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第4話



 そのあと。


彼は足取り早くレッスン室を出て行って更衣室へと向かい、私はエントランスへと向かった。


 普通、女の人の着替えは私も含めて時間がかかる、と言われているけれど、彼の着替えも負けず劣らず、時間がかかる。ましてや、アイドルから一般人に化けるならなおさらだ。


 時計を見ると、もうすぐお昼。そろそろお腹も空いてきた。


 することもなく、エントランスのソファーに座ってると、若い女性が入り口から入ってきた。


「花奏?」


女性は私を見つけると、世の男性たちがハッと見惚れるような、花が綻ぶような笑顔で私に駆け寄ってきた。


彼女は茉莉花さんという、私より少し1歳年上の現役モデルだ。

モデルをやる傍ら、去年から女優もやるようになり、この春からの連ドラにも出演している。今、最も注目を集めている女優さんの一人だ。


そして、兄の恋人だ。事務所も公認、世間にも公表している。結婚するのも時間の問題だろう、と言われている。実際、二人は一緒に暮らしているし、お兄ちゃんの舞台が落ち着いて、茉莉花さんの女優業が軌道に乗ったら入籍する・・・という話は、兄からも茉莉花さんがからも聞いている。


未来の私の義姉になる人だ。でもそれがなかったとしても、結斗に次ぐ、長い付き合いの、芸能人の友人だ。


「茉莉花さん!久しぶりー!」


久しぶり・・・今日何回、この言葉を言っただろう?それ位、私は事務所にはご無沙汰だった。


「本当に! もう!連絡もくれないんだもん!どうしたのかと思ったよ!」


「ごめんね、本職の方がばたついて、すれ違ってたね。

茉莉花さん、ドラマの方はどう?」


「セリフ覚えるの大変!

でも、現場の人と共演者さんとも仲良くなれて、視野が広がった感じだよ!」


テレビ越し、ドラマやCM中で見る茉莉花さんとは別人のような、親しみのこもった笑顔は、同性の私が見ても素敵に見える。


もともと名もない読者モデルの一人だった茉莉花さんは、事務所の人にスカウトされて、ファッション雑誌の専属モデルになった。まだ茉莉花さんが駆け出しの頃、私も大学生で、事務所でバイトしていた。その頃から、一番の仲良しだった。


その頃、茉莉花さんは、仕事が少なかったり、様々な人間関係や仕事、美人だけど今ひとつ垢抜けない容姿の悩みを抱えていた時代で、私は、隼人の妹、というジレンマを抱えていた。お互い苦しい時代を知っている同士のせいか、今もこうして立場や仕事が変わっても、変わりなく向かい合える仲だ。


「ドラマ収録落ち着いたら、また一緒に出かけようよ!」


「いいね! あ、うち泊まりにきてよ! お兄ちゃんの地方公演の間とか!」


「うん! ドラマ落ち着いたら連絡するね!」


きゃいきゃいとエントランスで女二人、少しテンション高めに話していると、

声を聞きつけたのか、事務所の奥から壮年の男性がこちらへやってきた。


 その人は、私の姿を見るなり、笑顔で近づいてきた。私は瞬間的に笑顔を引っ込め、深く一礼した。茉莉花さんがもそれに習うようにお辞儀した。


「水沢社長。ご無沙汰いたしております」


「花奏さん、久しぶり!」


 "久しぶり・・・"そう言われるのは今日何度目だろう・・・さっきと似たようなことを思いながら、私は目の前にいる男性を見上げた。


 水沢社長は、兄が研究生としてこの事務所に入った頃からずっと、この事務所の社長をしている人だ。兄が研究生の頃、母としょっちゅうこの事務所に見学に来ていた事もあって、子供の頃から見知っている人だ。もっとも、当時はこの人が社長だ、なんて全く知る由もなかったけれど・・・


「また、隼人のお使いか?」


「ええ、忘れ物、届けに来ました。

 いつもすみません。部外者なのに出入りして。ご迷惑ですよね」


 そう言うと、水沢社長は意外そうに笑った。


「部外者なんて、寂しいこと言うなよ。

 誰も花奏さんの事、部外者だなんて思っていない。


 それより・・・いっそうちの社員にならないか?」


「またそのお話ですか?」


 ここ何年か、私がここを訪れる度に社長はこの話を振ってくる。


「こういう業界の裏方がけっけう仕事きついのは、君も知ってるよな?

