第36話
読んだ瞬間、私はすべての思考が完全に凍り付いた。
「・・・っひ・・・」
身体中ががたがたと震え出し、それさえ自分では止められなくなった。
「落ち着け、花奏」
結斗はそう言いながら、手紙をよけて、入っていた写真をざっと見た。
「こいつ、昨日の隼人さんの会場にもいたって事か」
劇場の、私が座っていた一階席。幕間か開演前、席に座って増沢君と話している写真が撮られていた。
増沢君はカメラに背中を向けているし、他の芸能人の顔がはっきりと写っていないのは不幸中の幸いだ。
そしてもう一枚は、私と草野さんが一緒にならんで写っている写真・・・駅からマンションへと続く大通りを歩いている姿だった。
それらを、結斗は真剣な顔をしてみていた。
「花奏。
今まで来たストーカーからの写真、あるよな?
全部見せろ」
「え? うん」
さっきまでの優しい結斗とは別人のような・・・・あるいはいつもの俺様な結斗の口調だった。
その口調に妙に安心しながら、私はストーカーからのファイルを棚から持ってきて結斗に見せた。
結斗は、そのファイルを開けるのももどかしく、ファイルの中から写真だけをすべて引っ張り出した。
「ち、ちょっと結斗!」
バサバサと散らばったストーカーの写真を、結斗は一枚ずつ丁寧に見ていた。
その眼は真剣で、何かを探しているようにも見えた。
「お前の昨日の予定はっ?」
その真剣な声に気圧されるように、私は昨日の事を、覚えている限り、話した。
午前中は学校業務があったこと。
本当なら、いったん家に戻って着替えて劇場に行くつもりだったけれど、朝、兄から、忘れ物の電話があって、着替えが出来ず、学校
から劇場まで直行することになったこと。
劇場で草野さんに会った事。
その後、草野さんと食事したこと。
食事の後、草野さんがマンションまで送ってくれたこと。
マンション付近で、フラッシュの光と、人の気配がして、草野さんがそのフラッシュの人を追ったら、結斗とぶつかって、取り逃がし
たこと・・・
なるべく覚えている限り、丁寧に彼に話した。
「・・・お前が、隼人さんの舞台を観に行く事を事前に知ってる奴は?」
そう聞かれ、一瞬戸惑ってから、私は首を横に振った。
「私と兄の関係は、外には秘密だし、学校では一切話していないわ。
でも・・・草野さんとは劇場のロビーで会ったから・・・」
「その草野って奴は、当日券で入ったんだよな?」
「うん・・本人はそう言ってたし、実際草野さんが座っていた席も、二階の当日券の辺りだった」
そう言ってから。
私は今日送りつけられてきた写真の一枚に目が行った。
そして・・・・気づきたくもない“違和感”に気づいてしまった。
劇場の中の写真、たった一枚のこの写真。
私と増沢君が話している所を撮った写真だけ、今まで送られてきた他のどの写真とも、アングルが違った。
他の写真のどれを見ても、私を尾行して、私の死角から撮っている雰囲気で、カメラのレンズがあるであろう高さが私の目線と同じ写
真なのだけれど、昨日の劇場内の、増沢君との写真だけ、斜め上からのアングルで撮られていた・・・
そう、まさに、草野さんがいた、あの二階席の辺りから、1階を見下ろすように・・・
「まさか・・・この写真、草野先生・・・・」
彼も同じことを考えていたらしくて、頷いた。
「可能性、あるぜ
よく考えてみろよ
会場内のカメラの持ち込みも撮影もはNGだろ?
せいぜい持ち込みできるのは携帯位だ。
でも、いくら性能が良いカメラアプリ入れたとしても、画素数の高い携帯使ったとしても、ちゃんとした装備の整ったプロ仕様のカメ
ラと比べたら雲泥の差だ。
この、会場の写真、他の写真と比べて、写真の画質も、撮ってる人間の腕も劣ってる」
そう言われてみれば、他の写真と比べて随分画素が荒い気がする。でも、言われるまでそんな事、私は気づかなかった。ただ、室内で
会場内が明るい状態で、カメラをズームして撮った・・・という程度だ。
「・・・写真見ただけで、そこまでわかるの?」
断言した結斗にそう聞き返すと、結斗が少し、にやりと笑った。
「俺、何年、モデルやってると思うんだ? カメラマンの腕が違うと、同じ被写体を同じ条件で撮った時、仕上がった写真は違うものに
なってる。カメラの性能だって、携帯のカメラとプロが使う機材じゃ、仕上がりも雲泥の差だ。
それはお前も知ってるだろ?
バイトしてた頃、撮影現場、何度も見てるだろ?」
そうだった・・・結斗は、"Colors"デビュー以前からモデルもやっていたんだっけ・・・何度かその撮影現場に、スタッフの一人とし
て同行していた。
「それに、100歩譲って、全部の写真撮った奴が同じ人間だとして、
・・・会場内でお前が草野と一緒にいたときの写真、ここにはないだろ?
