第53話
一通りの話をした後、隼人さんは、少し、落ち着きを取り戻したようだった。
「それじゃあ、その草野とかいう、花奏の職場の野郎が・・・ストーカーの正体だっていうのかよ?」
「その可能性は高い、ってだけです。証拠はありません。
花奏でさえ、半信半疑だった位です。
花奏本人でさえ、奴の事信用して、一緒に食事したりとかあったみたいです。
この前の、隼人さんの舞台の時だって、舞台の後、隼人さんの楽屋に顔出す事よりも、その人との食事を優先したくらいですよ」
「花奏ちゃん、その男と付き合ってるのか?」
司さんが、初めて口を挟んだ。俺は、首を横に振った。
「花奏の話だと、告白はされたけど、断ったそうです。花奏にしてみれば、同じ職場の人として信用はしているけど、恋愛対象じゃない・・・ってところじゃないですか?」
そうは言ってみたけど、断った理由はそれだけじゃない。
花奏の心の中に棲みついているのは・・・司さんただ一人なんだ。他の誰が花奏に言い寄ったところで、彼女は断るだろう。
俺さえも、きっと・・・
その時、隼人さんがテーブルに放りだしたファイルの間から、封筒がはみ出しているのに気付いた。
何気なく、それを手に取ってみた。普通の手紙のサイズの、白に色とりどりの花模様があしらわれた封筒だった。
それこそ、10代の女子が好んで使いそうな、100均で売っている安物の封筒だった。
俺は、それを手に取ると、隼人さんに差し出した。
その封筒には、"お兄ちゃんへ"と、彼女の字で書かれてあった。
「隼人さん宛てですよ」
誰から、なんて説明するほど野暮じゃない。隼人さんはその手紙をひったくると、封を開け、中の便箋を読み始めた。
それを一通り読み終わると、隼人さんはその手紙をぐしゃっと握りつぶした。
「あんのバカはっ!」
隼人さんの手で握りつぶされた手紙を、俺は隼人さんの手からそっと抜き取り、握りつぶされた手紙を広げ、目を通した。
すると、花奏らしい綺麗で読みやすい字が飛び込んできた。
『お兄ちゃんへ
舞台中の忙しいときに、手間をとらせてごめんなさい。
この手紙を、お兄ちゃんが読んでいる、という事は、私に何かがあったときだと思います。
私は、5月位からストーカー被害に遭っています。
本当なら、警察や事務所に相談するべきだと思っています。そうするのが一番だって判っています。
でも、ストーカーが撮影した写真の中には、私が結斗と一緒にいるところや、増沢君と一緒の写真もあります。
これらの写真が、表沙汰になったら、事務所やみんなに迷惑がかかると思います。
でも、ストーカーの手紙や動向から、ストーカーの目的は、タレントのスキャンダルを表沙汰にする事じゃなくて、純粋に私が目的だ・・・という事が見えてきました。
私にもしものことがあったら、実家の父と母に頼んで、この書類を警察に持って行ってもらってください。
これは、ストーカーから送られて来た写真と手紙です。
結斗と増沢君の写真は抜き取ってあります。
これで、きっと事務所に大きな迷惑をかけることなく、警察が動いてくれると思います。
あと、事務所の社長やスタッフの皆さんには、私のことは秘密にしてください。事務所に余計な迷惑はかけたくありません。それに、ストーカーの目的が私なら、事務所には関係ないことだから、知らせない方がいいと思います。
昨日、学校で、同じ職場の人に襲われかけました。その人は、結斗に言わせると、"ストーカーかもしれない"人です。学校で襲われかけたことは、もう学校側に報告済みです。学校にも、お兄ちゃんに渡したファイルと同じ内容のファイルを、提出するつもりです。
もし警察が学校に事情聴取に来ることになれば、真っ先にその人が疑われると思います。
あと、もう一つ。
面倒ごとを頼んでおいて、こんな事を頼むのは気がひけるけど、くれぐれも、お兄ちゃんや司さん、結斗達、事務所や所属タレントの皆に被害が及ばないようにしてほしいのです。
だから、私の素性も、可能な限り・・・伏せてほしいです。
お兄ちゃんも、この書類を実家に届けたら、あとは普段通り仕事してください。
私の事で、事務所に少しでも迷惑がかかる位なら、私の事は助けたりしないで、ほっといてください。
花奏』
急いで書いたのか、綺麗な文字の所々が乱れているような気がする。それはまるで、花奏の心の焦りを表しているようだった。
自分が、ストーカー被害に遭いながらも、隼人さんや他の関係者に迷惑がかからないようにしてほしい・・・なんて、いかにも彼女らしい。
「どうしてもっと俺を頼らないんだよ!
実の妹だろう?」
そんな花奏への苛立ちからだろう。その両手でテーブルをどん、と叩いた。テーブルの上のファイルが奇妙に震えている。
「芸能人だから、でしょ?
