第48話
やがて、司さんの報道番組が終わり、さして興味もないバラエティー番組が始まるのと同時に、私はテレビを切った。
テレビを止めた途端に、部屋の中は急に静かになり、その静けさが気持ち悪く感じた。
でも、その静けさは長続きしなかった。
玄関のカギを外から開ける音が、部屋に響いて・・・
そして、玄関のドアが開き、外から誰かが入って来た。
見覚えのある長身。メガネをかけた、知的で落ち着いた雰囲気。
背広姿だけれど、テレビの中の司さんのようにきっちりと着ていない。着崩しているわけではないけれど、着慣れている、といった雰囲気だ。
私はこの人とほぼ毎日顔を合わせている。
テレビ越しなんかではなく、リアルに。実際に・・・一緒に仕事をしている。
「草野先生・・・」
そう・・・目の前にいるのは草野先生だった。いつも学校で見かける白衣姿ではなく、背広姿で。学校への行き帰りは背広姿なので、それは当然なのだけど、学校での白衣の雰囲気と随分違ったので、その変身ぶりに少し戸惑った。
「こんばんは。新堂先生」
一方、草野先生は、いつもと変わらない笑みで、そう答えた。
彼は靴を脱ぎ、無遠慮に部屋に入って来た。ここは、草野先生の自宅マンション、という事だろう。
「随分落ち着いてるな。残念だ」
「落ち着くだけの時間は十分にありましたから」
「・・・俺的には、パニック起こして縋りついてきてくれた方が趣味なんだが。なんでもするからここから出してっ!ーってな。新堂先生のそんな姿が見てみたかったけど?」
「誘拐した張本人に縋りつくほど見失ってませんから」
なるべく強気にそう言った。演じたり虚勢を張るつもりもない。考えたり演じるまでもなく、普通にそう言葉に出てきた。
けれど、そう言うと、草野先生は面白そうに笑った。
「さっすが新堂先生。肝が据わってる。こんな状況でもそんな強気でいられるんだ?」
「褒め言葉ですよね? それ」
「けなしてるつもりですよ。疲弊して、なんでも言うこと聞くから外して!って縋り付いてくれるのが趣味だったんだが」
「私にそれを期待してるんだったら、期待する相手、間違えてますよ」
そう。こんな仕打ちを受けて、疲弊して相手の言うがままになるほど、悪趣味ではない。
兄に守られて、兄の背中ばかりを追っていた子供の頃ならともかく、あれから人生経験や生きることの苦味や苦しみを知った私は・・・こんなことに屈したくもない。
笑う事もせず、呆れてそう言った。でも、草野先生は悪びる様子もない。
「仕方ないだろう?君の素行調査して知ったことだって沢山あるんだから、ね。
夜中に訪ねてくる様な深い仲の男がいるとか、外でキスしてくる様な仲の男子高生がいるとか・・・な」
そう言われた時、ストーカーから送られてきた手紙と写真を思い出した。結斗が映ったもの。増沢君が映ったもの・・・
「あの写真、草野先生が撮ったんですか?」
ここで草野先生に否定されたら面倒だな・・・そう思ったけど、彼はあっさりと答えてくれた。
「俺じゃない。
俺が依頼した素行調査だ。
俺はその写真を受け取って、手紙と一緒に君のポストに入れただけだ」
やっぱり。この前、結斗が言ってた通りだった。
「ラブレターしちゃセンスないですよ」
「理系の男に文学センスを追求するな」
悪びることもない彼にだんだんイラついてきた。
「・・・草野先生が、ストーカーの正体・・・だったんですか?」
「ストーカー・・・ねぇ。ずいぶんな言い方じゃないのか?」
呆れたように、草野先生は言った。でも、その様子にさえ、寒気がした。
「遠回しな三文芝居は、好きじゃないんです。
どうせ芝居するなら、この間見た隼人の芝居以上の芝居じゃないと面白くもないですよ」
私はそう言い返した。嫌味のつもりで言った。そう、今から草野先生が話してくれるシナリオは、きっと面白くもないだろうし、先の見えている安っぽいシナリオだろう・・・兄の舞台とは大違いの。
「私が今、草野先生に聞きたいこと、一つだけなんです。
