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第三話



 増沢君は、私が大学時代、ここでバイトしていた頃に研究生として入所してきた子だ。私もまだバイトとしては新人、彼もまた入所したてで、先輩や他の研究生に囲まれておどおどしていた頃だった。


今でこそ、大勢いる研究生のまとめ役的な存在に成長したけれど、あの頃は背も低く、小柄で垢抜けない、女の子と間違えそうな顔立ちが印象的だった。


 そんな彼が、必死になって練習して、めきめきと頭角を現す姿をみながら、私も、バイトも学校の勉強も頑張った。


 自分よりも明らかに年下な、あんな小さな男の子が、夢のために頑張っている姿を目の当たりにしたのだ。増沢君よりもずっと年上だった私が、その姿に感銘を受けないわけがない。


『増沢君がね、そんな風に頑張ってる姿見てると、私も、自分の夢かなえるために頑張んなきゃって思えるんだよ』


 バイト時代、そんな話を彼にしたことがある。まだ子供だった彼に、だ。


『新堂さんの夢って何ですか?』


 まだ、あどけない目で私の顔を見て、増沢君はそう聞いてきた。


『高校の先生になること。

 増沢君みたいに、自分の夢とか目標を見つける手助けとか、夢を叶えるお手伝いが出来たらいいなって思ってるんだ』


 その夢は、ここでバイトしているときに見つけた夢だった。増沢君もそうだし、夢をかなえるために頑張っている研究生たちを見ているうちに、そう思うようになっていたのだ。


“姉御”


いつ頃からか、増沢君や他の研究生たちは私のことをそう呼ぶ様になっていた。


大学で受講していた教職や、得意だった語学を必死に勉強して、念願だった高校の英語の先生になれた。


「・・・変わらないね・・・」


気がつくと、私はそう呟いていた。


「え? 何がですか?」


増沢君が少し驚いた様に言った。


「俺、あの頃と変わらないですか?」


「変わったところもあるし、変わらないところもあるよ?

背とか体つきとかは変わったなーって思うし、笑った時の可愛さなんかは変わらないどころか、どんどん磨きがかかってる感じ。

でもね、一番変わらないのは、こんな風に、何年も経つのに、こうして向かい合って話してくれる所、かな?」


 そう言うと、彼は少し複雑そうな顔をした。


「デビュー決まったら、もう会えなくなりそうですね」


「そうだね」


 研究生が正式デビューする・・・そうなると、私が事務所に来ても、彼はここにいない事の方が多いだろう。今だって研究生でデビュー前とはいえ、兄の舞台のバックダンサーをやったり、兄と舞台で共演したりしているのだ。知名度もあるし、固定したファンもいる。きっとデビューしたらすごい人気になるだろうし、今よりもずっと忙しくなるだろう。


 ひょっとしたら、ゆっくり話すのは、今が最後かもしれない・・・旅立ち前の研究生の姿を、私は何人も見てきた。


「デビュー前に、もう一度。ゆっくり話、出来ませんか?」


 突然、増沢君が真面目な顔でそう言った。


「え?」


「聞いて欲しいこともあるし、相談したいこともあるんです。だから・・・」


 彼はそう言って言葉を濁した。その顔は真剣そのものだった。


「うん、いいよ。メールしてくれればいつだって・・・」


私がそう言った時だった。


「花奏っ!」


レッスン室のドアを開ける音がして、同時に、私が今日会わなきゃいけない人と、一番会いたい人が入って来た。兄と司さんだ。


途端に、レッスン室の空気が変わる。空気感が変わらないのは私くらいだ。


「司さん、隼人さん、おはようございます!」


 研究生たちが頭を下げて挨拶している。体育会系のノリだな、と思いながら隣を見ると、増沢君もちゃんと挨拶していた。


「思いっきり変貌遂げた奴が来た」


「え?」


「あ、何でもないっ」


 さっき、増沢君と、変わったとか変わらないとか話をしていたせいか、増沢君とは対照的に、あの頃と比べて随分変わり果てた人・・兄がやってきた。


「お兄ちゃん!」


 兄は背が高く、細身で、少し無骨な印象のある人だ。舞台やミュージカルで鍛え上げられた体格には一片の無駄もなく見える。一方司さんは、兄よりも少し小柄で、兄ほど細くはないけれど、繊細で整った顔立ちで、一見王子様のような風貌だ。