花奏ちゃんは、そういう子よ。
自分の身と事務所のタレントのスキャンダルだったら、タレントを最優先するわ。
そんなこと位、隼人さんが一番よく知ってるはずでしょ?
花奏ちゃんの行動は褒められたものじゃないけど、隼人さんの人気とか仕事とかの事、一番に考えた結果だと思うよ」
宥める茉莉香さんにさえ、怒りと苛立ちをぶつけそうな隼人さんの肩を、司さんがぽん、と叩いた。
「取りあえず警察に行け。
警察がどれだけ無能でも、これだけの証拠と結斗の証言持っていけば、嫌でも動くだろう?
動かざるを得ない筈だ。学校サイドからの行方不明、って話が警察に伝わってるなら、事件性もある」
「ったりめぇだろ?」
司さんの言葉に、隼人さんはそう答えた。普段、穏やかに話をし、世間から"王子様"キャラとして言われている司さんがこんな毒の混ざった言葉遣いをするのは、きっとファンは誰も知らないだろう。
「待って! 社長に相談しなくていいの?」
茉莉香さんの言葉を、隼人さんは
「そんな暇ない」
と一蹴した。
「こうしてる間に、花奏に何かあったら、俺、この世の全部が許せなくなる」
隼人さんは、一瞬俯き、何かを決心するようそう呟いた。
そして、時計を一瞥すると、そのままファイルを掴み、足早に事務所を出て行った。
「隼人さんっ!」
周囲の呼ぶ声も聞かず、ただ、ドアを閉める音だけが、事務所に残った。
「隼人さん、大丈夫・・・よね?」
「花奏ちゃんの捜索願を警察に提出できるのは家族だけの筈だ。今は隼人とご両親に頑張ってもらうしかない」
司さんは大きなため息を一つ、ついた。
「・・・・花奏ちゃん」
出て行ったドアを見つめながら、司さんがぽつり、と言った。
「初めてだな」
「何がですか?」
俺がそう聞くと、司さんは、深いため息をついた。
「花奏ちゃんとは、知り合って随分経つけど、
花奏ちゃんが、隼人を"お兄ちゃん"として頼ったのって、
知り合ってから初めてじゃないかな?」
「隼人さんだけじゃないですよ」
そう、きっと隼人さんだけじゃない。
花奏が、事務所に関わっていた年月は、バイト時代、そうでないにかかわらず、とても長い。隼人さんが研究生として事務所に入ってきてから、花奏は、お母さんと一緒によく事務所のレッスン室に、研究生のレッスンを見に来ていたのだ。それ以来のかかわりだ。
関わり方は、歳を重ねるごとに変わりはしたけれど、その頃から数えれば、もう20年近く・・・人生の半分以上、この事務所に関わっていた。
俺が事務所に研究生として入ったとき、すでに花奏は、タレントや研究生ではないにもかかわらず、子供ながらに事務員やスタッフに顔と名前を憶えられていて、子供らしくない程に、周囲に気を使っていた。そして、研究生が芸能人やアイドルになってゆく・・・その背中を、スタッフとは違う目線で見つめ続けていたのだ。
そして・・実の兄が、実の兄でありながら、芸能人・アイドルになり、遠く離れてゆく様子だって、一番近くで目の当たりにしているのだ。
それはさながら、実の兄が、自分だけの兄ではなく、"ファンをたくさんかかえる芸能人"、自分だけの存在でなくなってゆく様子を見つめ続けていた、という事だ。
他の家の、普通の兄妹の、妹が当然の様に兄に甘える・・・という事が、兄が目の前にいながら出来ない、という事は、妹っていう立場からしたら、かなりつらいものだろう。
しかも、花奏は、必要以上に事務所に関わってしまい、自分が妹として、隼人に必要以上に甘えたりしたら、兄の人気がどうなる・・・とか、兄の立場が悪くなる・・・とか、そんな余計な事を考えるようになって、事務所内でも、周囲と一線置くようにしている節がある。
その証拠に、彼女が俺たち、事務所所属の芸能人やアイドルと話していると必ず出てくる言葉。
「芸能人なんだから」
「私と一緒にいるところ、週刊誌とかに取られたら大変でしょう!」
いつも、芸能人、としての俺たちを第一に考えている。そして時として一線引いて俺たちと向き合っている。
俺たちは、まだいい。もともと他人として始まった人間関係だったのだから、親しいにしても"多少他人行儀だ"と感じる程度だったし、俺たちを芸能人として扱うのも、事務所と長くかかわり続けてきた彼女にしたら、当然の事だったのだろう。
でも、隼人さんと花奏の関係は違う。
もともと"兄妹"っていう人間関係が子供時代にあって、花奏にとって、無条件に甘え、大好きだった"お兄ちゃん"が事務所に入り、甘えられない存在になり、やがて一般人には手の届かない存在になっていった・・・どれだけの喪失感を抱えていたんだろう。
