きている事は出来ず、1日の大半をうとうとと眠りながら過ごしていた。


肘の辺りまで伸ばしていた髪も、ストレスのせいかごっそりと抜け落ち、所々白髪に変わっていた。10日近く、ろくに食事もしていなかったツケは、身体中に悪影響をたくさん出していた。げっそりとやせ細り、顔や首の肉がこそげ落ちていた。


不健康な痩せ方を、そのまま実践した見本の様だ。


意識が戻って初めて鏡を見た時、その代わり様にぞっとした。


最初に目を覚ました時、目の前には兄がいたけど、今は母が側にいて、身の回りのことをしてくれた。


最初に母がこの病室に入ってきた時、私の意識はなかったのだけれど、看護師さんの話だと、母は手もつけられないほど、泣きじゃくっていたそうだ。


「無理もないですよ。誰だって、自分の子供の変わり果てた姿を見たら、平気な顔をしていられませんよ」


看護師さんは、そう教えてくれた。


この街から母達の住む実家までは片道1時間以上かかるのに,それでも母はかまわず毎日来てくれた。折角来てくれても、私が眠っている時だってあるのに、それでも、だ。


「来るの、大変でしょう?毎日来なくてもいいんだよ?」


一人でいるのにすっかり慣れてしまっている私にとって、こうして母が毎日側にいる生活は、久しぶりで新鮮で、嬉しいけれど、照れ臭い上、こそばゆい気分だ」


「隼人のマンションに泊めてもらってるのよ。ちょうど隼人、大阪公演中で留守だし、隼人もそうしろって言ってくれたのよ・・・あと、花奏の部屋のキーも隼人から借りてるわよ」


私の心配に、母はそう答えてくれた。入院中の着替えも持ってきてくれている。


「何から何までありがとう」


いくら母とはいえ、申し訳なくなってそう言ったけど、母は何言ってるのよ、と呆れ顔を見せた。


「花奏がうちを出てって10年も経つのよ。

ろくに実家にも帰ってこないで・・・いつも心配なんだから。

たまには帰ってらっしゃい」


思えば、大学進学の頃から一人暮らしを始めた私は、かれこれ10年、こうして母に一方的に世話を焼いてもらうことはなかった。


地元にいたら「隼人の妹」という目でしか見られ続け、周囲にいる友達は、兄目当てな人ばかりだった。そんな周囲に耐えられなくなって、地元から離れた高校へ行き、さらに大学進学の時は、家も出た。


そんな私の気持ちも、母は知っていて、地元を離れたがっている私の気持ちを尊重してくれた。私を溺愛し、私を手放したがらなかった父親を説得して、送り出してくれた。兄とは違う意味で、母は私にとって数少ない味方だ。


その私が、こんなことに巻き込まれたのだ。母だって心配で仕方なかったのだろう。


 そんな、母が側にいる、穏やかな日々を過ごすうちに、少しずつ、おぼろげだった記憶もハッキリとしてきた。


 あの、こん睡状態の時に見た、幸せで平凡な、現実のような夢は、私が都合良く見た夢で、現実には存在せず。


 兄は芸能人で、私は、兄の事務所で大学時代バイトしていた事。


 今でも、その事務所や所属タレント、スタッフとは交流があること。


“隼人の妹”という素性を隠して高校の英語の教師をしていて・・・草野先生にこの間、告白をうけて・・・断ったこと。


 そして、ストーカー被害に遭った事。


 草野先生に拉致されて拘束され、監禁されたこと。草野先生に、私の正体がばれてしまったこと。


監禁中に草野先生から受けた凌辱・・・


 そして・・・草野先生の部屋から飛び降りたこと・・・


「この病院に運ばれてきた時は、本当に助からないかと思いましたよ。首の怪我も酷かったですし、頚動脈の近くに大きな傷があったんですよ。一命をとりとめた後も、何度もうなされたり、夜中に叫んだりしてて、何度も鎮静剤を投与していたんですよ・・・」


担当看護師さんが、当時のことを教えてくれた。


記憶が落ち着いたとはいえ、今もまだ時間感覚もおかしいし、監禁中の事や、飛び降りたときの記憶は曖昧で、正直、記憶が戻りつつある今も、今日がいつなのかも理解できない。


 身体の怪我は、少しずつ治ってきた。でも、飛び降りたときについた首吊りの傷跡は、私が想像していた以上に酷いらしく、未だに治らない。


「服じゃ、隠しきれないね・・・」


 包帯の上から、その傷痕を指先でなぞってみると、まだ鈍痛が走った。


治療のため、時々包帯を外してくれるけれど、この首についた傷は深く、皮膚が思った以上にざっくりと切れてしまっている。縫合痕が痛々しく、見栄えも良くないし、こんな状態で、教師なんか続けられるのかな?