 この二人がユニットで、音楽番組で歌っていたりすると、その対照的な雰囲気やダンスの切れの良さも手伝って、観客は釘づけになる。もちろん歌唱力も二人の奏でるハーモニーもとても素敵だ。


「花奏ちゃん、久しぶり!」


 司さんに、にっこり笑ってそう言われて、私はどきりと、顔に血が上るのを感じた。


「お、お久しぶりです!」


 そういって、ぎこちなく頭を下げた。その様子を、司さんの横に立ってるお兄ちゃんは面白そうにニヤニヤしながら見ている。


「司さんが休日に事務所にいるなんて珍しいですね」


「そうだなぁ、最近はテレビ局に詰めてることが多いからなー。花奏ちゃんがこっちに来てくれてもすれ違ったり会えなかったりが多かったよね」


 実際、テレビ越しじゃなく、直接司さんに会ったのは、去年の夏以来だ。その時だって、"ジェネシス"のドームコンサートの時だったので、こんな風にゆっくり向かい会うどころではなかった。終演後、バタバタする楽屋に母と一緒に兄に会いに行ったときに、ついでにちらっと顔を見た程度だ。その時だって司さんは、見に来ていた研究生やら後輩やらと笑顔で話をしていたくらいなんだから・・・


 大好きな人なのに、テレビでしか顔を見れないなんて、芸能人に恋するファンみたいだ・・・なんて、私もそれと変わらない。


 そう・・・司さんは、私の初恋の相手で・・・今でも片思い中だ。もうかれこれ10年以上になる。もっとも、好きになったときは、私も子供だったし、司さんは研究生で、デビューの目途もたっていない頃だ。芸能人とファン、という人間関係は成立していなくて、単純に、兄の友人に好意を抱いている子供だった。


 自分の恋心を意識したときから、何度、諦めようと思っただろう。そして、何度、伝えようと思っただろう。


 そのまま、兄と司さんはデビューし、スターへの階段を駆け上り、気が付くと私も20代半ばを過ぎている。身動きのできない自分の気持ちにケリをつけなければ、前に進めないのに。


 兄は、そんな私の気持ちを知っている。このことを、腹を割って話した事など一度だってない。それでも兄には気づかれてしまっている。


「時々、司さんの報道番組、見てますよ」


「本当? ありがとう。俺どう?ちゃんと報道出来てる?」


「私が見たとき、原稿何度か甘噛みしてましたよ?」


 私はそう言うと、司さんは苦笑いした。


「やばいな、どこだろ?」


 司さんが担当している報道番組は平日の夕方なので、私が見るとしたら学校の職員室での事が多い。場所柄、しょっちゅう見る事は出来ないけれど、運良く職員室のテレビがついていると見れる時がある。たったそれだけで、幸せな気持ちになる。


・・・報道番組見て幸せな気持ちになるなんて、私もどうかしている・・・そう思いながら、司さんに笑顔を見せる。


「高校の職員室で見てるので、女子生徒が職員室に来ると、ちょっと騒ぎになりますよ」


 そう・・・アイドルで歌手の司さんが夕方の報道番組の司会をやっているなんて、事務所内でも例がなく、異例の事だ。私も、この話を初めて聞いた時は本当に驚いた。


 私の中で司さんと言えば、ステージや音楽番組で兄と一緒に歌ったり踊ったりしている印象しかなかった。その司さんが、報道番組で背広を着て、真面目な顔をしてニュースを読んでいるのだから・・・下手をすると、テレビ越しとはいえ、実の兄よりも毎日顔を見ているかもしれない。