俺がもしストーカーで、完全に、お前の、男性交友関係全部を写真撮るなら、お前と草野がロビーで話してる写真、絶対逃さない!」
確かに結斗の言う通りだ。
会場の二階席から、無茶なアングルでズームアップを使って、会場内撮影禁止なのに写真を撮るのと比べたら、ロビーで、普通のアン
グルで、草野先生と無防備に話している姿を撮った方が、安全なはずだ。
それをしない、という事は・・・
「それに、会場の写真以外の写真を撮っている人間と、手紙を書いている人間は、別人、って可能性もあるぜ」
つまり。
ストーカー本人が、誰か、第三者に私の写真を撮ることを頼んで、私の写真を撮る。
ストーカー本人は、その写真に手紙を添えて、私のポストに入れる? っていうこと・・・?
「それだったら、昨日の劇場内の写真を撮った人間と、それ以外の、屋外の写真を撮った人間は別人、って事になる。
十中八九、外の写真は、ストーカーに依頼された人間が撮ったものだ。
そいつは、外で、草野と一緒の所に現れた人間で、写真を撮る事を依頼された人間・・って事になる。
それに、花奏の教師姿しか、写真がないって事は、ストーカー本人も、写真撮ってる奴も、"新堂花奏"の、教師姿しか知らない奴だ」
「まあ・・・ 私位、二重生活してる人って稀だと思うけど・・・」
結斗の言葉に私はそう答えたけれど、結斗は笑わなかった。
「昨日、俺にぶつかった男、お前と草野の写真をフラッシュ付きで撮ってた、って言ってたよな?」
「う・・・うん・・・」
「それがもしも、写真撮ってる奴と草野とが、グルになって仕組んだ茶番劇だとしたら?」
「え?」
「お前と草野が一緒にいるところを写真に撮られたとしたら、普通だったら、その写真を撮った男がストーカーだと思うだろ?
昨日の茶番劇で、草野も一緒に写真に撮られたとしたら、一時的にとはいえ、草野がストーカー、とは考えにくくならないか?」
「あ・・・・」
「一瞬だけど、ストーカー疑惑から、逃れられるだろ?」
結斗の言いたいことが、判った。
草野先生と、昨日の写真を撮ろうとした人がグルで。
草野先生は私を家まで送る、と言って一緒に歩いていて、それを、あからさまに写真を撮る。
ここ連日ストーカーに怯えていた私は、あのフラッシュでストーカーだと思った。
草野先生はあの写真の男を追う振りをする・・・
あの足の速い、バスケ部の顧問もやっている草野先生が追い付かない、なんてあり得ないから、手加減して走って、わざと逃がすよう
に仕向ける・・・
そう言う事?
だとすると、ストーカーの正体は・・・草野先生、という事?
結斗はそう言いたいの?
「お前さ、ストーカーに気づいてから、教師姿以外で出かけることってあったか?」
「あるよ。もちろん」
いくら私でも、休日に出掛ける事位ある。本当なら引きこもりたいけれど、土日に日用品を買いに行く事だってあるし、学校に全く関
係のない所に行く用だってある。それに、ストーカー被害に遭うようになってから、休日に学校以外に出掛けるときは、念入りに、教師
以外の姿をするようになって、周囲に気を配るようになっていた。
「その写真は撮られてないんだよな?」
今、手元にある写真の中には、教師姿の私の写真しかない。それ以外の姿をした私の写真は、一枚もなかった。
「じゃあ、ストーカーは、教師姿の私しか・・・知らない人・・・」
「それで、昨日の劇場に来ていて・・・草野さんとお前の写真を撮るのが不可能だった人・・・」
それって・・・まさか・・・草野先生、本人って事・・・?
草野先生だったら、彼が当日券で取った2階席から、私の写真をスマホで撮ることは可能だし。
草野先生が、私がロビーで話しているところを、草野先生自身が撮るのは不可能の筈。
まさか・・・
私は、結斗と顔を合わせることも出来ないまま、ただ、撮られた写真たちを呆然と見ていた。
「それと、もう一つ、俺、気づいたこと、あるんだけど、言ってもいいか?」
「何よ?」
「この手紙の、最後の一文」
それは、ついさっき届いたストーカーからの手紙だった。
その一行を、彼は指さした。
"来週、試験が明けたら、会いに行く"
「お前の学校が、いつ期末試験かって、知っている奴だろ? だとすると、普通に考えたら学校関係者だよな?
全く関係ない人間が、高校の期末試験がいつからか、なんて一般情報として知りにくい事じゃないのか?」
「せいぜい、生徒と教師と、保護者、学校関係者・・・その友達や知人」
それは衝撃だった。
ストーカーに気づいて、視線を感じるようになった頃から、学校内では視線を感じなかった。だから、私は、ストーカーは、学校関係
者ではない、と思い込んでいた。
でも、実際は・・・学校関係者?
しかも・・・草野先生が?
信じられない・・・