それでも隼人さんの、花奏に対する関わり方は、きっと昔から変わっていない。"家族""妹"としてかかわっている。隼人さんが、花奏の事をすごく大切に思っているのは、見ていてもよく判るほどだ。
そうでなきゃ、大学入学して上京してきた花奏を自分のマンションに住まわせて同居したり、自分の所属する事務所でバイトまでさせり、自分が忘れ物をしたら花奏に届けさせる・・・なんて事、しないだろう。なんだかなんだ言いながら、隼人さんは、花奏を自分の目の届くところに置いておきたかったのだ。芸能人ではない“新堂隼人の妹”として。
きっと、隼人さんと花奏の、それぞれの想いは、"芸能界"とか"アイドル"とかいう肩書のせいで、普通の兄妹の関係のようにはならなくなったのだろう。
どこまで行っても、実の兄の事を"芸能人だから""アイドルだから""私に何かあったら兄達に迷惑がかかるから"といって、何があっても隼人さんを頼ろうとしなかった花奏・・・
華やかな世界の横眼に見ながら、その身内であり関係者であるが故に感じる孤独感は・・・俺たちには計り知れない程、深く暗かったに違いない。
そして今・・その花奏が、初めて"隼人"を、芸能人としてではなく"兄"として頼った。しかもそれは、自分に本当に追い詰められ、危機がせまったこの状況で、なのだ。
隼人さんも、こんな状況でなければ、花奏が自分を"兄"として頼ってくれるのを、待っていたのだろう。
どんな状態になっても、"兄は芸能人だから""アイドルだから"といって甘える事がなかった妹が、自分を頼ってくれる時を・・・
「事務所のみんなのこと。
花奏はきっと、"頼りにしていなかった"んだろうな。
俺たちが"芸能人"だから」
そんなこと関係ないのに。
俺も隼人さんも、増沢も。
花奏に頼られたら、全部受け入れて支えてやる。それだけの事を、バイト時代も含めて、今まで花奏はやってのけてきたのだ。
自分の事さえも後回しにして・・・
俺たちが、その花奏に信頼されていない。その現実は。
事務所に残されたみんなの心を、重たく、暗いものにしていた。
「なんか・・・ないのかよっ!」
俺に出来る事。彼女を見つける方法とか、助ける手立てって奴が!
でも、俺の激情とは裏腹に、司さんは首を横に振った。
「今は、警察と隼人たちに任せるしかないよ。
それに、花奏ちゃんも、俺たちが関わるのを一番嫌がるんじゃないのか?」
「でもっ!」
司さんの言葉に茉莉香は不満げに反論した。
「茉莉香ちゃんや結斗の気持ちも判る。
でも、ここで事務所の芸能人や、花奏ちゃんの世話になった事務所の連中が、後先考えずに全員動いたらどうなる?
みんなが仕事ほったらかして闇雲に花奏ちゃん探しをしたとして。
それで花奏ちゃんが見つかったとしても・・・彼女、喜ばないんじゃないか?」
「司・・・さん・・・」
「むしろ、そんなことをして、世間を騒がせることさえも、嫌がるだろ。
余計に彼女、自分自身を責めると思う」
確かにそうだ・・・それは、今までの花奏の俺たちに対する態度からも察しが付く。
「今は、警察に任せよう。花奏ちゃんの学校からも失踪の話が出ていて、家族からも出てて、事件性があれば、いくら警察が無能だとしても動くだろう。いや・・・動かざるを得ないだろう?
警察が、民間人や家族の捜索願を受理するかどうかなんかわからない。警察だって、捜索願の受理拒否や不受理をする・・・という話を聞いたことがある。受理されたとしても、本気で探すことはない。やってせいぜい片手間捜索だ。警察が捜査している何かの"事件"に、捜索願が出ている人が巻き込まれているとき、その事件の"ついで"に見つかれば保護する・・・って程度だ。
でも、花奏ちゃんの場合は、ストーカーによる誘拐疑惑があって、その証拠も容疑者も上がっているんだから、少しくらい動くだろう
俺たちが動くのは、最小限にした方がいいと思う」
司さんは報道ニュースをやっているせいか、警察をあまり信用していないみたいだ。それは、いくつもニュースを読むうちに、あるいは警察の会見を見ているうちに不信感や疑問を持つようになったのかもしれない。俺たち以上に、警察に対しては冷たい目で見ているようだ。
今更ながら、花奏のストーカー被害の話を聞いた時、真っ先に"警察に"と言ってしまった自分の考えの浅さが恥ずかしい。
もしも、その話を司さんが一番に聞いていたら、一体どんな事を言ってあげるんだろう・・・?
気になったけど、今、ここで聞ける雰囲気ではなかった。
でも、司さんの表情は、この場にいる誰よりも冷静だったけれど、この場にいる誰よりも、"冷静"を装っているだけの様に見えた。
俺の様に、感情が表に出ない分、内包して噴出するのを、表に出さずに必死で押えているように見えた。