アイドルと他は違う、キャスターの顔をしてニュースを読んだり取材に行ったりしているのをテレビ越しに見ていると、アナウンサーの人と見違えそうになることもある。


「花奏ちゃんは?最近どう?」


「毎日忙しいし、大変ですけど、もう慣れましたよ」

 

 大好きで、夢だった高校の先生の仕事だ。弱音なんか吐けない。それは、司さんや兄たちを見ていると余計にそう思える。


 みんな、自分の意志で選んで事務所に入り、厳しいレッスンの末、デビューしている。夢の為に努力して、夢をかなえる事・・・それは結局、兄たちの背中を見て習った事だった。だからこそ、私も夢をかなえることが出来たようなものだ・・・


「あ!そうだ!!司さん。

この間の特集記事見ましたよ!」


「ああ、例の女性誌のか?」


 私が毎週購読している女性総合誌で、この前、司さんの特集をしていた。


 この雑誌では、年に一度、芸能人のランキングがあって、その上位に入った人の特集が、次号から不定期に掲載される。司さんも兄も、この人気ランキングの上位常連だ。


インタビュー記事とグラビア、それと別冊の袋とじでセミヌードのグラビアまであって、その肉体美が話題になった。この週の、司さんの特集が載ったこの雑誌は、発売と同時に書店から軒並み姿を消すほどの人気だった。


 この雑誌の、女性向き袋とじの特集は、不定期とはいえよくある事で、何か月か前は兄の特集された。この時も、世の女性たちの話題を独占したほどだ。この袋とじの特集に出てくる男性アイドルや芸能人は、みんなカッコ良くて、芸能界で活躍もしていて、更に脱いでも様になる程スタイルも抜群でないと起用されない。そう言った意味では、20代~30代の女性に人気のあるかどうかのバラメーターなのかもしれない。


 私も、司さんのグラビアは勿論見た。それは、普通の人よりも司さんと会う機会が多い筈の私が見ても、はっと見とれてしまうほど素敵だった。このグラビアの為に何か月かトレーニングした・・・とは、噂に聞いていたけれど、世の女性が大騒ぎしたのも納得だ。


「花奏ちゃん、前から聞こうと思ってたんだけどさぁ?」


 突然、司さんが、私の顔を覗き込んだ。瞬間、私と彼の顔の距離が近づいて、きゅん、と胸が高鳴った。


「な・・・なんですか?」


「女の子ってさぁ、ああいう袋とじを何で切るの?」


「・・・は?」


 聞かれた質問の意味が、一瞬わからなかった。


「ほら、男ってさ、ああいう袋とじ、後先考えずにビリビリ破いちゃって、大事なところとかも破けちゃったりするからさ。

 女の子って何で切ってるのかなって・・・」


 質問の意味を正確に把握して、顔に血が上るのをはっきり感じた。司さんが袋とじを後先考えずに興奮してビリビリ破いて中を見ている姿・・・あんまり想像したくない。


 そういえば、兄と一緒に住んでいた頃、兄も男性向け雑誌の袋とじを切っている所に遭遇したことがある。あの時も、鋏なんかを使わず、手でビリビリと雑に破いていたっけ・・・


「花奏ちゃんもああいうの、破いたりするんでしょ?