ストーカーの正体が草野先生かどうか・・・
それ以外、今の草野先生に興味は、ないです」
そう言い切った。
「最初、ストーカーは学校の外の人だって思いました。
でも、ある人が、私宛に届いたストーカーの手紙と写真を見て、教えてくれたんです
劇場で撮られた写真もあったけど、劇場の中で、草野先生と一緒にロビーで話していた時間、かなり長かったはずなのに、その写真は一枚もなくって、撮るのが難しい、客席内の写真が、不自然なアングルで撮られていた。
二階席から見下ろすような角度でズームして・・・
ストーカー本人が、自分と相手が一緒に写ってる写真を、ばれないように自分で撮るのは無理です。
あの舞台の日の夜、あなたと一緒にいるとき、家の前でフラッシュの光が見えたのは・・・私と草野先生の写真を撮るためじゃない。
写真を撮られるふりをすることで、写真を撮ってる人と草野さんが共犯で、 、草野先生自身も被害者に見えるようにして、疑われないようにする為じゃないんですか?」
学生時代バスケ部で、今もバスケ部の顧問をしている彼。足が速く、教師の中では断トツに速い。その彼が、あのフラッシュ写真を撮った人に追いつかなかった、という事は、裏でそういう取り決めが、二人の間で行われていた、という事。草野先生は追いかけるけれど、写真を撮っている人には追い付かない、写真を撮った人が逃げ切れるように追っていた・・・
写真を撮ったのは素行調査の人だと言っていた。その素行調査の依頼人(草野先生)が、私に疑われないように・・・
「・・・そうだよ。
見事だね」
「私じゃないです。
私に教えてくれた人が、いたんです」
「隼人の舞台の後、君のマンションの側で会った男のことか?」
結斗の事だ。
「さぁ?」
私はしらばっくれるように首を傾げた。結斗の名前を出すわけにはいかない。
「草野先生が・・・ストーカーだったんですね」
もはや質問ではない。確認のつもりでそうきいた。すると草野先生は、面白そうに声をあげて笑った。
「人聞き悪い言い方するなよ!
ただ、新堂先生?
貴方の事をもっと知りたかったから。身辺調査をしただけだよ。
勝手に君のこと、好きでいるって言っただろ?
だから勝手に君の事を調べた。
好きな人の事をもっと知りたい、そう思うのは当然だろう?」
彼は悪びる様子もなく言った。それはそれは嬉しそうに。
「悪趣味。最低。それをストーカーっていうんじゃないんですか?
わざわざ身辺調査の写真を私の家に送るのは、ストーカーのやることですよ。
単なる身辺調査だったら、その調査内容を私に渡す意味が解らないですよ!」
そう。私の気づかないところで勝手に身辺調査をやっている。それだけだったら私もこんなに疲弊はしなかった。
それを、ストーカーじみた手紙と一緒に写真もつけてポストに入れるから・・・私はこんなにも不安に駆られたのだ。
イライラしながら草野先生を見ると、草野先生は、背広を脱いでネクタイを緩めた。
「・・・好きな人の事をもっと知りたい。
それのどこが悪い?
その気持ちを君にも知ってほしい、そう思うことは悪いことか? え?
でも、調べれば調べるほど、面白い結果が出て来てね。
余計に君が気に入ったし、身辺調査も、君のことも、辞められなくなったよ」
彼は、脱いだ背広を私が座るソファの端に置くと、ニヤニヤと下衆に笑いながらソファに座る私に、にじり寄ってきた。
「・・・で・・・身辺調査で、私の何が判ったんですか?」
あえて私は、にじり寄ってきた彼を無視して話を続けた。すると彼は、苦虫を噛み潰したような表情をした。にじり寄る彼を無視したからか、彼の自尊心を傷つけたのだろう。
正直、素行調査の結果の方が気になった。
可能な限り、私の素性は表面化しないようにしてきたつもりだ。でも、そんな小細工、プロの素行調査にかかったら意味なんてないだろう。
小さく、草野先生の舌打ちが聞こえたのは、草野先生の納得いく結果が得られなかったからだろうか?