 ううん、それ以前に。


「戻れるのかなぁ」


 今回の監禁事件と、今の入院生活で、いったい何日くらい仕事を休んでしまったんだろう?学校側にも、迷惑をかけてしまったかもしれない。


誘拐される直前、茉莉花さんに頼んだ、私がストーカー被害を受けていた証拠・・・あれが兄の手元に渡っていたとしたら、警察には、私が誘拐された、として動いてくれたのかも知れないし、そうだとしたら、学校側にもその情報は流れているだろう。


いくら何でも、学校側には、私が監禁されていた情報も、流れているだろう。


誘拐・監禁の被害者が、また教師として教壇に立つ事ができるのか・・・解らない。たとえ、戻りたい、と私が思っていても、生徒や保護者、理事会が反対するかもしれない。事なかれ主義な上、生徒への影響を考えると、戻れない可能性だってある。


 有名芸能人の妹、っていう存在の私が、有名進学校で教師として普通に教壇に立つことが出来るのか・・・学校サイドにしてみても前代未聞だし、事なかれ主義な理事会やPTAの人たちの顔が浮かんだ。

 


 今までだって教えられたから、これからだって大丈夫! そう思いたいけれど、生徒や教師たちが私の正体を知っていて、嫌な偏見を持った目で見られるのはもう嫌だ。


 全ては私次第、と言い切れない。受け入れる側と、受け入れられる私の問題になってきたら・・・私はいったいどうしたらいいんだろう。


 仕事無くして、どうやって、一人で生計を立てて生きて行ったらいいんだろう。


 高校の先生になるのが夢で、それを叶えて、今まで頑張れたのに。


 今更教師を辞めて・・・ほかに何が出来るんだろう?



 病室で一人になると、そんなことばかりを考えて、夕方までを過ごした。


 そして夕方になると、自然にテレビのリモコンに手が伸びる。


 不思議なもので。


 本当は、もっと他に心配な事はあるのに。


考えなくちゃいけないことはいっぱいあるはずなのに。


時計を見ると、まるでスイッチが入るように、テレビのリモコンに手が伸びてしまう。


司さんの報道番組が始まる時間だ。不思議なほどに、心の中心が司さんへと、還ってゆく。


 テレビの向こうの司さんは相変わらず、背広を隙なく着こなして、キャスターをしている。


けど・・・


「あれ?」


今日は少しだけ、違和感を感じた。それは、いつも彼を見ている私だから気づいたのかもしれない。


彼の様子が、少しだけ変な気がした。どこか顔色が悪いような・・・


そんな違和感を不思議に思いながら、幾つかの時事ニュースを聞き。


そして・・・


『それでは次のニュースです。


・・・・区で、女性教師が誘拐・監禁された事件で・・・同校職員、草野慎一 (29歳)が、誘拐・監禁・暴行の容疑で逮捕されました』


草野慎一? 女性教師の監禁?・・・


『誘拐された女性は、k学園高等科教員、新堂花奏さん 28歳。

花奏さんは、数ヶ月前から同校職員、草野容疑者からストーカー被害を受けており、警察では、草野容疑者から事情を聞くとともに、花奏さんの回復を待って、事情を聞く方針です』


それは、考えるまでもなく、私自身の事だった。


淡々と事件の内容を話している司さんの表情は、いつも、他の事件を読むとき以上に、表情は固かった。


もしかしたら、私の事を心配してくれて、あんな表情をしているのかも知れない・・・


いくらニュースキャスターでも、自分の知り合いが、誘拐監禁された事件など、報道したくもないだろう。


一瞬、彼が私を心配してくれたのかも、という妄想で、少しだけ嬉しくなったけれど、考えが不純で不健康すぎる。


そんな不健康な思いを心の隅に寄せて、改めて彼の報道を聞き・・・私が“隼人の妹”としてではなく、“花奏先生”として報道されたのは、不幸中の幸いだ。きっと警察側は、私の正体なんか知っているはずだし、草野先生が事情聴取で話してしまっているに違いない。