 何で破くの?」


「な、なにでって・・・・」


 さすがに私はそのままビリビリ破くことはしない。仮にも司さんのグラビアだ。変な風に切れてしまったら嫌だ。・・・けど、鋏で切った覚えもない・・・


「手近な所にあるペーパーナイフとかカッターかなぁ? もしかしたら、どっかのスーパーのポイントカードかも・・・」


 言いながら恥ずかしくなって、だんだん言いよどむ私。


「花奏、耳まで赤いぞ」


 兄にすかさず突っ込まれた。実際それは自覚していたけど、言われてしまうと余計に恥ずかしくて、私は何も言えずに俯いた。


「隼人、あんまり虐めるなよ。花奏ちゃん、黙り込んじゃっただろ?」


「司が女に変な事聞くからだろ!これでも花奏、女だぞ!」


「これでもって・・・花奏ちゃんに失礼だろ?」


 そりゃあ、私だってこれでも女だ。大好きな人に、"男性ヌードの袋とじ、何で切ってるの?"なんて聞かれれば恥ずかしい。

・・・やっぱり私は、司さんから見て、女性扱いされていないのかもしれない・・・


「花奏!そろそろいいか?」


 顔の熱が収まらないうちに、兄が私にそう声をかけてきた。それは、落ち込みそうになった私を現実に引き戻すには十分だった。


「あ、そうだ!忘れるところだった!」


 今の司さんとの話など気にしていない、そんな振りをして(実際気になりまくっていたけれど)話を兄に切り替えた。


「忘れんなよ」


「いっそ忘れてしまいたいわ」


 私はおどけてそう言うと、バッグから書類を取り出して、兄に渡した。


「サンキュー! 助かったよ!!」


「もう! いい歳して忘れ物なんかしないでよねー!大事な会議の書類なんでしょ?」


「ああ。午後から舞台の打ち合わせ。でも助かったよ。ありがとう」


「どういたしまして。それじゃ、私、もう帰るね!」


 本当は、司さんもいるし、増沢君もいるし、もうちょっとここにいたかった。でも、みんなのレッスンや仕事の邪魔をしたくない。見れば、研究生の休憩もそろそろ終わりそうだ。司さんだって、担当している平日の帯番組のないこの日に事務所にいるということは、事務所での打ち合わせなり取材なりがある筈だ。


 そんなところで長居したくない。


「なんだよ!この後、用でもあんのか?」


「ん、まあね」


 曖昧にそう答えたけれど、兄はいたずらっ子のように笑った。


「どうせ一人ショッピングか一人映画だろ? いい歳した女が、色っぽい話の一つもないのかよ?」


 っぐっ・・・図星を疲れて私は言葉を失った。


 私の気持ち、知ってる癖に、よりにもよって司さんの前でそんなこと言わなくてもいいのにっ!


「どうせお一人様よ! お兄ちゃん達みたいに華やかな世界じゃないの!」


「僻むな僻むな」


 お兄ちゃんはあしらうように笑った。その笑いが妙にムカついた。


 お兄ちゃんには素敵な恋人がいる。同じ事務所の後輩でモデル兼女優の茉莉香さんだ。私よりも1歳年上で、年が近いせいもあって、プライベートでも仲良くしてもらっている。茉莉香さんがオフの時は、よく一緒にショッピングに行ったり食事にも行ったりする。


 事務所も公認しているし、世間にも公表していて、ファンの人も知っている。多分、時期を見て、お兄ちゃんは茉莉香さんと結婚するんだろうな・・・と漠然と思っていた。


「会議終わるまで待ってろよ。メシ、連れてってやるよ。今日は司も茉莉香も結斗も来るし、お前、明日も休みだろ? 久しぶりに飲み明かさないか?」


「お兄ちゃん達、明日の仕事は?」


「俺と司は明日の夕方からだ。茉莉香は撮影が昼からだから、来るけど長居しない。お前、茉莉香とも久しぶりだろ?」


 そういえば、茉莉香さんも、四月から始まった連ドラの撮影が忙しと言っていて、しばらく会っていない。茉莉香さんがオフの時で予定があったりすると、一緒に出掛けたりショッピングに出かけたりする。


「会議終わるまで待てないなら、終わったらメールするから出て来いよ」


「なんか妙に引き止めるね、今日は」


 普段は、忘れ物届けたら、私は適当に近況報告だけしてそのまま帰ることが多い。


 今日みたいに事務所に届けるときは、みんなにジュースや食べ物の差し入れをしたり、軽い雑談をしたりできるけど、事務所以外・・・例えば舞台の稽古現場とか、撮影現場だったりすると、そうはいかない。守衛さんに事情話して預かってもらうか、マネージャーさんに預けて帰るくらいだ。


 兄は"現場に入ってきて構わない"って言って、関係者用のフリーパスをくれたけど、バイトしていた頃ならいざ知らず、それ以外の、芸能人が普通に仕事している場所にずかずかと入っていくほど私も無神経ではない・・・つもりだ。


 そして、用が終わったらさっさと帰る私を、兄もほとんど引き止めることはない。それなのに今日は・・・


「あ! 姉御、映画見に行くんですか?

