第52話
翌日、日曜日。
事務所での打ち合わせが終わり、いつものように事務室に顔を出すと、隼人さんと司さんが既に事務所にいた。でも、隼人さんの表情は、俺が知っているどの隼人さんとも違って、顔色が悪く、どこか落ち着かない様子だった。そして、それを宥めるように司さんが隼人さんの横にいた。
「おはようございます、隼人さん・・どうかしたんですか?」
そう聞くと、司さんは深刻な顔で俺に近づいてきた。
「花奏が行方不明になった」
言葉短く、そう言った。
昨日からずっと抱えていた予感が、的中した。
「どういう・・ことですか?」
「火曜から、花奏、学校を無断欠勤してるらしい。自宅マンションの電話も携帯もつながらなくて、実家の両親の所に所在確認の連絡が届いた」
それで・・・実家から隼人さんに連絡がいった・・・って事か。
「結斗、お前、花奏と最後に連絡とったのって、いつだ?」
その目は、射殺されるかと思うほど、鋭い怖い表情だった。そしてそれを宥めるように、司さんが隼人さんを支えていた。
「・・・隼人さんの舞台の東京公演の後です。今週に入ってからは、メールの返信もありません」
俺がそう言うと、落胆したようにため息をついた。
「そうか・・・そうだよな・・・
心当たりは全部、連絡したし、探したんだ。
でも・・・俺、よく考えたら、花奏の事務所以外の交友関係なんか何も知らなかったんだ。
学校の教員仲間とか、大学時代の友達とか、そういうの・・・全く・・・」
そう言うと、隼人さんは、どこか苦しそうに、イライラとした顔で、どさり、と近くの椅子に腰かけた。
「隼人さん・・
今まで散々、花奏をパシリに使っていたくせに、花奏の事、何にも見ていなかったんですか?」
それは、俺じゃなくても、みんなそう思っていただろう。
現に今まで、花奏は、事務所のバイトを辞めてからもずっと、どこにいても、隼人さんが忘れ物をしたり、面倒事に巻き込まれた時、電話一本で、忘れ物を届けてくれたり、面倒事回避の為に骨を折ってくれていたのだ。
それは、俺たちや事務所に対しても全く同じで、事務所のちょっとした人手不足の時、学校が忙しくない限り、土日だけだけど手伝いに来てくれることもあった。
ほんの少し前まで、花奏のその好意を、俺は当然に受け入れていた・・・そう、花奏を好きになり、先週の週末、一緒に過ごすまでは・・・
でも、当然なんかじゃない。ただひたすら、兄が困らないために、事務所の人やタレントに迷惑がかからないように、心を砕いていたのだ・・・自分の苦しみさえ、後回しにして・・・
もっとも、俺も人の事は言えない。俺だって・・・あの増沢に指摘されるまで考えもしなかったことだ。そして・・・花奏がいなくなる・・・いや、花奏が他の男と付き合うかも、という可能性に思い至るまで、自分の気持ちにさえ気づかず、彼女の事なんか本当に見てもいなかったのだから・・・
隼人さんは、俺の言葉に、何も答えない。きっと、少し前の俺と同じなのだろう。
側にいるのが当然で、いなくなるなんて考えてもいなくて、自分の為に都合よく動いてくれるのが当然な存在・・・兄妹で身内だから、余計にそう言う想いが強かったのかもしれない。
「で・・・隼人さん、どうしてここにいるんですか?」
俺は、それ以上、その話を突っ込まず、隼人さんにそう聞いた。
本当なら、今日は舞台の東京公演の千秋楽の筈だ。集合にはまだ間に合うけれど、普段の隼人さんだったら今頃劇場にいるはずだ。
「花奏が行方不明の事、茉莉花に連絡したら、彼女の仕事が終わるまで、ここで待っててほしいってさ・・・もうそろそろ来る筈だ」
俺も、空いているソファに腰掛けて、事務員にコーヒーを貰った。
事務員達も、花奏の行方不明を知って、みんな心配そうで仕事どころではないみたいだ。事務所の空気が、落ち着きなくそわそわしている。
社長も、今ここにはいない。社長も、自身のツテを使って、花奏を探しているようだ。
「お待たせ! 隼人さん!!」
やがて、貰ったコーヒーが冷める頃、事務所に茉莉香さんが飛び込んできた。
「茉莉香さん!」
「茉莉香!」
「遅くなってごめんね。仕事押しちゃったの!」
そう言うと茉莉香さんは、隼人さんの側に歩み寄った。
「これ、花奏ちゃんから預かってたの。
花奏ちゃんに何かあったら、隼人さんに渡してほしいって・・・頼まれたの」
「いつだ?」
「この前の・・・月曜日。失踪する前の日!
花奏・・・この何か月か、ストーカー被害受けてたらしいの!
何かあったら、お兄ちゃんにそのこと伝えて、これを渡してほしいって言ってたの」
茉莉香さんが隼人さんに手渡した封筒を、隼人さんは奪うように手に取ると、封を開けるのももどかしく、乱暴に封を破くと、中身を引っ張り出した。
中には、以前、花奏の部屋で見せてもらった、ストーカーからの手紙と写真のファイルが出てきた。
隼人さんは、そのファイルをぱらぱらとめくりながら、手紙には一つ一つ目を通し、写真を見て・・・腕が震えているのがはっきりと判った。
「誰が・・こんな事を・・・・」
怒りからか、わなわなと隼人さんの顔が怒りで歪んできた。
「誰だよ!こんな事する奴はっ!」
ファイルをバサッ!と叩き付けるようにテーブルに置くと、その怒りを抑えることも出来ず、テーブルをどん!と叩いた。その音が事務所に響き、その場にいた全員が息をのんだ。
「・・・心当たり・・・あります・・・」
俺は、怒りに震える隼人さんをまっすぐに見据えて、そう言った。
「誰だ?」
その一言を聞いただけで、俺でさえ恐怖で鳥肌が立った。それを抑えて、俺は、以前花奏に話した、草野に対する推測を、話した。