 なかなか続かなくてな。

 最近じゃ、うちの事務所、人手不足で困ってるんだ。


 君はバイト時代もしっかりやってくれたし、転職してくれたらありがたいんだけどな」


「・・・・・」


 私は笑ってごまかした。


 人手不足。


 これは私がバイトしていた頃もそうだった。


 別にこの事務所だけがきついわけではない。どこのタレント事務所もそれを支える裏方仕事、特に現場に関わる仕事はきつい。表の世界の華やかさとは対照的だ。


 私は、兄が芸能人だったし、そもそもここでバイトをしたのも、兄に請われてだったから、余計に痛感していた。


 そういえば、私が、大学四年で就職活動していた頃にも、社長は私に同じことを言ってきた。


"うちの事務所に就職しないか?"と・・・


 幸いそれは、私が教員採用試験に受かって、今の高校に就職が決まったので、なかったことになったのだけれども。


 でも。


 社長がしきりに私を事務所に引き抜きたがるのは、単なる人数不足だけじゃない。


 私が、兄や、ここに所属する芸能人たちと、仲が良すぎるから。

 

 みんなの、表には出せない秘密をいくつも知っているから。


 例えば交友関係だったり、夜どこで飲み歩いているか、とか、誰とお付き合いしているか、とか・・・


 私が例えば、この足でゴシップ好きな週刊誌の出版社に行って、知ってることを洗いざらい話したら、黒いスキャンダルでここの事務所は大変なことになるだろう。


 それ位、バイト時代、いろいろな黒い場面に遭遇した。嫌な思いも沢山した。それを暴露されるのを、社長は、一番恐れているのだ。


 もっとも、私はそんな面倒なこと、するつもりはない。バイトを辞めるときだって、社長にそう約束して、念書も書かされている。それでなくても、仮にも兄や、大好きな司さんが所属する事務所だし、私自身もお世話になったところだ。そう言ったことに巻き込まれてほしくない。


 社長も私の事はいろいろ信頼してくれているみたいだけれど・・・出来ることなら、危ない火種は、手元で、暴発しないように管理しておきたいところだろう。


「今日、この後は?」


 社長は、話を変えた。


「結斗とご飯食べに行ってきます。結斗、この後オフだそうです」


「そうか」


 社長はあっさりと私と結斗の外出を許してくれているようだ。バイト時代から、ここのタレントさんやアイドルと一緒に出掛けるのは慣れっこだった。・・・事務所の人間として・・・


 普通に考えて、顔の知れ渡っているタレントやアイドルを日中昼間にプライベートで外に連れ出すのも、正直どうかと思うけれど、私が知ってる限り、例えばファンが集まってきて大変なことになった、とか、そういう事態になった事は一度もない。


 それは私が傍にいたから、というわけでもなく、本人が目立たないように変装なり何なりしてくれているからだ。


 そんな他愛もない話をしているとき・・・奥から結斗がやってきた。


「花奏ー」


「結斗!」


 結斗は、私の側にいる社長に気づいて、慌ててお辞儀した。さすがの結斗も社長相手だと、少し萎縮するみたいだ。


「じゃ、私はこれで。結斗、あまり花奏さんを困らせるなよ」


 そう言うと、社長は事務所を後にした。


「じゃ、花奏、私も行くね。このあと打ち合わせなんだ」


「ん、またねー」


なんだか今日は、事務所タレントの打ち合わせ日なのかな? 結斗しかり、兄たちしかり、茉莉花さんしかり・・・他にも、打ち合わせのために事務所を訪れるタレントさんが多い気がする。


「・・・お前さぁ、社長に何か言われたか?」


 後に残った私と結斗。結斗は私にそう聞いてきた。


「ううん。何も?」


「そうか、ならいいけどさ・・・また社長、お前に無理難題ふっかけたのかと思った」


「そんなことないよ?また事務所で働かないかって言われただけ。いつもの事だよ?」


 一瞬、結斗の言葉の意味が解らなかったけど、結斗の言葉を、額面通りに返した。何か、社長に対して気になる事でもあるの?


「ま、いいか。じゃ行こう!」


 そう聞こうと思ったけど、それよりも先に、結斗は、すたすたと事務所から外に出た。


「あ、待ってよ!」


 私も慌てて、結斗の背中を追った。


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