 よかったら俺、一緒に行きましょうか?」


 突然、そう言ってしゃしゃり出てきたのは増沢君だった。どうやら私たちの話の一部始終、聞いていたらしい。


「お前はこれからレッスンだろ! それに今日はお前等もこの後雑誌の取材だろ?駄目だ!」


「えーー! 折角姉御とデート出来ると思ったのにー。それに今日の夜の食事だって、どうして研究生は駄目なんですか?」


「デビュー直前の研究生特集の取材に、デビュー間近のお前がいなくなってどうするんだ!

それに未成年を飲みにつれてく訳にはいかないだろ! 二十歳超えてからだ!」


「でも、姉御がここに来るなんてめったにないんですよー! 俺も姉御と出かけたいです」


「ガキみたいな事言ってるんじゃない!」


 むくれながらそう言う彼と兄。増沢君の顔が、少し可愛く見えて私は思わず吹き出した。


「いいよお兄ちゃん、私もう帰るから・・・」


 笑いを堪えながらも、みんなに申し訳なくなってそう言った時・・・


「じゃ、俺が付き合ってやるよ!」


 ここにはいない筈の第三者の声がして、私達はその声の方に振り向いた。


 私達の視線の先には、はっと目を引くような金色とも白とも取れるような髪色と、お兄ちゃんも司さんも、もちろん増沢君も持ち合わせていない、強い意志を持った目の男の人が立っていた。


「結斗!」


 ドアの所には、たった今ここに来たのか、結斗が立っていた。


 結斗・・・手塚結斗も、この事務所に所属するタレントで、アイドルだ。ダンス・ヴォーカルユニット"colors"のメンバーだ。このユニットもまた、国民的アイドルグループと呼ばれ、世間ではお兄ちゃんと司さんのユニット"ジェネシス"と人気を二分している


 細身ですらりとした長身はお兄ちゃんを彷彿させるものがあるけど、それ程背は高くはなく、私と兄の中間くらいの身長だろうか?でも、彼の強気の眼のせいか、存在感は兄や司さんに負けていない。


 司さんのような、優しい王子様、という印象はなく、兄の様なストイックさも、今は感じられない。むしろ"生意気で負けず嫌いな、ドSなガキ"がそのまま成長したような雰囲気だ。


 結斗は、そのまま私や兄の所につかつかとやってきた。そして、兄と司さんに"こんにちは"と一礼した。


「結斗、仕事は?」


 兄にそう聞かれて結斗は、少し真面目な顔をした。


「スケジュールの打ち合わせ。たった今終わったところです。この後暇なんです。

 そろそろ飯食いに行こうかと思ってたら、千秋ちゃんが、花奏がこっちにいるって言ってたから、会いに来てやったんだ」

 

「桜井さん、って呼びなさい!」


 千秋ちゃん・・・桜井千秋さんは、兄のマネージャーだ。私や結斗より年上で、私がバイト時代から兄のマネージャーをしていて、私もバイト時代からいろいろお世話になった、いわば恩人だ。その人を捕まえて"千秋ちゃん"なんて呼べるのは結斗だけだ。私など恐れ多くてそんな風に呼べない。