「最初は、なかなか判らなかったよ。君自身、大きな権力を持つ場所から守られているようでね。身辺調査の人間も、その権力を敵に回せないだとか言って、通り一遍の情報しか貰えなかった。
・・・随分金と時間がかかったよ・・・君の正体を知るために、ね」
権力。事務所の力だろう。いくら素行調査、といっても、敵に回したら素行調査をする人の身辺が危なくなる存在がある。例えば暴力団とか政治家とか。芸能事務所にはそこまでの権力はないけれど、ポラリスは大きな事務所だから、敵に回したら今後、芸能関連の情報を得られなくなる恐れがある・・・素行調査を生業としている人達からしたら、その事態は避けたいだろう。
でも、草野先生は気持ち悪い黒い笑みを見せた。
「やっと手に入れたよ。君の弱点」
そう言うと、彼は、私のプロフィールを・・・外に一切出していない筈のプロフィールを話し始めた。
「・・・新堂花奏さん
西暦Xxxx年5月10日生まれ。
出身地○×県○市。
○●小学校から○●中を経て、都立◯×高校に進学、その後△▲大学英文科卒業。
卒業後、K学園高等科英語教師になり、今に至る・・・」
それは、一般的な私のプロフィールだった。良く言う履歴書に書いてあるものだ。
一瞬、そのプロフィールだけかと思い、ほっとした。けれどそれもつかの間だった。
「・・兄は、人気アイドル"ジェネシス"の新堂隼人。
兄が12歳の時、"ポラリスプロダクション"に研究生として入所。それ以来、君は母親と一緒にポラリス事務所に、兄のレッスンを見に行くために通うようになった。ポラリスとは、それ以来の関係。
大学進学と共に、ポラリスでバイトを頼まれるほど、ポラリス事務所の連中は君を信頼している。君は、そこで大学在学中、勉強とバイトの両立をし続ける。
君の交友関係には、ポラリスの芸能人が多数いるけれど、君はそれを一切口外しない。
大学時代、付き合っていた恋人は、それが原因で君を裏切り・・・」
「・・・辞めてっ!」
耐えられなくなって、私は大声でそう叫んでいた。
誰にも触れられたくない過去。兄が去って行った日の事、兄が芸能人であるが故の、周囲の対応・・・どれも、他人には触れられたくない!
それでも草野先生は、そんな私の姿を面白がるように、私の、外には漏らさなかったプロフィールを淡々と話し続けた。
「大学卒業時、事務所社長に、事務所就職を請われたけれど、君はそれを断って、K学園の英語教師に就職。そして・・・今に至る。
今でも、事務所のタレントとは親密で、事務所所属のタレントやスタッフには絶対的に信頼されている。
"早川司"・・・"ジェネシス"の兄の相方には、君は並々ならない恋慕を寄せるが、一方通行」
「辞めて、もうやめてよっ!」
私は大きく首を横に振って、耳をふさいで絶叫していた。
嫌だ、聞きたくない!
兄がいなくなった日の事も、
事務所で司さんに出会って恋した日の事も。
自分が芸能人の妹であるが故に受けた様々な仕打ちも。
出来もしない便宜を図るように強要されて、無理だと断った途端、手のひらを貸したように去っていった友人の後ろ姿も。
初めて司さん以外の人を好きになって、信じて、信頼して、自分の正体を明かして付き合っていた恋人の裏切りの原因も、私が芸能人の妹だったから・・・と知ったあの人の事も!
もう思い出したくない! 他人に触れられたくないの!
触れられたくないからこそ、私は"新堂先生"と"隼人の妹"の二つ・・・自分以外の自分を演じ続けてきたの!
その長年の努力を、こんなつまらない素行調査で壊さないで!
汚い手で汚さないで!
そう叫びたかったけど・・・
不思議と声は出なかった。
暴露された恐怖と・・・それを淡々と話す草野先生の表情で・・・
草野先生は・・・私の知っている草野先生の姿ではなかった。
私の知っている草野先生は、生徒にも好かれる、優しい白衣の先生。
つい先日は、一緒に楽しく食事をした人で。
この人がもしも、私の正体を知っても今まで通りでいてくれるのなら・・・と一瞬でも思った存在だったのに!