それが敢えて報道されない、という事は・・・事件に直接関係ない情報だからか、それとも・・・


「事務所が圧力かけたか・・・か・・・」


そう、呟いた。事務所サイドならそうするだろう。“ジェネシス”の隼人の妹が誘拐監禁された、なんて、事務所にしてみれば公表したくない事だろう。


そのあと、学校サイドの記者会見があり、テレビの向こうには、よく見知った会議室と、よく見知った学園長が、一連の事件について、記者やマスコミ関係者に事情を説明していた。


学園長は、今回の騒ぎについて、関係者や生徒、保護者に謝罪するのと同時に、草野先生の処分、私が落ち着き次第、事情を聞いた上で処遇を考える旨を話していた。


事実、学校サイドは、私よりもむしろ、生徒や保護者への対応に追われているようだ。テレビの画面を見ているだけで、それが感じて取れた。


"草野先生は、真面目で、とても人気のある先生ですよ。生徒にも優しいし、そんな先生がどうしてこんな事件を・・・何かの間違えであってほしいです"


"信じられないです・・・"


"新堂先生が行方不明になる前の日、科学準備室から、新堂先生が血相変えて逃げ出してきたのを見ました。

あの時、科学準備室には草野先生もいました。何かあったのかもしれないです"


 生徒や保護者のインタビューがどこか遠くに聞こえる。インタビューを受けている人は、みんなプライバシーの関係で、顔は映っていない。そして、焦点は既に、居なくなった私ではなく、誘拐監禁した草野先生へと移っていた。


 そんなニュースを見ながら、私はため息をついた。


 私が完全に治ったら、全部、学校側に話さなくちゃいけないだろう。ストーカーの事も、兄や私の素性の事も。


「覚悟・・・しないとね」


今回のストーカーの事、監禁された事、その原因となった、草野先生の事も・・・


「何も・・・私も兄も、悪いことしていないのになぁ・・・」


 兄が芸能人になってからというもの、どうして、"隼人の妹"と名乗ると、周囲は私を見る目の色が変わるんだろう?


 私は何も悪い事していないし、ましてや私が芸能人、ってわけでもないのに。


 私には特別な権利や融通が利くわけでもない、普通の一般人の筈なのに・・・





 芸能人が兄で

 ジェネシス、Colors、その他、事務所所属のユニット、俳優、モデルさん。

 テレビの向こうの世界・・・・


・・・普通に生きていたら、他人事で、別世界であろうキーワードが、私の周囲には、もう10年以上も昔から、散らばっていた。


 そのキーワードは、他の人にとっては、触れることも出来ない、憧れの存在だけれども。


 私にとっては、どんなフレーズよりも手の届きやすい存在だ。


 普通に考えたら、芸能人が兄で、人気アイドルで舞台役者で。


 芸能プロダクションと知り合いで、所属芸能人とも知り合い、人によってはメールのやり取りをする程の仲・・・という環境は、芸能人好き、アイドル好きな人達にとっては羨ましいの一言に尽きるのかもしれない。


 でも、私にとっては、そのどれもが邪魔だった。


 芸能人の友人も、私にとってはかけがえのない友人だし、割り切れない複雑な感情を抱え続けながらも兄の事も大好きだ。


 芸能界さえなければ、もう少し、兄と一緒に過ごす時間があって・・・ただそれだけが、当時の私にとって今とは違う、別の未来に続く道だった。


そして私は、その"別の未来"に進みたかった。そこが、どんなにつらい場所でも。


一番甘えたくて、一番側にいて欲しくて、一番守って欲しい時・・・兄はいなくなった。


 そう・・・“普通に兄離れ”したかった。引き剥がされるのではなく、もっと自然に・・・


そうすれば。


そうすれば・・・・・




考えても仕方ない事を考えながら、私は司さんの報道から目を逸らした。



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