 会社で言えば、上司や先輩に向かって公の場所で"○●ちゃん"って呼ぶようなものだ。絶対タブーな事だ。でも、結斗は平気な顔をしている。


 そして、その強気の眼を私に向けると、


「花奏、付き合えよ!暇だろ?」


 にやり、と、昔と変わらない強気な表情でそう言った。普通の同年代以下の女性だったら、この強気な目で怯んでしまうだろう。


 事実、この目に色気をこれでもか、と含んだ目線を、ライブではここぞとばかりに披露して、ライブを見に来た女性全員を骨抜きにしてしまうのだから・・・


 でも、私は何年もこの目と付き合っているせいか、既に免疫が出来てしまった。この強気な目にも、色気のある視線にも、何とも思わなくなってしまった。これも女子としては問題だよなぁ…心の中で自分自身にため息をついた。


 でも、有無を言わせない結斗の言葉を断る術は、長い付き合いでも習得できていないようだ。

 断る口実を探している間に、結斗はさっさと言葉を続ける。


「隼人さんから連絡が来たら、例の店に連れてけばいいんですよね?」


「ああ、そうしてくれると助かる!

 じゃ、花奏、そう言うわけで頼むな」


 生意気な結斗の口調に、兄は苦笑いしながらも頷いた。勝手に兄と結斗で話がまとまってしまったようだ。


「ち、ちょっと!

 私が結斗と一緒に街歩いたら、一発でファンに見つかるわよ!

 下手すれば写真撮られて週刊誌ネタよ!」


 白とも金髪とも見える、一見アニメのキャラクターにも見て取れるような派手な色の髪に、勝気で強気な目を持った結斗。そんな目を持った世間でも知れ渡った有名人と一緒に外を歩いたりしたら、他の人の視線の餌食だ。何せ結斗は、兄や司さんと同じくらい、知らない人がいないほどの超有名アイドルなのだ。そんな人と私が一緒に歩いて・・・下手にうちの学校の生徒にバレたら厄介だ。


「ちゃんと変装するって。

 それに万一、週刊誌に写真撮られても、花奏は、うちの従業員って扱いになってるんだろ?」


「何?私まだ除籍されてないの?」


「しようと思ったけど、俺が止めた。

何かあったときに対処しやすいだろ」


「むしろ、何事も無いようにしてほしいわ。

私、本職は高校教師なんだから!」


 私は、ここのバイトを辞めてすでに数年がたつ。もう従業員名簿から名前が消されているはずだ。それを兄が止めている、という事だ。

 

 事実、大学のバイト時代、事務所のタレントの付き人などもやっていたせいか、タレントさんと一緒に移動したり、タレントさんの買い物に付き合うことも多かった。何度か、週刊誌の人に写真を撮られたりしたけれど、事務所側が、"うちの事務所の社員です"と各方面に言ってくれたおかげで、表沙汰にならずに済んだ。その情報が、未だに生きている、というわけか。


 つまり、芸能事務所と週刊誌の間では、私、新堂花奏、という存在は"ポラリスプロダクションの従業員"という事になっていて、ポラリス所属のタレントと一緒にいて、万一写真撮られたとしても、派手な週刊誌沙汰にはならない、ということだ。タレントが付き人と一緒に買い物や外出に出るのは普通によくある事だ。私達は、事情を知らない一般人の目を欺けさえすれば、問題ないのだ。


「じゃ、そう言うわけで、花奏、俺に付き合えよ! 今着替えてくるから!エントランスで待ってろ!」


「え? ちょっと結斗?」


私はまだ、行く、なんて返事していないのよ!


 そう言おうとしたけれど、兄も司さんも、結斗の後ろ姿を見て、苦笑いでため息をつくだけだった。


「ま、いいか。

 花奏、会議終わったらメール入れるからなー」


「あ、くれぐれも、結斗のバカに襲われないように。連れ込まれそうになったらすぐ逃げるんだよ。あいつ見境ないから」


 兄だけならいざ知らず、司さんにまで冗談交じりで言われて、二人はレッスン室から出て行った。


「・・・もう・・・・バカ・・・」


 その言葉は、私の気持ちを知っていて遊んでいる兄に向けたものなのか、10年以上の片思いの相手に向けたものなのか、自分でも判らなかった。


 ただ、昔同様、子ども扱いされて軽くあしらわれている気がするのだけが、不満だった。

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