今、私の目の前にいる草野先生には、そんな様子、かけらもなかった。
ただあるのは・・・自分の目の前にいる、自分よりも力弱きものを楽しそうにいたぶる、嗜虐的な顔をした、化け物のようだった。
その変貌に、体中に鳥肌が立った。
その草野先生が、ゆっくりとにじり寄ってくる恐怖がピークになったとき、私はソファーから立ち上がり、その草野先生から逃げようとした。
けれど。
「無駄だよ」
私の首につけられている首輪と鎖・・・その鎖をぎゅっと掴まれ、そのまま、強い力で引っ張られ、私は草野先生の所に引きずられ、そのまま無理やり抱きしめられた。
「やっと・・・手に入れた・・・」
その声さえ、いつもの先生と違う声のように聞こえて、鳥肌が立った。
いつもは何も感じない、草野先生の手が、腕が、抱きしめられた身体が、妙に冷たく無機質なものに感じて、まるで人間以外の何かに囚われたみたいだった。
「やめてっ! 離してっ!」
抱きしめられた事自体の恐怖とパニックで、私は草野先生の腕の中で暴れたけれど、学生時代から運動部で鍛えている彼の体力にかなうわけもない。
そう考えると、昨日、科学準備室で彼から逃げることが出来たのは、本当に不意を突いたからで。
腕力勝負になると、こんなにも私は脆く、簡単に組み敷かれてしまう弱い存在なのだと思うと、悔しかった。
それでも、草野先生の身体を両腕で自分から引きはがそうとしたけれど、草野先生は面白そうに、くっくっく、と笑っただけだった。
「そんなに暴れたら、腕も拘束するぞ」
耳元で下衆な声でそう言うと、草野先生は、自分がしていたネクタイを手に取ると、私の両腕を無理やりつかんで、ネクタイできつく縛り始めた。
「やだ!痛い!」
「お前が暴れるからだ!」
そのまま縛り上げると、ソファにあおむけに乱暴に寝かせると、彼は私の身体に馬乗りになり、ソファの肘掛けの所に、私の手を結んだネクタイを、ほどけないように結びつけた。
結びつけられたネクタイは、私がいくら引っ張っても外れない程、しっかりと結んであった。
「・・・抱けないのは残念だけど、まあ、いいか。
後は君次第だから・・・」
「私・・・次第?」
「そう、君次第。
とりあえず今日は、俺が手に入れた君の弱点が、君に効果があるのか見たかっただけだ。
効果は絶大だったね。
君があんなに取り乱した姿・・・見ていた興奮したよ」
ぞくりっ・・・・再び身体中に鳥肌が立った。
この人・・・結斗以上のサディストだ。
いや、この人と比べたら結斗の俺様なドSな性格、可愛らしいかもしれない。
「あとは、明日からゆっくりと、君で遊ぶことにするよ
やっと手に入った愛しい玩具なんだから。
ゆっくり・・・ね」
そう言うと、彼は馬乗りになったまま、体を屈めて私の首筋に舌を這わせた。気持ち悪さを助長する様に。
耳元で感じる、興奮した様な息遣いに恐怖と鳥肌がたった。
まるで凍りついた様に動けなくなった私を満足そうに見下ろすと、草野先生は私から離れた。
「この部屋は自由に使ってもいいし、冷蔵庫の中には食べ物もある。好きに飲み食いして構わない。でも、この部屋から出るのは無理だから・・・せいぜいおとなしくしてるんだな」
そう言い残すと、リビングから出て行き、別の部屋へと去って行った。
私は、彼に握られた私の過去のせいか、それとも今の状況のせいか・・・もう、何も考えられなくなっていた・・・
泣くつもりもないのに、目から涙があふれてきた。
(・・・誰か・・・助けて・・・・)
声にならない声で、私はつぶやいていた。
涙が、止まらなかった・・・




